| 項目 |
内容 |
出典中の記載 |
備考 |
| 隷民 |
前漢時代に、人民全体に「士」の地位が与えられたが、同時に納税義務も課せられた。
後漢時代になると、納税することができず、本籍地から逃亡し都市で日雇い人夫になるか、荘園に入り隷農となる人民が続出した。
本来りっぱな自由民であったが、一家ともに荘園所有者に隷属する結果となった。 |
ここに自由民でもない、奴隷でもない、その中間に位する賎民階級の発生をみたのである。これが唐代の法制に規定された「部曲」なる隷民の起源である(P37) |
注1 |
| 列女伝 |
後漢になって、中国はいわゆる「不景気」な時代になった。
不景気で暮らしにくい時代ほど、家族の団結の必要性が強調され、親に対しては子が、夫に対しては妻が献身的に奉仕することを要求され、無数の孝子伝や列女伝が編纂された。 |
列女伝もまた孝子伝と同じように、前漢末の劉向からはじまる(P40) |
注2 |
| 「遊牧民族」の反乱 |
何進が召集した地方の諸将のうち、羗族の軍隊をもち、さらに匈奴軍隊を指揮する呂布を新たに配下に加えた董卓が最も強盛だった。
董卓は、弘農王を廃し弟を立て、後にはその天子を擁し長安に遷都した。 |
董卓の乱は漢に帰服した長城外の遊牧民族が自己の力量を自覚して、反中国的態度をあきらかにした第一歩といえる(P52) |
注3 |
道教 |
はじめ張道陵なる者が、漢中で黄巾の張角と相似たる新宗教をはじめ、五斗米道と称せられた。
孫の張魯のとき、地方長官を追って宗教王国を建設した。 |
これが後世中国全体に広く行われるようになった道教の起源と考えられる(P69) |
注4 |
| 現実の「禅譲」 |
禅譲とは、中国上古の伝説における尭→舜→禹のように、天子の位を世襲せず有徳の人に世襲させる制度をいう。
有史時代では前漢末の王莽が似たようなことをやっただけだったが、曹丕が魏王の位につくと、漢、魏の革命が禅譲の形で実施された。 |
はじめて伝説上の禅譲を現実の政治の上に復活してみせたのは曹丕が最初(P79) |
注5 |
| 異民族による征服 |
匈奴の漢(前趙)の軍隊は、八王の乱で内部崩壊した西晋の宮城を占領し、懐帝を捕らえて漢都の平陽に送り、殺した。次の愍帝(びんてい)も即位して4年目の冬、漢将の劉曜に攻められて同じく平陽に送られ殺された。
祖逖(そてき)らは中原を回復しようと挙兵するも成功せず、中国文化発祥の地黄河流域一帯は異民族に占領されることになった。 |
永嘉の乱は中国史上、はじめて中国が異民族に征服され、一時中国文化が地におちて蹂躪された異変である(P133) |
注6 |
| 仏教弾圧 |
北魏の太武帝のとき、道士の寇謙之(こうけんし)が大臣崔浩の紹介で帝に取り入った。
崔浩は帝に仏教弾圧を進言し、帝は僧侶を誅し、経像を焼き捨てる詔を出した。 |
これが中国における仏教の法難の最初の例である(P219) |
注7 |
| 科挙 |
隋の文帝は、貴族の既得権益を擁護する制度に堕落していた九品官人法を廃し、中央政府で行う試験合格者に高等官となる資格を与えた。 |
これがその後千三百余年にわたって行われた科挙の起源である(P309) |
注8 |
| 女帝 |
唐の高宗はあまり賢くないうえに病身で、武皇后がかわって決裁を行うようになった。
武皇后はライバルを次々に排除し、さらに僧法明が偽作した『大雲経』を口実に睿宗を廃し帝位につき、国名を周と改めた。 |
中国において女性が皇帝となったのは空前絶後、ただこの一例のみである(P350) |
注9 |
| 経書印刷 |
馮道は、経書の印刷を始めたが、それが文官官僚の造成に寄与した点は大きく、つぎの宋代の文官全盛の時代を開く準備を整えた功労者ともいえる。 |
馮道は中国において最初に経書を印刷した出版人として知られる(P412)
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注10 |
| 磁器 |
中国が外貨を獲得するための独占的商品は、従来はほぼ絹に限られていたが、やがて茶が加わり、さらに第三の輸出品として陶器があらわれた。 |
世界において最初に完成された磁器、中国の青磁(P418)
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注11 |