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2001年11月のひとこと書評

 11月のひとこと書評の再録です。掲示板そのままでは芸がないので、評点をつけます。★5つが最高。評価基準は、おおむね、こんなところです。

星の数 どんな本?
★★★★★ 超絶完璧。何ら間然するところなしの本。こんな本に巡り会えるのか?
★★★★☆ ほぼ入神の作に近い。読後直ちに、これは今年のベスト1ちゃうか、生涯でもベスト10に入るな、と感じるような本。
★★★★ 「読んでてうなる」、感心する、夢中になる。読み終わって思わず「ふ〜〜っ」とため息をつくような本。
★★★☆ 読後にっこり、読んで得した感じになれる本。
★★★ 定価に見合った満足感は得られる本
★★☆ 「おもしろいとこもあったが、ちょこちょこと不満も残る」とか、「そんな悪くもないが、いまひとつ盛り上がりに欠けたなあと感じる」タイプの本
★★ できることなら・・・金返せ!と言いたくなる本
★☆ 仮に無料(ただ)であっても、読むのに使った時間返せ!と言いたくなる本
出版自体が犯罪的に思える本


 


(025)『アジア・サッカー戦記』(後藤健生。文春文庫)

 サッカーワールドカップ98フランス大会のアジア地区最終予選のレポートである。う〜ん、困った。確かにそのとおりなのだが、それだけなのだ。

 プロローグは、W杯出場を決めた試合の延長後半から始まる。そう、あのダエイのシュート、中田のドリブル、岡野のスライディングシュートだ。
 筆者は翌朝たまたまホテルの窓から、オセアニア/アジア地区プレーオフに備えて、重い足取りでグラウンドを走るイランの選手たちを見下ろす。

 「試合直後のラルキン・スタジアムの喧騒の中でよりも、夜の酒の席でよりも、試合の翌日、静かなホテルの部屋から黙々と練習に励むイランの選手たちの姿を見下ろした時にこそ、「本当に奴らに勝ったんだ」という実感がわいてきて、いっそうの嬉しさを感じた」

 この文章を読んだ時には期待感がわいたのだが、あとの文章は妙に平板に感じた。

★★



(026)『元の大都』(著:陳高華。中公新書)

 
殷、周代から薊城と呼ばれ、金の中都を経て元の大都に至る「北京」の歴史が
様々な資料を駆使して描かれている。

 私としては、金の中都と元の大都との位置関係であるとか、なぜそうなったか(何故、両者は重なり合っていないのか)、正方形の城市で東西南の城壁には三つの大門があるのに、なぜ北面のみ2門しかなく、中国で重んじられる対称性を損なっているのか、そしてその答えが三面(頭)六臂両足のナタ太子伝説に由来するのだといった記述などがとても興味深かった。

★★★☆


(027)『快楽!中国茶』(著:孔祥林。ふたばらいふ新書)

 中国茶に関する歴史や産地ほか広範に紹介する。

 「よもやま話」という章で、既存のことわざ辞典から「茶」とつくことわざを14ページにもわたって引用するのは、いただけない。

 「八大名茶」を紹介したあと、わざわざ「八大名茶のいずれもが発酵茶に属して
いる点を明記しておきたい」とあるのだが、そこに緑茶が2銘柄含まれている点に
首をかしげる。緑茶は不発酵茶と自著の中で明記しているのに。

 本の後半では、著者が日本に紹介しているという「孔子茶」の宣伝が続く。

 本人は「これまで日本で出版された同種の本のどれにも、内容において劣るようなことはないはずだ」と書かれているが、布目氏の各著作の方が優れていると思う。

★★


(028)『婉容』(著:池内昭一、孫憲治。毎日新聞社)

 ラストエンペラー夫人」という副題といい、婉容の写真を表紙全面に使ったデザインといい、キワモノという印象を抱いて読み始めた。
 しかし、内容はなかなかしっかりしているな、という印象で読み終えた。

 その後、『わが半生』を読んで、ああ、この『婉容』という本は糊とハサミでこしらえられたんだな、ということがわかった。
 好意的に言えば、たんねんに各種資料を参照し、あまり勝手な創作がまじえられていないとも言えよう。
 『わが半生』を軸に、類書を整理していこうと考えるきっかけとなった本でもある。

★★


(029)『わが半生』(著:愛新覚羅溥儀。筑摩書房)

 愛新覚羅溥儀の自伝である。
 ゴーストライターがいるとも言われている。
 後半は中国共産党への賛美でおおわれている。時期から見て(いや、現在でもそうだろうが)、そのような内容でなければ出版されなかったであろう。

 溥儀は、権力者として周りからおもねられてきた人物であるし、彼自身他の権力におもねることが巧みな人間だと思う。
 この本の中には巧妙に自己を弁護する内容を付加したり、事実をねじまげたり、隠したりした部分も多く含まれていることだろう。

 しかしながら、そういったすべての点を差し引いても、このラストエンペラーの自伝は第1級の史料であり、文章も自らを客観的に、冷静な知的文章で描いた好著だと思う。

★★★☆



(030)『素顔の皇帝・溥儀』(著:愛新覚羅溥傑ほか。大衛出版社)

 「大奥からの証言」というサブタイトルがついているのだが、大奥というと私はつい、「江戸城大奥」を連想してしまう。
 つまり、正妻、側室、女人禁制というイメージ。おそらく、筆者は溥儀のそば近くにいた者たちの証言という意味で使っているのだろうが、ちょっとどうかな?と思う。

 これは、3巻に分かれており、1巻はいわゆる溥儀のご学友であった小固ら一族や弟の溥傑など。
 2巻は満州時代の側室李玉均
 そして3巻は最後の妻の金叔賢がそれぞれ書いている。いずれも貴重な証言だと思う。

 これも、『わが半生』を一つの基準にして、微妙に食い違う「薮の中」状態を楽しみたいと思う。

 第3巻に、溥儀がある場所で述べたとして、「昔は月は丸かったが、人は丸くなかった。今は、月も人もまるい」という言葉が紹介されている。
 識字運動で初めて字を覚えたおばあちゃんが書いた「字を覚えたら夕焼けが美しく見えた」(原文はひらがなだったと思う)という作文のことを連想した。

 溥儀が真に人間改造を遂げたのか、それとも長い巧妙な演技だったのかは、興味深いテーマであるが、この最後の妻の回顧録は「ほんものだったのかな」と思わせるものを持っている。

★★★



(031)『現代中国百景』(著:今田好彦。中公新書)

 「髭で撫でた胡同」という副題がついている。たしかに中国の上っ面を「撫でた」という表現があたっていると思う。
 新聞記者が「日中親善屋」にならないよう自戒しながら中国の日々を過ごした記録とのことであるが、文章がやや軽佻浮薄のように感じる。

★★



(032)『流転の王妃の昭和史』(著:愛新覚羅浩。新潮文庫)

 著者は皇弟溥傑に嫁いだ名家の令嬢嵯峨浩。浩は終戦前後の混乱期も冷静に対処したようだが、本書も落ち着いた文章で、関東軍などのことも詳しく書かれており、参考になる。

★★☆


(033)『流転の王妃』(著:愛新覚羅浩。文芸春秋)

 著者も『流転の王妃の昭和史』と同じだが、本書の方が先に刊行されたようである。
 こちらは、いわゆる天城山心中(長女慧生の無理?心中事件)が中心となっており、全般的にやや扇情的というか、TVの芸能ワイドショー的なつくりになっている。

★★


(034)『清朝の王女に生まれて』(著:愛新覚羅顕g。中公文庫)

 筆者は粛親王の末娘。「東洋のマタハリ」川島芳子こと金碧輝の妹という方が話が早いかもしれない。
 性格も口調も「王女」というよりは「べらんめえ」風である。自己正当化もきついように思われ、他人の話として聞いている分には多少の痛快さもあるのだが、親しくおつきあいはしたくないタイプだなと感じた。

★★


(035)『西太后秘話』(著:徳齢。東方書店)

 「終始真実を主として、なにひとつつけくわえず」書くという前書きのすぐ後で、若かりし頃の西太后栄祿の逢い引きを睦言とともに描く
 思わず「見てたんかい!」と突っ込みを入れたというのは「名せりふ」:『珍妃の井戸』編で書いたとおりである。
 さねとうけいしゅう氏訳による貴族口調の訳文と相俟って、西太后賛美一辺倒の「と」本小説といってよい。

★☆



(036)『天子 光緒帝悲話』(著:徳齢。東方書店)

 これは、光緒帝珍妃などにスポットを当てたもの。歴史書ではなく、小説であるのは『西太后秘話』と同じだが、こちらは普通の訳文である分、読みやすい。

★★


(037)『西太后に待して』(著:徳齢。筑摩書房)

 徳齢女史は何冊か本を書いているが、これは初期のもの。政治的な裏話や憶測は交えておらず、宮廷生活の儀礼的な部分の記録が詳しい。
 よって興味本位のゴシップ要素は乏しいが、「資料」的価値はそれなりにあると言ってよい。

★☆


(038)『最後の宦官 小徳張』(著:張仲忱。朝日選書)

 これは著者が祖父小徳張の話をまとめたものだが、著者に直接語ったものではなく、別の人としゃべっているのを横から聞いていた記憶に基づいて書いたもので、しかも内容を記録していたノートは紛失してしまったという。

 当然、内容は風聞に基づいていたり、自己正当化、記憶違いや聞き誤りも含まれているだろう。しかし、特に宦官社会の裏事情や京劇の稽古に力を入れ出世していくところなど、内部にいた者しか語れない迫力がある。
 訳者(岩井茂樹)の注も詳細で参考になる。

★★★