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2003年6月のひとこと書評(掲示板に書いた文章の転載。評価は★5つが最高)

 6月のひとこと書評の再録です。掲示板そのままでは芸がないので、評点をつけます。★5つが最高。評価基準の詳細は、2001年11月書評のページをご参照ください。


(238) 『流血の魔術 最強の演技』(著:ミスター高橋。講談社+α文庫)

 文庫帯の惹句に「日本にプロレスが誕生して以来の最大にして最後のタブーを激白!!」とある。
 その答えは、サブタイトルの「すべてのプロレスはショーである」ということであろう。

 日本における「格闘技」の基本は、「相撲」だと思うが、「ガチンコ」という言葉がある。八百長で星のやり取りをしない真剣勝負のことをいう。
 また、プロレスでは「セメント」という言葉がある。要するにプロレスにおける「ガチンコ」、まじで勝負を争うことだ。
 しかし、こういう言葉が存在すること自体が、「ガチンコ」でない相撲、「セメント」でないプロレスを前提としているものだと思う。

 私が幼児のころ、吉村道明という日本人レスラーがいた。
 非常に小柄で、途中までぼこぼこにやられ続ける。しかし、最後の最後、起死回生、一瞬のすきをついて、逆転の回転エビ固めを決めて3カウントフォールを取る。
 なんで、吉村(決まった奴)が最後に勝つねん。アンチ・プロレス派は口をゆがめて問いかける。
 私は言った。忠臣蔵で、吉良はやられるでしょう。そう決まってて、誰も文句言わへんやん。なんで、いつも赤穂浪士は仇討ちに成功すんねんて言わへんやろう。

 タッグ戦で2vs2やったら、選手の格から見て、この組み合わせやったら、蝶野に黒星つける訳にいかんから相棒の外国人選手が、中西のアルゼンチンバックブリーカーでギブアップするんかな。
 新日本のエース永田が、蝶野が救援に行かんようホールドしたって形にしたら、むざむざギブさせたメンツも立つし・・・なんて予想は、プロレスファンなら誰しもできることだし。

 ところが、だ。忠臣蔵なら必ず吉良は討たれる。しかし、プロレスでは、時には吉良が赤穂浪士を返り討ちすることもあるのだ。

 本書で、キラー・カーンのアンドレ足折り事件の裏話が紹介されている。
 ある日、カーンとアンドレ・ザ・ジャイアントが対戦したのだが、試合前に大酒を飲んで足元がふらついていたアンドレが試合中によろけて負傷した。何せ2m20cm、250kgだから自分の体重に負けたのだ。
 しかしそんな無様な話では試合は白けるし、金看板アンドレのイメージにも傷がつく。
 そこで、その異変に気付いたカーンが咄嗟の機転で、急遽当初のシナリオを自分で変えて、アルバトロス殺法(トップロープからのダブルニードロップ)でアンドレの足をへし折ったという形に見せかけ、試合を締めくくった。

 アンドレのイメージは保たれ、しかも、カーンへの復讐戦という新たな因縁話のストーリーも描ける。
 これで、カーンはWWFのボス、ビンス・マクマホンから絶大の信頼を得、アンドレにも感謝された。
 アンドレの足を折った男としてネームバリューも上がり、一躍ビッグネームへの階段を駆け上がったという。

 これで思い出したのが、スティーブ・ウィリアムス事件。
 彼は新日・全日両団体を渡り歩いたパワーファイターだが、ある日の猪木とのシングルマッチで開始早々パワースラムを決めた。
 ボディースラムという技は、相手を抱え上げて、背中から投げ落とす基本技だが、パワースラムとは、ロープに振って返って来たレスラーを抱え込み、そのまま身体を回転させて、マットに叩きつけ、押さえ込む技。つまり、ジャーマン・スープレックスホールド(俗称原爆固め)のように、技の終りがフォールの体勢に直結している。

 当然猪木は、3カウントまでにはね返さないといけない。しかし、打ち所が悪かったのか猪木はピクリとも動かない。
 ウィリアムスは、あせったでしょうなあ。このままじゃ、自分が勝ってしまう!で、どうしたかと言うと、
3カウント目に猪木をつかんで、肩を持ち上げたのだ。

 私、幸いにもこの試合、TVで観戦してましたけど、場内大失笑でしたねえ。
 その後、「ウィリアムスは本当に不器用だ。気のきいたレスラーなら、フォールの体勢を素早く解いて、倒れている猪木を何度も蹴りとばして更に痛めつけようとする格好をしながら、失神から目覚めるのを待つだろうに」と批判されたものだった。

 先ほどのキラー・カーンを誉めて筆者は「思わぬケガでうずくまっているアンドレを相手に、本当によくやったものだと思う。気が小さかったり、頭の回転が鈍かったりするレスラーなら、びびって右往左往して、どうにもならなかっただろう」と書いているが、まさにその実例と言えるだろう。
 
 ただ、私も「プロレスに流血はつきものだが、内部では試合で流す血を”ジュース”と呼ぶ
〜ジュースのある試合では私は、いつも私はカミソリの刃を短くカットし、指先につけてテープで巻いていた
〜ジュースのシーンが来ると、うまく観客のブラインドをついてテープを取り、素早くレスラーの額に親指の爪を立てるようにして切った」ってとこまでは知らなかったなあ。

 昔、猪木vsブロディ戦で、猪木が自分で額を切って流血したのを目撃したということが話題になったことがあった。

「必ずしもレフェリーが切るわけではなく、自分で切るレスラーもいる。たとえば猪木さんは絶対に人を信用しないから、私にやらせることなどなかった」とあるから、猪木が自分で〜というのは事実なんだろうなあ。


★★★



(239) 『”It(それ)”と呼ばれた子(幼年期)』(著:デイヴ・ペルザー。ヴィレッジブックス)

 裏表紙には「本書は、米国カリフォルニア州史上最悪といわれた虐待を生き抜いた著者が、幼児期のトラウマを乗り越えて自らつづった、貴重な真実の記録である」とある。

 本書は、冒頭で、学校と警察の連携により、とうとう主人公が児童虐待の地獄から保護されるシーンから始まる。
 もし、そうでなかったら、延々と続く「虐待の手口の描写」に耐えられなかったのではないだろうか。引用するだけでも気分が悪くなりそうなんで、やめておく。

 日本でも続出している、死に至るまでの児童虐待。人間として絶対に許せない暗黒面だと思うが、自分自身にそんなブラックホールにはまる可能性が絶対に無いか・・・というと否定しきれない。

 そうした児童虐待を減らすのにいささかでも効果があるのではないか、と私が思うのはADHD(注意欠陥多動性障害)というものの周知である。
 当然だが、児童虐待は全面的に虐待する者が悪く、虐待される側の子供には責任はない。
 しかしながら、ADHDの存在を知るまでは、「何度も何度も注意してるのに、そのすぐ後に、同じことを繰り返すのは、わざとやっているんか!親の言うことなんか聞かんでいいと、馬鹿にして無視してるんか!」と思うこともあった。
 「守らない」んじゃなくて、「守りたいけど守れない」ということがある、そんな可能性に気付かなかった。

 虐待される子供全員がADHDである筈はない。しかし、ある程度は含まれていると思う。
 そして、ADHDの存在を知っていれば、カッ!と怒りがこみあげ、暴力につながることが少しは減るのではないだろうか。お話にならぬほど迂遠な道かも知れないが。

 仕事の面で非常にストレスを感じていた時、電車が職場に近付くとどきどきして、乗り続けていられないような気持ちになったことがあった。
 ところが、私自身管理職の一員として第1種衛生管理者の資格を取ったり、メンタルヘルスに関する研修を受けたりしていた。
 だから、「ああ、これはパニック症候群の初期かなあ」なんて、けっこう冷静に受けとめることができたと思う。

 やはり知識は力なのではないか、と思うのだ。

★★★


(240) 『道教の房中術』(著:土屋英明。文春新書)

 戦国時代の『荘子』外篇・知北遊に「人ノ命ハ気ガ集マッタモノダ。集マレバ命ニナルガ、分散シタラ人ハ死ヌ」とあるそうだ。

 「修煉を積めば不老長寿の仙人にもなれる。山奥のきれいな気(霞)を食べるだけで生きていけるようになるというのだ。これが気功という長生きの術である」と本書にある。

 さらに「秦、漢の時代になると、道士たちがこれらの技を性交にも応用するようになり、健康と長寿を目指す修煉、房中煉気の法が生まれた。これが後の道教房中長生術の出発点である
〜気功を柔軟体操と結びつけて導引、瞑想と結びつけて存想、内視が生まれたように、気功の技を性交と結びつけた」とある。まあ、そうゆうもんらしい。

 著者は、古今様々な房中術に関する書物を訳して、紹介してくれている。カタカナ書きの部分がそれである。

「深サ一寸ヲ琴弦、五寸ヲ穀実トイウ。コレヨリ奥ニ入レルト死ヌ」とか「アマリ激シイト駄目ダ。コレデチョウドイイ。絹ノ布デフイテ、モウ一度入レル」などのカタカナ文を読んでいると、何だか段々自分が馬鹿になっていく気がする

★★☆


(241) 『川島芳子 その生涯』 (著:渡辺龍策。徳間文庫)

 以前、上坂冬子氏の『男装の麗人・川島芳子伝』を読んだのだが、かなり内容も忘れてしまっていた。
 本書は、やや通俗的な文章ではあるが、芳子の生涯をていねいにたどっている。

 清朝末期の王族粛親王の第十四王女が何故日本人川島浪速の養女「川島芳子」となったのか。

 義和団事件の際、浪速が得意の中国語を操り折衝にあたり、皇族を保護したことをきっかけに粛親王と彼は意気投合した。
 一方、当時の大隈内閣は粛親王を援助し、満州独立を促そうと考えた。粛親王は、交渉代理人に浪速を推薦したが、彼は軍の三等通訳官程度の格式しかなかったため、いわば「はく」をつけるために親戚関係をつくったというのだ。

 芳子が男装をするようになったきっかけは、本書も上坂本と同じく、兄憲立の証言も交えつつ、養父浪速が関係を迫ったためとしている。

 また、芳子は松本連隊の旗手、山家亨少尉にひたむきな恋心をぶつけたが、この恋愛騒ぎは周囲の噂となり、前途の出世に差し支えると考えたか、山家は姿を消したという。

 幼少の時、実の親からは道具として他人に渡され、養親は獣性をむき出しにした。そして、初恋の相手は、芳子を全身で受けとめてはくれなかった。
 その後も、結局彼女を利用しようとする人間ばかりだったようだ。

 男装の麗人、東洋のマタハリ、安国軍金璧輝司令などともてはやしていた者は去り、失意の日々を送っていた芳子に、青年秘書小方八郎氏が献身的に仕えていたこと、そして彼が芳子逮捕後も命を賭けて彼女をかばおうとしたことは、読んでいてせめてもの心のなぐさめとなった。

 芳子は、昭和23年3月25日、銃殺刑に処せられた。公判は見せしめとして映画社のニュースカメラにまで公開しておきながら、処刑は、秘密裡に執行された。
 劉鳳貞という女性が「芳子と同じ監獄に収監されていた重病の姉(劉鳳鈴)は、金の延べ棒十本と引き換えに身代わりとして処刑された。母親が、報酬を取りに監獄に行ったきり帰ってこない」と、母親の捜索願を出したこと、「芳子」の死体が後頭部から銃弾を打ち込まれ、全く顔が判別できないものであり、頭髪が非常に長かったこと等により、当時から替え玉処刑疑惑は強かった。

 兄の憲立が「金の延べ棒百本で、処刑した格好にして助けてやる」という話を持ちかけられたとか、ロシアとの国境に近い粛親王家の領地の管理人から「御一族は確かに着きました。これから北方においでになるところです」という謎の通知が来たという話を手記に記しているそうだ。

 芳子が、どこかで、誰か本当に芳子のことを愛してくれる人とともに、人知れず、幸せな晩年をおくった・・・・・甘いけれど、そんなことを願わずにはいられない。

★★★


(242) 『中国グルメ紀行』 (著:西園寺公一。つり人ノベルズ)

 古本屋で見かけて買ったのだが、この新書、(株)つり人社というところが出しているようだ。初めて聞いた新書なんだが、この会社って今でもあるのだろうか?

 「はじめに」で「読み返してみて、よくもこんなに食べ、よくもこんなに飲んだものだと思」っていると自負しているし、著者のことを周囲は「『あなたは一番の中国通だから・・・』と言う人が少なくない」と、自慢げに語ってもいる。

 著者は、以前私が書評で取り上げた『青春の北京』の著者、西園寺一晃氏の父親。
 確かに、非常に広汎に中国料理について紹介されているので、料理法や食材についての日中の呼称の違い等について、表で整理したくなった。
 よって、具体の内容紹介については、次回の「なん中華」のコーナーに譲りたい。 

★★☆


(243) 『鉄の胃袋中国漫遊』(著:石毛直道、写真:伊藤千晴。平凡社ライブラリー)

 内容は豊富なのだが、発酵食品の研究とか、いわゆる「ゲテモノ」的食品へのアタック等が印象的な『中国怪食紀行』(小泉武夫)や、まるで中国五千年の伝統を体現しているが如き『中国の旅、食もまた楽し』(邱永漢)などに比べると、もうひとつ読後の印象が薄い。

 本書においても、大食(出されたものは残さないというポリシー。それが「鉄の胃袋」の所以か。もっとも招待先で料理をすべてたいらげてしまうのは、「量が足りない」とあてつけているように思われるので、少し残した方がいいとも聞いたことがある)、そして、できるだけ中国の庶民が日常食べているものを食べようとする、といった特徴はあるのだが。

 食材等に関する情報は、また「なん中華」の「調理法、食材研究」のコーナーであらためて紹介したい。

★★☆


(244) 『ベロニカは死ぬことにした』 (著:パウロ・コエーリョ。角川文庫)

 ほとんど、タイトルだけにひかれて購入した。

 いきなり、睡眠薬をのんで自殺を図るシーンから始まる。用意した睡眠薬をのみ、意識が遠のく。
 目覚めたところは精神病院で、しかも自殺未遂の後遺症で心臓が壊死し、あと数日の命と知らされる。

 本書の中でゼドカという女性がベロニカに語る下記の寓話、どこかで以前読んだことがあるのだが、思い出せない。ひょっとすると、本書の紹介記事とか、そういうのかもしれない。

 ある魔法使いが、ある王国を崩壊させようと、全国民が飲む井戸に、魔法の薬を入れた。その水を飲む者は誰もが愚かになった。王族専用の井戸を持っていた王様とその家族以外はすべて。
 王様は、国民を守るためいくつかの勅令を出したが、国民は王様がおかしくなってばかげた命令を下したと考え、城まで大挙して押し寄せ勅令の破棄を迫った。絶望した王様は退位しようとしたが、女王が引き止めてこう言った。
 「さあ、みんなと同じ井戸の水を飲みましょう」
 王様と女王は狂気の水を飲み、すぐに不条理なことを口走り始めた。国民は英明な国王に満足し、その国は長く栄えた・・・・・

 病院のイゴール博士は、「フロイト博士が見つけたものの、どの研究所も取り出すことができなかった、性的欲望を喚起する化学反応リビドのように」、憂鬱はヴィトリオルという物質の毒が回るプロセスと考えている。
 突飛なようだが、鬱病はセロトニンという化学物質の不足が原因とか聞くから、実際そうした物理的原因があるのかもしれない。
 
 もと弁護士でパニック障害のマリーは、残されたわずかな時間の中で一心不乱にピアノに向かうベロニカを見て、変わり始める。

 「勇気がなくて犯せなかった過ちを犯してみたいのよ、またやってくるかもしれないパニックに立ち向かいながら」

 「〜もう死ぬことを知っていたがために、ものすごく魂を込めて音楽を弾いていた女の子なの。でもわたしは死なないの?ものすごい集中力で音楽を演奏するかもしれないわたしの魂は一体どこにあるの?
〜わたしの過去にあるのよね。わたしの人生が行きたかった場所に
〜」


★★★


(245) 『”It(それ)”と呼ばれた子(少年期 ロストボーイ)』 (著:デイヴ・ペルザー。ヴィレッジブックス)

 母親の虐待から保護された主人公の後日談。

 里親に引き取られた彼は、他の子ども達に一目置かれたくて万引きをしたり、放火騒ぎに巻き込まれたりする。
 このへん、「なんでいい子になってジェペットじいさんを安心させてやらずに、サーカスについていったりするんだ〜!!」とやきもきした、昔『ピノキオ』を読んだ時のような気持ちになった。

 感動的なのは、級友に裏切られ放火犯の濡れ衣を着せられ、教護施設に送られた主人公に面会に来たリリアン(彼の「里親」)の言葉である。
 この時、虐待していた彼の実母は、「彼は以前から放火癖など性格に異常があり、専門施設でないと扱いきれない」と、精神病院に送るよう画策していた。リリアンは言った。

 「これだけは知っておいてね。ルーディ(註:リリアンの夫)とわたしはあなたのためならどんなことだってやるわ。弁護士が必要なら雇う。地獄に行ってこなくちゃいけないなら、その覚悟だってできている。わたしたち、あなたを守って戦うためにここにいるのよ。だからこそ、里親っていえるんだもの!」

 この先も、若干の紆余曲折はあるものの、彼がはっきり変わったのは、この時以降ではないだろうか。

 ところで、日本で里親というと、継続的な養親子関係が前提になっているように思うが、本書の「里親」は、主として、一時的な引取先を意味しているようだ。
 だから、主人公はリリアンの家庭から別のところに行かねばならなくなった時、「里子としてもっとも大事な約束ごとは、誰かになつきすぎないこと、誰かの家にいられることをあたりまえに思わないこと」と述懐しているし、保護官のゴードンは彼に「実に珍しいんだ、きみぐらい長いあいだ同じホームにいるってのは〜一年以上だろう?すごい、記録もんだよ」と言っている。

 その一時的な「里親」が、里子をその後も永続的に面倒を見たいと思えば、その段階ではじめて養子に迎えるようだ。
 本書には「一般の人々は〜里親のことを『金のためにやっているだけだ』〜などと邪推します。もしそれが真実だったら、なぜ〜里親たちの65%以上が〜里子を養子にしてしまうのでしょう」とか「家族の一員になりたいと熱望する子どもにとって、養子にしてもらうというのは、最高の名誉を与えられることなのです」とある。

 里子は、里親がいい人であればあるほど、いつまでここにいられるだろう、なんとか養子にしてくれないかとびくびくしながら日々を送るようだ。そんなことでいいのだろうか。

★★★


(246) 『台所から北京が見える』 (著:長澤信子。講談社+α文庫)

 著者は21歳で結婚した。25歳のとき、自問した。3歳の長男、1歳の次男。

 「ある日、突然親離れの日が来たとき、ほほえみを浮かべて『じゃ、元気でね』とだけいって送りだせる勇気があるか」

、「最後に決定的なひとこと、『あんなにかわいがってあげたのに・・・・・』と、恩きせがましいことばを決していわない自信が自分にはあるのか」

 子どもが可愛いさかりに、このように自分を客観的に見つめることができた、これがまずすごい。

 彼女は、そんな思いのたけを新聞に投書し、「人の手がけぬような外国語を家事の片手間に少しずつマスターしていくのもプラスになります」という回答文の一節に共感し、夫に何語を選んだらいいと思うか相談した。
 仕事が忙しく、これまではいくら相談しても「お前の生きがいづくりにまで、つきあってられるか」と言っていた夫も、即座に「腰をすえて取り組むなら中国語だ」と断言。

 ただ、すごいのはこの後。

 「いまは、100パーセント私を頼りにしている二人の子どもがいる〜夢はひとまず胸のうちにしまっておこう」やみくもには突き進まないのだ。

 生きがいを捜し求める女性は多いだろう。そして、子育ての期間、その夢を封印する女性も多いと思う。

 「この人を褒めなければいけないのは、いったん灯した火を消すことなく、十年もの間〜その火だねを大切に持ちつづけたことだろう」と、あるルポライターが書いているがまさにそう。
 「子どもが中学に入って外国語をはじめるとき、私もいっしょにスタートしよう」とひそかに心に決めていたが、長男が中学に入る春、夫の関西転勤を期に、36歳で勉強を開始した。

 そして、さらにすごい(←「すごい」ばっかりで、申し訳ない)のは、中国語の勉強も軌道に乗ってきた38歳の時、学費や中国人との交際費、さらに将来は中国へも旅行したいのに、私の収入はゼロ。
 一家の公費である夫の収入をこのままさいていっていいのか。ここ1、2年は、経済的基盤を固めることが先決だ・・・こう考えたのだ。

 しかも、彼女は収入さえ得られれば、と安易にパートタイムに出たりはしない。

 「パートタイマーは、不況のときにはまっ先に整理の対象になる。仕事をつづけたければ、まず世の中が要求するような力を身につけることだ」と2年間、准看護婦の養成学校に通い、資格を得た。しかも、その中で中国語通訳の免許も取った。そして、日中国交正常化を迎え、国際舞台に踊り出ていったのだ。

 頭は冷たく、心は熱く、といったところだろうか。
 胸に熱き夢は滾(たぎ)らせつつ、常に大所高所に立った冷静な状況分析も忘れず、ひくべきところはひいて、力を蓄える。
 私が中国の戦国時代の王であれば、長澤さんに将軍となってもらい、行政と軍事を任せたいところである。
 
★★★


(247) 『LD(学習障害)とADHD(注意欠陥多動性障害)』 (著:上野一彦。講談社+α新書)

 本書では、LD、ADHDの歴史に触れられている。英語圏に特有といわれる「知的遅れを伴わない読書障害、読字障害(ディスクレシア)」を思わせる症例が古くは17世紀から報告されているそうだ。
 また、1950年代から60年代にはMBD(微細脳機能障害)という概念が誕生した。そして、「LDという概念が浸透するとともに、LDは教育、MBDは医学という住み分けもあったが、やがて学習の問題はLD、行動の問題はADHDなどとしての概念の整理が進み、MBDはその用語としての役割を終えた」とある。

 やはり、気になるのはLD、ADHDの定義と出現率だろう。

 文部科学省が1999年に発表したLDの定義はこう。
「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す状態を示すもの」

 次に、文科省の2002年度におけるADHDの定義。
「ADHDとは、年齢あるいは発達に不釣り合いな注意力、及び、又は衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で、社会的な活動や学業の機能に支障をきたすものである」

 なお、学校教育法における知的障害の定義はこう。
「一 知的発達の遅滞があり、他人との意思疎通が困難で日常生活を営むのに頻繁に援助を必要とする程度のもの。
二 知的障害の遅滞の程度が前号にあげる程度に達しないもののうち、社会生活への適応が著しく困難なもの」

 そして、2002年10月の文科省「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」によると、LDは4.5%、ADHDは2.5%、HFA(高機能自閉症)が0.8%で重複部分を除くと全体で約6.3%。
 この調査では、特殊教育を受けている1.5%、特殊教育を受けずに通常学級に在籍する、全般的な知的発達の遅れをもつ児童生徒(2%以上と推測される)は除かれているので、特別支援教育ニーズをもつ子どもたちの合計は1割にも達すると考えられるようだ。

 第6章では、「ADHDをもつ子どもが見せる教室での行動」という表が載っている。「・席にじっと座っていない・口をはさむ〜」など、けっこう見慣れたような表現が並んでいる。

 その次のページには「ADHDをもつ子の力」という図が載っている。精神科医上林靖子氏が、肯定的な視点からADHD児の能力を捉えたものだ。

「創造力がある。よく気がつく。自己主張ができる。決断力がある。エネルギッシュ。おもしろい。熱中力。なかなかの役者。思いやりがある。いつも考えている。気軽」と列挙されている。常にプラス思考でいきたいものだ。

★★★


(248) 『中国反逆者列伝』 (著:荒井利明。平凡社新書)

 冒頭で、「反逆とは要するに、力や威にさからうこと、力や威のある者の意向に添わない言動を行うこと」と定義している。

 著者は「中国の反逆者十七人の生きざまを描いた」のだが、著者自身「その中には反逆者というよりは、抵抗者、異端者、あるいは革命家と呼ばれることの多い人物も含まれている」と書いている。確かに、え?この人が反逆者?と首をかしげたくなる人選が多い。

 何か文章に甘さ、あいまいさを感じ、「この人は歴史学者なのだろうか?」と思って、途中で思わず奥付の著者紹介を見てしまった。
 「歴史学をきっちり専攻している研究者でなければ・・・」などと色眼鏡で見る気はさらさらないが、著者は新聞記者であった。

 司馬遷海瑞彭徳懐が「反逆」者と言われてもなあ。諫言はしたかもしれないが。
 譚嗣同秋瑾。キャラ的には二人とも好きなのだが。反逆の実効があがる前に、自らの美学によって自壊の途を選んだと言えるのではないか。
 胡風が反逆者?王若水って誰だ?
 私が不勉強であるにすぎないのだが、「この列伝の登場人物のうち、私自身が直接ことばを交わしたことのあるのは、王若水ただひとり」とある。ちょっと趣味で選びすぎではないか。

★★


(249) 『武士の家計簿』(著:磯田道史。新潮新書)

 著者が、郵送された古文書販売目録で「金沢藩(加賀潘)猪山家文書」に目をとめたのが平成13年の夏。
 それは、「武士の家計簿」、しかも、加賀潘の会計官僚の家の、天保13(1842)年から明治12(1879)年まで、すなわち幕末武士が明治士族になるまでの完璧な記録であった。

 「ヨーロッパでも日本でも、国家や軍隊をつくる原理は『身分による世襲』であった」。
 しかし、「近世社会が成熟するにつれて、この身分制はくずれ」、近代官僚制という新しいシステムが導入されてくる。そのきっかけが「算術」だというのだ。
 軍隊でいえば「大砲と地図」らしい。

 すなわち、「フランスでもドイツでも、軍の将校といえば貴族出身と相場がきまっていたが、砲兵将校や工兵、地図作成の幕僚」、つまり「弾道計算や測量で数学的能力が必要なこれらの部署は身分にかかわらず」(能力があれば)「平民出身者も登用された」ようだ。

 「加賀前田家は『算術』を非常に大切にした家」らしい。
 算術に長けた御算用者をあつめた財政担当の部署「御算用場」のなかに郡奉行(民政部門)を設けた。つまり、普通の潘では、「政治が会計を行う」(郡奉行=民政機構の中に会計部門を置く)が、加賀潘は「会計が政治を行っていた」そうだ。

 そうした藩風の中で、微々たる禄高の陪臣だった猪山家は、御算用者として登用された五代目猪山市進以来、その数学的能力を武器に発展してきたのだ。

 天保14年の猪山家の年収は七代目信之が知行70石、嫡子の直之が切米40俵。銀貨にすると約3貫目(11kg強)、米にすれば50石(約7.7t)になるらしい。当主が70石取りなのに、なぜ二人合わせて50石にしかならないか不思議だった。
 知行70石とは、米が70石収穫できる土地が与えられているというのが建前だが、実際に年貢米として得られるのは22石ほどらしい。確かに、100%収奪はできないな。昔習った「四公六民」などの単語を思い出した。

 さて、この年収は現代の貨幣価値ではどのくらいなのか。米価換算、すなわち玄米7.7tを現在売却すると250万円程度。しかし、これでは、安すぎる。
 そこで、著者は賃金換算をしている。当時、大工見習の日当が銀2〜3匁だった。現代なら8000〜12000円は必要だから、天保14年の金沢における金1両は30万円にあたり、猪山家の年収は1230万円という結論だった。
(それでいくと、銭形平次の投げる寛永通宝は、現在の「50円玉」にあたるらしい)

 明治維新では武士の領主権をはじめとする特権が「世界史的に見れば不思議なほど簡単に取り上げられた」。著者はその理由を分析している。
 著者は多くの旧士族にインタビューしたが、彼らは先祖の知行高は正確に知っているのに(500石とか)、領地の場所を正確に知っている人は一人もいなかったそうだ。

 本来、領地から年貢を徴収するためには勧農、裁判、租率決定、年貢収納というプロセスを経る必要があるが、多くの藩ではこうした手続きは藩の官僚が代行した。

「領主は〜領民の顔をみることなく〜石高に相応した年貢米を、藩庫にもらいにいくだけでよ」かったようだ。

 「近世日本の領主制は」「領主と土地のつながりが極限まで弱められた」ものであり、「ヨーロッパなどの感覚でいえば、とても封建制といえるものではな」いものだった。
 これが、武士が在郷して領地をしっかり経営していた鹿児島藩などでは西南戦争など激烈な「士族反乱」が起こった(逆に、それ以外の、大半の地域では簡単に領主権が解体した)理由というのだ。

 また、著者は猪山家で、「借金が年収の二倍」あった事実に着目する。「幕末になると、武士はおしなべて過剰債務を抱え、高い金利で首がまわらなくなっていた」という。

 猪山家は、会計官僚の家らしく、直之の代で、累積した債務を清算するべく、ことごとく家財を売り払い、融資先に「元金の四割はこの場で返済するが、残りは無利子十年賦にしてくれ」という交渉をもちかける。
 そして、その後も家計費を極端に切り詰めていくのだが、その中でまったく圧縮されない費目があった。それは「交際費」。

 召使いを雇う費用、武家らしい儀礼行事をとりおこなう費用などで、いわば、武士という身分、格式を維持していくために出費を余儀なくされる費用(これを著者は「身分費用」と呼ぶ)である。
 武士という身分を有するがゆえに得られる利益、収入(身分収入)は、半知、借上げなどと削られていくのに、身分費用は一向に減らない。
 多くの武士にとって、「武士」という階級、身分はウマミがあるどころか、維持するのに大変な重圧を感じる厄介物だった。

 明治維新において、武士の特権剥奪がスムーズに完了したのは、それが一面で武士を身分的義務(身分費用)から解放する側面があったからではないか、というのである。

 このほかにも、江戸時代の結婚や女性の地位など、新しい発見の多い好著であった。

★★★☆


 今月は、まあ『武士の家計簿』に尽きるか、と。