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故宮の文物 中華の至宝(4) NHK「故宮」第三集

 「NHKスペシャル 故宮〜至宝が語る中華五千年〜」の第三集バージョン。

 図版の「2」100等は、『故宮』(NHK出版。1巻〜4巻)、『ふたつの故宮』(同。上下巻)の巻数及び写真が掲載されたページ。


 
秦量   「第三集 皇帝 天下を制す 〜秦・漢〜

 
始皇帝は、中国全土を統一し、度量衡も統一しました。度はものさし、量はます、衡ははかりで、そのおもりを権といいました。

 秦、前漢、新、後漢のそれぞれの升には、各時代の皇帝の思いがこめられています。
文物名 収蔵 サイズ
cm
備考 時代 図版
秦量
(しんりょう)
台北 高さ6.2
深さ6
長さ21.9
パッケージ収録。度量衡統一の際の升。取っ手の短い杓のようなもので、穀物等を量るのに用いる。観賞用の意匠は全く施されていない 「1」241、
253「上」22
玉騎馬図飾
(ぎょくきばずしょく)
台北



馬に乗って、軽やかに操る人をかたどった一対の玉飾り。機種の肩の部分に紐を通す穴が穿たれており、装身具として帯等にさげる 「1」243
秦権
(しんけん)
北京
重さの標準。「斤」は約250g 「1」44
陶量
(とうりょう)
北京

いわば、陶器で出来た、「秦量」の普及版。秦の都から遠く離れた地域で多く発見されている 「1」45
漢銅長楽万斛量(かんどうちょうらくまんこくりょう) 北京 高さ10
口径
20.5
漢代の升。器のまわりに皇帝の言葉はないが、底に「長楽万斛」の4字が刻まれている 「1」241
鎏金博山炉
(りゅうきんはくざんろ)
北京 通高
18.1
受皿径
18.5
金メッキされた青銅製の香炉。博山とは、不老長寿の仙人が住む理想郷 「1」248
呂氏鏡
(りょしきょう)
北京 直径22 西王母、白虎、青龍などの模様 後漢 「1」242
玉龍紋璧
(ぎょくりゅうもんへき)
台北

中央の穴を囲んで二匹の龍が彫られている 「1」243
陶井(とうせい) 北京 高さ34 陶製の井戸 後漢 「1」244
陶倉(とうそう) 北京
陶製の倉庫 「1」244
陶狗(とうこう) 北京 高さ17
長さ29
陶製の犬 後漢 「1」245
緑釉陶屋
(りょくゆうとうおく)
台北

家をかたどったもの 後漢 「1」244
陶竈
(とうそう)
北京 縦34
横27
高さ8
「かまど」 後漢 「1」245
陶庖厨俑
(とうほうちゅうよう)
北京 高さ50
幅27
料理人の土人形 後漢 「1」245
嘉量
(かりょう)
台北 高さ25.6口径34.6 王莽の度量衡升。自らの正統性を主張する249字の銘文が刻まれている 「1」54「上」47、48
建武廿一年乗輿斛尊
(けんむにじゅういちねんじょうよこくそん)
北京 通高42
斛高32.5
斛径35.5
受皿高9.5
受皿径
57.5
後漢光武帝の度量衡升。
青銅器で全体に金メッキが施されている
後漢 「1」246

 長平の戦いで秦の白起は、趙に大勝し、40万もの降兵を坑(あなうめ)にしましたが、今でも、民家の庭先などからごろごろ骨が出てくるというのは強烈でした。  当地では、白起を「豆腐」に見立てて、焼き、熱湯で茹で、辛い香辛料をつけて食べてしまうという風習が現在でも残っているそうです。 

 発掘当時(1972年)、遺体がまだ柔らかかったという馬王堆(まおうたい)遺跡(湖南省長沙市郊外)は有名です。そこから出土した代表的な文物として、下記のものがあります。
黒地彩絵棺
(くろじさいえかん)
    遺体を収めていた四重の柩のうち、第二層(外側から二番目)の柩。黒い漆地の上に描かれた雲気紋の上には様々な怪獣が飛びまわっている 「1」53、269
双層九子奩
(そうそうきゅうしれん)
    二段重ねの漆器の化粧道具入れ。九つの小さな入れ物がコンパクトにまとめられ、化粧用パフ、口紅、ヘアーピースなどが収納され、おしゃれを楽しんでいたことがうかがわれる 「1」53
六博
(りくはく)
    漢代に流行した、将棋やスゴロクに似たゲーム 「1」271
素紗襌衣
(そしゃたんい)
  長さ128
幅190重さ45g
絹でできた衣服。南京の雲錦研究所が3年かけて再現したが51gより軽くすることはできなかった 「1」273
導引図
(どういんず)
    太極拳の原型である健康体操を描く帛画 「1」53
T字型帛画
(はくが)
  幅92、長さ209 1号墓から出土した。地下・地上・天上世界を描いたもの。絹布に鉱物の顔料で色彩を施す 「1」52、
277

 このほか、秦代の兵馬俑(図版「1」47、「上」210、211)と景帝陵から出土した兵馬俑(図版「1」49〜51)の比較も興味深いものでした。
 8000体にも及ぶ精緻極まる秦の兵馬俑は、後列の身分ある者は鎧をつけているが、前列の小者たちはつけていない。貧しくて鎧をもっていないということもあるが、むしろ身軽な格好で少しでも多くの首をとり、出世しようという意欲のあらわれだろうという解説でした。
 それに比べ、漢代の兵馬俑は、鎧は皮製だったため腐ってしまい、出土した時はどれもフリ○ン状態なので、何かほのぼのした感じ。
 秦代の俑は顔つきも精悍ですが、漢代のは笑みをたたえているのもありました。

 その他の文物
彩絵陶騎馬俑
(さいえとうきばよう)
  高さ20 1995年、西安位置郊外の檪陽(やくよう)の戦国時代後期の墓から出土 戦国 「1」233
彩漆木彫小座屏
(さいしつもくちょうこざびょう)
    戦国時代の楚の墓から出土。漆器は楚の地方で開発された 戦国 「1」255
鎮墓獣
(ちんぼじゅう)
    楚独特の墓の守り神であり、大きな目、大きな口、頭には鹿の角を持ち、長い舌を伸ばしている 戦国 「1」257
睡虎地竹簡
(すいこちちっかん)
    1975年、湖北省雲夢県(うんぼうけん)睡虎地で、「喜」という名の秦代の裁判を担当する役人の墓が発掘され、そこから当時の法律などを記した竹簡が発見された 「1」44
「2」99

 


 第四集以降も、順次ご紹介します。