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故宮の文物 中華の至宝(7) NHK「故宮」第六集

 「NHKスペシャル 故宮〜至宝が語る中華五千年〜」の第六集バージョン。

 図版の「2」100等は、『故宮』(NHK出版)の、「上」50等は、同じく『ふたつの故宮』(同)の巻数及び写真が掲載されたページ。


 


三彩駱駝
  「第六集 長安の春 〜隋・唐〜

 
南北分裂の時代に終止符を打ったのは内蒙古武川鎮から興った隋、そして唐でした。

 世界帝国唐は異質な文化も積極的に取り入れ、長安は西域の人や物があふれました。

 
文物 収蔵 サイズ
cm
備考 時代 図版
黄緑釉文吏俑
(おうりょくゆうぶんりよう)
北京 高さ60横17 袖長の漢民族の衣装をつけているが、顔はあごひげのある遊牧民族のもの 隋〜唐 「2」218
遊春図
北京 縦43
横80.5
春のうららかな江南の水辺を散策する漢民族の貴族たちが描かれているが、その多くは馬に乗っている。
作者の展子虔(てんしけん)は北方の出身で、馬を描いて天下一といわれていた。
中国山水画の原点。
「2」209、224
観榜図
(かんぼうず)
台北   科挙の合格発表の光景を描く
  「2」255
宮楽図
(きゅうらくず)
台北 縦48.8
横69.5
作者不詳。花鈿(かでん。額に紅をさす)という化粧をした後宮の宮女たちがペルシャ伝来の四弦琵琶を演奏したり、ワインを酌み交わしている 「2」220
舞踏俑
(ぶとうよう)
北京 高さ21、21.5 片手を上げ、上体を反らした一対の俑 「2」219
伎楽女俑
(ぎがくじょよう)
北京 高さ20〜35.5 5人の女性が向かって左より笙(しょう)、簫(しょう)、鈸(はつ)、鼓(こ)、琵琶を演奏している 「2」217
唐太宗像
台北   隋の煬帝は兄を蹴落とし、父を殺して即位したといわれています。唐の太宗も、兄弟を殺し、父を追いやって即位しましたが、貞観の治といわれる善政をしきました   「2」231
十八学士図 台北        
便橋会盟図
(べんきょうかいめいず)
北京
横7m
太宗即位直後に20万もの突厥の大軍が攻め寄せてきたが、長安の西、渭水にかかる便橋において、太宗が外交手段で兵を退かせた故事を描く   「2」237
「上」239
歩輦図
(ほれんず)
北京 縦38.5
横129.6
634年、吐蕃の使節(宰相の禄東賛、チベット名ガル・トンツェン・ユルスン)と輦に乗った太宗との会見の様子を描く。閻立本(えんりっぽん)の作 「2」224「上」241
白玉飛天佩
(はくぎょくひてんはい)
北京 縦6.5横4.7厚さ0.9 漢民族の魂である白玉で、雲に乗り、羽衣を風になびかせている飛天が表されている。飛天はキリスト教の天使と仏教文化の融合とも考えられている 「2」218「上」(6)
鎏金鏨花卉高足銀酒杯
(りゅうきんぜんかきこうそくぎんしゅはい)
北京   ペルシャから伝えられた金銀加工の技術を応用して作られた美しい銀器。花枝紋が施されている



「2」251「上」253
青釉鳳首龍柄壺
(せいゆうほうしゅりゅうへいこ)
北京
ペルシャの銀の水差しを陶器でつくったもの。西方伝来のザクロ、西域の力士、中国伝統の鳳凰や龍など東西文化のモザイクともいえる意匠   「2」
251
三彩駱駝
(さんさいらくだ)
北京 高さ88長さ75 パッケージ収録。唐三彩は、1905年、洛陽の鉄道線路脇で偶然発見されるまで、その存在すら知られていなかった。北京の骨董街で見つけ学会に発表したのは清の羅振玉。伝統的な緑、褐色に加え、華北で生まれた白、西方から伝来したコバルトによる青の四色からなり、墓の副葬品としてつくられたが、7世紀終り頃からわずか100年ほどで姿を消した  「2」223
三彩馬
北京 高さ77長さ80   「2」223
緑釉博山奩
(りょくゆうはくざんれん)
台北      
鉛釉陶犬 台北      
青緑釉四系蓮弁紋罐
(せいりょくゆうしけいれんべんもんかん)
北京   白い素地の上に彩色されたもので、後の唐三彩の原型ともいえる 北斉  
三彩加藍灯台
(さんさいからんとうだい)
北京 高さ29.4口径6.8
底径17.8
  「2」222


 その他の文物です。
南京貢院跡
(なんきんこういんあと)
    科挙試験場。貴族も庶民も同じ条件で受験した。阿倍仲麻呂など外国人にも開放されていた    
大明宮含元殿跡
(だいめいきゅうがんげんでんあと)
    現在残されている西安の城壁は明代のもので、唐の長安市街の6分の1程度といわれている。含元殿は発掘結果によると高さ15m、幅75m   「2」56
ポタラ宮     吐蕃王国の宮殿で、現在はチベット仏教の総本山。ラサの小高い丘に聳え立つ。ポタラは「捕陀落」の意   「2」63
ソンツェン・ガンポ塑像、文成公主塑像     614年、文成公主ソンツェン・ガンポ王に嫁いだ。ポタラ宮最奥部の法王修行洞には王と公主の像が並んでいる   「2」63
唐蕃会盟碑
(とうばんかいめいひ)
    文成公主の死後両国の平和は破れ、吐蕃は一時長安を占領するに至った。ラサに残るこの碑は、和解した際の条約を記したもの    
高昌故城
(こうしょうこじょう)
    新疆ウィグル自治区トルファンの高昌故城の遺跡では、マニ教寺院、景教(キリスト教ネストリウス派)寺院、ゾロアスター教寺院などが軒を並べていた   「2」245「上」251
敦煌莫高窟御影堂
(とんこうばっこうくつみえいどう)
    第17窟。堂内にえがかれた樹下美人図では、女性が男性の衣装を身にまっとているが、これは当時の流行だった    
客使図
    章懐太子墓の壁画。鴻臚寺の役人に連れられて宮中に参内する3人の外国使者を描く。光頭の者は東ローマの使者といわれている   「2」61
宮女図     永泰公主墓の壁画    
内侍図     懿徳太子墓の壁画    
白釉四系罐
(はくゆうしけいかん)
    華北の遊牧民の国、北斉(ほくせい)で白磁が生みだされた    
八弁花紋藍瑠璃盤(はちべんかもんあいるりばん)     ペルシャからもたらされた青いガラスの盤    
三彩駱駝載楽俑(さんさいらくださいがくよう)          



 第七集以降も、順次ご紹介します。