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『晏子』
私は文庫本を読んでいて「おっ、これはいいな」という表現に出会うとそのページの右上または左上の角を少し折って目印にします。
(英語では、これをドッグイヤー=犬の耳と言うらしい)
というのも、私は電車の中で本を読むことが多いため、マーカーで塗ったり、赤鉛筆で線を引いたり付箋紙を付けたりといった大層なことはできないからです。
宮城谷氏の『晏子』(おまんじゅうのアンコじゃないですよ。「あんし」です。晏弱、晏嬰の父子二代にわたる斉の名臣のこと。新潮文庫全四巻)を読んで、本がやたら分厚くなっていることに気付きました。
それだけ折り返しが多い、つまり、心に響く表現が多いということです。
(No1)
国佐は、人の中に人しかみない人です。人の中には天も地もあるのですよ。
→同第一巻P159
☆ひとこと☆
晏弱が晋から逃がされた理由を斉の頃公が上卿国佐に問い、次に生母の蕭同叔子に問うたときの答えです。
国佐の答えは、助けられた理由は単にそれが晋にとって利益になるからだ、というものでした。
「天も地も人も彼を助けたのです。彼は社稷の臣となるでしょう」
・・・評された者も、また、評した者も人物であると言えるでしょう。
(No2)
自分というものは、つねにあたえられる存在であるときめており、人にあたえるということをしない。そういう人間を下々ではなんといっているか、といえば、「卑怯者」と、いう。
→同第二巻P258
☆ひとこと☆
父の威光を笠に着て、大臣の知恵にたより、自分で決断ということをしない。
斉の太子光のことです。
(No3)
敵を多く殺せる者は、味方を多く殺せる者でもある。そのことを忘れるな
→同第三巻P12
☆ひとこと☆
晏弱が死の床にて晏嬰と交わす会話のひとこま。
「いましか晋に勝てる機会はない。が、わが国にも欠点はある」と父。
「名将がおりませぬ」と子。
「戦いに勝つとは、おびただしい人を殺すことだ。その恐ろしさを平然とおこなえる者を将軍とするしかない」
・・・(その者とは)「陳氏(陳須無、陳無宇)でしょう」に続くのが、このふくみのある言葉です。
(No4)
勇気とはおのれの正しさをつらぬいてゆく力をいう。・・・おのれを信ずるということは、ひっきょう他人を信じぬくということでもある。
→同第三巻P88
☆ひとこと☆
おのれの正しさをつらぬく力・・・斉の霊公にはその胆力が欠けている。
おのれを信ずるということはむずかしい・・・霊公はそれができなかった。
(No5)
死をものともせずに礼をおこなうことを勇といいます。暴逆を誅して強きものに立ち向かうことを力といいます。
→同第三巻P265
☆ひとこと☆
廃嫡された太子光は実力行使で荘公となりました。
彼はいたずらに「力」ばかりを求めます。
荘公に「勇力」について問われた晏嬰は、このように答え、
「礼儀を失った勇力をもって、この世に存立した者を、わたしはきいたことがありません」と続けます。まさに堂々たる諫言というべきでしょう。
(No6)
やりつづける者は成功し、歩きつづける者は目的地に到着する、といいます。
→同第四巻P367
☆ひとこと☆
晏嬰が引退すると知った長年のライバル梁丘拠は、恩讐を忘れ「わたしは死ぬまであなたに勝てそうにない」と率直に言いました。
「わたしは人とかわったところはないが、やりはじめたことはなげださず、歩きつづけて休まなかった者です。あなたがわたしに勝てないというのであれば、それだけのことです」
言い終えた彼の目もとからなんともいえないあたたかさとやわらかさが梁丘拠にかよい、同時に梁は、自分の胸にとりかえしのつかない空虚ができたことを感じました。
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