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『介子推』
この作品は、最初は少し武道小説ぽかったりしましたし、全体にかなり精神的というか、非常に清澄な雰囲気がただよい、ほかの宮城谷氏の作品とは少し変わった印象を受けました。
ページ数は、講談社文庫のものです。
(No1)
いちど人を信じたら、さいごのさいごまで信じてゆきたい。信ずることは人を明るく強くするが、疑うことは人を暗く弱くする。それなら信じつづけたほうがよい。信じて騙されても、疑っても騙されても、騙されることにかわりはない。
→P250
☆ひとこと☆
尊敬できる先輩であり、信ずべき親友である籍沙が重耳暗殺に荷担しているのでは?と疑う侍従の茲英。
それを「人を疑うと、ふたつのつらさをいだくことになる。
その人が犯人でなかった場合、自分がみじめになる。
また、その人が犯人であった場合、さらにみじめになる。
それなら、人を疑わず、騙されつづけていたほうがよい。
騙されるのは愚かであろうが、騙す不幸よりまさる。そうおもわぬか」と諭す介子推。
(No2)
人々は心を寄せあい、助けあって生きてきた。・・・重耳の不幸を下の者がわけあい、重耳がもっている未来の明るさと豊かさをもわけあった。そういう美しい時がここにあったのである。
→P251
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☆ひとこと☆
亡命先の狐氏のさとにて。
このころは、まだ、純粋すぎる推にとっても幸せな日々が続いたのですが・・・
(No3)
公子やおまえたちは苦難のただなかにいる。からだはうごかぬかもしれぬ。が、気と心とは公子のためにひとつになっている。そこに斬りこんでも、すきはない。ところが、介推、人は奇妙なものでな。公子やおまえたちがどこかの国で厚遇され、苦難を忘れ、驕りはじめると、わしの剣は公子にとどく。
→P323
☆ひとこと☆
重耳を執拗につけねらう刺客閹楚のことば。
推にとっては、哀しすぎる予言といえますし、推自身も予感するところがあったのか、
「この男のいう通りだ」と感じています。
(No4)
下はその罪を義とし、上はその姦を賞し、上下あい蒙(あざむ)く。
「そういう人々がいるところに、わたしはいたくないのです」
「推には功があります。なぜ賞をもとめぬのです」
「人を批判しておきながら、その人とおなじことをやっては、これ以上の罪はありません。また、怨みを述べたかぎり、食録はいただけません」
「では、そういう考えを上に知らせたらどうでしょう」
「ことばは身のかざりです。わが身を隠そうとするのに、どうしてことばのかざりが要りましょうか。いうことは、あらわれたいということにほかなりません」
母は涙をながすことをやめ、ほほえんだ。自分もきれいに洗われたような気がした。
→P467
☆ひとこと☆
介子推の生涯については、『十八史略』と『史記』等ではかなりの違いがあります。
『十八史略』には、亡命中飢えた重耳に自分の腿の肉を食べさせた(「股を割いて以って之に食らわしめる」)とあります。
中国では、よく人肉を食することが出てきますが、ここは、この小説P320にあるように、自分の飢えは省みず、主のため食を求め奔走した・・・という方が自然ではないでしょうか。
なお、安能務氏の『春秋戦国志』(講談社文庫)中巻P74では、三日間食欲がないと偽って自分の分の食べ物を捧げたとしています。
しかし、単に自分の分をまわしただけでは消極的すぎるというか、もう少し能動的に動いたと考えたいところです。
また、同じく『春秋戦国志』中巻P53では、推が重耳のもとから去るきっかけになったのは、重耳が狐偃に「そちと趙衰は、いつまでも側にいてもらわねば困る」と言ったのを立ち聞きし、自分の存在の軽さに失望したためとしています。
これは違うでしょ。それじゃ、自分を売り込み、功をねだった狐偃と同じじゃないですか。
あと、重要なポイントとしては、『十八史略』や巷間の伝説では、綿上の山中に隠棲した推を出てこさせるため文公(重耳)は逃げ道を確保してから山に火をかけた。
ところが、推は出てこず、焼け跡から抱き合った推母子の死体が見つかった(「綿上の山中に隠る。その山を焚く。子推死す」)とあります。
しかし、陳舜臣さんが『小説十八史略』で「じっさいに「抱木焼死」の事実があれば、『史記』や『春秋左伝』に紹介されないはずがない」といわれていることに共感をおぼえます。
そして、何より、そんなスキャンダラスで必要以上に残酷、自虐的な結末より、親子で静かに姿を消すこの小説のラストが最も介子推に相応しいと思います。
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