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『天空の舟〜小説・伊尹伝』

 今回は、宮城谷氏が書いた時期も古ければ、取り上げている時代も古い作品です。
 文庫本の裏表紙に載っている要約を引用しますと、
商の湯王を輔け、夏王朝から商王朝への革命を成功にみちびいた稀代の名宰相伊尹の生涯と、古代中国の歴史の流れを生き生きと描いた長編小説」とあります。
 ページ数は、文春文庫上・下巻によっています。


(No1)
 王とは人民の苦しみを背負いながら、なおかつ雄々しく立つ人のことだ。
摯はここで王というものの理想像を得た気がした。
→上巻P61

☆ひとこと☆
 とは、後の伊尹。
 彼は、桑の木から生まれたという伝説(宮城谷氏は、洪水時に母が桑の木の空洞に嬰児を隠したのだろうとしています)のため、孤児の身から「有しん氏」の庖人(料理人)となるべく、養育されることになりました。

 後に、その噂を伝え聞いた夏王朝の帝に召されます。
 しかし、夏では太子のに迫害され、つらい日々を送ります。

 このせりふは、帝発の好意で歴史を学ぶことを許された摯が、洪水とたたかった、夏の始祖のことを学んだときの感動です。
 摯は、なぜ王子桀の暴虐は許され、料理人であれば許されないのかと考えました。
 「本当に偉い人が王になるべきである」という革命思想を、桀によって摯は得たといってもよいでしょう。


(No2)
「どんな凡愚な君主でも、おもいやりさえあれば、明君に近づけるのです」
→上巻P153

☆ひとこと☆
 これは、摯と妹喜の会話。
 妹喜は、桀に攻められ滅亡寸前の「有しん氏」の后女。

 このせりふに続く
「そなたは、上から下への、おもいやりばかりを申していますが、下から上へのおもいやりはないのですか」
「世をうるおす雨は、下から上へは、降りません」
という会話でおもうところがあったのでしょう、
 妹喜は「有しん」を救うため身を棄てる決心をし、桀のもとへ赴いたのです。


(No3)
「摯よ、もはや言うまい。生きるということは、いいわけのきかぬことだ。まして為政者はな」
→上巻P190

☆ひとこと☆
 これは、摯に歴史を教えてくれた老師の言葉です。
 夏の陣営に密使として来た摯の使命とは、形の上では「先君の末女を征服者桀に献上する」ということでしかありません。
 高潔な老師にはとても打ち明けられず苦悩する摯のこころを見通したのでしょうか。

 後に摯は、帝太甲を幽閉し摂政にあたり、帝位簒奪を疑われますが、いっさいいいわけをしなかったとのことです。


(No4)
「王とは、この世で、もっとも、というより万人にかわって、恭(つつし)み、蹇(くる)しみ、劬(つと)める者でなければならない」
→上巻P375

☆ひとこと☆
 摯がかわらず抱き続けた「帝王論」のひとつです。
 俗にいえば、上に立つ者の責任といえばいいのでしょうか。


(No5)
「いまの夏王は、容貌はたぐい稀なほど美しく、勇気あり、智あり、それでいながら、天下は乱れ、みちに飢ひょうの満ちているのは何故か。それはたったひとつ、王に人をおもいやる優しさが欠けているからでしょう」
「言いたいことは、それだけか」
「政治とは、極言すれば、その優しささえあればできる」
→下巻P58

☆ひとこと☆
 優しささえ・・という例に挙げられているのが夏の先王の帝発です。
 慈父の権化のような発から、暴虐の化身である桀が生まれるというのが歴史の不思議さですね。


(No6)
 人事について、適材適所とは、言うほど易くできない。組織の頂点に立つ者は洞察力を養わねばならない。それには人を見抜く天性の勘のほかに、知識と経験とが要る。まして勇気がいる。
→下巻P87

☆ひとこと☆
 この言葉のあとに、
「戦闘では比類ないほどの力量を発揮する桀であるのに、治政とその改革については臆病なほどおとなしい。真の勇気が欠けているからだ〜」という言葉が続きます。
 『史記』において項羽を評する表現に通じるものがあるのではないでしょうか。



(No7)
「人には、主(あるじ)というものが必要でしょうか」
→下巻P106

☆ひとこと☆
 これは、摯が、名もない有洛という邑の宿老に投げかけた問いです。

 有洛氏は、夏王朝への謀反を企て、防衛のための土木工事に狂奔し、民は飢えに苦しみました。
 老人は息子とともに、朝廷に窮状を直訴するため厳重な警備を突破して夏へ来たのです。
 摯が、彼らを夏の高官終古に引き合わせました。
 面会がかない、彼らは飢渇しか待っていない地へ帰っていくのです。

 摯は、老人の淋しい笑顔に、暴君に支配された民の素顔をみ、支配するもの、されるものとの相互依存関係に哀しさを見出したのではないかと思います。


(No8)
 考えようによっては、桀はたった一言を吝(お)しんだがゆえに、王朝を潰滅させることになった、といえなくはない。そう想えば、ことばほど恐ろしいものはない。
→下巻P242

ひとこと☆
 桀は商の湯王を夏台に幽閉し、また気紛れに解放しました。
 寡黙な旧臣終古が、
「なぜ商后に一言の慰諭も、賜らぬのですか」と生涯初めての異見を呈したのです。

 これでは、商后に怨みが残る。
 逆に、こちらへ包容できれば大いなる祚(さいわい)に変ずる希望を持っていた終古は、そのためには王の心をこめた一言があれば充分であり、たったそれだけのことを、なぜ王は厭われるのか・・・
 そういう万感の思いをこめた異議申し立てでした。
 しかし、桀はいらだち、終古はしりぞけられたのです。


(No9)
 かれは人の上に立っている者へは、くどいほどに、
「聴け、聴け」
と、いった。聴くことが政治だ、といった。
→下巻P259

☆ひとこと☆
 生きて夏台から還った湯王のとった政治方針です。
 また、臣下は、上の者が過(あやま)ったことをおこなっているのに、諫言もなさぬようであれば、その臣下を墨刑(いれずみの刑罰)に処す、と峻烈なこともいったとのことです。


(No10)
「幸せとは、喜びだけからくるものではありません。人民が苦しんでいるとき、ともに苦しむことのできることが、すなわち真の幸せなのです。この、ともに、ということができる王こそ、至福者であり、最高の王というべきでありましょう」
→下巻P374

☆ひとこと☆
 湯の王としての在位期間は十三年とのことですが、王位についてすぐ、雨が降らなくなって、七年間に及んだそうです。
 その当時、日照りなど天災は天の怒りと考えられていました。
 天に犠牲をささげるため巫女を焼き殺すことになりましたが、湯は代わりに自分を柴上に置けといったのです。

 湯が、火中に身を投じる寸前に、「やりたいようにやって死んだ桀と、やりたいことの半分もできず旱災に苦しむ朕とどちらが幸せだろうか」と摯に問うたときのこたえです。