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(No10) 漢詩あれこれ

 前回のこのコーナーで、万楚(ばんそ)という唐代の詩人の「五日、妓を観る」という七言律詩の一部(眉黛奪将萱草色  紅裙妬殺石榴花)を最後にご紹介しました。
 ところで、私自身七言律詩とか五言絶句とかいう用語は覚えているのですが、意味は忘れてしまっていることに気付きました。
 そこで、前回の文章を書く際、少し漢詩について調べたので、そのことを書かせていただきます。(←まるで、前日の夕食のおかずを翌日の弁当に使い回すような省エネ戦法であります)


 五言とか七言というのは一句における字数。そして、四句で構成される短い詩が絶句、八句で構成されるのが律詩。これらの組み合わせで、いろいろ典型的な形式が決まります。
 ですから、例えば5字×4行のわずか20字(まあ、漢字20字ですから、わがくにの俳句よりも遥かに制約は少ないですが)で世界を描くのが五言絶句ということになります。
 ではでは、それら代表的な詩形で、どんなものがあるか、「ああ、何や学生の頃漢文の授業の時に読んだような気がするな」とか、「全部は知らんが、一節だけは・・・」なんて感じの有名なものを集めてみました。
 


(五言絶句)

春眠不覺曉
處處聞啼鳥

春眠暁を覚えず
処処啼鳥(ていちょう)を聞く

夜来風雨聲
花落知多少
夜来(やらい)風雨の声
花落つること知んぬ多少ぞ

 こりゃあ、ほんとに有名な詩。作者は孟浩然(もうこうねん。689〜740)です。
 駒田信二氏の『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫)では、「唐詩全体のなかで、最も人口に膾炙している詩句は、「春暁」の中の「春眠暁を覚えず」であろう」と書かれてますが、私もそのように思います。

 なお、第四句の読み方は吉川幸次郎・三好達治両氏の『新唐詩選』(岩波新書)など一般には上記のように読みならわされているのですが、駒田前掲書では「知んぬ多少ぞ」という言い方は日本語としておかしいとして、「花落つること多少なるを知る」と読み、「多少」の「少」は単なる添え字で意味を持たないので、「多少」とは「多くの」という意味であることは明らかであると書いておられます。
 一方、吉川氏は前掲『新唐詩選』で、わざわざ「最後の句の「知多少」は、多少(いかほど)なるを知らんや〜の意である。ある解釈には多少とは多きことといい、たくさん散りしいたであろうと説いているが、そうではない」と断言されています。
 さて、どっちが正しいのでしょう。

 大体の意味としては、「春の眠りは心地よく、いつ夜が明けたかも気付かなかったほどだ。目がさめてみれば、そこかしこで鳥のさえずる声が聞こえる。どうやら、今朝は良い天気のようだ。
 しかし、昨日の晩は、ずいぶん風雨が吹き荒れていた。せっかくの花もどれほど多く散ってしまったことだろう」なんて感じかな?と思うので、私としては基本的に吉川説なれど、若干駒田氏寄りってとこですかね。


(五言律詩)

国破山河在
城春草木深

国破れて山河在り
城春にして草木深し

感時花濺涙
恨別鳥驚心

時に感じては花にも涙をそそぎ
別れを恨みては鳥にも心を驚かす

烽火連三月
家書抵萬金

烽火三月に連なり
家書万金にあたる

白頭掻更短
渾欲不勝


白頭を掻けば更に短く
すべて簪(かんざし)にたえざらん
と欲す

 これまた第一句などは、前掲の「春眠〜」に劣らないほど有名ですね。
 作者は杜甫(とほ。712〜770)で、題名は「春望」。
 大意は、「国は破れても、山河は健在である。城内には春がめぐり、草や木が青々と繁っている。
 時世のありようを考えると、花を見ても涙がこぼれてしまうし、家族との別離が悲しくて、鳥のさえずりを聞いても心が打ち震える。
 戦火は三月になってもやまず、家からの手紙を万金に値するほど待ち望んでいる(が、来ない)。
 白髪頭を掻くたび、髪は抜け落ち、これでは冠をとめる簪もさせないことだろう」というところでしょうか。

 第三、第四句は、前掲書で吉川氏は「時世のありさまに悲しみを感じて、花も心をいためるのであろうか、涙をこぼすように、はらはらと散る。また人々がちりぢりになった不安な空気の中では、鳥のなき声も、何となく不安げである」と解しておられます。

 なお、この詩は駒田前掲書や高木健夫氏の『唐詩選の旅』(講談社現代新書)などによりますと、757年の3月に詠まれた詩だそうです。杜甫は、安録山の乱で玄宗が退位し、霊州で粛宗が即位したと知りました。そこで、家族を残して霊州に向かう途中で叛乱軍に捕まり、長安に護送されました。軍営で軟禁されているさなかに詠んだのが、この詩だということです。

 また、吉川氏は前掲書で、「破れて」というのは「敗れて」とは違うのだから、「国の機構が解体して」といった意味であって、「敗戦」の意ではない、と書いておられます。しかし、多くの日本人にとって、この詩句が胸に迫る実感となったのは、いわゆる太平洋戦争の敗戦直後のことではないでしょうか。
 戦後生まれの私が「国破れて〜」を想起したのは、阪神・淡路大震災の直後のことでした。確か震災の翌日だったように記憶しているのですが、会社から家に帰る時に見た月が非常に美しかったのです。澄み切った夜空に浮かんだ月は、青みすら帯びてさえざえと輝きわたっていました。神戸の空の下では、今なお余燼がくすぶり、瓦礫の下で苦しんでおられる方さえいる。こんな日になぜこれほど美しい月が出るのか。いま、神戸のまちを、同じこの美しい月が照らし出しているのかと思うと、何ともいいようのない自然の残酷さを痛感しました。 



(七言絶句)

兩人對酌山花開
一杯一杯又一杯

両人対酌すれば山花(さんか)開く
一杯一杯又一杯

我醉欲眠君且去
明朝有意抱琴來
我は酔うて眠らんと欲す君は且(しばら)く去れ
明朝意有らば琴を抱いて来たれ

 唐代の詩人の代表選手といえば、何といっても李・杜と並び称される、上記杜甫と、この「山中にて幽人と対酌して」の作者李白(701〜762)でしょう。
 両者の違いをごく大雑把に表現すると、杜甫は細心綿密な公務員タイプ、李白は奔放闊達な自由人タイプといったところでしょうか。
 この詩の大意は「二人で向かい合って酒を酌み交わしていると、山の花もほころぶ。一杯また一杯と杯がすすむ。
 僕はもう酔ってしまったから、眠らせてもらうことにするよ。良ければ明日の朝もう一度来ておくれ、琴でも抱えてね」なんてとこだと思います。

 李白は、特に絶句にすぐれ、このほかにも有名な詩がたくさんあります。機会があれば、またご紹介したいと思います。

 


(七言律詩)

河流南苑岸西斜
風有晶光露有華

 

河は南苑を流れ岸は西に斜めなり
風に晶光(しょうこう)有り露に華有り
 
門柳故人陶令宅
井桐前日總持家

門柳(もんりゅう)は故人陶令が宅
井桐(せいどう)は前日(ぜんじつ)総持が家

嘉招欲覆盃中淥
麗唱仍添錦上花

嘉招覆(かさ)ねんと欲す盃中の淥(ろく)
麗唱仍(よ)って錦上花を添う

便作武陵樽俎客
川源應未少紅霞

便(すなわ)ち武陵樽俎(そんそ)の客となる
川源(せんげん)応(まさ)に未だ紅霞(こうか)を少(か)かざるべし

 これは、王安石(1021〜1086)の「即事」という詩です。漢詩をちょっと調べ出したのが、「紅一点」にからんで王安石の「石榴を詠ずる詩」の全文がどこかに載ってないかなと思ったのがきっかけでした。
 上記三つの詩と比べるとかなり知名度は落ちると思いますが、まあごかんべんを。

 この詩の訳については、駒田前掲書から引用させていただきます。
 「河は南の苑を流れ、岸は西に傾斜している。朝、その河をさかのぼっていくと、風はきらきらと光り、露は花のようである。
 門の前に柳の木があるところ、あれが友人の陶知事の住居だ。井戸の傍に桐の木があって、ここは以前、世を離れた人が住んでいた清浄な家である。
 よき招きにあずかって、私は何度も盃を傾けたいと思う。それにみごとな歌のもてなしがあって、錦の上に更に花を添えたようなすばらしさだ。
 私はあの武陵の桃源に遊んで酒食のもてなしを受けた漁師のように、帰ることも忘れてしまいそうだ。だが、川の源の空はまだ夕焼けに染まっている。あわてて帰ることもあるまい」

 「錦上に花を添える」というのは、美しいものの上に更に美しいものを添える、加えるといった意味で、よくお祝いのスピーチなどで使われたりしますが、出典はこの詩だったのですね。

 


 さて、いかがだったでしょうか。李白に限らず、すばらしい詩はまだまだたくさんあります。形式ごとに四首だけにしぼるというのは、かなりしんどい作業でした。
 また機会があれば、ほかの詩も楽しみましょう。