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パソコンつれづれ日記 Part36 Tシャツ完成記念オフ会WEST編(1)
★ 2000年3月25日(土) ★
(1) 合流までの長い道のり
乾隆皇帝のTシャツをつくろう!そう言い出したのは川魚さんだったのであろうか?
その後、宣和堂さんが、ご自分のサイトに委員会を設立され、たかむら園長という実に有能な「会計」さんが実務をばりばり進められ、ほか、いろいろな方のご努力でついについにこの企画は実現をみたのであった。(私は、単に「僕もまぜてね」と「この指とまれ」しただけである)
宣和堂さんはTシャツ完成記念オフを開催された。しかし、東京(ちゅうか、横浜。どうもその辺、ひとくくりで「東京」ってゆうてしまう)開催であったため、参加することができなかった。すると、捨てる神あらば拾う神あり。鍵屋さんの2万ヒット記念オフに「便乗」して「TシャツオフWEST」を開催するとのこと。こりゃいい、ということでひとくち乗らせてもらうことにした。(以前、川魚さん送別オフも、鍵屋さんちの初詣オフに便乗させてもらった。いつも、すいませんね)
ところが、好事魔多しというか、開催日となった3月25日に仕事が入ってしまった。私の所属での一大プロジェクトが完成し、ちょうどその日に竣工式典を挙行することになったのだ。
しかし、今回のオフにははるばる東京からタキッテンボローさんが参加される。私がネットを始めた頃、既に瀧さんの「水龍公司」と高崎さんの「私的中国史研究会」は抜きん出た両巨頭のような存在であった。いわば、憧れの人である。
高崎さんには、昨年のGWオフでお会いできたが、瀧さんとは「おはつ」だ。何とか参加したいなあ、その思いやみがたく、鍵屋さんには、「何時になるかわからへんけど、途中で合流したい。ややこしい話になるけど、いいかな?」と相談をもちかけ、快く了解していただけた。
さて、25日、当日である。さ、寒い。風もきつい。あ、雨までぱらついてきた。しかし、たくさん来賓もお迎えしての式典なので、主催者側がコートをはおる訳にもいかない。
幸いにして、式典は12時過ぎに無事に終了した。「弁当を用意しているので、交代で控え室で食べてください」と庶務の方からは言われたのだが、時間が惜しかったので、即失礼させていただくことにした。
他のみんなは、午前11時に神戸の生田神社に集合であった。大阪市の南西のはずれにいた私は、梅田で地下鉄からJRに乗り換えることにした。もはや、1時過ぎ。さすがに腹がへってきた。しかし、店に入ってのんびり昼飯を食っていてはここまで急いできた意味がない。
私は駅の売店で菓子パンを買い、電車がすいていたもんで、席のはじっこに座ってこっそりパンをかじったのであった。ああ、行楽電車ならともかく、何とお行儀の悪いことであろうか。40過ぎたおっちゃんが、学生さんのようなまねをしてまで、なにゆえにこれほど急ぐのであろうか。私は自分でも自分をいぶかりつつ、神戸を目指したのであった。
三ノ宮駅のホームから鍵屋さんの携帯に電話する。無事つながった。いま、関帝廟に向かっているとのこと。ラッキー!と思った。とりあえず行き先決めずにぶらついてる、となると合流しにくいが、関帝廟なら、遅れても先に見てもらってりゃいい。それに、昨年のML関西秋オフ(「日記」No30参照)の時も関帝廟は話に出たのだが、ちょっと遠いということで、その時は行かなかった。だから、私自身もここは行きたいな、と思っていたのだ。
駅前でタクシーを拾う。「中山手通りの関帝廟お願いします」。しかし、運転手さん、しばらく悩んでる。ええ?地図持ってるから指示はできるけど・・・。しばらくすると「ああ、中国のお寺ね」「ええ、そうです」「うんうん、有名だからね。誰でも知ってますよ」(←なら、すぐ返事してくれ) |
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車から降りた。おっ、見覚えのあるメンバーの顔が。そして、初対面のサングラスのお兄ちゃんが。「あっ、瀧さんですね」「あれ、どうしてわかるんですか」(←そりゃ、わかるって。宣和堂さんやさとうさんは4回目だし、他の方も初詣オフでご一緒したばかり)
こうして、ようやく合流することができたのであった。 (2) カエルの解剖
どうやら、かなりいいタイミングで合流できたようだ。
以前、宣和堂さんのオフ会レポートで横浜の関帝廟は入場料がいる、とあった。しかし、ここはキップ売り場はない。どうも、うちのグループの貸切状態みたいである。
いちおう、今回のオフ会のメインですから、ということでTシャツを着ての記念撮影。(Tシャツ購入者は必ず、当日着用のこと!と主催者鍵屋さんから厳命がくだされていた)。で、私も背広姿ながら、カッターシャツの下に着込んでいた。式典で、にこやかに来賓に向かって「本日はありがとうございました」と頭を下げている私の胸で、ひそかに「へーか」が馬にまたがっていたとは誰も知るまい。
宣和堂さんや鍵屋さんはジャケットをはだけると、自然にTシャツがのぞく。しかし、私はあわててベストを脱ぎ、ネクタイまで外すとまた結ぶのがめんどくさいんで、肩にタイをたくし上げ、カッターの上から2番目から5番目までのボタンを外し、両側に開いた。まるで、カエルの解剖である。
ふと横を見ると、ししんさんも服が前ボタンでなかったので、ずりずりずりと上にたくし上げて、Tシャツを見せておられた。「ししんさんは、レントゲン撮影または、はい、聴診器ですよ〜パターンやな」と、何だか仲間ができたみたいで嬉しかった。(この写真については、宣和堂さんのサイトの南京町オフ会レポートでアップされてます。もっともプライバシーを尊重して顔とかはっきりわからないように加工済)
(3) 解説おじさん登場!
私たちがわいわい言いながら見学してると、管理事務所から年配の男性が出てきた。どうやら解説してもらえるらしい。
いわく、ここの「こまいぬ」(石造りの唐獅子)は、男女がはっきりしている。向かって右が男。左が女です。男は外に出てお金をかせぐものだから、右のこまいぬはお金をぶらさげてます。このお金をなでると、金運がつくといわれてます、とのことであった。
「男は外で金を稼ぎ、女は・・・」、こういう言い方はジェンダー論にとらわれたもので、いけませんよと、先日の職場研修で講師やった時にはしゃべったのだが、それは忘れて、とりあえず熱心にお金をなでる。
右のこまいぬで、足の間に見えている、これね。これが男性のシンボルです。で、左の方は、後ろに回らないと見えません、とのこと。しかし、誰も後ろに回らない。(実は、後でこっそり後ろを見たが、よくわからなかった)
本堂内にも案内していただいた。正面が主神の関帝、向かって左の黒い顔が周倉、右は、関帝は息子がいなかったので、養子を迎えられました。その養子です。名前知ってます?とおじさんは皆に聞く。「あへあへ、うひは〜。かい〜の。血い吸うたろか」とボケようか、と思ったが、年齢を考えて自制した。(答えは関平)
正面左が「ばそう観音」です。このばそう観音は海の神様だとおっしゃる。私は「馬頭観音」のことかと思い、そうは見えないがなあ、と不思議に思った。しかし、聞き返さないで、よかった。
後でパンフレット(上で、その表紙を載せてます。100円也。巻頭には陳舜臣氏のエッセイ付き)を読むと、海の神様「媽祖」、正式には「天后聖母」とあった。両脇に控える千里眼、地獄耳のことも解説してもらった。(窪徳忠氏の『道教の神々』(講談社学術文庫)によると、通称媽祖こと天上聖母に対し、清朝で天后という封号を下賜したとあった。また、地獄耳は「順風耳」といい、千里眼とともに媽祖の侍者となったのは鄭和以後だそうである)
台の上に、三日月型で2個セットになった木製のものがあった。これはね、占いの道具です。商売人とかがね、新しく店を開く時なんか、これを投げます。表と裏が揃うと神様が認めてくれて、商売がうまく行くということ。揃わないとやり直すんだけど、正式には3回まで、となってます、とのこと。
「3回までなんですか」と聞き返すと、いや、いったんお堂から出て、しばらく休憩したらもう一度いちからやっていいんです。
リセットがきくんかあ、いかにも「中国」やなあ、と思った。
ふわっと放り上げるように投げるのかどうか知りたくて、「投げるんですか」と言うと、やってみせてくれた。(←ええ、おっちゃんや)
ふわり、ではなく無造作に前に放り出す感じで、結果は二つとも、平べったい面が上であった。これはダメなんです。そう言ってそそくさと拾い上げるしぐさがかわいいぜ。
この占いについて、前掲『道教の神々』より引用する。
「ポエとは、貝殻に似せて、片面が平ら、もう片面がふくらみをもった半月形の占具の一種で、二個で一組である。〜平面は陽、ふくらんだ面は陰である。〜願いのおもむきを口の中で念じながら、やや前方か右前方に擲(な)げるような格好で地に落とす。〜一個の平面が上を、他の平面が下を向くとシンポエといって、嘉納のしるしとされている」
上記では半月とあったが、見たのは確か、少し湾曲して、二つ合わせても真円にはならない、三日月型であったように記憶している。
このほか、ここから写真を撮ると全景がうまく収まるよとかアドバイスをくれた。
また、中国人は、葬式のとき死んでから金に困らないよう、紙幣に似せた紙を焼きます。日本人でも、勝新太郎は現金で500万円焼いたらしいなどと、芸能通なところも見せる。(後で、その紙の実物まで見せてくれた)
境内に貼られた「スーパー歌舞伎 新・三国志」のポスターを見ていると、どうして、主人の劉備が女で、家来の関羽に抱かれにゃならんのか、中国人は怒ってますよ。勝手に何でも作ればいいってもんじゃないと怒ってみせる。(そない腹立つなら貼らなくてもいいと思うが)
まったく、神出鬼没、獅子奮迅のおじさんである。何でもこの関帝廟の向かい、(社)中華会館のあるマンションに住んでおられるそうだが、土日などは観光客が集まるので解説に来てくれてるらしい。
宣和堂さんは、ここは(社)中華会館が管理しており、宗教法人ではない(よって「拝観料」は取れない)、この建物は神社仏閣ではなく、地図でも卍や鳥居マークがつかないという説明を受け、いたく感嘆されていた。
私は、かばんの中の、関帝廟にしっかり卍マークが記載された昭文社の地図のことには触れないでおこうと決意した。きっと、もっと権威ある地図ではそうなのだろう。
(4) 八仙の謎深まる
入り口の門の上(くぐる部分の天井)には、いろいろな人物の絵がはめこんである。どうやら「八仙」という人物たちらしい。宣和堂さんが、「あれはロバに乗ってるから○○だろ、で、あれは花持ってるから××で・・・」とかやってると、おじさんがあなたなかなか詳しいね。あなた華僑の方?と尋ねられた。
どうやら八仙らしいが、人物が12人いる。あと4人はいったい誰なんだ?ということになった。(「11人いる!」てなSF原作のマンガあったよな)
私には何が何やらわからない。
まあ、八仙にしても並び方が変だよ、という話なので「震災でいっぺん全部絵が落ちてしもて、その後適当にはめ直したんちゃいますか」とぼけるのが関の山であった。
またまた前掲『道教の神々』(以下、「道」)及び竹下ひろみ氏訳の『東遊記』、『南遊記』(以下、「東」又は「南」。エリート出版社)より八仙の特徴を引用してみたい。なお、イラストは南京町で買った「中国神仙トランプ」から。
第一 呂洞賓(りょどうひん)
孚佑帝君とも。絶大な信仰を受けている(道)。剣を背負い、払子を持つ(「東」口絵)。雌雄剣を持つ(南)。 |
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第二 鍾離権(しょうりけん。又は漢鍾離)
羽のような、軍配のような扇を持つ(「東」口絵)。芭蕉扇のように火や風をおさめる力のある宝扇を持つ(南)。腹が出ている(「南」口絵)。
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第三 張果老(ちょうかろう)
白いろばに乗る(道)。白いろばに後ろ向きに乗る(「東」。ただし「道」記載の『列仙全伝』では前向き)。
靴べらか孫の手みたいなものと、そのケースとして太い竹筒みたいなのを持っている(「東」口絵)。
なぜかこれはトランプになかったので、上記口絵より。 |
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第四 韓湘子(かんしょうし)
唐宋八大家である韓愈の甥。
「道」記載の『中国神仙故事』では、上記張果老のような孫の手とケースを持っている。
長い竹笛を持つ(「東」口絵)。
右のトランプじゃ、女みたいです。 |
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第五 李鉄拐(りてっかい)
ボロを着た片足の男(道)。瓢箪を持ち、杖をついて片足で立つ(「東」口絵)。 |
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第六 曹国舅(そうこくきゅう)
北宋の曹太后の弟(道)。薄い拍子木のような、折り畳んだ板を持つ(「東」口絵)。 |
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第七 藍采和(らんさいか)
破れた藍色の長衫に黒い木の皮を腰に巻き、片足は裸足。女性という異説もあり(道)。花の入った籠を持つ(「東」口絵)。
左のトランプじゃ、完全に女性。 |
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第八 何仙姑(かせんこ)
八仙中、唯一の女仙(道)。大きな花を一本持つ(「東」口絵)。鉄の糸で編んだ籠を宝物として持つ(南)。 |
さて、宣和堂さんは、天井の各人物をデジカメで撮り、詳細に人物鑑定されている。その結果については、その通りでしょう!と思います。写真がでかいので表示はやや重いですが、きれいだし、コメントもおもしろいので、宣和堂さんのサイトをぜひご覧ください。
あと、宣和堂さんのオフ会レポートでは、本堂のガラスに描かれていた「呂洞賓の名を騙る鍾離権」の謎を追求しているところもおもしろい。宣和堂さんのトップページへは、リンクのページか、又は直接ここから。
この後、我々は南京町に向かうのだが、それはまた後日に。
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