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この文章の掲載誌が発行されるのは、6月下旬か7月とお聞きしています。
今年の梅雨はどうなるでしょうか。仕事柄、今(5月初め)から気がかりなところです。
さて、本市の下水道事業でも浸水対策は最重要施策の一つですが、中国においても治水事業は為政者の最大の課題でした。
黄河文明の歴史は、そのまま黄河との戦いの歴史といっても過言ではなく、そのためか、中国では「水を治める者は天下を治める」ということわざがあるそうです。
ふと、このことわざのとおり治水技術者がそのまま王となった禹(う)のことを思い起こしました。
尭(ぎょう)・舜(しゅん)といえば、中国古代の聖王として我が国でも有名ですが、禹は、その舜のあとを継いで天子となり夏(か)王朝を開いたとされている人物で、一生を治水事業に捧げた王としていまだに中国の人々から敬慕されているそうです。(注1)
治水事業は、時の帝である尭から、まず鯀(こん。禹の父)に命じられ、その後禹が引き継いだとのことですが、興味深いのは、この父子の方針の違いです。
鯀のとった方法は「いん」(ふさぐこと)と「障」(しょう。さえぎること)。
これに対し、禹のとった方法は「疏」(そ。とおすこと)と「導」(どう。みちびくこと)であったといわれています。
いわば、鯀は自然をねじ伏せようとして、いたずらに堤を高く築き、結局国力ばかりを消耗する結果に終わりました。
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禹は、父の失敗を教訓とし、目前の洪水をどうするか、というより洪水を起こさせる中国の地勢そのものに広く目を向け、全土を13年間にわたり隈なく調査し(注2)、そのデータを基に築くべきを築き、流すべきは流して洪水を鎮圧し、この功により衆望を集め王となったのです。
自然に対し、しなやかに対処していく柔軟な知恵。禹の考え方は、現代に生きる私たちにとっても大変参考になると思います。
★ひとこと★
(注1)
北京の紫禁城最奥部、東五所に治水の王「禹」を称える「四執冠袍至美尊大禹」という字句が大きく刻まれています。
(注2)
『十八史略』によると
「外に居ること十三年、家門を過ぎて入らず」
つまり、治水事業のため家を離れること13年、その間、我が家の前をさしかっても立ち寄りさえしなかったとのことです。
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