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それ行け!中華探偵団(3)「中国何千年?」

 さて、約半年ぶりの中華探偵団のコーナーです。
 今回のご依頼は、うちのサイトの掲示板の、次のような書き込みによるものです。


教えて? 投稿者:舞子100%  投稿日: 7月26日(水)19時17分27秒 

教えて欲しいのです。
中国はよく『〜年の歴史』と言いますが、
ホントは何年の歴史なんですか?
 


1 基本設定

 巷でよく「中国四千年の歴史」とか「五千年」とか言います。あまり、「中国三千七百とんで五年の歴史」とかは言いません

 要は、千年単位のばくっとした言い方です。
 現在が西暦二千年ですから、後は紀元前に何千年さかのぼるか?という勝負になります。

 あと、もうひとつ大事な論点があります。

 どの段階をもって、「歴史」のスタートとみなすのかという概念の問題です。
 それこそ、「およそ現在の中国大陸にあたる部分に人類の祖先が発生・・・」なんて言い出すと北京原人の昔までさかのぼらないといけなくなってしまいます。
 
 「北京原人の住んでいた時代は、地質学的にみると〜いまから五、六十万年以前と推定されている」(貝塚茂樹『世界の歴史3 中国のあけぼの』河出書房)そうです。
 いくら何でも「中国六十万二千年の歴史」とは言いますまい。

 ごく大雑把な言い方になってしまうのですが、要は、いわゆる中国古代文明をどの辺にもってくるか、で、それが紀元前3000年まで遡るなら「中国五千年」、2000年なら「四千年」ってことになるのでしょうか? 

 即席ラーメンの宣伝とかで、「中国四千年の味」とか聞いた記憶があります。
 一方で、陳舜臣氏にずばり『中国五千年』という著作もあります。

 それでは、各説について見ていきましょう。

 「ええい、そんなもん、とうに結論出とるんじゃあ!」という方や、私はこう思うという方、もしいらっしゃいましたら、どんどんご教示お願いいたします。よろしく!


2 中国三千年説 

 姫猫さんという方が、うちの掲示板に

>15年ほど前は、『中国三千年の歴史』という文字を目にしたことがあります。
>それが近年は、『中国四千年の歴史』というほうが多くなってました。
>そして、本屋で陳舜臣さんの『中国五千年』という著書を発見したときは、
>さすがに、なんでこんな千年単位のずれがあるのだろうと思ったものです。
という書き込みをしてくださいました。

 「四」VS「五」でいいんだと思っていたのですが、「三」もあり、三つ巴の様相を呈してまいりました。

 実際、「三千年」説もけっこうあるのです。

 「この中国の国土は、いまなおいくたの謎を残している殷王朝の時代にはじまって、今世紀のはじめに清王朝が倒れるまで、およそ三千年にわたって、いれかわりたちかわりいくつもの王朝によって統治されてきた。中国の歴史は、この厖大な舞台の上にくりひろげられてきた、三千年のドラマなのである。」
 出典は、1でも出た貝塚茂樹氏の『世界の歴史3 中国のあけぼの』です。

 同じく貝塚氏の『中国の歴史(上)』(岩波新書)の冒頭でも、
 「この多数の人間たちが、この厖大な土地の舞台の上に、三千余年の長い間引きつづいて演出してきた史劇が中国の歴史なのである。」と同様の表現がなされています。

 


3 中国四千年説

 三千年説は、殷王朝を中国史のスタートにもってくる説といえそうです。

 ご存知のとおり、『史記』本紀は、「五帝本紀」にはじまり、「夏本紀」、「殷本紀」、「周本紀」という世襲王朝に関する記述が続きます。
 三皇や五帝などは、いわゆる神話、伝承の世界と考えられていますが、夏王朝以後は、実在していたか否かが問題となっています。

 陳舜臣氏の『中国五千年』(講談社文庫)によると、日本でもかつて白鳥庫吉氏は殷王朝非実在説を提唱され、諸外国の史家ではむしろ非実在説が主流だった時代があったそうです。
 
 1899年頃から王懿栄劉鉄雲によって着目され、羅振玉王国維によって進められたのが甲骨文字の研究です。

 古代の占いに用いられた亀の甲や牛の肩甲骨に刻まれた文字を解読したところ、『史記』などに伝えられた殷王朝の系図が歴史的事実であったことが判明し、さらに甲骨の発見場所である河南省安陽の調査により、殷王朝の遺跡、いわゆる殷墟が発掘され、殷王朝の実在は実証されました。

 夏王朝については、殷のように決定的な証拠はまだ発見されていません。

 夏王朝は治水に功のあったという人物を始祖とする中国最古の王朝で、夏末代の暴君桀王湯王が滅ぼし、殷王朝を開いたと伝えられています。

 もっとも、宮崎市定氏の『中国史』(岩波全書)では、「夏の禹王の事蹟は、儒教の経典である書経の中の禹貢篇に詳しく記されているが、私の考えではこの篇の内容は、実は秦から漢初にかけての創作に相違ないと思われる」と書いておられます。
 禹が実在したかどうかはともかく、殷王朝に先立つ何らかの都市国家はあったように思われますし、殷王朝よりも時代的に古い遺跡も発見されているのですが、はっきりしたことは今後の研究や「夏墟」の発見を待たねばならないようです。 

 ちなみに前述の貝塚氏『中国の歴史(上)』(岩波新書)では「夏王朝の年代はおよそ前2050〜前1550年位と推定されている」とあります。

 また、コリンヌ・ドゥベーヌ=フランクフォール氏の『古代中国文明』(創元社)にも、「古い史書に基づく伝統的な歴史観によれば、夏(前2000〜1600頃)、殷(前1600〜1050頃)、周(前1050〜256頃)の三代が、先史時代を終わらせ、中国文明をひらいたことになっている」とあります。

 およそ夏王朝の時代を前2000年からとすれば、「四千年」ということになるのでしょうか。


4 中国五千年説 

 再度、陳舜臣氏『中国五千年』(講談社文庫)から引用します。


 人間が文化をもったときから歴史時代とかぞえるなら、新石器時代が歴史のあけぼのといえるでしょう。
               (中略)
 仰韶(ヤンシャオ)も竜山(ロンシャン)も黄河流域ですが、南方には水稲耕作をおこなっていた良渚(りょうしょ)文化(浙江(せっこう)省)、青蓮崗(せいれんこう)文化(江蘇(こうそ)省)といった新石器時代の遺跡が発見されています。
 放射性炭素の測定値は良渚文化がほぼ四千七百年、青蓮崗文化が五千四百年ほど前です。
               (中略)

 原始共産社会から私有財産制社会への移行、そして、同時に母系社会から父系社会への移行がおこなわれたのですが、それは仰韶文化から竜山文化、そして南方の諸文化のはじまった時期とみてよいでしょう。いまからほぼ五千年前のことでした。


 さて、これが「五」説の基本といえるでしょうか。
 それでは、あと、いくつか傍証をあげたいと思います。

 現在、毎月25日くらいに中公文庫で『中国文明の歴史』というシリーズが1巻ずつ刊行されてます。
 これの第1巻が「中国文化の成立」なんで、これを読むといろいろ参考になると思うのですが、残念なことに第1巻は、最初に書かれた時以降にいろいろ遺跡の発掘等があったので、そうした新資料を盛り込んで大幅に改訂・・・ということで、第2巻「春秋戦国」から発刊されてます。
 この第1巻を読めば、いろいろ参考になるのでは?と期待してます。
 ところで、この文庫のオビには、「小説より面白い中国五千年の歴史」って書かれてますね。

 また、先日よりNHKで「四大文明」の特別番組が放映されました。
 その中国篇の番組紹介の新聞記事でも「中国五千年の歴史〜」って書いてましたね(当方、朝日新聞)。

 最近は「五」説が優勢なんでしょうか。まあ、語呂とか「きり」はいいですが。


 ここで挙げられている各種文化の特徴や時代等については、後日機会があれば比較表など作って整理したいと考えています。

(注)↑に書きました「中国古代文明」については、簡単にまとめましたので、「なん中華」のコーナーをご参照ください。