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それ行け!中華探偵団(5) 「関羽の顔はなぜ赤い?」

 今回のご依頼は、うちのサイトの掲示板に、まいねさんが「関さんのお顔はいつも血だらけなんですか?」という書き込みをされたのをネタにさせていただきました。


 といっても、もう少し背景の説明をした方がわかりやすいでしょう。

 前回の「中華探偵団」でも、最後に少し触れたのですが、中国史上「名馬」の代名詞たる「汗血馬」って、くだいて言うと、寄生虫に皮膚を食い破られて出血した馬のことらしい・・・って話題がありました。

 それで、とびかげさんが「関羽の赤い顔も実は寄生虫で血が出ていた!…だったら、ものすご〜く嫌です(^^;)」という書き込みをされたところ、上記の「関さんのお顔はいつも血だらけなんですか?」につながったという訳。

 要は、「関羽の顔は赤い」ということなんですが、なぜ「赤い」ということになっているのでしょうか?
 ちょっと、手元の演義をいくつか読んでみて、関羽初登場の時に、顔がどんな風に描写されてるか、調べてみました。

 



書名 著者等 出典 内容 備考
完訳 三国志 (訳)小川環樹・金田純一郎 岩波文庫第1巻
P14
顔は熟した棗(なつめ)のように赤黒く ※1
三国志 吉川英治 講談社文庫第1巻
P104
額もひろい。眼は鳳眼であり、耳朶は豊か ※2
三国志 英雄ここにあり 柴田錬三郎 講談社文庫上巻
P24
長髯士  
秘本三国志 陳舜臣 文春文庫
P96
もう一人は、たしか関羽と名乗ったが ※3
SF三国志 石川英輔 講談社文庫P15 顔色はまるで熟した棗のように黒く ※4
絵本三国志 (編)高橋康雄 徳間文庫
P7
身の丈九尺五寸、髯の長さ一尺八寸の堂々たる偉丈夫  
三国志外伝 (編)湖北省群集芸術館
(訳)立間祥介・岡崎由美
徳間書店
P22
ばあさんは、〜常生の鼻っ柱にぽかんと一発げんこを入れた。真っ赤な血が流れる。慌てて手で擦ったら顔じゅう真っ赤になった。
〜常生は急いで川に入って、洗い落とそうとした。ところが、洗えば洗うほど赤くなって 
※5

 


 さて、『完訳〜』は、この中でも『三国志演義』をもっとも忠実に訳したものと言えるでしょう。
 そこでは、「熟した棗のように赤黒く」とあります。

 同著では、「原文「重棗」。魯迅の雑文に「重棗とはどんな棗であるか、わたくしは知らない。要するに赤い色には違いあるまい」(『且介亭雑文』)とあるように、熟したなつめのように赤い色という以上のことはわからない・・・・」と、本文訳注にあります。(※1)

 で、ほかの著作を見ると、意外に顔が赤いとは書いていない。
 御大吉川三国志でも、(髯はもちろん)額、眼、耳まではいくのですが、顔色については書かれていない。(※2)

 陳舜臣氏の『秘本〜』でも、張飛は、童顔の巨漢、劉備は耳の大きい男と連発されるのに、関羽は、まるでわざと避けているみたいに顔の描写がない。(※3)
(ところで、同頁に「劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳の三名よ」って作中人物の台詞があるのですが、こんな風に姓と字と名を続けるのは駄目!って聞いているのですが。)

 もっとも、吉川三国志でも陳三国志でも、初登場のシーンしか見てませんので、途中には顔が赤いと書かれているかも。お気づきでしたら、教えて下さい。
 それは、そうと、反重力艇を駆って高エネルギービーム砲を放つ『SF〜』が、演義に忠実に「熟したなつめ」と書いてるのがおもしろい。ただし、「赤」じゃなくて「黒い」ですけどね。(※4)

 最後の『三国志外伝』というのは、中国各地に取材して、庶民の間で語り伝えられてきた『三国志』にまつわる説話を収集したものです。(※5)

 常生というのは、関羽の本名。土地の顔役呂熊(りょゆう)に許婚者がさらわれたという親友李生の訴えを聞き、無事救い出した常生。しかし、捕り手に追われることになりました。

 川のほとりで洗濯していたおばあさんに助けを求めたところ、いきなりの顔面パンチ
 鼻血が噴き出たので、慌てて手で擦ったら顔じゅう真っ赤に。
 ところが、おばあさんは、さらに常生の頭から髪の毛をむしり取り、唾で口のまわりに貼りつけた(き、きたねえ〜)。

 さて、追いついた捕り手は、常生に「おい、じじい。このへんで色白の若造が逃げてくるのを見なかったか」と怒鳴りました。何と関羽(常生)は、もともと色白だったんですねえ。

 みごとに追っ手をまいた常生は、川の水で顔を洗って、血を流そうとしましたが、どうしても洗い落とせず、髯も取れません。
 そこで、あのおばあさんは神さまが姿を変えていたのだと気付いた・・・という山西省での説話。

 何だ、まいねさん、正解じゃんって感じですね。


 駒田信二氏は、「関羽の顔の「重棗」について」(「決定版『三国志』考証事典」所収。新人物往来社)で、いろいろ詳細に検討されています。

 『三国志演義』の原文では、関羽の風貌が「面如重棗」と表現されている。問題は、この「重棗」なのだ、と。

 平凡社『中国古典文学大系』第26巻『三国志演義』において、立間祥介氏は「くすぺた棗」と訳しており、訳注で曲亭馬琴の『燕石雑志』に「万暦版の演義三国志を見るに、面如薫棗とあり・・・赤きに黒色を帯びれば棗を薫たる如し・・・」という文章があることを紹介しています。

 要は、立間氏は、「重」は「薫」とか、「燻」から下の「テンテン」が取れた誤りと断じているわけです。
(なお、くす「ぺ」たは、「くすべた」の転記ミスでなく、原文のまま)

 一方、上記の小川訳では、「重」は「重」として「熟した」と解釈しています。駒田氏は、「重」には、「孕む」という意味もあるので、「熟して大きくふくらんだ棗の実のような色」という小川氏の解釈には、うなづけると評価しています。

 で、駒田氏自身の訳はどうかと言うと、「立間氏の≪くすぺた棗≫を取る確信もなく、小川氏の≪熟した棗≫を借りることも憚られた」ため、「≪重≫を≪大いなる≫と考えて≪大きな棗≫と訳し」ています。

駒田氏は、こうも書いておられます。

「棗の実ははじめは青く、熟してくると先ず黄色くなり、さらに熟すると〜紅褐色を呈して〜」

 要は、そうした棗の実みたいな顔色だったのでしょうか。
 
 ご参考までに、息子の本棚の『植物の図鑑』(小学館)から、「なつめ」のイラストを紹介します。ただ、ちょっと色が悪いですね。

なつめの実