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(No22) 娘の卒業に贈る言葉
1 娘の誕生 昭和62年、我が家に、待望の最初の赤ちゃんが生まれました。
少し難産でした。なかなか産まれなくて、最後は「かん子」で引っ張ってもらいました。
そのせいで、産まれてすぐは、娘の頭は細長い形でした。
お医者さんから、「赤ちゃんの頭は柔らかいから、今は長くなってますけど、すぐ元にもどりますよ」と聞くまでは、ずっとこの福禄寿のような頭のままなのか心配だったのを覚えています。
占いなんて信じない方なのに、画数で最高の組み合わせを、といっしょうけんめい頭をひねって、名前を考えました。
初めての子育てだし、何かと不安がありました。
「赤ちゃんは、お乳を飲んだ後はゲップをさせないといけない」と育児書に書かれてあったので、絶対にさせなくちゃ、と思い込み、飲んだ後はいつまでも背中をトントンしてました。
「もうゲップしないのかな?」そう思った頃にゲゴッと吐き戻して、もう仕事に行かなくてはいけないのに、服の肩のへんがおっぱいだらけになってしまったこと、いったい何回あったでしょうか。
夜泣きして、立ち上がってだっこしてやると泣きやむ。それで、角度を水平にして、少しずつ少しずつおろしていく。
あと少し、あと1cm。だけど、手で持っている間は寝ているのに、ふとんにおろしてしまうと泣き出す。角度は同じやのに、よくわかるもんやなあと、うんざりする一方で感心したものです。
寝返りも、もう少しのとこまではいくのですが、また元に戻ってしまうことが続きました。
がんばれ、がんばれ!横で応援していると、とうとう、クルリと寝返り成功!ちょうどその瞬間をビデオカメラで撮っていたので、歓声も一緒に入ったビデオテープは本当に貴重な思い出の品です。
仰向けになって、体を弓なりにして、足で床をけって後の方(頭の方)へ尺取虫みたいに進んでいく。娘は、普通のハイハイより先に、そんなハイハイを覚えました。
そのせいで、後頭部の髪の毛がすり切れてしまい、「うしろハゲ」ってニックネームがつきました。
普通のハイハイが上手になったかと思うと、ちょっと目を離したすきに、二階の階段から下へ落ちそうになったこともありました。
「もう、あかん!」お母さんは目を覆ってしまったけど、間一髪お父さんの手が届いて、何とか落ちずにすみました。
今になって思うと、抱いていた不安は、み〜んな喜びや思い出に変わっていったんですね。
2 娘の入学 娘は幸い、大した病気もせず、すくすく育ちました。
寝る前には、絵本の読み聞かせをするのが習慣でした。そのおかげで、今のように本好きな子どもに成長してくれたのかな、と思います。
そして、小学校へ入学。勉強も運動もよくがんばってくれました。
漢字、九九、水泳、音楽・・・特に、何かができなくて苦労したというのは、記憶にありません。
三つ下、七つ下の弟ができてからは、面倒見のいい、しっかり者のお姉ちゃんとして、よく手伝ってくれました。
お父さんもお母さんも、育児などを助けてくれる両親は、既にいません。
仕事をしているお母さんは、娘がいてくれて、どれだけ助かったかわからない、とよく私に言ってます。
授業以外でも、ちびっ子クラブ(学童保育)や児童会、クラスの役員、ミニバスケットや陸上の大会、そのほか水族館や動物園のスクール、学校で飼育している動物などの世話。娘は、本当にいろいろなことに積極的にチャレンジしていきました。
そして、そんな毎日の中で、自分は動物が大好きであることに気付き、何か、動物に関わるような仕事がしたいという夢がどんどんふくらんでいったのです。
3 娘の卒業
そして、娘は卒業の日を迎えます。
夢を実現するため、娘は自分で受験という道を選び、真夏の暑い日も、真冬の寒い日もこつこつと努力を積み重ねていって、目指していた成果を得ました。
それは、もちろんまだ、一つのきっかけ、スタートラインでしかありません。これからも、羽ばたき続けないと、前には進めないのです。
ただ、娘にとって残念だったのは、人間関係の問題でしょう。
娘は、親から見てもさばさばとした性格で、誰それは誰それが好きだなんていう類のうわさ話で何時間も費やしたり、グループを組んで誰かを標的にして「無視」したりする、そんなことが嫌で、距離を置いたりしていました。それで、クラスの中で孤立したり、逆に標的にされてしまったようですね。
「私、別に普通に話ししているだけやのに、わざわざ私の所に来て、AちゃんがB君のこと好きやて知ってるくせに、何でB君としゃべったりすんの!とか言ってくるねんで。もう、あほらしいて付き合ってられへんわ」
「マラソンの練習の時、一人が私のとこ来て、何周走った?とか聞くねん。
それで、答えたら、何も言わんとグループのとこ戻って、何かこそこそ言ったり、こっちチラチラ見て笑ったりすんねん。
そしたら、次、別の子が来て、また同じこと聞いて、また、笑ったりすんねん。それで、また別の子が、って5回も6回もすんねんで。疲れてまうわ」
これは、本当に目に浮かぶようです。クラスメートと思うからこそ、朝、大人のこちらから「おはよう」とあいさつしているのに、返事もせずに、こちらを横目で見ながら、顔を見合わせてコソコソ笑いながら通り過ぎる。
そんなことを何度も体験していますから。
娘の帰りが1時間以上も遅いことがありました。
理由を聞いてみると、帰ろうと思ったら、グループの子たちに話があると呼びとめられたとか。
「先生が、あんたといっぺん話し合いなさいと言ったんや」と言ってとめられたそうです。
「私は、別に話し合うことはないって言ってんけど、どうしても帰してくれへんねん。
で、しゃあないから残ってたら、なかなか何も話せえへんし。
反対に、私ら話なんかしたくないけど、先生がしなさいゆうから、あんたのせいで残らなあかんようになった、みたいな言い方されてん。
それで、きついしゃべり方をやめて、とか、私取り囲んで、私だけが悪いみたいに言われんねん。ちゃんと言い返したけどな。
だって、どう考えても、私間違ってないもん。何で、意地悪されてる方が反省せなあかんの。
話し合うって、そっちが謝るならわかるけど、別にこっちが話し合うことはないと思ってん。謝ってもらわんでもええけど、普通にしてくれたら、ええだけやねん。
まあ、どうせ言っても、しゃあないやろけどな」
わかりあえる人間とは、言葉がなくても通じ合えるけど、わからない奴には、百万言費やしても無駄だ。
それはそうなのですが、小学生にして、それを知ってしまったのは少し早すぎたかな、とも思います。
そして、卒業発表会のあと、スパゲッティ屋さんで食事していた時、娘に
「卒業式で、自分が育ててるサクラ草をそれぞれ持って歩くみたいやけど、お前のサクラ草は元気なんか」そう聞いた時、言いにくそうにこう答えましたね。
「うん・・・私のサクラ草、花ちぎれてしもてん」
「えっ!誰かボール遊びでもしてて当たったんか」
「ううん、そんなちぎれ方じゃなくて、全部おんなじように手でちぎられてるねん。それでな、Kちゃんが教えてくれてんけどな、Mちゃんが私の花ちぎってるとこ見たんやて」
「ひどいことするなあ。で、先生には言ったんか」
「ううん、言ってへん。あっ、これ、先生には言わんといてや、絶対内緒やで。
だって、Kちゃんが言ったって、もしわかったら、今度はKちゃんがMちゃんに意地悪されるから」
人を不幸にして喜びを感じる、そんな醜い心の人間の側でなく、そのような目にあっても、なおKちゃんのことを思いやることができる、そんなお前のことをお父さん、お母さんは心から誇りに思います。
卒業式は、まだ少し先だけど、お前に次の言葉を贈ります。
卒業、本当におめでとう!
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