1995年、私とアマデイマンドリンアンサンブルが日本バプテスト連盟ふじみキリスト教会チャペルコンサートで演奏した際に配布された楽器についての解説とその時の私のスピーチである。 マンドリンアンサンブルは、マンドリンを中心とした撥弦楽器合奏団で、通常、第1及び第2マンドリン、それより1オクターブ低いマンドラとギターの4部編成です。大きな合奏団の場合には、この他にチェロと同じ調律のマンドロンチェロ、コントラバスを加えて6部編成になります。基本的には管楽器は加わりませんが、グループによってはフルートやクラリネットなどを補助的に使用している場合もあります。 私たちのアンサンブルは、小さなものなので、普通の合奏団とは少々違い、通常、マンドリン3,4名とマンドラ、リュートモデルノで活動し、時に、ピアノやオルガンが参加しています。 次にマンドリン系楽器について簡単に説明しましょう。 1 マンドリン 現在一般に知られているマンドリンは、かつてナポリ型マンドリンと呼ばれた楽器の発達したものです。いちじくを縦に割った形の胴を持ち、表面には円形または楕円のサウンドホールがあいています。指板には、金属製のフレットが17から27ぐらいまでつけられていて、弦は複弦4対 (1コース2弦ずつ4コース) で、調律はヴァイオリンと同じです。演奏法は、スタカートと、マンドリン独特のトレモロとがあります。スタカートはピックを用いて打ち下ろし (ダウン) と掬い (アップ) があり、それを素早く繰返すとトレモロになります。 マンドリンには、かつて色々な形のものがありましたが、大きく分けてナポリ型とミラノ型というものがありました。ミラノ型は、胴がリュートのように浅めで、弦はナポリ型が胴の下端から出ているのに対して、リュート同様表面板上の弦留から出ています。調律は複弦6対で低いほうからソ、シ、ミ、ラ、レ、ソになっていました。マンドリン・ギターとも呼ばれ、ギターと同じ調律にすることも多かったようです。 2 マンドラ 「大きなマンドリン」くらいの意味です。これには、テノーレとコントラルトと呼ばれる2種がありますが、私たちが通常用いるのはマンドラ・テノーレと呼ばれるものです。 これは、マンドリンより1オクターブ低く調律される楽器で、弦楽器の中のヴィオラよりも行動範囲が広く、マンドリン系合奏には古くから用いられました。楽譜は、マンドリン奏者が演奏しやすいように、1オクターブ高く書かれます。 3 リュート・モデルノ 古楽器のリュートではなく、複弦5対のマンドリン属の低音楽器です。別名リュートカンタービレ、また時にマンド・リュートと呼ばれることもあります。調律は、先ほどのマンドラにさらに5度低い弦が加わったものです。というよりも、本来はマンドロンチェロ(弦楽器のチェロと同じ調律)に5度高い弦を加えて音域を広げたものです。 |
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私は代々カトリックの家庭に生まれました。少なくとも3代上の時代には信徒だったようです。まだ確証はないのですが、おそらく隠れキリシタンといわれた人々の子孫のようです。 小さいころは良く教会に行っていたようですが、まだ自家用車が無かった時代、電車で3つ離れた教会だったため家族でそう毎週というわけにはいかなくなり、小学校3〜4年ごろからあまり通わなくなりました。 しかし、まだ私が小さく、漢字の多い祈祷書を読むのが大変だったころ、よく家族で集まり、長い晩の祈りをしたことを覚えています。 そういった習慣が、私の心の底に神への信仰を植えつけてくれたのだと思っています。中学時代になり自転車でも何とか行ける所に新しい教会が建ちました。そこでの中学生のグル−プが非常に活発で、夢中になり、毎週当然のように教会に通うようになりました。高校、大学と進むにつれ仲間は少なくなりましたが、その分教会での役割が重くなり、大人たちと同じように教会役員の仕事を続け、大変忙しく、日曜日は長いこと教会にいる日が多くなりました。 しかしそのころでも、正直なところ信仰というものには確証が持てませんでした。聖書を学ぶのは好きでした。礼拝も真面目に参加しました。しかし、神の存在を何処かで疑っていた自分を覚えています。というより、永遠のいのちというのがどうもピンとこなかったのです。 真面目に教会に通う信徒には違いなかったので、周りからは、司祭になるよう随分進められました。しかし、生涯独身を通す自信は全く無く、神学校に試しに入る様なわけにも行かず、迷いながら20代前半を過ごしました。わたしの心のなかには、もし、神が私を司祭にしたいならどんな手を使っても司祭にするのではないか、という考えが少しありました。 だからというわけではないでしょうが、ある時、結婚を決意したものの、失敗に終わりました。そのとき、運命でしょうか、神の計らいか、非常に信仰熱心な人と知り合いになり、いろいろと語り合い、自分も深く祈るようになり、考えた末、ある修道会に入会し司祭になるべく準備を始めました。もともとカトリックの典礼について興味はありましたが、まだ神学校に入学するまで間があった年に、夏季講習会で神学講座に参加し、より興味が増しました。ある時典礼音楽の講習会をみつけ、指導司祭にこの講習を受けたいと申し出たところ、快く許可してくださり、神学生仲間と通いました。そこで学ぶうち、典礼音楽に対する興味が押さえきれないほどになり、司祭になるより修道士として音楽を勉強したいとさえ思いました。しかし、残念ながらその願いは聞き入れられず、また、もちろん他にも様々な理由がありますが、指導司祭と相談した上で修道会を去りました。 会を出たものの暫くは、働く以外に何をしたらいいか方針も持てず、音楽から遠のいてしまいました。そうこうするうち、次第に、自分は何のために会を出たのか、と思うようになり、思い切ってマンドリンを再開しました。会にいた間も時々はマンドリンを弾いてはいましたが、本格的に練習はできませんでしたし、会を出てから半年全く触っていなかったので、大変でした。しかし、西田さんの協力もあり、二期会の方にお手伝い頂き、はじめてのリサイタルを開き、何か自信を持つことができました。 大学生時代から数年間、先生についていましたが、それ以来マンドリンの先生には習っていません。しかし、有り難いことに、ピアニストをはじめ、オルガン、声楽、作曲、指揮等の多くの優秀な音楽家と交流を持ち、技術の向上をはかることができました。 私は、お蔭で2枚のCDをリリースするまでになりましたが、今でも、自分は決して演奏家としては優秀でないし、向いていないと思っています。私はマンドリン曲の研究をしたり人に教える方が好きなのです。でも、残念ながら日本のマンドリン演奏家で、私の研究を活かしてくれるような演奏家が全くいないので、仕方なく自分で演奏しているのです。そんな私が演奏活動を続ける上での心のささえがひとつ有ります。それは、あのタラントの例え話です。私にはたった1タラントかもしれないけれども、すこしは音楽の才能を神様は与えてくださった。これは間違いない。ならば、せめてこの1タラント増やしてお返ししなければ。と言うことです。商売をして何倍にもすることはできないと思います。でも神様は、土に埋めておくくらいなら銀行にあずければ利息分だけ増える、とおっしゃいます。私もこのように演奏活動を続ければ、きっと利息分ぐらいは稼げるし、神様はその事を喜んでくださるだろうと思います。これがわたしの確信であり、また、信仰の証でもあります。 私は二期会事務局をやめてから聖グレゴリオ音楽院という教会音楽の学校に入学しました。そこで、歌やオルガンについても学びました。また、典礼の勉強も有りましたので私はもともと知識が多かったので、演奏は劣等生でしたが、典礼に関しては抜きんでており、現在でも夏季講習会スタッフとして楽院に協力しています。 また、グレゴリオに入学する前から教会音楽の専門の合唱団にも参加して歌っています。 これらの活動はそれこそ信仰と直接に関係ある音楽ですが、私はマンドリンの演奏も信仰と係わっていると考えています。1つはさきほどの話のように、小さいころに音楽を勉強したわけでもない私が、演奏家を続けられること自体、神の働きの証明になる、ということです。そしてもう一つ、わたしの演奏を聴いて「美しい」と感じてくださる人々に、人が奏でる音楽がこんなに美しいものであるなら、その音楽をお造りになった神がどんなに美しい方であるかを思い浮かべて頂くことです。演奏活動のなかでこのような話をする事はめったに有りませんが、わたしに、演奏活動の秘訣(?)やキリスト信徒としての信仰と演奏の関わりを尋ねられたとき等を通して、言葉に表しています。また直接、言葉で話さなかったとしても、音楽の素晴らしさを通して、神はその姿を人々に示してくださると信じています。キリスト信徒は宣教の使命を持っています。私の場合は、こうした演奏活動を通じて、間接的にではありますが、その使命を少しは実践していると思います。これからも自分のできる範囲で神の国の建設のためにも働いて行きたいと思っています。
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