神秘主義の「ル・クレール(心)」に、1893年10月15日に記した趣意書を発表した。
礼拝堂は自分の部屋の戸棚の中。サティは自らをパルシエ(参事:「ある事柄に参与する者」
という意味のパルシエールの古い綴り)兼教会聖歌隊指揮者に任命した。
信者はサティ一人。しかし、16億名以上の教会信徒の階級、服装などを書き残している。
| 大高位聖職者 | |
|---|---|
| パルシエ | 赤衣、紫帽 |
| 大デフィニトゥール 大ペネダン 大クロワストリエ (注*1) 大ペネアン |
赤衣、白帽 |
| 大フィニトゥール 10名 | 赤衣、灰色帽 |
| 高位聖職者 | |
| ペネダン 25名 | 紫衣、赤帽 |
| クロワストリエ 50名 | 紫衣、白帽 |
| 修道院付き士官 | |
| 灰色ペネアン 4万名 | 白衣、紫帽 |
| 白ペネアン 2百名 | 灰色衣、白帽 |
| 騎士 | |
| プロフェス黒ペネアン 8百万名 (注*2) | 黒衣、白帽 |
| コンヴェール黒ペネアン 16億名 (注*3) | 黒衣、灰色帽 |
| 服装 | 帽子、袖、脚当てのある鎖帷子。 頭巾つき長衣。鼻当てつきの滑稽な兜 鎖手袋 |
| 武器 | 戦闘用の幅広の剣、長さ五メートルの槍 |
唱導していた教義の内容については、1894年1月のある日、サティが、エル・グレコの絵
(現在シトヘスのコー・フェラ美術館にある「聖ペドロの涙」と「祈りのマグダラの聖マリア」)
に見とれていたのを目撃したサンチアゴ・リュシニョルしか知らない。この画家によれば、
サティはこの二枚の絵が、教会の設立趣旨、すなわち「音楽と絵画を用いて社会と戦う」
という目的を、完璧に表現しているとみなしていたという。
ペラダンの薔薇十字教団とはまた違った音楽的、宗教的、美的価値を併せ持つ
神秘的な教団を考えていたのかもしれない。
遺産が入ったので、1895年から2ページの教区機関紙のような「CARTULAIRE」(記録帳)を発行。
遺産を使い果たすまで約2年間続け、批評界の大御所ゴーチェ・ヴィラール等に挑発の公開状の
ような文章を掲載した。この遺産については実はサティが相続人ではなく、気前のよい 友達の、
フェルナン、ルイ・ルモニエ兄弟の遺産だったという説があり、ビロードの服と帽子を7着も買っている。
1895年には「貧者のミサ」(Messe des Pauvres)を「主イエスに導かれる芸術のメトロポリタン教会のミサ」として作曲。
参考文献
「エリック・サティ文集」 オルネラ・ヴォルタ編著 訳者:岩崎力 (株)白水社
「書簡から見るサティ」 オルネラ・ヴォルタ編著 訳者:田村安佐子 有田英也 中央公論社
「エリック・サティの郊外」 オルネラ・ヴォルタ著 訳者:昼間賢 早美出版社