風変わりな美女
(La Belle Excentrique)


1920年、カリアティス(後のエリーズ・ジュアンドー)のために「真面目な幻想曲」と副題をつけた

つまり、指揮者がピアノを弾きながら、オーケストラを指揮していく。

「ミュージック・ホールのオーケストラと、指揮者兼ピアニストのための」音楽、「風変わりな美女」を作曲した。

この作品はミュージック・ホールの楽団のためと、ピアノの四手のための二つの版を作っているが、

今では後者のほうが良く知られている。

衣装・仮面のスケッチとデッサンはジャン・コクトオが描き、それをもとに、当時のパリの伝説的な人物で、

豪華な洋裁店をひらいていたファッション・デザイナー、そして当時の尖鋭的な現代美術の蒐集家としても知られていた

ポール・ポワレと、それにニコル・グルーとが制作した。

のちにカリアティスは「風変わりな美女の悦びと苦悩」と題した回想録を書いたが、そのなかで彼女は、

この衣装の制作のいきさつについて触れている。それによれば、どうやらはじめは画家ヴァン・ドンゲンが担当する

はずだったらしい。ところが、かれは商売人根性まるだしだったので、サティの気をすっかり害してしまい、

カリアティス嬢はそれをキャンセルして、サティといっしょに衣装をあれこれとみて歩くことになったという。

ポール・ポワレの店で、マリー・ローランサンがデザインした衣装をみたとき、サティは

「ノン、ノン、優雅さはもう沢山!ぼくの音楽には、牝鹿よりも、しま馬に近い陽気な空気をもった女性の

雰囲気が欲しいんだ」といった。振付けの段階では、詩人コクトオとサティとは意見がちがったようだ。

サティはこういった。「(風変わりな美女)はシミーのステップをすこしぐらいとりいれたってかまわない。

でも、そうはいっても、彼女は黒人じゃない。彼女はパリジェンヌなのだからね・・・。コクトオは、どうやらジャズに

いれあげているらしい。いや、いささか、いれあげすぎているね・・・」ここでいうシミーとは、1910年代に流行った

肩や腰をふるわせながら踊るアメリカ黒人のダンス曲。どうやら、サティはここではそうしたジャズ的な要素よりも、

フランスのミュージック・ホールのスタイルの踊りを考えていたらしい。

サティの音楽自身も、まさにモンマルトルの文学酒場時代を再登場させている。また、具体的には、

1895年に作曲したかれのシャンソンの一曲、「カリフォルニアの伝説」(詞・コンタミーヌ・ド・トゥール)の

テーマをもってきたりもしている。4曲からなる。

第1曲「大リトルネッロ」リトルネッロ(フランス語ではリトゥルネル)は文字どおりには、"小さな反復"の音楽

を意味するイタリア語。フランス語でリトゥルネルといえば、リュリーのバレエなどにみられる3拍子の

急速な舞曲を指すことがある。そのためか、サティはここでは”そんなに速くなく”と指定している。

第2曲「フランス・月世界マーチ」

第3曲「"眼のなかの神秘的な接吻"のワルツ」は、その優美さやメランコリーのおかげでサティの最も美しい

ワルツの一つといえる。

第4曲「"社交界のおえら方"用カンカン踊り」陽気で、活気のあるあのカンカン踊りの躍動するリズム、ギャロップの

モティーフと甘美なシャンソンふうメロディとが鎖の輪となって、どこまでも繰り返されていく。

初演当時の新聞評のひとつには、こう書かれている。

「踊りよりも、ポーズの連続よりも、あるいは道化的な身構えよりも、ここで問題になるのはその夢遊病的な

喚起である・・・。「フランス・月世界マーチ」の病的であの一風変わったメランコリー。それはわれわれの眼には、

なにかボードレール、あるいはエドガー・アラン・ポーの幻がうかびあがるようにおもわれる・・・」。

参考文献 「エリック・サティ覚え書」 秋山邦晴著 青土社

「サティとピアノで」 ジャン=ジョエル・バルビエ 訳者:相良憲昭 (株)リブロポート






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