ガンダムイフニ

(2) 試練-4

 次の日の朝、イアンはほとんど睡眠を取れないまま、起床ラッパの音をベッドの中で迎えた。例の簡単なストレッチのせいで、他の隊員より身づくろいにかかるのが遅い。グラーブは後から来たイアンに、よろめくふりをしてぶつかるのがお気に入りだった。
隊員に印象づけるためには、場所は寝室が最適だ。狭いので注目せざるをえず、他隊の隊員や教官が介入する可能性がない。また、後で単なる部下への暴力と取られないためには、先にグラーブに手を出させる必要がある。それを目撃させるためにも、寝室は良かった。少なくともサイクスはイアンの味方として証言してくれるだろう。
 一部屋7人で8床あり、1床は装備品がおいてある。そこへ近づくイアンに、いつものとおり、後ろからグラーブがぶつかってこようとしているのが、研ぎ澄まされているイアンにはわかった。
「おっとごめんよぅ、へ」ふざけた声をだして、グラーブがイアンの後頭部を軽くついた。
 すかさず、イアンは振り向きもせずに右手を後ろに向かって振りぬき、裏拳でグラーブの顔の側面を砕いた。ヒットした一瞬後の、ごん、という音は、吹っ飛んだ後、ベッドに頭をぶつけた音だ。

 ――「こいつに触るとさ、宇宙ばい菌が移っちゃうぞ」「くせえもんな、イアン」「ほらあ」後ろからこづかれた。
 10歳の少年には耐えがたい屈辱と思われた。状況を打破する方法は知っていた。一番のボスを完膚なきまでに叩けば、周りで騒いでいるやつらは黙ってしまうものだ。ナイフとかを使えればもっと簡単だが、それでは今度は大人が僕のことをいじめだすだろう。ゲームのルールは守らねばならない。ターゲットを決めた。中で一番大きい少年。さっき地面から一掴み砂を拾って左手に握ってある。ワンアクションで目潰しをかまし、右手で殴り倒し、いわゆるマウントポジションを取った。目を開くことさえできない相手をこれから撲殺するのにはちょっと引け目を感じないでもないが、こいつにはみんなの代表として、やられてもらう必要がある。わきあがる同情の想いは無視した。――

 振り向いて、よろめくグラーブの顔面にストレートを叩き込んだ。ぐしゃり、と鼻の折れる音を聞いた。一発大ぶりのフックが来たが、神経が冴え渡っているイアンには止まったようにしか見えなかった。かいくぐって腹を殴り、金的をひざで蹴り上げ、もう一回顔を殴って倒した。
 グラーブは、明らかにもう立ち上がれなかった。鼻の骨の折れる感触が手に残っている。イアンは気分が悪くなりそうだった。
 だが、やめるわけにはいかない。それはメッターの言うとおりだし、自分でも経験上分かっていた。まだ、ドノバンは2段ベッドの上にいて、状況を把握できずにいる。後方にいるはずだが、それがわかった。ここで中途半端にしてしまえば、反撃がくるだろう。それに、隊を恐怖で支配するには、これでは足りない。それでは、グラーブも殴られ損というものだ。
 ――おれに任せろよ、おまえの得意分野じゃないだろう?
 突然、自分の体が動かいた。倒れているグラーブの顔を、思い切り、踏みつけた。その後、腹を蹴った。バキ、という感触があった。グラーブは、胃液を吐いた。血も、混じっていた。おかしなうめき声をあげた。

 ――「まあ、いじめていたのは相手のほうですからね、向こうの親も特に事件にするつもりはないみたいですが、おたくの息子さん、昨年の神父の件といい、トラブルメーカーですな。気をつけてくださいよ」
「申し訳ございません。ご迷惑をおかけします」
 父親のフレイドは、自主警察がいった後、肩をすくめながらイアンにいった。「まあ、これが大人のやり方だよ。おまえも覚えておくんだな。こんどからは、ちゃんとやってくれよ」
 イアンは自主警察がいる間はずうっと声をあげて泣いたまねをしていたが、ぴたっと止めていた。
「この場がやり過ごせればいいというものじゃないし、一点突破できれば問題解決というわけでもない。もっと全体の状況をみられる人間になるんだ。個々の発明が、それほど人類の進歩に結びつくわけじゃない。発明家より、組み合わせて有用な使い方を見つけるコーディネーターのほうが世の役に立つ場合が多いんだよ。ふう。こんなことおまえにいってもわからんか」
 イアンはイアンなりにわかっているつもりだった。とにかくうなずいた。――

 だめだ、これ以上やったら、本当に死んでしまうよ。イアンは内心叫び声をあげた。
 ――いいや、こういう低脳野郎は、死んじまったほうが世の中のためってもんだぜ。
 イアンはぐるりと狭い部屋を見回し、他の隊員が凍りついた状態で自分を見つめているのを確認した後、もう一回思い切り腹を蹴っていた。蹴る瞬間、全員が恐怖で身を縮めるのを感じた。
 ――ほらみろ、みんなおまえをたいしたやつだと思っているぜ。おれのおかげだろ?
 いい加減にしろ。あいつ、僕の中の<ハイド>にやらせたら、残り全員も皆殺しにするかもしれない。とにかく、この場は僕が収めるしかない。
 ――まあ、いいだろう。また、おれが必要になるときが、くるだろうからな。
 昨日からずっと考えてきた演説をぶつタイミングが来たのがわかった。だが、こんなにも気分が悪いとは思わなかった。
「諸君、彼はガイアの子にふさわしくない態度を示し、上官に逆らって天使隊の名を汚した。やむなく僕が制裁を加えたのは見てのとおりだ。僕の意に従い、主の御心のままに働けば、このようなことにはならなかったのだ」
 恐怖で精神が凍りついている間に、悪いのはグラーブだったと刷り込む。われながら反吐が出そうな言い分である。
「諸君は献身的に僕に従ってくれるものと確信している」ここで、話の方向を変えなくてはならない。恐怖だけでは、人は動けない。希望を与えるのだ。メッターはそういった。一息ついた。
「僕は今日からこの隊を、天使隊のトップへ引き上げる。約束しよう。君たち優秀な隊員がいれば、それはたやすいことだろう。……ドノバン、アンドレ、すまないがグラーブ君を医務室へ運んでくれ。サイクスは教官へ遅刻の報告。急げ!」パン、と手を叩いて、催眠術にかかったようになっていたみなを目覚めさせた。
 ふっと鏡が目に入った。イアンの顔は返り血で染まっていた。さぞ恐ろしい形相だっただろう。もう一日終わったかのように疲れ果てていたし、グラーブの腹を蹴って肋骨をへし折った感触はまだ残っていた。泣きたかった。だが、今日一日を平然とやり遂げねば、指揮官の威厳は示せない。トイレに駆け込んで吐きたい気分だが、そんなことをすれば隊員は僕の本性を見抜き、軽蔑する。食事も平らげねばならない。
 イアンは愕然とした。これは今日だけの話ではない。今後、指揮官でいる間永久に続けねばならないポーズなのだ。威厳のおまけとして孤独を手に入れたのだ。メッターにだまされたのかもしれない。感謝すべきなのはわかっていたが、とてもそんな気にはなれなかった。
 ――ふん、つらかったら、おれにやらせなよ。
だめだ。<ハイド>よ、おまえこそが、世の中にいちゃいけないやつなんだよ。当分引っ込んでるんだ。

 教官はイアンに責めを負わせたかったようだが、サイクスや他のメンバーが先に手を出したのがグラーブだとはっきり証言したので、お咎めなしになった。グラーブは重態のまま、除隊になった。新兵一人が補充でやってきた。イアンは隊を掌握した。

「モビルスーツシミュレータはあまり好きじゃないんだ」イアンは、隊員に囲まれた場で言い放った。「あのシミュレータでは、風の流れ、人の息を感じられない。だが、フィールドのサバイバルゲームは、感じられる。みんなは感じたことはないか?」
 イアンは、ぐるりと隊員を見回した。サイクスは、ごくりと息を飲んだ。同じ一年生の隊員たちも、敏感に何かを感じている。逆に、三年生の二人は、何を言っているのか、という顔だ。
「モビルスーツシミュレータは所詮お遊びだ。シミュレータだからな。イアン隊は、サバイバルゲームのほうに集中する。いいな」三年生の二人を無視して続けた。
 天使隊では、サバイバルゲームという言い方はしない。<ジハード>の訓練なのだ。あくまで、フィールドバトルである。軍事マニアがやるゲームの類とは違うのだ。天使隊のメンバー間で使われる隠語である。だが、イアンは平気でその表現を使う。全員、にやりとした。
「さて、ゲームだからな。手っ取り早く勝つ方法を考えようじゃないか、諸君? 普段、思っていることはないか? すぐには、無理か。じゃあ、僕から言う。ゲームで使われるのは、レーザー光線銃と、レーザーセンサーが全身に施された服だ。服を、何かで汚して、センサーを無効にするのは、イレギュラーだ。これはルールで決まっている」イアンは、一呼吸おいて、みんなの顔を見た。ちゃんと聞いている。
「物陰に隠れて、レーザーを防ぐのは、多分、レギュラーだ。この差は?」
 誰も答えない。答えられないのだ。全員、三年生の二人を含めて、考えている。一番先に、サイクスが手を挙げた。
「実戦では、岩の陰で、弾を防げますが、体を汚しても、弾は防げません」
「いい答えだな、サイクス。だが、それは、サンターナや、イグドールが考えることだ。ゲームのルールはどうなっているか、知らないだろ? ゲームのルールはね、はっきりと書いてあるんだよ。センサーを常時覆うような方法はルール違反だと。だから、これは、反則負けになる」
 全員、そうなのか、と納得の行ったような行かないような、という感じである。イアンは、今現在、完全に隊員をトークで掴んでいる。話を、面白いまま、結論に持っていければ、隊を、恐怖以外の方法でも、掌握できる。
「では、ジョーンズ、聞こうか? レーザーが来たから、センサーをセンサーがついていない、手の甲で覆った。これは、ゲームのルールに反するか、否か?」
「ええっと、あー……。わかりません」
「サイクス?」
「ルールは知りません。さっきの隊長の言葉からは、常時覆っていなければ、ルールに反しない、ですか?」
「その通りだ。手の甲で覆えば、ルール上は問題ない」
「そんなばかな。では、何か、ボール紙とかを持って歩いて、遮蔽物に使うのは、セーフなのか」たまりかねて、ついにドノバンが発言した。
「どうだ? ジョーンズ?」ジョーンズも、サイクス同様一年生で、経験も、度胸も足らない。だが、彼の記憶力は抜群だった。
「フィールドに、上官が認めたもの以外、持ち込むのはイリーガルです」
「そうだ。では、上官は、誰で、どうやって認める?」
「イグドールです。事前に、対戦チームのボディチェックをします」
「では、チェックをかいくぐって、持ち込んでしまったものは、問題にならない?」
「それは……えーと、天使隊指導委員会の検討により、無効試合になる場合があります」
「無効試合とは?」
「試合がなかったことになります。リーグ戦ですので、再試合が必要です」
「天使隊指導委員会とは?」
「実質的には、サンターナ導師とイグドール導師の二人の打ち合わせです」
「つまり、ルールブックに書いていないことをやった場合、サンターナの意見によっては、再試合になる場合がある、ということだ。では、ルールブックに書いていないことで工夫をするリスクは、どう思う? サイクス」
「再試合だらけになって、体力を消耗する危険、それに、サンターナ導師ににらまれるリスク」
「ならば、わが隊全体の状況が悪化するリスクは、ないな」
「そう……そうです」
 笑いながら怒鳴ったのは、意外にもドノバンだった。
「面白いじゃないの。ルールの隙を突いて、勝とうってんだろ。おれも考えるぜ」
「そうだ。僕らは、今ビリを争っている状況だ。勝つには、よほどのことをしないといけない」にやり、とイアンも応じた。この笑いも、計算されたものである。

 イアン隊は急速に順位を上げていった。そして、3ヵ月後にはサバイバル訓練ではイアン隊はメッター隊を除いて勝てる隊はいないと評判されるまでになっていた。
 あるときは、こっそりとレーザーを反射するミラーペーパーをフィールドに持ち込んだ。安全な遮蔽物の陰に隠れ、イアンのチームだけが敵を自由に狙撃する。
 突撃の時縦列にしたこともある。レーザーがヒットしてしまった者は、速やかにフィールドから立ち去らねばならないが、一般的に、数秒間の範囲でいる分には不可抗力とみなされる。二人ほどがやられてぼんやりと立ち尽くしているのを遮蔽物として相手を狙撃するのである。
 フィールドに転がる小石だの瓦礫だのを敵に向かって投げつけるのも、有効だった。レーザーがヒットして食事が減らされるより、今ここで痛い思いをするほうが、嫌なものである。
 だんだん、イアン隊のボディチェックは厳しくなった。だが、そのことには、隊の成績は上位に上がり、メンバーの練度もついて、トリックプレイなしでも戦えるようになっていたのである。

前へ 次へ
トップ

ガンダムイフニ
 ルールの隙を突いて勝つ、というのは、どうなんでしょう。
 私が普段やっている水泳に関しては、ルールの隙なんかありません。速いほうが速いんです。
 高校野球なんかで、敬遠して後で問題になったことがありました。一方で、マラドーナの「神の手」なんかは笑い事を通り越して、それ自体が一つの伝説になりました。
 どう考えるかは、イアンに代弁させましたが、そのゲームを「ゲーム」として捉えるか、あるいはそれは何かの訓練と取るかによると思うんです。
 高校野球は高野連の老人たちにとって、「将来日本をしょってたつ立派な人の育成」のような場であるでしょうから、敬遠は許されない行為なのでしょう。社会に出て働くようになれば、敬遠できないシチュエーションだらけです。一方で、プロ野球に進むことを目指したり、大学へ進学することをもくろむ高校球児たちにとっては、勝利がすべてなので、敬遠は当然の行為です。
 どっちが正しい、というのは、一般的にはナンセンスです。高校野球に関して言えば、それを見世物としてNHKで全国放映する限り、登場人物たちには勝負にこだわってもらわないといけません。あきらかに高野連の老人が間違っています。
 では、イアンの考え方をどう捉えるか?
 私としては、サバイバルゲームの成績の結果として、食事を制限したりするイグドールのやり方こそが間違いだと思っています。ゲームの結果で、本人の効用が左右されるのであれば、それは訓練ではなく、本番になるのは当然のことです。