
(7) ハイスクール-5
翌日はいい日だった。予想通り。そもそも前日の夜にフレイドが家にいたこと自体が奇跡に近かった。イアンが家に帰ったとき、すでにフレイドは帰宅していた。イアンが簡単に作った夕食のを「うまい」といって平らげたあと、疲れきった様子で、ばったりと寝てしまった。
ある意味幸いだった。あの女が直接フレイドをターゲットにしていたなら、どうなっていたか、わからない。イアンだってあの時ハイド氏がでしゃばってこなければ、間違いなくあの女の魔手に落ちていたのだ。そして、フレイドがあの女にくわえ込まれるくらいならともかく、目的がフレイドの暗殺だったら。女が去った後すぐにフレイドに連絡をとるべきだったが、混乱したイアンにはできない行動だった。フレイドが家にすでに帰っていたのはこう考えると、まさしく僥倖である。
翌朝、思ったよりも早くフレイドは目覚めてきた。どうせ、家に帰らなかった間、ろくすっぽ寝ていないのだろう。昔からそうだった。天使隊に入るまではイアンがフレイドの面倒を見ていたような時期が数年あった。炊事や洗濯といった家事をイアンが学校の合間にこなし、フレイドは家に帰ってイアンの食事を貪り食い、ほんのちょっとだけ会話して、すぐ寝てしまう。
だが、あの時期は良かったんだな、と今にしてみると思えるイアンだった。学校ではメッターやラキーナといった友達がいて、終わると帰りがけに買い物をし、食事を作り、父が帰ってきてからちょっとだけ付き合い、寝る。母親は早くに死に、父親は尋常でない能力を備えてテロ組織のミッションを任され、息子は回りのいじめにあい自閉症気味になって自分の中に別人格まで作り出した。そんな異常な環境の中で、必死に作り出した普通の生活、家庭のまねごと。まねごとではあったが、充実感があった。
何で僕は、天使隊なんかにいったんだろう。父さんは、僕が天使隊に行った2年間、どうやって過ごしたんだろう。荒れた生活だったに違いない。僕の天使隊の生活と違いなく。
いや、とにかく、父は思ったより早く起きた。好都合だった。寝ている父を置き去りにして、セティアの家に行くのは気が引ける。フレイドの分の朝食も用意した。
フレイドは食事のつくりがいのない男である。なんでも、うまいうまいといって、きれいに平らげてしまう。入門者向けといってもいいだろう。イアンも最初の一年ぐらいは楽しかった。うまい、といってもらえるのは料理を作る側のモチベーションを高める。だが、一年やってみると、自分の腕が上達したのがわかるのに、フレイドの賛辞は一年前のそれとあまり変わりがなかった。フレイドは味音痴なのだ。しかも、その性格上、味がわからないからといって、まずい、などと間違っても言わないタイプだ。全部をとにかく、うまいと表現する。
そして今、起きぬけの父はイアンの作ったサラダとトーストをむさぼるように食っていた。いつもより多少熱が入っているように見えるのは、多分この数日食事さえもロクにとっていなかったからだろう。
ゆったりした朝だった。イアンにとっても数年ぶりに。とはいえ、あまり時間は、多分ない。なんだかんだでもう10時過ぎだ。正確に言うと、1015、と思いかけて、無理矢理打ち消す。何でこんなのんびりした日に、突然そんな軍隊式をやりだす?
セティアの家に12時に集合だ。11時半には家を出なくては。まださっき来た新しい服のタグも取ってないし、買うのを決めたときに試着はしたが合うという保証があるわけでもない。おそらくパーティは3時には(1500、午後については言い直すのも許されよう)終わるはずだが、父の予定はまだ聞いてない。今日午前中ゆっくりして、また午後には仕事かもしれないのだ。
「ごめん、父さん。今日は友達のところで、僕の歓迎パーティをやってくれるから……」
「ほおーう。例の女の子なのか」今日の予定を話し出そうとしたイアンをさえぎって、フレイドが口にした。冷やかしというよりは、興味深そうである。
「まあ、そうなんだけど」
「よくやった。美人なのかい」
「ああ、美人だよ。かわいい娘だ」
「何時出かけるんだ?」
「11時には支度にかからないと間に合わなくなると思う」
「そうか、多少時間はあるな。母さんもな、美人だった。憶えているか?」
かなり唐突といってもいい、話の展開だった。イアンは6歳の時、地球に降りる直前に母親を失っている。そのことは後付けの知識として知っている。母の顔の記憶はほとんどない。
「いや、ほとんど覚えていないんだ」心の中で付け足した、ごめん、と。
「まあ、いいさ。たっぷり楽しんでくるんだ。私も午後にはまたラボへ行く。今日の夜は多分また帰れない。すまない」
いろいろ聞けるチャンスでもあったが、イアンに時間がないし、そもそも語ってくれる内容ではない。親子といえども、フレイドは情報機密にはきっちりしたタイプだった。そう、例の女のことを教えておかなくてはならない。
「父さん、父さんが何をやっているのか、知らないけれど、昨日、ガイアの特殊工作員らしいのが、接触してきたんだ」
フレイドは答えなかったが、表情が改まって、イアンを見つめ、次を促した。
「父さんにあわせろって言ってたんだけど、その……いろいろあって断った形になった」
フレイドはイアンが細かい点を言いよどんだのに反応はしなかった。一つうなずいて、さらに先を促した。
「相手は、女だよ。二十歳くらいで、すごい美人でスタイルが良くて、黒髪のソバージュで、インディオ系のエキゾチックな美人だった」
「ふむ……その……何もなかったのか?」そういえば、フレイドとはこの手の話題はあまりなかった。フレイドのほうが思い切って聞いてきた。「いや、その……特には」イアンは答えた。
「で、私はどうすればいい?」フレイドがまたまじめな顔に戻って、聞いた。
「多分、何もしてこないとは思う。彼女の目的はわからないんだけど……」急に、昨日考えなかったことが後悔された。そんなにやり損ねたことがショックだったのか? とにかく、順にまとめるんだよ。
「彼女は長期的な作戦があって、父さんに取り入って、機密をつかむつもりだった。だが、父さんがラボから出てこない状況で、あせって僕に先に接触することにしたんだ。だが、失敗した。彼女はプロだから、父さんにはもう何もしてこないと思う。目的に対して、もっと直接的な行動をとる。それもごく近い将来に」
「それが何かは予想できるか」
「いや。材料不足だよ。それは、機密の内容を知る父さんが考えなきゃいけない内容だ」
「そうだな。わかった。黒髪のソバージュの美人だな? あとでかまわないが、モンタージュを作ってくれないか? ここは軍事コロニーだから、保安関係の人間もいるだろう」
「了解。待ってればいいってことだよね。じゃあ、僕もう出かける支度しないと」
息子の成長には驚くばかりだ。タフな少年になった。たまに会うとこんな思いを抱くのは父親として楽しい限りではあるが、やはり普段のふれあいが少なすぎる証拠でもあるだろう。イアンが出て行った後、そんな感想を抱きつつ、再びフレイドは彼の戦場へ戻る。



父と息子の会話です。すれ違っている部分もありますが、両者ともしっかりちゃんとした親子をやってやろうという気持ちを持っているところが、言いたかったところですね。
カミーユみたいな家庭の雰囲気では、やはり主人公は壊れてしまいます。この話は、壊れていた主人公が再生する話ですので、逆に、必死に家族をやろうとしている、というところです。