
(9) オペレーション-1
イアンは翌日、学校に行くのが待ち遠しくて、無駄に早起きしてしまった。地球ではじめてエレメンタリスクールに行く時だって、こんなことはなかったな、と微笑んだが、自分の気持ちを欺くことはない。ここは多少早くてもいい、学校に行こう。
「あら、おはよう、イアン。昨日はありがとう」学級委員のセティアは登校が早い。セティアの顔を見ただけでイアンの気持ちは暖かくなった。
「おはよう、セティア。昨日はありがとう。僕がお礼を言う立場だよ。何で君が僕にお礼を言うの」
「何でって。それはそうなんだけど、でも、あたしもお礼を言いたかったの」
「よーっ、早いじゃない、イアン」リンカーも比較的早めの時間帯に教室に入ってきた。
「おや、君も早いね、リンカー。昨日はちゃんと帰ったの?」
「ちゃんとって……どういう意味」
「あの後、フレデリカとさ、どっか行ったりとか。間違いがあっちゃいけないだろ、清く正しい青少年はさ」イアンもコツがわかってきた。リンカーはフレデリカのことを言っておけば先手が取れる。
「な、なーんてことを言うんだよ! お、おまえこそ」泡を食うリンカーの様子を見て、セティアがふふっと笑った。
「僕は家に帰ったさ。家は一人だし、なんにもあるわけないだろ」
「セティアのことでも考えながらさ、右手の運動でもしてたんじゃないの?」思わぬ猛反撃だ。このいい回しはコロニーでも地球でも共通だ。イアンでも意味はわかったが、問題はセティアに通じる内容なのかということで、気配からすると、わかっているがわからない振りをしているようだった。図星なだけに、ぎくりときたが、ここはとりあえず、地球出身にはわからない言い方だということで通すことにした。
「意味わかんないけど、なにそれ」
「て、てめー!!」リンカーはイアンの首をチョークに入ったが、イアンは笑いながら受けてやった。セティアは顔を赤らめながら二人から離れていった。
「なあ、で、どうだったわけ?」ちょっと首をしめる力を増して、リンカーは小声で聞いた。
「うぐぐ、コロニーの女の子は、オカズにされるのが誇りになるのかい?」笑いながらイアンは答える。
「やっぱわかってて、しかもやってんじゃんよ。このえせ地球人め」さらに力が加わる。
「お、おえ、でも、面と向かって、『昨日あなたをネタにさせていただきました』とはいえないよ、うえっ」
「言い方ってもんがあるだろ? 女の子なんだからさ、男から思われてるってわかるのは悪い気はしないぜ。さっきの場面のおれの模範解答はな、『そ、そんなことしてないよ』って感じでどうかな」リンカーはイアンを開放した。
「げほっ、あ、ありがとう、今度オナニーした後にそういってみるよ、おえーっ。フレデリカにはその手が通用したのかい?」
「本当は締め落とされたいらしいな? 純真な地球人のイアン少年」
そして、もう一回リンカーにチョークされてやった。涙が出るまで笑った。このときが永遠に続けばいいと思う。
昼休みのことだった。食堂に行こうとするイアンは通路で頭一つ大きな学生に呼び止められた。
「よう、おまえさん、イアンだな、ちょっと顔貸しなよ」
わかりきったことを確認するんだな、と思った。イアンは彼の顔を見覚えていた。ジョンスだった。教室の一番後ろにいたやつで、セティアにふられたブ男。今日は取り巻きが3人いた。取り巻き連中の顔は一度見たことがあるくらいだろうか。嫌な予感がした。自分がトラブルに巻き込まれようとしていること。そして、それを回避しようとするもう一人の自分。
「まあ、ちょっときなって」
「ああ、いいぜ」コントロールは、失われた。
――こいつら、おれがいる限り、おれの邪魔をするんだよ。おれの前から消しちまうしかないのさ。
4人に前後左右を取り囲まれたまま、校舎の裏に連れて行かれる。自分の精神、肉体とも、地球を離れてからここ数日なかった緊張感に酔っていた。これを楽しいと思うなんて、どうかしている。
――後ろのやつはデブでぼんくらだ。右のやつはここに無理矢理連れてこられただけで、この場から逃げ出したいと思っている。左のやつは、ちっこくて、単に強いフリがしたくて、ここについてきただけ。ということは、おれの前に背中をさらしているこいつだけが、問題なわけだ。こんなやつら3人に自分の信頼を置いたのか。あるいは、自分の威厳は背中を見せることによって示されるとでも思ったのか。とにかく、バカなやつに、この宇宙で生きる資格はないんだぜ。
イアンはワンアクションでがっちり廊下の床をグリップしながら一歩前にステップし、ジョンスの小脳の下のあたりに掌底をいれ、同時に背中に膝蹴りを食らわせてジョンスを約5メートルほど前にぶっ飛ばした。一瞬のことである。
取り巻きが状況を把握できないうちに、さらに前進して中途半端に延びたジョンスの後ろ髪をつかみ、ジョンスの顔をこちらに向かせ、ひざを四発、鼻にめり込ませた。ぱきり、という軟骨が折れた音がする。
ちらっと後ろを確認したイアンはジョンスを無理矢理立たせてから言った。
「よーし、勝負してやるぜ。かかってきなよ」
ジョンスは自分の運動中枢がすでに打撃でゆすぶられ、おまけに鼻が自分の血であふれかえっていることも忘れ、イアンに飛び掛った。右手は緩慢にイアンのかがんだ頭の上をよろよろと通り過ぎた。あごがイアンの掌底に捕らえられ、小脳が再びゆすられる。イアンは、ちょっとあざ笑った後、右足でジョンスの急所を捉え、続けざまにみぞおちに左こぶしを沈ませた。最後に右手をもう一回ジョンスの後頭部にまわし、髪をつかんで地面にキスをさせてやる。ジョンスが最初にイアンを呼びつけてから1分後には、ジョンスはなすすべもなく頬を地につけ、自分の吐瀉物に顔を突っ込んだ格好で後頭部をイアンに踏みつけられていた。前歯が転がっている。
「やれやれ、きたねーなあ。さて、おまえたちはどうする? ここでジョンスと一緒に死にたいか?」取り巻きの3人とも鈍すぎる。誰も反撃してこない。だが、3人のほかに、このことを見ていたものもいた。
「よせ、イアン、何やってんだ!」リンカーだった。
そして、その後ろには、口元を両手で抑え、吐き気を抑えている様子の、セティアがいた。イアンはふっと正気に戻った。
先生にたっぷりと事情を聞かれた後、今日のところは早退となり、明日以降の処分については追って連絡となった。あの後、イアンはハイド氏からコントロールを取り戻し、先生たちの事情聴取になるべく誠意を持ってこたえようとしたので、警察沙汰にはとりあえずならなかった。ええ、すまないことをしてしまったと思ってます。ちょっとかっとなってしまって。彼には今度あったらきちんと謝ろうと思います。ええ、ええ。
帰りの途中の廊下で、敏感になっていたイアンには生徒たちの噂話が聞こえるかのようだった。
(あいつ、ジョンスの歯と鼻をへし折って、血反吐を吐かせたらしいぞ)
(ジョンスもいいざまさ)
(地球人って、やっぱり野蛮人なのね)
(重力に魂を引かれて、堕落したってやつね)
(蛆虫だな)
(地球に住んでる奴等なんざ、皆殺しにしちまうべきなんだよ)
痛い。聞こえる声の一つ一つがイアンの心に突き刺さる。昨日あんなにえらそうなことを言っておいて、自分でコロニーの人に地球人の誤解を増大させるような行動を取ったのだ。リンカーはどう思ったか。セティアはどう思ったか。セティアの驚愕にゆがむ顔。あの目。けだものを哀れむかのようだった。考えたくない。



イアンも自分で言っていますが、痛い話になりましたね〜。
ただ、この部分書いていて、なんだか筆力ついたな、と自分で思いました。読んでて気持ちいい話だけじゃあ、つまんないですよ、きっと。メリハリつけないと。