
1 カンタベリートゥリーとは?
カンタベリートゥリーはカンタベリーロックとも呼ばれることもありますが、後者は音楽形態を指します。私はむしろ人脈として
とらえるカンタベリートゥリーという語を使いたいです。
それはイギリスはケント州の州都であるカンタベリーという街を中心に興った、一つのロックムーブメントです。
ブリティッシュロックが好きだ、という人は大勢いますが、カンタベリーロックのことはあまり知られていません。
カンタベリーといっても、実際にそこに定着した音楽活動があったわけでもありません。1960年代末にカンタベリーから音楽
活動を出発させたWilde−Flowers(ワイルドフラワーズ)が枝分かれし、その後カンタベリートゥリーの代表的グループ
SOFT MACHINE(ソフトマシ−ン)やCARAVAN(キャラバン)を誕生し、それが根っことなって(まさにTreeの様)に幾多の
グループを輩出しました。
有名どころでは、Hatfield And The North(ハットフィールド アンドザ ノース)Matching Mole(マッチングモール)、
Gong(ゴング)等。
個人のミュージシャンではRobert Wyatt(ロバート・ワイアット)、Kevin Ayers(ケビン・エアーズ)、Richard Sinclair
(リチャード・シンクレア)、Daevid Allen(デビッド・アレン)・・・数知れません。
演奏スタイルとしてのカンタベリーロックの特徴としては、
@サイケミュージックの影響下から出発している。
A演奏は変拍子、転調が多く複雑である。
Bジャズの影響も強くサックスの演奏があることが多い。
Cファズが効いたオルガンを使うことが多い。
等等あげられるでしょうが、やはりこういったカテゴリーで全体を覆うには無理があります。
私が思うに、カンタベリーロックとは、SOFT MACHINEやCARAVANの音楽やメンバーに引き寄せられていったミュージシャン
たちのリンク的音楽活動全般を指す、と言ったほうが良いのでしょう。
2 余はいかにしてカンタベの徒になりしか?
(1)プログレ少年の夜明け
時は今から30年前、持っているレコードといえばサイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、なぜかカンツォーネの新人
ジリオラ-チンクエッティ、和ものではかぐや姫などしか知らないごくヘーボンな田舎の中学生が高校へ進学したとしやしょう。
たまたま選択でとった音楽の授業。音大を出たばかりの若い女性教師でした。その教師を冷やかすことしかしなかったにきび
学生にある日彼女が言い放ちました。
「期末試験は、各自好きなレコードをかけてその解説をしなさい。そのレコードがどんなものであれ、聞いた人が買いたい、という
衝動がおこる解説ができるかどうかで評価します」
少年が焦ったことは言うまでもありません。・・いったい自分は何をかければいいんだろう・・暫くしてラジオで聞いた流行り始めた
エルトン-ジョンの『黄昏のレンガ道』(こんな邦題だったかな?)に決定しました。
ところが2週に分けた期末試験のトップバッターにそれをやられてしまったのです。それもきざで嫌なHという野郎に。
せっかくレコードも購入したというのに。しかしそれ以上にショックだったのは、いつも冗談ばかり言って一緒に女性教師を冷やかし
ていた級友のMがかけたジャズのレコードでした。
多分、今から思えばコルトレーンのものだったようですが、薀蓄をたれ首を傾いでリズムを刻む彼に女生徒はウットリでした。
こ、これはいかん・・。このままだと完全に持っていかれる・・
スケベな少年はマジで悩みました。
次週は自分に発表が回ってきます。エルトンジョンもやられた、かといってジャズでは二番煎じだし、第一突っ込まれたら化けの
皮がすぐにはがれてしまう。少年は放課後直ぐにレコード屋へ走って棚をあさり、その中でも一番ジャケットがカッチョイイ一枚の
レコードを選び出しました。もう時間はありませんでした。白い鳥のようなものが羽ばたいていました。
それが運命の出会いとなるELP(エマーソン、レイク&パーマー)のデビューアルバムだったのです。もしその時手に取ってい
たのがツェッペリンとかディープパープルあたりのハードロック系だったなら、今の私は存在しないでしょう。
自分の発表時少年の顔が得意満面だったのは当然でしょう。あのアルバムでも一番重厚な曲、それもパイプオルガンのテーマ
から入る「運命の3人の女神」をかけたのですから。
こうして少年とプログレとの出会いは偶然に始まったのです。後は坂を転げるようにして、クリムゾン、イエス、フロイド等々
お決まりのコースをたどるのでしたが、何時も頭の片隅にあったのは、あの級友Mとジャズの存在でした。「プログレはジャズメンの
演奏技術よりもスゲ〜んだぜ」といくら吼えても実際のジャズは知る由も無く、少年の心はジャズへのコンプレックスで一杯であり、
それを否定しようと更なるプログレの新たなる可能性を求めていました。
(後日談です。私をプログレへと間接的に導いたMですが、彼が持ってきたジャズのレコードはオヤジからの借り物で、M自身は
全く知識がなかったことが後から判明しました。ヤツはヤツなりにどうやったら女生徒にもてるか、でずいぶんレコード選びに悩んだ
そうです・・。ぬあ〜んのこっちゃ〜っ! 笑)
(2)カンタベとの出遭い
プログレのなかでも少年の基準は、なんと言ってもその演奏技術でした。ジャズなんかに負けてはいられません。したがって、一応
プログレの仲間とされていたムーディブルースやELO等は、あまりにヴォーカルが多いということでカットされていきました。
一方イエスもあまりにまじめすぎるようでだんだん鼻についてきていました。
やがて少年はイギリスのプログレだけでなく、イタリアのPFM、アレア、アルティエ-メスティエリドイツのタンジェリンドリーム等
にも手を伸ばし始めるのですが、高校3年生になった時プログレ大好き青年教師が赴任してきたのです。青年といってもかなり頭の
薄くなっていた、英語のK先生とよくプログレ談義をしたものです。
そのK先生がある日木訥に言いました。「ところでおまえ、ソフトマシーンって知ってるか?俺はあんまり興味ないんだけど、ジャズ
ロックグループで、演奏も相当すごいらしいぞ。そういえば今度FMでやるわ」とFMファンという雑誌を見せてくれました。
ジャズ-ロック?! なんじゃそりゃ・・・?
初めて聞いたその言葉の響きは、少年の心を捉えました。
というわけで、今は死語になってしまった“エアチェック”をしたわけです。
後から知ることですが、その曲は「7」だったわけで、少年はぶっ飛びましたね。これはプログレではない。かといってジャズとも
違う。しかし全部インストゥルメンタルだ。
ジャズに対抗するにはもうこれっきゃない!
こうして私はソフトマシーンなる謎のグループの虜になったわけであります。しかし実際田舎のレコード屋にそんなのが置いて
あるわけはなく、マシーンの一連のレコードを手にしたのは大学に行ってからでした。
本当はここから先も長いんですが、いつかまた別に披露することとします。途中一度ある金策(といっても深刻な話じゃありません。
オートバイが欲しかったんです。)で数百枚のカンタベ、プログレ関連のレコードを手放してしまい、今になって過去所有していたアル
バムのCDを買いなおしてるオバカさん状態です。
それでは、お待たせしました。“私のお気に入り”を紹介しておきます。
愛しのカンタベアルバム
| SOFT MACHINE (1966〜84) オリジナルメンバーはDaevid-Allen、Robert-Wyatt、Kevin-Ayers、Mike-Ratledgeの 4人。グループ名はアレンが影響を受けていた、バロウズのジャンキー小説から拝借。 当初は、サイケデリックムーブメントの影響で、ボーカル中心で変幻自在の小曲が中心だったが、 アレンが脱退したことにより、ラトリッジのオルガンが前に出だす。これがあのファズを効かせたカンタベサウンドの一つの特徴になっていく。 やがて、エアーズも抜けジャズサイドのメンバーが加入することにより、マシーンの音楽は急速にジャズ化していく。その後もメンバーチェンジを繰り返し、最後はオリジナルメンバーがまったくいなくなり、別なバンドとなってしまった、カンタベトゥリーの根っこになった代表的グループ。 |

SOFT MACHINE 『3』(1970)
「1」、「2」で聴かせた小曲ばかりのアルバムとは違い、レコードでは4曲で
構成された2枚組のもの。一番の要因は、ケビンが脱退しキース・ティペット
グループから、その後のレギュラーメンバーとなるElton-Deanやジャズサイド
のミュージシャンの協力があったことによります。
このアルバムによって、マシーンはサイケロックグループから完全にジャズ-
ロックグループへと変貌しました。
Wyattのマシーンにおける最後のボーカルナンバー「MOON IN JUNE」を
推すマシーンファンが多いですが、私はRatledgeが作曲した名曲中の名曲「SLIGHTLY ALL THE
TIME」 が好きでたまりません。この曲は後にCARAVANもとり上げています。ゆっくりとしたユニゾンから
ディーンが吹く、蠱惑的なメロディのサックスの立ち上がりがたまりません。何度聴いても感涙もの。
SOFT MACHINE 『4』
(1971)
これはもう完全にジャズアルバム。レコードでは、A面がフリージャズ寄り。
私がお気に入りなのは、B面全部をしめる組曲『VIRTUALLY PART1〜4』
「3」から引き続きブラスを加えた編成。
アルバム表紙の左奥で申し訳なさそうに前で手を組んでいるのが事故前の
ワイアット。このアルバムでは完全に一人のドラマーに徹していましたが、発売
直後グループを脱退。(本人の弁ではクビになった、とのこと)
これがカンタベの範疇にはいるかどうか疑問ですが、その中心グループである
マシーンのアルバムなんだから、そうなんでしょう。
SOFT MACHINE 『5』(1971、72)
いよいよマシーンにとっての問題作を採り上げます。
このアルバムはマシーンファンにとって、とても評判が悪いものらしいです。
その原因は、レコードのA面とB面で参加ミュージシャンが違うことと、「それでも
カンタベか!」と罵詈雑言が飛んできそうな完全にジャズスタイルにあると思わ
れます。
とうとうワイアットは前作「4」発表後にグループを抜け、その代わりにマシーンは
フィル・ハワードというディーンの知り合いドラマーを迎えA面を録音します。
このフィルのドラムがめちゃめちゃうまい。やはり出自がジャズのお人です。私は未だかつて、あんなに知的
で、繊細なドラムは聴いたことがありません。1曲目「ALL WAHITE」、2曲目「DROP」のドラミングを聴くと
その凄さがわかります。
フィルはおそらくジャズ張りのインタープレイの応酬をやりたがっていたのでしょう。ところが、古株のラトリッ
ジやホッパーがそれを許さず、フィルはレコーディング途中で脱退してしまいます。急遽白羽の矢が当たった
のが、ニュークリアスというジャズ-ロックグループでドラムを叩いていた、ジョン-マーシャルでした。B面の
彼のドラミングは、明らかにA面とは違います。ハッキリ言ってガサツです。
私は、このA面こそがマシーンの最高傑作と考えている人間です。このアルバムは何を隠そう、大学時代
数カ所のジャズ喫茶に道場破りとして持参したものでした。ジャズ界のお人はソフトマシーンなんてグループは
知る由もなく、私の持ち込んだレコードを「なに?カンタベリー?どれどれ、かたずけちゃおか」ってな軽いノリ
でかけてくれますが、たいていはすぐに「ほう、こんなグループがあったんか。なかなかやるじゃん。このドラム
なかなかうまいね。」と評価してくれたのでした。もちろんB面はかけさせませんでした。
そういった意味でも、とても愛着があるアルバムです。大学時代深夜、下宿で一人このアルバムを聴いてい
ると、今この瞬間、世界でこの音楽を聴いている人間が何人いるだろうか?などと存在論的な感慨にひたった
ものでした。
☆その後のMACHINE☆
私が一番好きな時代のマシーンは以上3枚を発表した中期のものです。
『5』をリリースした後ディーンもバンドを離れ、そのあとにちょっとコマッタちゃんのカール-ジェンキンズが
やってきます。(今はやりのヒーリングミュージックのエディオマスの仕掛け人です)彼のおかげで、バンドの
スタイルもまた姿を変え、「6」、「7」とナンバーだけをタイトルにしたつまらないアルバムを出し、8作目では
スーパーバカテクギタリスト、アラン-ホールズワースを正式メンバーに迎え、初めて『Bundles』という
ガンガンのロックアルバムを作り上げます。(実は私はこのアルバムも大好きなんですが・・)
アランも1作でバンドを離れ、また違ったギタリストやバイオリニストまで加えたマシーンは、“もうオレしらな
いっと”状態になり、80年代に最後のアルバム(CD持ってるけど、1回聴いて即お蔵入り。名前も忘れた)を
発表してその最期を遂げました。
| CARAVAN(1968〜82) カンタベリートゥリーをマシーンとともに枝分かれ繁茂させた代表的グループ。 オリジナルメンバーは、Wilde-Flowersにも在籍していた、Richard-Sinclair、Pye-Hastings、Dave-Sinclair、Richard-Coughlan。マシーンとは対称的にポップな曲もあるが、アルバムの中には10分以上の大曲や組曲がある。 ファズを効かせたオルガンや、転調、変拍子を多用するなど、むしろキャラバンのほうが正統的カンタベといえるかもしれない。 それでもマシーンほどではないが、メンバーチェンジごとにアルバムのカラーの違いもよく出ている。 |
『グレイとピンクの地』(1971)
私がもっとも気に入っているサードアルバム。
若い頃は、畢生の大曲「9フィートのアンダーグランド」(なんと20分以上)が
一番のお気に入りでした。リチャードの品のいいボーカルと、デイブのオルガン
のからみがたまりません。
でも最近発売されたボーナストラック付きのCDを繰り返し聴いていると、今の私
には「Winter Wine」のほうがウルウル来ます。そのうえ、なんとその名曲が
ボーナストラックでリチャードのハミングでも聴けるのです。むしろこっちの方がいい
かなぁ。
「I Don’t Know Its Name」なんてサックスも絡めたいかにもキャラバン
らしい素敵な曲も聴くことができます。こんないい曲、何で当時入れてくれなかったんでしょう。
『IF I COULD DO IT ALL OVER AGAIN I’D DO IT
ALL OVER YOU』(1970)
これはキャラバンの第2作目。写真はレコードです。(金策に困ったときでも
マシーンとキャラバンのだけは売っていないのです!)
短くポップな曲が中心ですが、ライブでの定番曲「FOR RICHARD」が収録され
ています。ゆったりとした叙情的メロディーから一変、ジミー-ヘイスティングが
吹く、バリバリのジャズ風サックス演奏が凄いです。あらためてジミーはジャズ畑の人だということを確認させ
られます。現在我が家にはレコードプレイヤーがないため、この10年以上は聴いていないかわいそうなアル
バムです。
『夜ごとに太る女のために』(1973)
これは第5作目のアルバムです。3作目の『グレイとピンクの地』発売の後、大
御所デイブ-シンクレアが脱退し、他のキーボードプレイヤーを迎えた形で、4作
目『WATERLOO LILY』をリリースしますが、その直後中心人物リチャード-
シンクレアがバンドを離れ、また新たなメンバーで録音したのが本作です。
この時期のキャラバンの特徴は、ビオラ奏者のジェフリー-リチャードスンを加
えたことです。本作でも彼のセンスあふれるビオラが聴けます。
このアルバムで一番好きな曲は何といっても、組曲「いのししの館」です。その中であのソフト-マシーン
の名曲「SLIGHTLY ALL THE TIME」をやっちゃってくれているのです。
2002年春に、この時期のキャラバンのライブ演奏CD『ライブ アット ザ フェアフィールド ホールズ
1974』が突然にリリースされ、我々オールドファンを驚かせました。ほとんどの曲がこのアルバムからの
ものです。
『BBC Live In Concert』(1991)
1975年時のライブ盤です。上記の5作目のあとオーケストラとの競演盤、そして
7作目に『Cunning Stunts』を発表しますが、本作は時期的に言うとそれが録音
中もしくは発売直前のもののようです。
『Cunning Stunts』には、これまた大曲「The Dob SONG Concerto」が収録
されていました。この曲はテープエフェクト何ぞを使い、ライブでの演奏は不可能じゃ
ないか、と思っていましたがいとも簡単にやってのけています。ここでも名曲「FOR
RICHARD」が狂おしいほど美しく演奏されています。
☆その後のCARAVAN☆
1975年に『Cunning Stunts』を出した翌年一段とポップなサウンドになったアルバム『聖ダンスタン
通りの盲犬』を出しました。私は、この段階で(そろそろキャラバンともお別れかな・・)と感じ始めていまし
たが、それでもB面ラストの「ALL THE WAY」の美しさには一塩の感慨がありました。
私がキャラバンの追っかけをしていたのはここまで。82年に解散するまで数枚のアルバムを出したそうで
すが、私は未聴です。
メンバーはそれぞれ手に職をつけたり、ソロ活動をしていたそうですが、リチャード-シンクレアは何枚かソロ
アルバムも出しているようで、2002年の春に来日しコンサートをしています。(私は行くことができませんで
したが・・)90年にBBCの番組用に再結成アルバムを出していますが単発で終わってしまいました。
| HATFIELD &THE NORTH(1972〜75) CARAVAN出身のベーシストRichard-Sinclairを中心とし、ギタリストのPhil-Miller、ドラムのPip-Pyle、キーボードのDave-Stewartの4人のバンドと女性3人のコーラス隊THE NORTHで構成された緻密な演奏をするジャズ-ロックバンド。 バンドとしては2枚のアルバムを残しただけだが、その後ギルガメッシュというバンドと分裂吸収合併する形で、ニューグループNational-Healthが誕生する。 この系列は今でも多くの影響を持ち続け、ギターのフィルミラーはマシーンのエルトンディーン等と共に現在進行形でインカフーツというバンドで演奏を続けている。 |
『The Rotter’s Club』(1976)
これぞ彼らの代表作。私のカンタベアルバムベスト3に入ります。
聴くのはもっぱらB面のみ。CDのクレジットナンバーはわかりませんが、「Under
Dub」から始まる一連の曲です。
フィル-ミラーの質素とも思える音色のギターが一度聴いたら忘れられない
美しいメロディを奏でてくれます。クライマックスではさらに女性コーラスが加わり、
最後は静かにカンタベリーの空へ音楽が消えていくようです。
このアルバムをジャズ-ロックの最高傑作という人も多いようですが、私には
ジャズのジャの字も感じられません。これはマシーン、キャラバンとはまた違った完成された新たなカンタベ
スタイルです。フィルミラーはバカテクの持ち主ではありませんが、何とも言えない浮遊感を持ったギターを弾く
人です。
『Hatfield & The North』(1974)
彼らのデビューアルバムですが、メンバーそれぞれが持ち寄った曲やアイデアをそのまま
つないで録音したもので、ハッキリ言ってあまりおもしろくありません。(実験的な意欲は感じ
られますが)でもアルバムデザインは秀逸。歴史あるイングランドの雰囲気がよく出ています。
『NATIONAL HEALTHE』(1977)
ハットフィールドとギルガメッシュの二つのバンドメンバーで構成されたグループです。
当時はかなり期待して購入したのですが、あれっ?という感じでした。それだけセカンド
アルバム「ロッターズクラブ」の印象が強かったのでしょう。
インストも今一、曲としてのできも今アルバムのメロディがうかばないくらいつまらないものでした。
『Double Up』(1993)

あのフィルミラーが現在在籍しているグループイン-カフーツのベーシストフレッド
ベーカーと二人でレコーディングしたアルバムです。
「アンダーダブ」も二人の軽快なアコースティックギターで演奏されています。ベイカー
もベース以外にギターも弾き、けっこうなテクを披露しています。このアルバムを流れる
ロマンティシズムはミラーのものです。あの名作『ロッターズクラブ』の美しいメロディは
この人の参加なしにはなかったことでしょう。顔と中身は別物だ、ということのよい例。
| Matching Mole(1971〜73) ソフトマシーン「4」リリース後マシーンをクビになったRobert-Wyattが、Phil-Miller、Bill-MacCormick、Dave-Mcraeら若手カンタベミュージシャンと結成した、スーパーバンド。 マシーンで欲求不満だった、ワイアットが自分の思い通りに音楽作りをしており、彼のボーカルも聴くことができる。グループ名の由来は、SOFT-MACHINEのフランス語MACHINE MOLLEをひねったものだと言うから、ワイアット自身はマシーンにかなりの思い入れがあったのだろう。 |
『そっくりモグラ』(1972)
元CARAVANのデイブ-シンクレアと共作したアルバム最初の曲「O Caroline」
を切々と歌い上げています。
他の曲はインスト中心ですが、ワイアットの変拍子ドラムがなかなか鋭いです。
彼のドラム技術は、マシーン時代にもイギリスにフリージャズメンが来英すると
ワイアットを指名することがたびたびあったといいますからかなりのものです。
他のメンバーの演奏も大変若々しいものがあります。ただこの音楽スタイルでは、
やはり一般受けしないのは仕方ないでしょう。
このデビューアルバムを発表した翌年、セカンドアルバム『Little Red Record』発表後、音楽性の
違いという理由で、突然解散してしまいました。
『BBC RADIO 1 LIVE IN CONCERT』(1994)
BBCのラジオ用に1972年にパリスシアターで録音されたものです。
残念ながら音質はイマイチで、収録時間も30分足らずですが、ワイアット独特の
ボイスパフォーマンスを聴かせてくれます。ミラーのギターも渋いですが、とても印象
深いものがあります。それにしてもワイアットの横顔の若いこと!!
2001年になって突然、彼らの1972年の音源『まっすぐモグラ』が発売され、ファン
を驚かせてくれました。(なんとジャケット写真はあの1ストアルバムのモグラを粘土のようなもので形作りそれ
を色んな角度から撮した3Dなのだから笑わせてくれます)
この他にも取り上げたいバンドがいくつかあるのですが、冗長になってしまいそうなので個人アーティスト
に移ることとします。
| ROBERT WYATT(1944〜) SOFT MACHINEのオリジナルメンバー。自由なフォームを望む彼は、急速にジャズ化していくマシーンを事実上解雇され、MATCHIING MOLEを結成するが、1973年パーティの席上、アルコールとドラッグでへべれけになり、5階の窓から転落。下半身麻痺の車椅子生活にはいる。これによってドラマーの道は完全にたたれた。 その後は、ほとんど音楽生活から離れていたが、80年代よりコンポイザー、シンガーとして再登場。 その声は、エルビス-コステロをして「世界でもっとも哀しい歌声」と言わしめている。 最近のワイアットの写真を見ると、若い頃の精悍さはすっかり影を潜め、すっかり太ってイングランド民話に出てくる森の何でも知っている、好好爺みたいになってしまった。 2002年春、それまでのソロアルバムをまとめた6枚セットが発売された。 |
『ROCK BOTTOM』(1974)
カンタベファンでなくても、超有名なセカンドアルバムです。
下半身不随の事故入院から半年、魂の叫びが聞こえてくるようなソロアルバム
です。全編が深い静寂と、闘病生活を支えてくれた画家である妻アルフリーダ
への感謝の念に貫かれています。
もう言葉はいりません。とにかく聴いてみて下さい。「Sea Song」も有名ですが、
私は妻に捧げた歌「Alifie」で何度涙したことか・・。
『Ruth Is Stranger Than Richard』(1975)
妻アルフリーダが描くジャケット絵のシュールなこと!思わず手にとって見入って
しまいます。ワイアットは一時期イギリス共産党員であったこともあり、このアルバム
では先鋭化していく彼の政治性が現れ始めています。チェ-ゲバラに捧げる「Song-
For Che」という曲も入っています。
アルバムとしてのテーマ性は前作より希薄になっていますが、一人のシンガーとし
ての実力は上待っています。第2期のマッチング-モウルメンバーに予定されていた、ゲイリーウインド、
ヘンリー-カウのフレッド-フリスらもバックで支えています。
その後のCDリリースとしては、『Nothing Can Stop Us』(1986)、『Old Rottenhat』(1986)、
『The Animals Film』、『Dondestan』(1991)等があり、最新作『Shleep』(1997)では、その素敵な
歌声を聴かせてくれています。

この本は、『ロングムーブメンツ -ロバートワイアットの足跡』(マイケル-キング著
1997 マーキームーン社)です。
ワイアットへのインタビューを中心に、当時の公演パンフやスケジュール、周辺ミュージ
シャンの写真やエピソード、詳細なディスコグラフィが載っており、ワイアットファンの必需品
です。ただし、一般的な本ではありません。
十代のワイアットがワイルドフラワーズを結成する以前にドラムを叩いている写真があっ
たりして、感涙ものです。
このところカンタベシーンの大物やグループの来日ラッシュですが、ワイアットも早く日本
へやってきてもらいたいものです。
| KEVIN AYERS(1944〜) SOFT MACHINEのオリジナルメンバーだが、根っからの自由人なため、拘束された生活を嫌いマシーンのアメリカツアー中(1968)にバンドを抜けスペインのイビザ島へ隠遁してしまう。そこで再びギターを持ち始め、1969年にソロアルバム『おもちゃの歓び』を発表。 以来、20枚以上のアルバムをリリースし続けている。日本へは、1988、92、2002の3回来日しているが、マシーン再結成の動きにも「あっそう、がんばってね」ってなスタンス。 音楽的には、ちっともカンタベスタイルを踏襲していないが、凄く貴重なミュージシャン。 |
『Shooting At The Moon』(1970)
ケヴィンのセカンドアルバムです。名曲中の名曲「MAY I」が入っている以外に、
ホールワールドというバンドで、あのマイク-オールドフィールドを育て上げた
アルバムとしても有名です。(当時の彼は確か16歳位じゃなかったでしょうか?
ジャケ裏写真には若々しいマイクが写っています)
最初の「MAY I」の「座っていいかい?」から始まり最後の曲「Shooting At
The Moon」の「君は何を見つけたの?」の問いに至るまでテーマの一貫性が貫
かれています。
『Falling UP』(1988)
ここに至るまで、重要な数々のアルバム『BANANAMOUR』や『whatevershe
bringswesing』等発表していますが、いきなりここまで飛ぶことをお許し下さい。
このアルバムでは、全編ゆったりとした時間の中でケヴィンが歌い上げています。
最後の曲「AM I REALLY MARCEL」のいいこと!ふだんカンタベなんか全く
興味ないジョン-レノンファンのうちのカミさんが「なんていい曲、いい声なの」と
感心していました。
『TURN THE LIGHTS DOWN』(2002)
ケヴィンとそのバンドウィザーズ-オブ-トゥイドリーによる1995年のライブ演奏が
収録されています。
相当へべれけになったケヴィンは、所々で歌の出だしをミスっていますが、それはもう
ご愛嬌。こんなコンサートだったら、観客のこっちも相当へべれけになってしまいそう
です。それにしても、何といい声なんでしょう。「Am I Really Marcel?」もやっちゃ
ってくれていますし・・。 次の来日には、絶対行くゾッと!
*2004.5.14 近江八幡「酒遊館」にて、ケヴィンの尊顔を拝してまいりました。
ここにも書きましたように、私にとってカンタベとはジャズへの対抗意識でありました。
よって、カンタベリーミュージシャンでもジャズへアプローチする人が気になっていました。次に手持ちが少な
いですが、そういったアルバムを紹介したいと思います。
ジャズへの回廊
『SONGS WITHOUT WORDS』 CHRIS SPEDDING(1970)
日本でのタイトルは『無言歌』という、当時のブリティッシュギターの新星、
クリス-スペディングがリーダーとなったアルバムです。クリスは後に、ロカビリ
ーに転向してしまいましたが、この頃はジャズスタイルのギターを弾いています。
バックはジョン-ミッチェル(P)、ロジャー-ポッター(b)、ドラムは何とジョン-マーシ
ャルです。
これらの名前がずっと意識にあったのか、最近ショップのジャズコーナーで「クリス-ポッター」という名前を
見つけ、あっ、あのクリスが又ジャズに戻った、と早合点して買ってきました。何のことはない、アメリカのつ
まらないサックス奏者でした。
と思っていたら意外なところで彼を発見!2002年に発売されたBRYAN-FERRYのソロアルバム『FRAN
TIC』のバックで数曲ギターを弾いているスペディング。でも、私の好きなスタイルではありませんでした。
『OH FOR THE EDGE』 NINESENSE(1976)
あのマシーンをコテコテのジャズバンドにしたエルトン-ディーン率いる複合体
バンドによる集団演奏が聴けます。キースティペット、マークチャリグ、ニックエバ
ンス、アランスキッドモアらジャズとロックの境界線人達の名前もみえます。
演奏自体はお世辞にもうまい、とはいいがたいものです。しかしそれなりの熱気
は十分伝わってきます。
『They All Be 0n This Old Road』 EDQ(1977)
ディーン、ティペット、に加えクリス-ローレンス(b)、ルイス-モーロ(ds)のカルテット
によるライブ録音です。原題は『いつか来た道』とでも訳すのでしょうか。コテコテの
ジャズを演奏しています。1曲目、どこかで聴いたメロディーだ、と思ったら何とコルト
レーンの「Naima」でした。
この時のディーンはかなり体調が悪かったのでしょう。サックスに張りがイマイチ
ありません。ティペットのピアノは相変わらず変幻自在です。このジャケットの絵が気に入っていて、以前居間
の壁にずっと掛けていたことがありました。
『!』 EUROPEAN JAZZ QUINTETT(1977)
Moers Festivalのライブ録音だそうですが、不覚にもそんなフェスティバルは
知りません。マシーンの「4」、「5」にも協力したアラン-スキッドモアの名前があっ
たので購入しましたが、後の4人は完全にヨーロッパのジャズ畑の人なのでしょう、
知らない人ばかりです。中身は完全なフリージャズ。最後まで聴いた試しがありませ
んでした。
『Eat Me Baby I’m A Jelly Been』 DAEVID ALLEN(1999)
世紀末にこのアルバムが出たときは驚きました。なんとマシーンのオリジナルメン
バーですぐに脱退し、ゴング、ニューヨクゴング、プラネットゴング等のゲル状バン
ドで自由気ままな音楽活動をしていた、あのデビッド-アレンのジャズアルバムなの
ですから。
といってもアレンはボーカルのみで、それもジャズトリオの演奏に後録りして作った
物です。収録曲というとマイルスの「SO WHAT」や「MY Funny Valentine」
などをしっとりと歌い上げています。又、録音自体も凄くいいんです。
『NONE TOO SOON』 ALLAN HOLDSWORTH(1996)
マシーンにも一時期在籍し、ガンガンのギターを弾いていたホールズワースが
ジャズアルバムをリリースしました。アメリカのジャズレーベルCTIから1976年『VEL
VET DARKNESS』を出していますが、どう聴いたってあれはジャズではありません
でした。
その後ビル-ブラッフォードらとそれっぽいサウンドを目指していたこともありました
が、スタンダードジャズに取り組んだのは初めてです。とはいってもそこは彼のこと。
凡百のギタリストと同じような物に仕上がるわけはありません。まあ、一度聴いてみて下さい。ゴードン-ベック
のエレピもなかなかのものです。
この他にもまだまだ取り上げたいバンド、ミュージシャンが山ほどいますが、今回はこの辺にして
おきましょう。カンタベリートゥリーに少しでも関心ができましたら、もっとディープで詳しいサイトを見
られることをおすすめします。
蛇足ですが、参考文献を2冊。
『ブリティッシュ・ジャズ・ロック』(松井 巧 エクシードプレス 1999)
私が取り上げたアルバムがほとんど網羅されています。
カンタベサイド以外にもジャズへのアプローチ等痒いところに手が届く、とはこのこと
です。著者のカンタベに対する愛情がひしひしと伝わってきます。
『非時と廃墟そして鏡 間章ライナーノーツ 1972〜79』
(深夜叢書社 1988)
私が学生時代、たいそう高踏的なジャズ専門誌がありました。
「ジャズ」というのですが、その読者は「スイングジャーナル」なんか馬鹿にし
ていたものです。
その中でも一際異彩を放っていたのが、Aida Aquiraxなる間章でした。
これで「あいだ・あきら」って読ませるんです。フランス風でかっこいいでしょ?
彼の新左翼思想をも絡めた文章は、私にはチンプンカンプンだったのですが、それをさもわかったかの様
に振る舞っていたものです。 彼は、1946年生まれ。ちょうどワイアットや、ケビンなんかと同級生で彼ら
の音楽を同時代的に聴いていました。
この本は、彼が1978年に32歳で病死するまでに書いた、数々のレコードのライナーノートの一部です。
ほとんどがフリージャズ系ですが、なんとワイアットの『ロックボトム』やゴング、スラップ・ハッピー、
マイク-オールドフィールドなんかのライナーノートも含まれているのです。
そういえば、レコードで『ロックボトム』を買ったとき、凄いことを書く人もあったもんじゃワイ、と感心したもの
です。「ソフトマシーンにおいてワイアットはケビンエアーズを極左としたグループの可変的ダイナミズ
ムと演奏の有機性を保持転化するパワーのもっとも中心であり、思想的にはエアーズとアレンに大き
な影響を受けながらもまだ十分意識的ではないにしてもきわめてユニークな実験家であり自由主義
者であったといえる」
なんて、あの当時彼の他に誰が書けたでしょう。(現在発売されているCDに「この解説が付いているかど
うかは知りません) 当時は間章がどんな人物か知らなかったんです。もし現在でも手にはいるようであれ
ば、是非一度読んでみて下さい。
カンタベ以前の音源については
『カンタベリーサウンズ VOL1〜4』
私は、『VOL3』までしか持っていませんが、これ以外にもデビッドアレン
のカルテットやその他の音源が出ています。これはほとんどヒューホッパー
の兄、ブライアン-ホッパーのプライベート録音だそうで、音質はひどく悪い
上に、中身も若気の至りみたいな物が多く、一般のファンにはとても楽しめ
ません。(私も一度聴いたきり、それっきりです)
コアなファン、評論家向きのようです。
このコーナー、機会があれば順次アップしていきたいと思っております。
ダラダラとした文章につきあっていただきありがとうございました。
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