
澁澤龍彦は当初、オカルティズム、錬金術、サディズムの先導者として私の前に現れました。
全身が黒ずくめで、サングラスをかけたその華奢な身体からは黒いオーラが満ちあふれていたも
のです。 今でも澁澤を取り上げたサイトの中には、その当時のままのイメージで、澁澤にオマー
ジュを捧げている方もおられるようですが、はっきり言いましょう。かんちがいです。
澁澤の本性は、そういった暗いものではなく、たいそうあっけらかんとしたものであろうからです。
彼がその様な暗く不気味なイメージをまき散らせていたのも、澁澤好みのスタイル、引用の一種と
見るべきでしょう。悪魔学や錬金術について書いていようと、澁澤はそんな物信じていなかったに
違いありません。単にその思考スタイルが気に入っていたんでしょう。後年澁澤がよく引用していた
中国や中世日本の怪異物語を換骨奪胎させ、彼好みの物語に変容させて行く過程はまさしく“引用
の織物”といった感があります。第一読み終わった後のあの爽快感こそは、彼の明るい天真爛漫の
性格を物語っているのではないでしょうか。
アンチポデス所蔵の澁澤本

『血と薔薇1〜3』 天声出版(1968〜9)
“エロティシズムと残酷の総合研究誌”と名づけられた澁澤
責任編集の雑誌です。
本当は第4号まで出版されたのですが、出版社も変わり澁澤自
身は身を引いてしまったため、平岡政明が編集長となっている同名
別雑誌です。
私は当時、小6から中学生の年代でしたので、もちろん同時代的
には知る由もありません。これは30歳近くになって古本で入手しま
した。入手した時点での保存状態があまりよくない上に、穴が開くほど眺めていた時期があって、現在の状況
は最悪です。一冊などは中とじがほどけ、今にもばらばらになってしまいそうで門外不出です。
何が凄いって、当時よくぞまあこんな執筆陣を集めたなぁ、と呆れてしまうくらいオールスターが書いている
んです。(とはいっても当時は無名に近かった人ばかりですが)
名前を列挙すると、三島由紀夫、塚本邦雄、稲垣足穂、種村季弘、加藤郁乎、生田耕作、高橋睦郎
巖谷國士、松山俊太郎、出口裕弘、堂本正樹、吉岡実、・・・あれあれ私の好きな人ばかりではありませ
んか!というよりこの雑誌を読んで好きになったんですけどね。
これ以外にも刺激されるカラーグラビアもいいんです。三島が自らモデルになって聖セバスチャンに扮した
り、土方巽がキリストになって昇天する写真もあります。(カメラは篠山紀信、細江英公)
この雑誌がその後の文学界、アート界に与えた影響ははかりしれません。澁澤がコーディネイトに徹し、彼
のまわりに集まる人達をシャッフルしたんですね。

『夢の宇宙誌 コスモグラフィカ ファンタスティカ』美術出版社(1964)
*本書は1979年 第10版
私が思いますに、澁澤龍彦が澁澤龍彦になった書物です。
前述しましたように、それまでの澁澤はあえて暗いイメージで売っていた様
に思います。
この書物によって、後年明るくさわやかな澁澤の一端が初めてかいま見
えます。目次から拾うと「玩具について」、「天使について」、「アンドロ
ギュヌスについて」、「世界の終わりについて」がこの本の内容です。
図版も豊富で彼のイメージ好きが伝わってきます。ただ内容は、バルトゥ
ルシャイテスやホッケなどの本から持ってきたものがうかがえるんですが
これも彼の特性、スタイルとしての引用なんです。
いっときますが、まる写しというんじゃないんです。カレイドスコープに原料
を入れくるくる回すときれいな模様が出現します。澁澤における引用とは、世界を彼の好みに映し出す方法
としての原料なんだろうと思います。
ちなみに私(スキヤポデス)の肖像写真もこの本から引用させていただきました。

『胡桃の中の世界』 青土社 (1974) *本書 78年第5版
澁澤中期のお気に入り本です。雑誌「ユリイカ」に連載されていました。
以前の「ユリイカ」は本当に胸をワクワクさせて読んでいたものですが、近頃の
同紙は全くおもしろくありません。それだけ、おもしろい書き手がだんだん姿を
消しているんです。(つまり鬼籍に入った人が増えたと言うことです。2002年
4月号より、種村季弘さんが連載を開始しました。喜ばしい)
澁澤の特性としての、イメージの連鎖がこれでもか、というほど出てきます。
最初は一応題のテーマに沿って話を始めるんですが、やがて徐々に話があち
こちに飛んでいきます。それも古今東西へ。
この本によって私は、ヨーロッパの色んな人を知り、いつしか片っ端から読ん
でやるぞっ、と思ったものでした。 いや、読んでみたいという好奇心を刺激さ
れたというのが正確でしょう。
私が好きなテーマは、「プラトン立体」、「宇宙卵について」、「ギリシャの独楽」、「胡桃の中の世界」
あたりでしょうか。実は最初「胡桃」という字が読めず、「ことう」と思っていた恥ずかしい時期もあった懐かし
き本です。

『唐草物語』 河出書房新社 (1981) *本書 初版
後年の澁澤は、遺作とも言うべき『高丘親王航海記』に連なる物語
(『うつろ船』とか『ねむり姫』など)を発表し始めますが、本書はその先駆け
ともなったものでしょう。 確か第2回か3回の泉鏡花賞を受賞しているはず
です。
布カバー製の瀟洒な装丁は中島かほるさんです。函も実に美しいです。
当時この本を読みながら、シブサワさんも新たな境地を開拓したな、とワクワク
しながら読んだ記憶があります。
物語小説かと思えば、知らない間にエッセイになっていたり、あるいは評論
のようにもなっていたり、彼の思考をそのままなぞっていたり・・。そんな澁澤ワ
ールドに思わず引き込まれてしまいました。
古今東西の典籍を網羅しながら、決してそれを誇らず淡々と記述するスタイルも又素敵でした。ところで、
この中の「遠隔操作」という表題を持つ文の中に、生田耕作氏がモデルとなった人物が出てきます。この頃
は昵懇の仲だったのでしょう。

『私のプリニウス』 青土社 (1986) *本書 初版
澁澤の死より1年前に出版されました。これらのエッセイも「ユリイカ」に連載
されていました。澁澤自身の入院により、途中何回か中断していた記憶があり
ます。
プリニウスは古代ローマ帝国の博物学者で、『博物誌』という百科事典の様
な書物を残し、最後はウェスウィウス火山の爆発を観察しに行ったまま帰らなか
った人物ですが、このプリニウスや「博物誌」が若い頃から澁澤は大好きでした。
エッセイでも何回も登場させていますし、上の『唐草物語』でも「火山に死す」
という章で彼を扱っています。
この本は全部で22章ありますが、必ず「『博物誌』第〇〇巻第〇〇章より
引用する。」という書き出しで始まり、あとは「博物誌」という荒唐無稽な書物の
中で、あちこち飛び回って彼自身がそのイメージを楽しんでいるんです。澁澤の引用というスタイルがここま
で徹底された書物はありません。
澁澤の本についてはいくら紹介してもきりがないくらいです。余裕ができたら、今後順次アップさせること
にしましょう。
BACK TOP