鷲巣繁男

  鷲巣繁男というと、その名前のイメージもあり詩界の天高くを目をギラギラさせて睥睨しながら飛翔
  する、英知溢るる猛禽類といったイメージがあります。
  幼き頃よりロシア正教、スラブ文化に親しみ辺境の地札幌で印刷工場へ勤めながら独学でマスタ
  ーした言語は、ギリシャ語、ラテン語、フランス語を始め10種類近くあった、といいます。古今東西
  の典籍から引用されたその詩的言語、その硬質な文体はまさに堅牢で生半可な読者の侵入を許し
  ません。多田智満子、高橋睦郎ら3人で作った同人『饗宴 シンポジィォン』の中心人物でした。
  高橋や澁澤達からは
“ダニール・ワシリースキー”伯父として慕われていました。       


                 アンチポデス所蔵の鷲巣本

         


     定本『鷲巣繁男詩集』普及版  国文社 1971 (本書は76年再版本)

 殆ど自費出版に近かったと思われる氏の初期詩集『悪胤』(1950)、『末裔の旗』(’51)、『蛮族の眼の下』(’54)
『メタモルフォーシス』(’57)、『神人序説』(’61)、『夜の果てへの旅』(’66)の6冊に加え、未刊詩集の『マルキオ
ン』、
『わが心の中のカテドラル』『旧句帖・石胎』抄を逆年順に収録してある定本で、その詩業に対し、1971年に
第10回歴程賞が贈られました。

 
彼の博学さには、地元札幌の北大教師連も一目置き、顔を合わすと議論をふっかけられまいとして、彼が立ち去るのを
物陰から待っていたと言います。なるほど確かに前半の詩集は普通の体裁で書かれていますが、後半になればなるほど
ギリシャ語かラテン語かさえ、私は判別つきませんが、そういった横文字、キリスト教の慣用語句等が横溢し、少なくとも夢
見る乙女が「詩集でも読んでみようかしら」と頬を赤めて棚から取り出す類のものでないことは確かです。

 でも私にはそれらの詩集群の荘厳、堅牢な言葉より、『石胎』に収められた一句「とほい情死 とほい失踪 来る翅蟲 」 からの方がよほど
イメージの喚起力があるように感じられます。

いずれにしてもこれらの詩集群を編み出した鷲巣繁男という詩人は、「意志の人」です。


      歌集『蝦夷のわかれ』  書肆林檎屋   (1974)

 本歌集の原型は、1971年のタイプ印刷、私家版、非売品の『蝦夷のわかれ 蝦夷のかたみ』ということらしいです。
この林檎屋版の歌集の装幀は和装で大変瀟洒なものです。

 1972年、詩人は敗戦後から移住した(自らを流刑せしめた、という意味合いもあったようです)北海道生活に別れを告げ
(元々は横浜出身)、埼玉県与野市に移り住みます。
その際高橋睦郎がお祝いに贈った電話機が、その後の「電話魔」鷲巣を誕生させたことは有名な話です。

 私が一首選ぶとすれば、関東大震災で倒壊した家屋から、我が身を挺して繁男少年を守り焼死した無き母を偲ぶ歌でしょ
うか。
  わが母の鬢のほつれ毛なまめきて振りかへらざり夢に呼べども

 栞には、村上一郎、加藤郁乎、大岡信、澁澤孝輔、高橋睦郎が文を寄せています。


         『戯  論』  薔薇十字社 (1973) *本書限定千部の内319番

 本書は副題に「メディアム加藤郁乎 あるいは詩をめぐっての逍遥遊」とある加藤郁乎論でもあり、加藤をだしに
した自らの文学論でもあります。

 本書の中心は、加藤郁乎氏の句集『球体感覚』『牧歌メロン』や詩集『荒れるや』等の解読にありますが、鷲巣氏は
古今東西の典籍から、それら郁乎氏の4次元語句を丸裸にしようとしています。

 塚本邦雄氏はこの本の書評で確か「加藤郁乎の方が数段上」みたいなことを書いていた記憶がありますが、私は時には
ワシーリースキー猊下
の説教調、時には江戸の講釈士調、時には文章博士源繁の講演風でそれぞれ語られるその変幻
自在さ、ユーモア感に「へ〜っ、鷲巣さんておもしろい人なんだなぁ」と感心して見る目が変わったことがあります。
たぶんこの詩人の著作の中で一番読みやすいのが本書ではないでしょうか。

 巻末につけられた「引用文献」「参考文献」を見ると、いかにこの市井の一詩人の魂が狭い日本を離れて、広い世界を逍遥していたかが分かり
ます。


      『イコンの在る世界』  国文社  (1979)

 著者の最晩年の大著ということでここに取り上げましたが、はっきり言って私にはこの大著(800ページ近い)の紹介は
不可能です。過去何回も通読にチャレンジしましたが、そのたびに撥ね返され、私を夢魔の世界に突き落としました。

 「イコン」というのはロシア正教でよく見られる、キリストよりもむしろ聖マリアやマリアとその幼子イエスを中心に描いた
祭壇画のことであるようです。

 12世紀のイコン図像から、ギリシャ正教の聖歌譜等図版は豊富ですが、ギリシャ語やスラブ語、ヘブライ語の一説なんか
原文で多用されているので、まず普通の人は絶対に買わないでしょう。国文社もよくこんな売れそうもない本を出版したと感心
しちゃいます。

 この本も巻末の「引用・参考文献」が凄い。ちなみに装幀は野中ユリさんです。

 


      同人誌 『饗  宴』  書肆林檎屋  1976〜?

 鷲巣繁男、多田智満子、高橋睦郎の3人の同人作品を中心に、毎回2名のゲストに寄稿してもらう、といった
スタイルで確か12,3号位まで続いたのではないでしょうか?私は第8号までしか持っていません。

 同人誌といっても、実際は編集は高橋睦郎が殆ど一人でやり、資金面は林檎屋社主の吉野史門氏が自腹を
切っていたようですが、フランス風の大変瀟洒でお洒落な造本です。

ちなみに第1号からのゲストをあげると、吉岡実、井上輝夫、第2号相澤啓三、澁澤孝輔、第3号山中智恵子、リービ
日出雄、第4号池澤夏樹、竹本忠雄、第5号入澤康夫、笈川博一、第6号「呉茂一先生追悼号」ということで多数、
第7号片瀬博子、藤井貞和、第8号飯島耕一、有田忠郎といった豪華なメンバーです。

 3人の同人もこの『饗宴』でその後の名作品、名詩集の基礎を作り上げました。この様な素敵な雑誌が今見られないことは、誠に残念です。


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