人を狂わせる「運命の女性」として象徴化されてきたサロメ
モロー、クリムト、ビアズリー、クラナッハ、カラヴァッジョ、ルーベンス、デューラーらが画題とした、魅惑する女=サロメは、芸術へ何を与えたか。
本書は、ワイルドの戯曲をはじめ芳醇に想像されたサロメを、その図像の変遷の中にたどり、文化史、芸術史的意味を読み解く。
■サロメとは
サロメについての最初の記録は、「異父王ヘロデ・アンティパス、母王妃ヘロディアス、そして王女サロメのヘロデ王家が、「キリストに洗礼を与えた預言者ヨハネ」を幽閉し、斬首した事件としての「福音書」の記述である。残忍な事件の加担者として、最後の場面に、王妃ヘロディアスの娘として現れている。
そして、この記述からサロメは、幾世紀にもわたり、彫刻家や画家、文学者、音楽家たちの空想を刺激し、さまざまな形に結晶していくことになる。現代までのイメージの変遷
のなかに、「運命の女性」サロメの魔力を実証する。
■図像の変遷
「図像」としてのサロメは、六世紀頃の寺院壁画やレリーフに「聖ヨハネの生涯」の一場面として描かれはじめ、伝説の王女の姿を初めて留めた。
ルネサンス期になると、サロメは地上の華やかな女性に変貌していく。そして「ヨハネの首を持つ」衝撃的な姿が画題としてとりあげられると、美しくも残忍な女性の図像に変貌していった。
時代を経るにつれ、宗教から解き放たれたサロメは、画家の純粋に芸術的画題として選ばれるようになった。宗教画から風俗画に変貌していくことになるのである。
クラナッハ、カラヴァッジョ、ルーベンス、デューラーらの名作に彩られつつ、十九世紀まで降ると、サロメには、もはや聖書にあったイスラエルの王女としての面影は薄い。自分の意思をもたなかった王女サロメは、ここでは個人の女性としての主張をもつ、時代の女として、文学に絵画に、生身の女性の要素を現しながら登場してくることになる。
■文学性
世紀末芸術に目を向けると、豪奢でデカダントな雰囲気、エキゾティックなオリエント趣味が、時代の退廃的な耽美主義に適合し、ギュスターヴ・モロー、オーブリー・ビアズリーの傑作とオスカー・ワイルドの戯曲が生まれてくる。
官能と歓楽に陶酔し、気怠い幻想と異国の雰囲気を身につけた、理想の「運命の女 」に変わるのである。
オスカー・ワイルドは、このサロメに愛と死を語らせ、ハイネ、フローベール、マラルメ、ユイスマンス、ラフォルグなどの詩人や作家の個性を瀘過し、さまざまなサロメ像が創られていく。
あるときは犯しがたい美の象徴として、
またあるときは東洋の変幻極まりない光輝に包まれて、
また冷たい情熱を秘めた罪と死の香りにむせる女性、
そして烈しい恋情に悩む未熟で病的な世紀末の王女など、じつに多種多様な「運命の女」のイメージに変化するのである。
■舞台のサロメ
ワイルドの『サロメ』が上演され、リヒャルト・シュトラウスのオペラが舞台に上ると、人々は生身の身体を直截に、サロメを印象づけられることになった。
こうしてサロメは舞台芸術に派生していき、人々の興味をひく強調がなされ、「七つのヴェールの踊り」のストリップティーズのサロメや「生首への口づけ」というサディスティックでグロテスクなサロメ像も出来上がり、現代につながってくるのである。
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