『Inherit』

 あぁ、そうだ。
 僕は探していたんだ。
 君のような人を。
 幻想的で猟奇的で尚且つ模倣的な人。
 同僚とも兄弟とも恋人とも呼べる親愛なる人よ。
 さぁ、君を殺して見せよう。
 そうだ、僕は君を殺すために生まれてきた。
 そうすることで、君の夢は叶い、
 僕の願いは完成を遂げる。
 あぁ、愛くるしい人よ。
 君が望むならどんなことでも成し遂げて見せよう。
 あの空の彼方を浮かぶ惑星を破壊することも、
 美しい山々を平野に変えることも、
 大海原に広がる海水を水蒸気にすることでも。
 大いなる神すらも僕の前に跪かせよう。
 君は何一つ不自由などない。
 だから君が望む死をここで表現してあげよう。
 全ては君のために。
 あぁ、愛しい人よ。
 君はなんと美しい。
 君の髪の毛も、
 君の声も、
 君の顔の形も、
 君のスタイルも。
 全てが美しすぎる。
 情緒的に冴えた理性のように。
 これこそが完成形。
 完璧なる美学だ。
 だからこそ僕はその形を彼女に捧げよう。
 そのために僕は存在する。
 君のような人を見つけることが僕の存在意義。
 そして君の夢を見続けることが僕の存在理由。
 だから君の罪を掲げよう。
 何も怖くはない。
 君はそれを望み僕はそれを受け止めた。
 だから何一つ壊れる要因などあるわけないのだ。
 只、僕が君になり、
 君が僕になる。
 君の意志が僕の意志となり、
 君の体が僕の体となる。
 そう、君は僕となり僕は君となる。
 僕はその意志の礎となるのだ。
 さぁ、今こそその時だ。
 君のナイフを渡したまえ。
 新たな誓いを立てよう。
 穢れなき神聖な儀式を行おう。
 君はもう何もしなくて良い。
 僕が全てを継がせて見せる。
 君の記憶も、
 君の罪も、
 君の愛も、
 君の夢も、
 君の精神も、
 君の魂も。
 僕という生贄とともに開放しよう。
 さぁ、血を浴びよう。
 君の鮮やかで猟奇的な美しい真紅色の血を。
 心臓から湧き出る神の聖水を。
 共に歩もう。
 築きあげられた血塗られた礎の向こうを。
 あまりにも儚く、虚しい光の中を。
 先人達が残した傷だらけの道標を。
 さぁ、受け継ぎは終わる。
 さぁ、引き継ぎが終わる。
 共に向かおう。
 次の親愛なる兄弟を探しに。
 果てしない螺旋をつなげるために。
 さぁ、行こう。
 猟奇的な我が兄弟達よ。
 奇異的な我が姉妹達よ。
 この悲劇的な物語を紡ぐために。
 さぁ、誘おう。

 *

 とある路地裏。人目につかなく、暗く、そして息苦しい空間。埃はそう多くないが、掃除をしていないせいか、硫黄だかアンモニアのような異臭が鼻を包み込む。歩けば歩くほど、それが強くなる感覚がする。暫く雨も降っていないのも要因かもしれない。
 壁の目をやると、今にも崩れ落ちそうな風化したコンクリートが聳え立っている。もちろん、実際に触っても崩れることはないのだが、暗闇のせいか、そのように見えているのである。
 こんな場所には赤い目をした鼠や毛むくじゃらの猫が付き物だ。他には幾つもの目や手足を持った怪物や、真っ黒な影だけで蠢くの生物などもお似合いである。生憎、今日はどれも見当たらない。なぜなら、今日はそんな場所に普通の人間が集まりつつあり、わけのわからない生物が出てくる余地もないからだ。
 堅苦しい制服に包まれた体を、まるで世界の支配者のであるかのように振舞いながら、堂々と薄暗い空間を突き進んでいる。彼らにとって、これは自分自身の地位、すなわち警察官という職を掴み取りたいがために行う、只の予備動作であった。
 瑪瑙 靖明(メノウ ヤスアキ)はその通路を部下を引き連れながら歩いている。先程から薄っすらと舞っている埃と匂いで鼻孔がくすぐられ、何度もクシャミを飛ばしていた。マスクを用意するべきであったと少なからず後悔していた。
「警部! ただいま到着しました!」
 瑪瑙の高い声が、狭い空間に反響する。響いた声は小さい山彦のとなって耳にかえってくる。
「あぁ、来たか」
 しかめっ面の鬼束 巡(キソク ジュン)警部がぶっきらぼうに答える。瑪瑙とは正反対にドスの効いた低い声である。
「ほら、挨拶」
 瑪瑙が後ろにいた部下に促す。
「あっ、はい」
 若い部下は瑪瑙の前に立ち、敬礼をする。
「どうも、今日からこちらに配属になった細山田です。以後、よろしくお願いします、オニヅカ警部」
 若々しい声で細山田 泰(ホソヤマダ ユタカ)が言う。
「……おい、キソク警部だぞ」
 後ろから小さな声で瑪瑙が囁く。
「あっ、すみません! 鬼束警部!」
「……まぁ、よくあることだ」
 と言いながら鬼束は渋い顔をする。
「しっかしここ、息苦しいですねぇ。匂いが酷い酷い……」
 言い終わると同時に瑪瑙のくしゃみが飛ぶ。
「ホントに現場ここなんすか?」
 と細山田。
「あぁ、そうだ」
「……例の事件絡みなのは間違いないですか?」
 瑪瑙は言葉を溜めて静かに言った。
「あぁ、確かだ」
 細山田が首をかしげる。
「例の事件と言うと?」
「……瑪瑙、まだ細山田に言ってないのか?」
 警部の目が細まる。
「すみません警部。なにしろ時間がなくて」
 瑪瑙が頭を下げる。
「まぁ、いい。現場はもう少し奥だ。歩きながら説明しとけ。行くぞ」
 そう言いながら、鬼束は背を向け歩き出す。
「はい」
「アイサー」
 その後ろを二人が付いていく。
 歩きながら瑪瑙は手帳を取り出し、パラパラと捲る。
「……でわ」
 瑪瑙は一つ咳払いをする。
「約二週間前の十月二日のことだ。ここから三キロほど離れた河原で男の惨殺死体が発見された」
「あぁ、心臓を一突きされて死亡した事件ですね」
 細山田が指を立てながら言う。
「確かそれ、連続殺人ってことになってましたよね?」
「覚えているとはいいことだ」
 瑪瑙は細山田を指差す。再び手帳に目を戻し、話を続ける。
「被害者の名前は巣山 嘉秀(スヤマ ヨシヒデ)三十一歳、会社員。発見されたのは二日の早朝で、犬の散歩をしていた老人の通報による。ナイフが心臓に刺さったままだったが、指紋は検出されなかった。殺されたのは昨夜と見られ、人目につかず目撃者はいなかった。当時は通り魔の犯行と見られていたが、財布が被害者の右胸ポケットに入っていたこと、争った形跡がないこと、そしてナイフが被害者の名刺を貫いて心臓に刺さっていたことなどから、少なくとも被害者と加害者の間には何かしらの関係があったと予想された」
「ちょっと質問イイッスか?」
 細山田が小学生のように手を上げて言う。
「名刺がナイフに刺さっていたって言うのは初耳なんスが、どういうことなんスか」
「そのまんまさ。ナイフの柄と心臓の間に名刺が挟まっていた。丁度……」
 瑪瑙はボールペンを取り出し、持っていた手帳とクロスさせる。
「こんな風にさ」
「へぇ〜、変わったことしますねぇ」
「しかも、名刺を間に入れるために、わざわざ一旦ナイフを抜いてから、もう一度刺しなおした形跡があったそうだ。なぜこんなことをしたかは、流石に不明だ」
「まぁ、そりゃそうですよ」
「続いて二日後の十月四日」
 瑪瑙は手帳を捲る。
「OLの川浦 春南(カワウラ ハルナ)が同じく心臓を一突きされて殺されている。こちらにもまた争った形跡もない。やはり顔見知りの犯行であることは間違いないだろう。こちらのナイフには名刺ではなく、運転免許書にナイフが刺さっていた。手口は多少違う物の、同一犯として捜査は始まった。後の捜査で第一の被害者の巣山と同じ会社に勤めており、互いに顔見知りであることが判明した」
「じゃあ、その二人と顔見知りの奴を洗えば終わりじゃないんですか?」
「あぁ、最初のうちは俺もそう思ったさ」
 瑪瑙は溜息をつく。
「だが、更に三日後の十月七日。似たような手口で第三の事件が発生した」
 更に手帳を捲る。
「地元の大学に通う大学生、堤 勝矢(ツツミ カツヤ)が自己証明書の上から心臓を刺されて殺された。やはり争った形跡がなく、同一犯として捜査を進めたのだが……」
「……だが?」
 細山田が先を促す。
「……捜査の結果、堤は第一の巣山とも、第二の川浦とも面識がなく、二人をつなぐ糸は全く見付からなかった」
「えっ」
 細山田は絶句する。
「そしてだ」
 手帳をパラパラと捲る。
「十月十日、十三日、そして昨夜、十五日と合計六件、ほぼ同じ手口で殺されている。どれもナイフによる刺殺で、間に身分を証明するものが挟まっていること、争った形跡がないこと、第一、第二の関係以外の被害者同士の接点が全くないことが共通している。あたかも無差別殺人であるかのような展開さ」
「……それはつまり」
「八方塞がりって事さ」
 瑪瑙はもう一度溜息をつく。
「それでだ、俺らが今向かってるのは、第六の被害者である成富 高菜(ナルトミ タカナ)の殺人現場ってことだ。鬼束警部、何か付け足すことありますか?」
「ナイフの種類についてと例の目撃者のこと。まぁ、後者は報告が来てからでいいが」
 鬼束は後ろを振り返ることもなく言う。
「あぁ、そうでしたね」
 瑪瑙は頭をかじる。
「ナイフがかなり特殊な奴なんだ」
「特殊というと?」
「レアモンって奴だ。なかなか綺麗だぞ」
 瑪瑙は顔を少しほころばせる。
「ゾディアック、いわゆる横道十二宮をかたどった奴でね。十二種類あるうちの一本が毎回使われている」
「そんなにわかってるなら、特定できそうなもんじゃないんですか?」
「どうも非売品みたいでね、かなり限定はされるのは確かだ。ただ非売品だけあって、裏ルートでしか手に入れられないようなものだ。だからなかなか尻尾を掴めない」
「そうですか」
 細山田が腕を組む。
「あ、それと目撃者いたって言いましたね? 犯人の顔とかわかったんですか?」
「まぁ、いたにはいたんだけど、これがまた特殊でね」
 瑪瑙は顔をしかめる。
「今別に調べてる奴がいるから、そいつから報告があったら話すよ」
「イエッサー」
 細山田がおどけるかのように敬礼をした。

 *

 現場は今まで通ってきた通路に比べれば、比較的明るい場所であった。多少は風の通りがあるらしく、埃も匂いも少ない。今まで通ってきた道の空気の通りが悪すぎたのである。
 そこは通路の十字路に当たる部分で、その丁度クロスした中央に人型をした白線と、それの胸に当たる部分にどす黒い血が生々しく残っている。
 もう既に数人の鑑識がせかせかと動き、写真を撮るなり指紋を調べるなりと止まることがない。
 その中の一人がこちらに気がつき、作業を中断して近づいてくる。
「やぁ、鬼束警部、それと瑪瑙か」
「棚沢、何かわかったか?」
「いえ、進展はないですねぇ」
 白髪頭の鑑識、棚沢 知徳(タナザワ トモノリ)は首をゆっくりと振る。
「毎度ながらナイフには指紋はない、加害者の物と思えるような髪の毛などの証拠品もなし。辛うじて埃を踏んだときの足跡は残ってますが、薄すぎてあれで靴の特定は難しいでしょうねぇ。あと、あのナイフも提出はしましたけどね、毎度ながらレアモンですね。違うのは彫られている模様ぐらいなもの。買った人間を調べるのは骨が折れるでしょうねぇ」
「収穫はなしということか」
「えぇ、そういうことになりますねぇ。今のところは」
 棚沢が感情のない顔で答える。
 彼の表情には感情といった物が全く表れない。ポーカーフェイスを通り越して、気味が悪いくらいだ。
「しかしもったいないですねぇ」
「なにがだ」
 鬼束が聞く。
「被害者ですよ。一目見させてもらったけど、なかなかの美人でしたねぇ。今まで見て来た死体の中ではベストスリーに入りますよぉ」
 セリフはふざけているが、やはり顔は笑っていない。
「もっとましなことを考えないのか?」
「死体に派手さが足りないとかですか?」
 無表情の顔がそのセリフで怖さが際立つ。
「その猟奇的な性格には慣れたよ」
 鬼束は疲れたように言う。
「それはそうとだ」
 棚沢が鬼束の後ろを覗き込む。
「後ろの兄さんは見たことないねぇ。新しく配属してきたのかぁ?」
「あ、はい」
 細山田は慌てて敬礼をし、自己紹介を始める。
「なるほどねぇ。まぁ、頑張りなぁ」
 それだけこちらに背を向けながら言って、棚沢は作業に戻った。
「あ、はい、どうも」
 ぎこちなく礼をする。どうやら棚沢が苦手なタイプのようだ。と言っても、あんな性格に合わせられるのは鬼束警部ぐらいなものだが。
 丁度そのとき、携帯が鳴り響く。瑪瑙が慌てて携帯を探るが、どうやら鬼束警部の携帯にかかってきた様だ。
 携帯の相手とは「あぁ」だとか「そうか」と言った言葉で何度か相槌を打った後、プツリと切れた。
「例の目撃情報から、犯人が割り出せたそうだ。自宅も発見できた」
「しかし、例のごとく……ですか?」
「あぁ、その通りだ」
「やっぱりですかぁ」
 瑪瑙は三回めの溜息をつく。
「一体どういうことっスか? 犯人がわかったなら、それで解決じゃないんスか?」
 瑪瑙は思い出すかのように少し間をあける。
「……実はな、第三の被害者の辺りからもう犯人は割り出せているんだ」
「はい?」
 細山田は拍子の抜けた声を出す。
「というのも、第三の事件からは特別と人目につかない所での殺しじゃなくなったから、しっかりとした目撃者がいて、犯人の顔をしっかり見てるんだ」
「それじゃあ、なんで解決出来ないんですか」
「……その犯人が死んだからだ」
「へっ」
 また拍子抜けの声が出る。
「正確には殺された。次の事件の被害者としてな」
 瑪瑙の溜息。
「第三の事件を例に挙げると、だ。犯人がわかった時点で自宅に向かったんだが、そこに犯人はもういなかった。逃げたのか、単に出かけているだけなのかわからず、とりあえず数人で張り込みを行ったわけだが、三日後に死体で発見された。手口はいつものように身分証明書を挟んで心臓を一突き」
「……一体……なぜ?」
「第四の事件に関しても目撃者がおり、すぐに追ったが、結局第五の被害者になっちまった」
 瑪瑙が頭をかく。
「そうして今回の事件にも当然目撃者がいて、たった今連絡があった。それによれば、既に犯人は自宅にはいないそうだ。このままいけば、そいつが第七の被害者になる確立はかなり高いと見られている。俺らはそいつを必死で追いかけている最中ってことだ」
「しかし……」
 細山田は困惑した顔を浮かべる。
「なんでまた殺した奴らが殺される側になるんですか? こんなんじゃあ、いつになっても終わりませんよ」
「俺にもわかるかっての。この事件には納得のいく答えがないんだ。この前の連続殺人事件と同じでさ」
「……あぁ、あの不可解な終わり方をした未解決事件でしたね。運が悪いとしかいえませんねぇ。意味不明な事件ばかりで」
「全くだ。刑事になって、こんな奇怪な事件が重なるのは初めてだ」
 気がつくと鬼束警部が離れたところで鑑識と話していた。二人の話が一段落したのを見て、こちらに戻ってきた。
「いい情報はないな」
 鬼束はタバコに火をつける。
「厳しい状況だ」
「今日は撤収ということですか?」
 鬼束が煙を吐き出す。
「そうだな。他の奴からなんか連絡あったか?」
「いえ、ないです」
 瑪瑙は首を振る。
「あとで聞き込みに行ってる奴に状況を聞いとけ。細山田もそいつらに加わって、近辺を当たれ」
「了解しました」
「アイサー」
 そこまで言って、鬼束は二人の間をすり抜け、もと来た通路に戻った。
 二人は顔を見合わせ、金魚の糞のように鬼束の後に続いた。

 *

 あぁ、なんて気持ちが良いんだろう。
 従うと言うのは、これほどまでに良い物だったのだろうか。
 否、目覚めさせてくれたのだ。
 感謝をしよう。
 そして褒め称えよう。
 親愛なる我が天使であり、我が死神でもある方よ。
 そして何よりも、私に使命を下さったことに大いに感謝する。
 あなたの美しい声が反芻する。
 あなたからの使命が反芻される。
 それは脳内だけでなく体の隅々にまでいきわたった。
 そして今、全身にあなたの声が反響している。
 振動で体が震え上がるほどだ。
 あなたに頂いたナイフもあまりにも美しい。
 この世の全てを切り裂くために生まれてきた、神のナイフだ。
 それが赤い聖水に洗われることで、更に磨きがかかるのだ。
 そうだ。
 それが私の使命なのだ。
 天使と死神の血を分けた、我が兄よ、我が姉よ。
 さぁ、このナイフを我が主人に捧げよう。
 我が猟奇的な天使に。
 我が狂気的な死神に。
 あなた方の血こそが、このナイフを至高のものに変えてくれる。
 これは私の最初の使命にして、あなたの最後の使命だ。
 親愛なる我が兄弟よ。
 最後の契りを今交わそうではないか。
 何も恐れることなどない。
 我等は天使の洗礼を受けたのだ。
 何も迷うことなどない。
 我等は死神の宣告を聞いたのだ。
 だからこそ、我等は一つになる。
 君は私となり。
 私は君となる。
 さぁ、始めようではないか。
 時は満ちたのだ。
 私にあなたの聖水を与えたまえ。
 このナイフをその赤き聖水で満たそう。
 全ては我等全能の天使のため。
 全ては我等全能の死神のため。

 *

「どう思う?」
 鬼束は瑪瑙に言う。
「なんとも……言えませんね」
 瑪瑙はしょげた口調で言う。
「また振り出しだ。何度繰り返したら終わるんだ」
 鬼束はタバコを取り出し、火をつける。ライターの火がいやに眩しかった。こんな真昼間だというのに。
「……やれることを……やるしかないんですかねぇ」
 瑪瑙は空を見上げた。青い空に黒いカラスが一点の汚物のように飛んでいる。その汚点が今にも広がって、青い空を黒く染めるんじゃないかという妄想が頭を駆け巡った。
 顔を下ろす。あたり一面に広がるのは草原。そして川。そして土手の上に数台のパトカーが止まっている。
 ここは河川敷だ。
 見つめた先に鑑識がせかせかと動き回る。棚沢の姿も確認できた。先程少しだけ会話を交わしたところだ。
 第六の事件の検証から二十四時間が経過しようとしている。昨日もあれだけ現場の調査をしていたのにも関わらず、疲れることもなく動いている。
 鬼束と瑪瑙はというと、そんな鑑識たちとは逆に、苛立ちを通り越した虚しさが頭の天辺から足のつま先までを貫き通している。原因はもうわかっていた。鑑識たちが蠢いているその中心。認めたくはないが、確かに死体が一つ。心臓に名刺を挟んでナイフが刺さっている。吹き出した血飛沫は周辺の緑を真っ赤に染め、現場の凄まじさを露にした。
 聞き込み調査とそれをもとに描いた似顔絵と一致した男の顔。間違いなく第七の事件、成富高菜を殺した人間であった。
「……部下が犯人の聞き込み調査を行っている。それが終わるのを待とうか」
 鬼束が煙に眼を細める。
「しかし……しかしですよ。これではいつになっても終わらないじゃないですか。解決出来ないじゃないですか」
 瑪瑙は悔しさを露にする。
「どうしたらいいんですか。俺は」
「出来ることをやろう。自分でそういっただろ」
「しかし……」
 瑪瑙は言葉を切り、また空を見上げる。
 鬼束が煙を勢いよく吐き出す。
「……そういえば、細山田はどうした? 一緒に来るんだったろう?」
「携帯に繋がりませんでした。あいつも熱を入れてるんですよ。きっと」
「……そうか」
 携帯の着信音が鳴り響く。瑪瑙は懐に手を入れるが、やはり鬼束の携帯の方だった。
 鬼束は相槌だけで相手と会話を済ませると、携帯の画面を見つめる。
「とりあえず聞き込み調査が終わったそうだ。犯人らしき人物が目撃されているとのことだ」
 言い終わると鬼束の携帯の着信音がなる。今度はメールらしい。
「この調子でいくと、また行方不明ですかねぇ。なんか希望が持てませんよ」
「ただな、どうも目撃情報がいい物ではないらしい」
 鬼束は携帯の画面を見つめながら淡々と言う。
「というと?」
 瑪瑙が首を傾げる。
「目撃した婦人は絵がうまくて、似顔絵を描いてもらったそうだ。しかし、その似顔絵がどうも見たことある奴らしくてな。警察内部にいたような顔なんだと」
「んな馬鹿な。警察官が犯人になるわけないでしょう」
 瑪瑙が声を張り上げる。
「だからさ、確かめて欲しいんだとよ。今、その似顔絵を撮った写真が送られてきた」
 鬼束が携帯の画面を見せる。
 瑪瑙がそれを注意深く見る。
 そこに映し出されたのは男の似顔絵。フラッシュを焚いたせいか、それとも鉛筆の元々線が薄いのか、見難い似顔絵だった。しかし、細かな特徴はしっかり表れており、それなりにうまい絵であったのは確かだった。
「なぁ……あいつに似てないか?」
 鬼束が眼を細める。瑪瑙が髪を掻き揚げる。
「……えぇ……信じがたい……ですけど」
 一目見て、見たことあることに気がついた。それがいつだったかを思い出すのに少し時間がかかった。信じたくなかったのもある。これ以上頭を混乱させたくなかったのもある。
 とにかく、それを認識することを視覚を通じて脳が拒否した。それほどまでに、あって欲しくなかった。
「あいつ……細山田です……ね。この絵」
「あぁ、最悪のパターンだ」
 鬼束が短くなったタバコを棄て、足で捻り潰した。
「……付き合ったのはほんの数時間足らずでしたが、とても人殺すような奴じゃありませんでした」
「あぁ、俺もそう見えた」
 鬼束が再びタバコに手を伸ばす。
「この事件、一体裏に何があるのですか?」
「それを調べるのが警察だろうが。全身全霊で細山田を探すぞ。すぐ手配しろ」
「……了解です」
 瑪瑙は携帯を取り出した。

 *

 さぁ、最後の使命を果たす時が来た。
 これが君への贈り物だ。
 同時に後に続く信者達への捧げ物。
 そして我が天使と死神への供物だ。
 我らは選ばれし者だ。
 さぁ、受け取れ。
 そして、我が聖水で清めよ。
 それがきみの使命であって、
 私の最後の使命だ。
 今の君なら何でも出来るのだ。
 そう、天使がついている。
 そう、死神がついている。
 この世の全てが君だ。
 空を飛ぶことだろうが、
 森を焼き尽くすことだろうが、
 死の灰を降らせることだろうが、
 人の息の根を止めることだろうが。
 なんだって出来るのだ。
 さぁ、見せ付けよう。
 我が粗暴的な天使に。
 我が厭世的な死神に。
 今こそその時。
 我らの全てが開放する時。
 記憶は裏返り、
 精神は駆け上がり、
 魂は飛び交い、
 夢は噴出し、
 愛は飛び出し、
 罪は裁かれ、
 違う、許され、
 我らは咎人になる。
 その後裁判官に
 誰だそれは?
 法を司る者。
 そうではない。
 そんなものは天使も死神も望まない。
 我らは裁かれる。
 なぜだ。
 神の啓示を受けたのだぞ。
 殺したから。
 そうだ、聖水を捧げるのだ。
 それは罪だ。
 なぜだ。
 俺は人だ。
 違う、天使と死神に召された者だ。
 俺は人間だ。
 私は召されし者だ。
 俺は私は俺は私は私は俺は俺は俺は。
 私の邪魔をする気か。
 当然だ。
 なぜだ?
 私は神と等しい存在だ。
 関係がない。
 何をしても許される。
 そんなわけがない。
 あるのだ。
 お前も人間だ。
 黙れ。
 幻影だ。
 私は存在している。
 罪をかぶった。
 だからなんだ。
 お前を捕らえる。
 俺は。
 俺は。
 俺は警察官だ。

 *

 鬼束はオフィスの自分の机の前に座っている。背もたれに体を預けるように座っているため、ギチギチと椅子が軋んでいる。五年間も同じような座り方をしてきたため、流石にそろそろ壊れないのかと危惧し始めていた。
 第七の事件から二十四時間が立とうとしている。あれから目立った情報が入ってこないため、未だに足踏み状態が続いていた。痺れを切らして、更には暴れてしまいたい状態であった。
 机の上には様々な資料がどっさりと置いてある。今までの調査をまとめた書類とこの事件を取り上げた雑誌類だ。その中から更に厳選した数冊の書類に、彼は眼を凝らしていた。見落としはないか、気がつくことはないのか。そういった期待を抱いて読んではいるのだが、今のところそれは儚い期待でしかなかった。
 雑誌に関しても同じような目的で買ってきた。が、イマイチ使い物にならない。事実に極端に感情を混入しているため、客観性の薄い記事に仕上げられている。読むのもうんざりしてきた。マスコミの口先だけの虚言など見たくもない。
 流石に目が疲れが溜まってきていた。厳選したと言っても量自体はまだ結構あり、煙の充満した部屋の中で読むには苦痛に値する物があった。更にはもう日が消え入りそうな時間帯であり、部屋内の明度が測定不可能な具合となっている。つまり明るくも暗くもないため、明かりをつけるべきか否か迷うということである。
 ふと時計を見ると針は六時と三十分を指している。細山田の捜索に向かっている瑪瑙がそろそろ帰ってくる頃だ。今までの成果からいえば、正直期待は出来ない。
 ドアが開き、タバコの煙が一斉に逃げ出す。
「警部、ただいま戻りました」
 瑪瑙が入ってくる。噂をすればなんとやら、か。
「おう」
 鬼束は一瞬眼を配っただけで、すぐの書類に眼を落とした。
「細山田はまだ見付かりません。増員はしたはずなんですがねぇ」
「人数よりは運を増員させるべきだろ」
「出来たら苦労しませんよ」
 瑪瑙は苦笑いを返す。
「それは例の資料ですか?」
「あぁ、何か見落としはないかと、な」
「では、手伝いましょうか?」
「ならそれを読んでくれ」
 鬼束は机の上の別の書類を指で示す。それは連続殺人事件の書類ともからはずれてポツンと置いてある薄っぺらな物だった。
「これは何の書類ですか?」
 書類を手に取り、パラパラと捲りながら言う。
「近辺で別に強盗殺人事件があったそうだ。それに関連する資料」
「へぇ、よくもまぁ事件が重なるものですねぇ」
 そう言いながら、書類を読み始める。
「被害者は室咲 郁美(ムロザキ イクミ)二十五歳女性……。鬼束警部、この名前どっかでみたことありませんでしたっけ?」
「ん? どの名前だ」
 鬼束がこちらに眼を向ける。
「室咲郁美です」
「あぁ、聞いたことあるな、確か……」
 鬼束は持っている書類を捲る。
「……これだな」
 一枚を抜き出して瑪瑙に渡す。
「第一、二の被害者の職場の同僚リスト。そのなかに室咲の名前がある」
「あぁ、本当ですね。同じ職場なんですかぁ……」
 瑪瑙の語尾が少し弱くなる。
「ん? どうした?」
 鬼束が口調を感じ取ったようだが、目線は川変わらず資料へ向けられている。
「いえ、ただ同じ会社内で事件が重なるとは不幸なもんだと思っただけですよ」
「……だろうな」
 瑪瑙は資料に書かれた文字を淡々と追っていきながら、頭の中で要約を開始した。
 死体の発見場所は近隣の山の中。殺されてから発見されるまでに三週間が経過しているため、死体に大きな劣化が見られる。微かに首に縄の跡が残っているため、絞殺と断定された。
 また彼女の自宅に調査に向かったところ、あらゆる家具が散乱しており金目の物を狙った強盗殺人事件として調査を開始。ドアや窓にこじ開けられた形跡はなく、犯人は自宅の鍵、もしくは合鍵などを持っている可能性があり、顔見知りである可能性も否めない。
 職場では仕事を真面目にこなす、有能な女性社員として上司からの信頼も高い。また同僚からの人望も厚い。殺される直前にも海外出張の予定が入っていた。
「……あれ?」
「今度はどうした?」
「この人、一ヶ月の海外出張中ってことになってますけど……。三週間前って言ったら出張の最中ですよ」
「貸してみろ……」
 鬼束が瑪瑙から書類を受け取る。
「九月二十四日から十月二十六日……か。あらかた、出張に見せかけて殺したんだろ。いなくても不審に思われないからな」
 そういい終わって、鬼束は再び書類に眼を落とす。
「それもそうですね」
 瑪瑙も書類に目を戻す。
「ん? 被害者がナイフコレクター? そういえば警部、ナイフのルートは掴めたんですか?」
「いや、まだだ」
 鬼束は首を振る。
「裏ルートってのは法や警察の網から掻い潜って作るもんだからな。そう簡単には引っかからない」
「ですよねぇ。意外とこの人の持ち物だったりしませんかねぇ。強盗に入られたんでしょ」
「あぁ、そうだ。今部下が自宅の調査に向かっているから、ついでにナイフのことも調べさせておく」
「了解しました」
 その後は無言で資料を読み終わらせた。瑪瑙の持っていた資料が終わっても、鬼束の資料の山は一向に減る気配がない。
 瑪瑙が持っていた資料を机に戻す。
「この事件がそっちの連続殺人と繋がってる可能性はないんですか?」
「ないな」
 鬼束が顔を上げることなく即答する。
「同じ職場の人間を何人も殺す奴はまずいない。一発で怪しまれてお陀仏になるのがオチだろ。別件で考えたほうが良い」
「まぁ、確かにそうですけどねぇ」
 瑪瑙は納得のいかなそうな顔で頭を掻く。
 瑪瑙がその腕を下ろすのと同時に、部署内に電話のコール音が鳴り響いた。
 そこにいた瑪瑙を含む数名の人間が、一斉に胸やズボンのポケットに手を突っ込んだ。誰もが緊迫状態の中を張り詰めていたのだろう。
 そのコール音の先は、瑪瑙の胸ポケットの携帯電話から発された物だった。
 瑪瑙は携帯を耳に押さえつけた。
「……もしもし」
 瑪瑙は声を発する。しかし、そこからは返事がない。変わりに聞こえてくるのは、妙な息遣いだけだった。
 悪戯か、もしくは間違いか。瑪瑙はそう思い携帯を切ろうとしたが、そこから意外な声が耳へと流れてきた。
『……すみません。細山田です……』
「……お前……!」
 声は細く、聞き取りづらかったが、それは確かに細山田の声だった。
『……急いで……いるんで……用件だけ伝えます……。犯人が……なんとなくわかり……ました』
 妙に歯切れが悪い。疲れて息が切れているのだろうか。
「そんなことより、お前事件の犯人扱いされてるんだ。このことを先に……」
『……説明の……時間がないん……です。追われている……もんですから』
「どういうことだ? 誰になぜ追われているんだ」
『場所を言います……。とにかく……来てください』
 そういって細山田は、警察署近くの人目に付かない路地裏にいることを説明した。
「わかった、すぐ行く! 待ってろ!」
 そのセリフを言い終わるか否かで、電話はすでに切れていた。
 瑪瑙の頭はフルスピードで回転し始めた。
 なぜ今頃になって細山田から連絡が入ったのか。
 なぜこんなにも疲れているのか。
 なぜ追われているのか。
 だが結論が出るわけもなく、まずは口と体が動き始める。
「警部! 細山田から連絡です! 近くの路地裏にいるそうです」
「おう。先行ってろ。すぐ向かう」
「それと細山田の奴、何者かに追われているようなので……」
 瑪瑙はその先を言う前に扉を飛び出した。
 それに続くように鬼束が携帯を手に部屋を出て行った。

 *

 辺りは暗い。先ほどまではまだ日がある程度出ていたが、今ではほとんど隠れてしまい、お情け程度に光が漏れてくるばかりだ。しかしそんな光も、この路地裏の狭さには敵わなかった。以前の路地裏より比較的狭く、物が多く置かれているために足場も良くない。すれ違うも一苦労だ。鼻腔がくすぐられないだけましだろうか。
 流石に大声を出すのは躊躇われた。追う者追われる者立場にとって、声や物音とは一歩間違えば命取りとなる。そう、追ってる者がどんな人物かわからない以上、今の状況では文字通り“命取り”になる可能性が高かった。
 あまりにも静かすぎた。国道から結構離れて、自動車の音も今や微かに聞こえる程度。これほどまで嫌な静けさがあるだろうかと思うほどだ。煩いだけの都会の喧騒とは比べ物にならないほどの、精神的な殺傷力がある。人の気配もない。声も物音もない。真っ赤な目をしたネズミとか、蠢く真っ黒な闇とか、見渡す限りそんなものはない。あるいは見えていないだけだろうか。緊張と焦りと恐怖がこんなにも孤独な空間を作るとは思いもしなかった。
 それでも瑪瑙は動くしかなかった。警察官としての正義なのか、謎を解き明かしたい探究心からなのか。なにがともあれ、自身に意志に逃げ出すというコマンドは存在しなかった。
 固まった足を動かし、やっとのことで進め、より暗い空間へと歩を進めた。物音をたてることなく、慎重に、繊細に。
 曲がり角を見つけるたびに、壁を背にして通路のぞき見るという動作を何度か繰り返した。その度に恐怖と期待との戦いだった。今のところ誰にも会わず、歩いていた。本当にここに細山田がいて、更にそれを追う者がいるのかと疑問に思うほど、静かで尚更不気味だった。
 ふと瑪瑙は足を止めた。携帯のことを思い出したからだ。確か携帯の電源は切っていない。もしここで着信がなったら、相手にこちらの場所を知らせることとなってしまうからだ。
 瑪瑙は咄嗟に携帯を取り出した。しかし、それを開いた瞬間、なぜポケットの中で開かなかったのかとすぐ後悔した。聴覚的なことに機敏になっていたくせに、視覚的なことは厳かになっていた。開いた携帯は眩しいほどに目の前の壁と自分の顔を照らしてしまっていた。
 反射的に携帯を隠した。
 そして身構えた。
 壁を背に左右を見渡す。
 今は通路の真ん中。
 相手が一人であれば挟まれることはない。
 ただ、二人であった場合は……
 心臓が高鳴る。
 鼓動を全身で感じた。
 煩いほどだ。
 すでに日は完全に沈み、暗闇の中。
 人が立っていたとしても気づけるかすら怪しい。
 神経が研ぎ澄まされる。
 右か。
 左か。
 わからない。
 静かだ。
 心臓だけが煩い。
 来るのか。
 来ないのか。
 早くしろ。
 微かに気配。
 右か。
 暗闇一色。
 鼓動。
 鼓動。
 微かに濃いか。
 わからない。
 物音。
 後ずさる。
 いるのか?
 いないのか?
 見えない。
 鼓動。
 鼓動。
 鼓動。
 一歩後ろに。
 もう一歩。
 風。
 動いた。
 輪郭。
 闇が。
 黒が。
 掠めて。
 弾けて。
 よろめいて。
 煌めいて。
 反射。
 光が。
 白が。
 あっ。
 手が。
 壁に。
 冷たく。
 くそっ。
 逃げろ。
 風。
 煌めき。
 くそったれ。
 後ろに。
 振り向け。
 後ろに。
 走れ。
 逃げろ。
 早く。
 速く。
 振り返るな。
 右に。
 左に。
 我武者羅。
 走る。
 逃げる。
 走る。
 出口は。
 覚えてない。
 どこだ。
 どこだ。
 ここは。
 右か。
 左か。
 どっちだ。
 くそっ。
 あっ。
 手が。
 引かれる。
 誰だ。
 捕まった。
 あっ。
 離せ。
 手を。
 手を。
「なにやってんすか、瑪瑙さん。助けられちゃ元も子もないですよ」
 微かに聞こえるのは聞き覚えのある細山田の声だった。
 そこにしゃがみこんでいるようで、下のほうから聞こえる。
 瑪瑙は何かを言いかけようと口をあけるが、はっとなりそれを自らの手で封じこめる。
 そしてその封印を解き、しゃがみながら微かな声で口を開いた。
「悪い。ありがと。説明を頼む」
「落ち着いてくださいよ。まずは逃げますよ。肩貸してください」
「どうしてだ?」
 細山田は黙って瑪瑙の手を自分の腹に付けた。
 瑪瑙の手に生温かい液体が付いた。色はわからないにしても、それが何であるかはすぐにわかった。
「……お前」
「痛みはさっきほどではないですが、立ってるのも限界です。早く行きましょう」
「あぁ……」
 瑪瑙は細山田の腕を肩に回した。
 そして立とうとしたが、その前に気がついた
 音が。
 息が。
 鼓動が。
 蠢き。
 闇が。
 黒が。
 煌めき。
 光が。
 白が。
 あぁ。
 間に合わない。
「悪い」
 押す。
 突き飛ばす。
 後ろに。
 前に俺が。
 煌めき。
 高く。
 高く。
 あぁ。
 構えて。
 来る。
 音。
 激しい音。
 後ろから。
 煌めきが。
 落ちて。
 落ちて。
 闇に。
 黒に。
 溶けて。
 消えて。
 闇は。
 悶えて。
 蠢いて。
 あぁ。
 チャンスだ。
 踏み込め。
 足を。
 足を。
 前に。
 前に。
 体を。
 弾丸のように。
 突撃。
 突撃。
 頭が。
 肩が。
 当たって。
 弾けて。
 跳ね返って。
 倒れこんで。
 覆いかぶさって。
 これで。
 これで。
「警部、そんなもの使っても良かったんですか?」
「あのセリフはそういう意味じゃなかったのか?」
 その言葉を言った顔は後ろのライトによって完全にシルエットとなっていたが、もしかしたら笑っていたんじゃないかと瑪瑙は思った。
「とにかく取り押さえました! 手錠を!」
「おうよ」
 そこに鬼でもいるんじゃないかと思うほど影が大きく見えた。
 それは目がくらむほどに眩しいバックライトのせいかもしれない。
 その鬼の影の中心には鬼束警部がいた。
 鬼を束ねる御頭のように。
 緊張が解けたせいなのか、妙なことが頭に浮かぶ。
 笑いを噛み潰しながら、改めて光を見詰めた。
 久しぶりの光と音だ。
 目を細めながら、瑪瑙はその光を懐かしんでいた。

 *

「細山田によりますと、突然頭の中に神の啓示が飛び込んできたということです」
 瑪瑙は“神”というワードに少し戸惑いながら、淡々と説明を始める。
「その啓示とは、特定の場所に行き、例の横道十二宮のナイフ一セットを受け取り、くれた人間を殺せというものでした。そして次は立場を逆転し、ナイフを渡して殺される、と。この一連の流れでこの殺人は成り立ったということです。儀式に近いものですね。細山田は殺される瞬間に目が覚め、神の啓示を無視しようと決断しましたが、失敗して怪我を負った。そして僕のところに電話をかけてきたということです。細山田を追いかけて殺そうとしていた加害者も、おんなじようなこと言ってますね。ただ、あっちはただの狂信者と化してますよ。もう言ってることの半分以上が理解できません。こんな科学的でない現象で殺人が起きていたなんて、なんとも理解しがたいんですけど」
 瑪瑙は溜息を吐く。
「ちなみ細山田に言わせれば、これは神の悪戯というよりは、呪いではないかとも言っています。どっちにしたって納得はいきませんけどね」
「そう解釈するのが妥当なところだな」
 鬼束は吸っていた煙草の煙を吐く。
「疑わないんですか?」
「室咲郁美が殺された事件があったろ」
 鬼束は突然話題を変える。
「え、あぁ、はいはい」
「被害者の自宅のパソコンの観覧履歴とメールのやり取りから、例の横道十二宮のナイフセットを購入した痕跡が見つかった。予想は当たったな、瑪瑙」
「え、本当ですか?」
 瑪瑙は素直に驚いた。
「しかも、だ。そのナイフはその店、というかネット内のサイトでは一セットしか取り扱っておらず、また、日本国内にはその一セットしかないという情報を得られた。凶器に使われたのはそのナイフしかあり得ないということだ」
「ということは誰かに譲り渡したか、誰かに盗まれたか、ということになりますかね」
「だろうな」
 鬼束は煙草を灰皿に押しつける。
「しかし」
 瑪瑙は顔を歪ませて見せた。
「ここでその事件をあげるということは、連続殺人と関係があるということでしょう? どうやったらこの二つがつながるんですか?」
 鬼束は次の煙草に火をつける。
「とりあえずは事実のみを取り上げようか。まずはお前も指摘した、被害者の出張日と殺害時刻が重なっている件についてだが、出張先に問い合わせたところ一週間のズレが生じていた。つまり、彼女の会社に提出した出張届は、予定より一週間早く日付が付けられていた。それだけずれていれば、社の人間に怪しまれず彼女を殺すのは誰でも可能だ」
 鬼束は煙を吐く。
「なぜそうしたかは不明だが、調べていくと面白いことが分かった。被害者の室咲と連続殺人の第一、第二の被害者、巣山嘉秀と川浦春南は事実上の三角関係にあったらしい。室咲と親しかった同僚からようやく聞き出せた。実際には巣山が二股をかけていたらしいが、室咲が殺される数日前に一悶着あったらしくてな。どちらかに選ばなくてはならない状況になったと、その同僚は証言している。証言から得られた事実としてはこれぐらいだ」
 鬼束は瑪瑙を見る。
「ここからは俺の仮説だ。鵜呑みにするなよ」
「あいさ、わかってますよ」
「まず誰が出張を延長させたか。これは可能性として、巣山が室咲に出張を延長させた線が強いと考えた。なにかしら口実をつけて彼女の出張を延長させ、二人っきりで逢う約束をする。そうすることで彼女には油断がうまれる。そして予定通り彼女を殺害。死体を山の中に捨て、ついでに彼女の家から金品を盗み、更にあのナイフを盗んだ」
 そこで一旦煙草の灰を落とした。
「後は細山田の言った通り。神の啓示とやらにはまり、巣山は川浦に殺され、川浦は次の加害者に殺された。呪いは室咲の死霊が起こした復讐ということになる」
「都合良すぎますねぇ」
 瑪瑙は呆れたように言う。
「僕自身もそれである程度は納得がいくんですけどね。どうも、なんというか、釈然としないなぁ。呪いかぁ」
「ゾディアックは何を表わすか知ってるか?」
 鬼束がまた別の話題を振ってくる。同時に何やら封筒を取り出した。
「え? あぁ、えぇっと、星座……でしたよね。おひつじ座とか、いて座とか」
 封筒から取り出したのは例のナイフの写真だった。
「あぁ。この写真をみてわかるように、星座を象徴するサインが入っている。同時に惑星、動植物、人体部位、説によっては魔神なんてもんも象徴している」
「どれも聞いたことがありませんが……」
 瑪瑙は頬を掻く。
「マシンってのは機械ですか?」
「魔物の神、だ。ナイフの表はサインだが、反対側は生物が描かれている。これらが魔神そのものだ」
 煙草を吸い、また煙を吐く。
「元々黄道十二宮ってのは占星術の基盤となる領域の一つのことだ。まぁ、ようは占いの道具のひとつと考えるのがわかりやすいだろ。紀元前では天の星々と神々を結びつけることが行われ、星から地上の出来事の兆しを示そうというのが占星術の始まりだ。まぁ、最初は星にこめた象徴的な意味から読み取るものだったが、次第に“星=神”の考えを見出す呪術的な流派が生まれだしてな。そこからは宗教に似たり寄ったりの偶像崇拝集団になっていった。そのナイフはそんな時代の副産物だろうな」
「神を信じれば奇跡も呪いも起きる、っていう感じですか」
「なにせよ、どこまでが真実かなんてわからんからなぁ。重要な容疑者は死んだ。後に残ってるのは巻き込まれた残留でしかない。俺の仮説もこの占星術の話も、納得させるために作り上げた物でしかないしな。もう情報が入る余地もない」
「え? この話もでっち上げなんですか?」
 瑪瑙は目を丸くする
「鵜呑みにするなと言ったろう」
 鬼束が微かに渋い顔をする。
「一説とは言え、根拠のない薄っぺらなやつを抜粋してきたからな。実際の占星術の歴史とは全く違う可能性も含む。そもそも呪いや奇跡なんてものはどんないい加減な根拠でも、正しいと思えるんだからな」
「さいですかぁ」
 瑪瑙はまた窓の外を見上げた。
「結局誰にも真相はわからない。迷宮入りですかぁ」
 また瑪瑙が溜息を付く。
「細山田もこんなんに巻き込まれたなんて、なんかやるせないですね。立派な加害者ですよ」
「こういうのも難だが、運が悪かったとしか言いようがないな」
 窓の外を見ていた瑪瑙の目に、また一羽黒いカラスが目に入った。この前みたいな青い空にただ一点の黒い汚点。またそれが広がる妄想が脳裏をよぎり、瑪瑙はそれを振り払おうと部屋に目線を戻した。
 全ては終わったはずなのに。また嫌な妄想が。
「なんで彼女の呪いがこんなに続いたんでしょうか?」
 瑪瑙はふと思いついたことをそのまま口にした。
「彼女の殺したかったのは二人だけですよね。それがなぜ関係ない者まで巻き込んで発展したんでしょう?」
「わからん」
 鬼束は即答した。
「もう仮定の話はやめだ。警察はあくまで現実主義。仮定は立てても、根拠が成り立たない話は長くするもんじゃない」
「それもそうですね」
 口ではそう言ったが、瑪瑙の頭は止まらなかった。
 もし彼女が目的を達成するだけなら、二人が死んだ時点で終わり。
 それが続くということは他の要因が重なったということ。
 そうだ、もう一つ。
 自らを証明するものをナイフに刺す行為。
 これも意味が分からない。
 “神の啓示”の内容に自らを証明するものを刺せ、という内容が含まれていたと細山田は言っている。
 彼女の残留意志?
 彼女自身がそれを望んだのか?
 殺す者が殺されるイタチごっこを彼女自身が望んだ?
 そもそも“神の啓示”は彼女の言葉なのか?
 瑪瑙は再び窓の外を振り向いた。
 先ほどのカラスが遠くに見える。
 呪いの発端は彼女だが、“神の啓示”を伝えるものが彼女とは限らない。
 わからない。
 三角関係。
 そこからの縺れ。
 怨恨。
 盗まれたナイフ。
 まるで誘い込まれたような。
 ナイフに刺さった証明書。
 証明の抹殺。
 殺す者が殺される。
 イタチごっこ。
 繰り返し。
 第七の事件。
 神の啓示。
 狂信者。
 黄道十二宮。
 十二?
 ゾディアック。
 呪術的な占星術。
 象徴。
 星座。
 星=神。
 神や魔神たち。
 奇跡は起こる。
 第三者によって起こされた?
 迷宮入り。
 そう、行き止まりだ。
 様々な言葉が頭をよぎっては消えていく。
 ふと我に返り、窓の外の景色に気がついた。
 先ほどの一点の黒いカラスは、今や大軍を率いて群れている。
 一点は広がったのだ。
 微かにだが、こちらに近づいているような気がした。
 終わらないのか?
 広まるのか?
 始まるのか?
 なぜ?
「警部」
 嫌な予感から新たな疑問が思い浮かんだ。
「ん? どうした?」
 瑪瑙は少し躊躇った。だが、聞かずにはいられなかった。
「……ナイフは今どこにあるんですか?」
「あぁ、凶器のか? 鑑識の連中が呪いのことを聞いて怖気付いてな」
 くわえていた煙草を手に持ち替えた。
「触りたくないってんで、凶器も使ってない奴もまとめて神社にお祓いに出した」
「……ナイフは全部で何本ありましたか?」
 鬼束は少し動きを止めた。何を言ってるんだ、とでも思ったのだろう。
「……黄道十二宮をかたどったんだ。十二本に決まってる」
 知っていた。
 十二本。
 全部で十二本あったんだ。
「……今までで七人が殺された」
「あぁ、そうだ。どうかしたのか?」
「てことはですよ……。使われてないナイフは“五本”あるんですよ」
「十二引く七は五。簡単な引き算だ。一体どうしたんだ?」
「もしかしたら、ですよ。もしかしたら……」
 そこで携帯がのコール音が鳴り響いた。誰もがその音に反応したが、どうやら鬼束の携帯らしい。
 鬼束が携帯に出ると同時に、瑪瑙にも聞こえるほどの声が携帯から漏れてきた。流石に何と言ってるかはまたくわからなかったが、かなり焦っていることが目に見えた。
 そして同時に、鬼束の顔が急激に厳しくなっていくのがはっきりと窺えた。嫌な予感が増幅するばかりだ。
 ほどなく会話は終わり、電話を切ると同時に鬼束は立ちあがった。
「……なにが……あったんですか?」
 瑪瑙が恐る恐る効いた。
「今すぐ神社に向かうぞ! お祓いを頼んだ神社だ!」
 鬼束は椅子に掛けてあったコートを手に取りながら言う。
「えっ」
「神社にアルバイトに来ていた女性が、突然数本のナイフを奪って逃走した。今のところ怪我人はいないそうだが、安心はできない」
「何本のナイフが盗まれたんですか?」
 瑪瑙はもっとも気がかりだった質問をぶつけた。
「……五本だ」
 あぁ、やっぱり……。
「盗む現場を目撃した人が、逃走しながら数本のナイフを捨てていくのを見ている。その不可解な動作が印象付き、捨てられたナイフを数えていたそうだ。捨てたナイフは七本。すなわち、五本のナイフを持って逃走した」
 瑪瑙の嫌な予感も予想も的中した。
 目的は達成されたはずなのに、終わらない殺人。
 つまり、それは彼女の呪いに“ナイフ自身の呪い”の効力が組み合わさったと考えるしかないと、瑪瑙は考えていた。
 だからこそ、この中断された殺人が中断されたままで終わるとは到底思えなかった。
 この殺人は終わらない。
 十二人の生贄が揃ってやっと終わる、完全な儀式に過ぎない。
 生贄に証明などいらない。
 初めから殺せる人間がいればそれは続く。
 終わらせる方法など始めからなかったのだ。
 ナイフを壊せばもしかしたらと考えた。
 しかし、そんな淡い期待も今崩れ去った。
 昨夜、細山田を殺すために用いられたナイフは、咄嗟に放たれた鬼束の銃弾によって、真っ二つに破壊されたはずだった。
 そのナイフを含めて五本。
 終わらないんだ。
 それでも。
 それでも……。
「警部! すぐに向かいましょう!」
「車のキーは任せたぞ」
「はい!」
 二人は勢いよく部屋から飛び出した。
 方法はなくとも、自らの正義のために。
 解決に導くために。
 止まるわけにはいかない。

 *

 デスクに残された数枚の写真。
 そこには銀色の刀身に黒の柄をもった小さなナイフが映し出されている。
 柄の片側には星座を表わす記号。
 もう反対側には獣の姿をした魔神たちの禍々しい絵。
 かつては地上に君臨し、何万もの軍を率いていたのだろう。
 今や、こんなちっぽけなナイフの側面に書かれている程度の存在でしかない。
 神話や伝記なんて結局はそんなものなのだ。
 誰も信じやしない伝説にまでなり下がってしまった。
 微かに写真の中の魔神たちの顔が歪んだように見えた。
 笑ったのか。
 怒ったのか。
 泣いたのか。
 はたして、それは誰に対してなのか。
 鬼束か。
 瑪瑙か。
 細山田か。
 室咲か。
 巣山か。
 川浦か。
 はたまたナイフを作り上げた悪魔たちか。
 それに呪いを込めた鬼たちか。
 もはや誰にも理解できない。
 写真写った魔神たちの顔は、
 もう二度とピクリとも歪むことはなかった。

 終

 

後書き

 まずは初めに断わっておく。この小説のジャンルはSFであり、ミステリーではない。
 ……ホントですよ。まさかこんな路線で話が進むなんて神のお告げでも言ってくれませんでした。以下はそれにまつわる誕生秘話的な話になってくるので、それで構わないというかとはゆらりと読んでいってください。

 さて、最初に思いついたフレーズが『幻想的で猟奇的で尚且つ模倣的な人』なんですよね。しかもこれ高校(確か二年生)のマラソン大会本番中に思いついたんです。走ってる途中に何考えてるんだ、という感じで。そこからだんだん発展していき、冒頭に入るんですよ。つまり最初はあのわけのわからない冒頭だけを書いて「さてどうしよう」とか考えていたんです。やりたい放題ですよ。んで、そこから呪いとか儀式とか非現実的殺人事件とか、そっちに発展していきました。
 もう過去の話になるんですが、一時期本格ミステリーを考えていたことがありました。未来形でも現在形でもなくてすでに過去完了形であったんです。書き始めは夢中でした。もうこのまま完成できるんじゃねとか思いながら。しかしふと我に帰ったら、あまりにも飛躍した手口と結末に自ら呆れてしまったんです。「なんでこんなに人死んでしまうん?」とか「これはミステリーやないSFや!」とか。自分に現実的な小説は無理だと悟った瞬間でした。そしてその小説は墓場送りとなったわけで。
 というわけで、これはミステリーではないんです。ただの不思議な不思議なお話。
 もしミステリーと名目うって公開したら、四流以下! と叩かれますね。SFとしてならまだ三流レベルだろう(だといいなぁ)。

 そんなわけで大学受験終了後久しぶりの小説となりました。腕は鈍っていたかもしれませんが、楽しんでいただければ幸いです。

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