『夜想曲【Fallen Angels】 後編』


 4

 また埃が舞った。
 喉がむせて咳が出そうになるが、この前とは状況が違うことを思い出し、思い切って咳を吐き出す。
 真昼だと言うのに、相変わらず光は差し込まない。暗いままだ。人目につかないスポットと言うならば最高の場所だ。
 ゴルフクラブの先端に抜ける。それでもまだ、埃の量は大して変わらないし、光も少しまともになった程度だ。
 眠い目をこすりながら私は空を見上げた。空の青さはいつもに増して強いような気がする。それも久しぶりに見たような鮮やかさと懐かしさを感じさせる。
 昨夜はとても眠れるようなコンディションではなかった。あの『黒』という本を読破してしまったのは間違いだったと思ってしまうほどだ。お蔭様で興奮に苛(さいな)まれて、瞼を閉じても全く寝付けなかった。いつ眠りにおちたのかもわからないし、更には朝起きたら目の下が黒く、やたらと慌てた。
 と、皮肉な事を思ってみても、誰が困るわけでもなく、虚しいだけだが・・・。
 そんな憂鬱で一日を始めたわけだが、やはり気になってしまう物である。一昨日の太刀彦にしても、昨日の本にしても、立ち入ってはいけないとはわかっていながら、こんな陰気くさい場所に来てしまったのである。隈が出来て眠いのにも関わらずだ。
 特にはっきりとした意味はなく、ただ衝動的にここに来てしまったのである。太刀彦に会おうにも家は知らない。『鬼』には出来る限り会いたくないけど、心のどこかには、ボロボロになったチラシのように“会わなくてはならないような気”が貼りついている。それでも心の中枢は、「そいつらに会って何になるんだ」と野次を飛ばしている。
 結局、心の中で葛藤したって意味などないのだ。
 禁止区域に入りたいなら入ればいい。危険なのはわかっているんだから、後は突っ込むだけであろう。だけどそれは崖の先の孤島。そこに行くにはどうしたらいいのだ。何をしたらいいのだ。
 そんなことを何週も考えても限(きり)がない。結局、途方に暮れるしかない。
 そうしてまた紺碧の空を見上げていた。
 ちょうど、その時。
「おい、そこのお前」
 突然、空から声が落ちてきた。
 私は毛の先まで飛び上がり、辺りを見回した。
 入ってきた入り口に目をやったところで「こっちだ」と後ろから声がした。
 私は後ろを振り向く。そこには一昨日と同じ粗大ゴミの上に細く白い翼を見た。
「一昨日盗み聞きしてた嬢ちゃんだな」
 私は一歩後ずさりをする。
「危害を加える気はない。安心にしろ」
 私の動作を見てか、翼が言う。
「‥‥何者なの?」
 私は軽く震えながらも声を発する。
「“何者”ねぇ‥‥」
 クククと翼が笑う。
「特にないが、そちらで言う『鬼』や『死神』や『悪魔』と言ったところだ」
「・・・名前とかないの?」
「面白い奴だな。名前を聞くとは・・・」
 また笑い始める。
「あるが、お前らの言語では発音出来ない。人間どもからは“ハウレス”と呼ばれている」
「ハウレス?」
 私は首をかしげる。聞いたことがない単語だ。
「こっちの世界で言う神話の公爵だそうだ。獄炎神とも呼ばれる」
「そう」
「そっちから聞いてきた割には素っ気無いな」
 また笑う。
「そんなことより、あんたたちは太刀彦に何をする気なの?」
「強気なお嬢ちゃんだな。まぁ、あれだ、ちょっとした“ならし”だ」
「・・・秩序を保つとかそんなとこ?」
「ほぉ・・・よくわかったな」
 ニヤニヤと笑う。さっきから笑いが絶えない。
「太刀彦と秩序が何の関係があるのよ? 大体あんたたちがいたら、秩序を守るどころじゃないわ。混乱そのものよ」
「・・・そうだな、人間どもを光としようか」
 唐突な話題の変化に、私は意表をつかれた。
「光ってのは光だけ存在してても意味がない。光の反対、つまり影があってやっと成り立つ」
「それが何の関係が・・・」
「影は俺たちだ」
 私の言葉を遮るように続ける。
「光と影は共にあることで互いを証明できる相対概念が成り立っている。すなわち表裏一体だ。なら人間と俺たちもそういう関係ってこった。どちらかが消えたら両方とも消える存在だ」
 ハウレスは近くの机にドカッと座る。骨の翼は綺麗にたたまれた。
「昨日の会話を聞いていたあんたなら、太刀彦が“どういう人間か”わかるだろ? 奴は俺たちのような影の化身と対等に渡り合えるような凄腕の“能力者”だ」
 確かに私は、彼が普通ではないことに気がついていた。しかし、こうやってはっきりと告げられると、心構えがあったのにも関わらず、心臓が飛び跳ねた。
「奴は人間と俺たちの狭間だ。能力者ってのは、どっちにも属さない蝙蝠みたいな奴なんだよ。だからどちらからも嫌われている」
「ちょっと待ってよ!」
 私は叫んでいた。
「嫌われているから!? それだけで太刀彦を殺すって言うの!?」
「厳密に言えば、違う」
 口調は変わっても、やはり口元の笑いは消えていない。
「人間の中でもよくあるだろ? 仲間はずれって奴。一人だけずば抜けて目立っていると、いつの間にか孤立している。それと同じだ。能力を持つが故に、人間から恐れられ、避けられ、挙句の果てには妬まれて、そして殺されるのさ。俺たちにとっても同じさ。危険な芽は早めに摘んでおかないと、いつこっちがやられるかもわからない。そんな状況で奴を受け入れる奴なんかいねぇのよ」
「それが秩序の安定になるって言うの!? そんな線を引くことで秩序が乱れるっているなら、いっそ全部一緒になっちゃえば良いじゃないのよ」
「人間と俺たちが一緒に過ごせと?」
「そ、そうよ」
 戸惑いながら、そう答える。
 ハウレスは一本の腕で頭を掻いた。
「なぁ、光と影が融合するとどうなるかわかるか?」
「え・・・?」
「光と影が融合する。それは灰色になるなんて安直な考え方じゃない

 ――そこに存在するのはただの“無”だ。

 互いが互いを打ち消しあって何も残らない。そうすれば確かに平和にはなるが、秩序のヘッタクレもない。じゃあ、融合しない程度に混ざればいいか?そんな白と黒が螺旋の渦を巻いた世界が平和だと言えるのか?そんな混沌とした世界にどんな価値が見出せるって言うのだ」
 ハウレスは肘を机につき、頬杖をつく。
「お前たちの世界にも国境と言う物があるだろう? なぜ国同士に線を引くかわかるか? どいつもこいつも色が違うからだよ。色が違うから考え方がぶつかる。文化が違う。互いに罵り合う。そして殺しあう。だから同じ色同士でまとまっていた方がよっぽど安全で平和なんだよ。一緒になんかなれやしない。世界中が仲良くなんてただの餓鬼の戯言(ざれごと)に過ぎない。諦めるのが最も懸命な考え方だ」
 私はそれを否定できなかった。否定する言葉が出なかった。ここまで言われてはもう黙るしかない。
 しかし、それでは太刀彦は・・・。
「・・・あんたの言うことはよくわかったよ」
「じゃあ、諦め・・・」
「でも・・・、あんたらに・・・あんたらなんかに・・・

 ――太刀彦を殺させない」

 私の口はまるで取り憑かれたように勝手に動いていた。
 ハウレスは暫し沈黙した後、大声で笑い始めた。口は今に裂けそうなほどだ。
「殺させないだと? どうやって? お前が守ろうと言うのか?」
「えぇ、そうよ」
 また口が勝手に動く。
 ハウレスはさらに大声で笑う。
「本気か、貴様? 能力者でもないお前が? こいつは傑作だ!」
 私は不思議と腹が立たなかった。頭のどこかでは無理だって事がわかっているからだろうか。それでも、そうだとしても、太刀彦がこいつらに殺されるのは我慢ならない。

 ――「それまでだ」

 突然声が降って来た。
 私がその声の主を探ろうと後ろを振り向くより早く、背後から“何か”が飛んでいた。
 それが何かはわからなかった。わかったことは、それがまるで丸太のように太く長い黒い棒のような物で、所々に突起物があること。そして、それが私のすぐ横を掠め取り、ハウレスのいた場所に突き刺さったことだ。奴は翼を広げ、宙に浮いている。
「誰かと思いきや、当の本人か。気配は消してたはずなんだがな」
 ニヤニヤ笑いながらハウレスが言う。
「お前の笑い声はどこにいても聞こえる。うるさくて仕方がない」
 黒い棒が暗闇に吸い込まれていく。そこから出てきたのは紛れもない、太刀彦だった。
「今日は戦いに来たんじゃないんだがなぁ」
「“今日も”の間違いじゃないか?」
「それもそうだ」
 クックックと笑う。
「全く・・・」
 太刀彦は私の方を見る。
「近づくなと言うのはこれで三度目だ。何度言ったら言うことを聞くんだ?」
「私は・・・」
 それ以上声が出ない。
「お前も命は惜しいだろ。わかったら消えてくれ」
 太刀彦の目が光ったようにも見えた。あまりにも冷たい目をしていたからだ。
「それはそうと、だ」
 太刀彦はハウレスに向き直る。
「お前はここで死んどくか?あんまり被害を大きくしたくないんだ」
 太刀彦が腕をかざすようにして手の先をハウレスに向ける。
「タイマンを望むほど馬鹿じゃないんでね。ひとまず帰らせてもらうぜ」
「卑怯な行為はしないと言ったのは誰だっけか?」
「戦争は頭数だよ。じゃあな」
 そう言い残すと、骨の羽を羽ばたかせ空へと消えた。
「ふっ」
 太刀彦はため息を漏らし、もと来た道を戻ろうとした。
「待って!」
 私は叫ぶ。
 太刀彦は聞かない。
「待ってって言ってるでしょ!」
 私はもう一度叫ぶ。
「・・・ふぅ・・・なんだ?」
 ようやく振り向く。
「あんた、いつもこんなのに追われてるの?」
「慣れた。それに弱い奴等ばかりだ」
 太刀彦は相変わらずの冷たい口調で答える。
「なんで追われてるの?」
 それは心の中ではわかりきっていた。
「話す必要があるのか?」
 めんどくさそうに言う。
「あなたが“能力者”だから?」
 一瞬動きが止まる。太刀彦は目を逸らした。
「・・・見ればわかるか。その通りだよ」
「どういう能力なの」
「・・・金属を放つ力・・・」
 太刀彦は諦めたように話し始める。
「様々な金属を腕や体から放つ。金属の大きさ、種類、形は自由に変形が可能だ。金属を放った後に突起物を生やす事も出来る」
「じゃあ、さっきのは・・・」
「金属を丸太状にして放った物だ。棘状にして射しても良かったんだがな」
「そう・・・なの・・・」
 私は声を小さくしながら、考え込み始める。
「聞きたいことはそれだけか? もう帰るぞ」
 太刀彦は私の返事を待つ間もなく、背中を見せた。
「待ってよ」
「まだあるのか」
 首から上だけをこちらに向けられる。
「正直、二度と近づいて欲しくない。俺の視界に入って来るな」
 髪の隙間から見える目が冷たい視線を放つ。
「そういうわけにもいかないの」
 私は太刀彦を睨みつける。
「同情で動いてるのか? だったらそんなことやめろ。俺を見放せ」
「・・・いつもそうやって拒絶する」
 私は悲しい顔になったと思う。
「当たり前だ」
 太刀彦は私と再び向き合う。
「正直迷惑なんだよ。いっそ、何もかも消えて欲しいぐらいにな。俺ばかりがこんな変な能力を受け継いで、気味の悪い奴らに追われる羽目になって! なのに、普通の人間はどいつもこいつもろくに悩みも持たず、ヘラヘラとしやがって! 虫酸が走るんだよ!」
 太刀彦の大声は響いた。それはやり場のない怒りをぶつけているように見えるだろう。私以外の人間には。
「・・・でもさ・・・」
 私は小さな声で呟く。

 ――「そうやって拒絶するのは、本当はあなたが優しいからなんだよね」

 太刀彦は少し目を大きくし、驚いたようだ。
「な、なにを・・・」
「普通の人間が嫌いといいながら、私とハウレスを離す為にこんなところまで来てくれたじゃない」
「違う! 俺はただ、あいつが嫌いだから・・・」
「あなたに近づくなって言うのもわかる」
 私は続ける。
「あなたは自分以外の人間が傷つくのを恐れている。自分が追われる身だから、近づいた人間が被害にあうのを怖がってる。だから極端に自分を殺してでも嫌われようと努力している」
「出鱈目ばかり言うな!」
「私にはわかる! あなたは冷酷になりきれてないのよ! 演技してるのがバレバレよ!」
 一瞬、太刀彦が怯(ひる)んだ。
「・・・それが・・・それがわかってるなら、なんで俺を放って置かないんだよ! 見放せよ!」
「出来るわけないじゃない!!」
 私は今までで一番大きな声で叫んだ。誰かに聞こえるなんて考える余裕などなかった。
「そんなことできると本気で思ってるの? 誰も傷つけたくないからって、自分を鬼にする人間を見て! 数奇な運命に見舞われて、毎日命を狙われ続けている人を見て! 生きるために汚らわしい血を浴びるような人間を見て! そんな無茶苦茶優しくて無茶苦茶悲しい人を見て!」
 私は涙を零し始めていた。
「見放せない人はいないに決まってるじゃない!」
 私は土を蹴った。そして体当たりするように太刀彦に抱きついた。
「私には出来ないのよ! あなたは優しすぎるから! 死んで欲しくないから! ずっと一緒にいたいから! もう、鬼になるあなたを見ていたくない! だから・・・だから・・・だから・・・」
 私の声はだんだん小さくなる。涙と嗚咽はどうしてもとまらなかった。
 太刀彦は完全に動きが止まっている。
 数秒間、私の嗚咽だけが囁くように響く。
「・・・わかった・・・わかったからさ・・・」
 太刀彦は私の頭の手をのせる。
「もう泣くな。お願いだから。こっちまで悲しくなる」
「・・・もう自分を追い詰めるのはやめて・・・」
 私は太刀彦の胸に顔をうずめながら、消えそうな声で呟く。
「わかってる」
 太刀彦の手が私の背中にまわる。
「もう、やめるから・・・」
 しばらく無言の時間が続いた。
 涙も嗚咽も止まらなかったが、心は落ち着き始めていた。
 永遠にこの時間が続くといい。
 そう思いながら、夢のような感覚に落ちた。
 いつか起こる恐怖を忘れて。

 ――そして、「その時」を思い出して、その晩に悶え苦しむことを、彼女が知る由もなかった。

 5

「そんな馬鹿な!」
 同時に机を叩きつける。バンと言う音が虚しく無機質な部屋に響いた。
「決定事項だ。諦めたまえ」
 正面にいる丸眼鏡をかけた髪のない男が静かに言う。
「なぜ‥‥なぜ、そんな決断が私抜きで・・・・」
「君がいては決まらないからだ。賛成などせんだろ」
「だからと言って、こんなことが許されるはずがない!」
「我々は秩序のために動いている。君も今の地位ならわかるだろ」
「ならせめて私の傘下に・・・」
「無駄だ」
 禿げた男が即答する。
「君と彼らとは存在意義が違う。彼らは若い故に危険すぎる」
「そんなもの数年もすれば・・・」
「もうすでに三人がやられているのだ」
 眼鏡の奥が光る。
「それでも彼らが危険ではないとは言えるのか?」
「・・・それは『鬼』が、ですか?」
 眼鏡の男は手を組み、黙る。
「あなた方の差し金ですか? その三人は」
 またも黙る。
「・・・本気でやめさせますよ。これはいくら上の意見だとしても、見過ごせません」
「部下を動かす気か? それとも自身が動くか? どっちにしたって、自ら秩序を乱すことになるぞ」
「もうすでに乱れている」
「君の天秤は狂ってるな。我々より彼らのほうが重いというか」
「ああ、その通りだ」
「青二才が。我々は世界を動かせる人間の一人だ。そんな人間を殺すことがどれだけ世界に影響を与えるかわからんのか? 君はもっと賢い奴だと思っていたが?」
「私は私の正義を貫くだけです」
「正義などという曖昧なもので権力を振るうか。そんな個でしか表せない物で何を語れるというのだ?」
 彼は答えない。
「そんなことでは全世界を敵に回すことになる。そんな状況下で君は戦い続けられると言うのか?」
 彼は答えない。
「地位すらもわかっていない。我々がいなければ君はただの異端者だ。誰のおかげでその高台に上り詰められたと思っている。世界を敵にするということは同時に、君の足場を消すことと同じだ。そんなことをしても死ぬだけなのは目に見えているはずであろう」
「・・・それでも、私は従えません」
 彼は振り返り「失礼します」と言って歩き出した。
「何をしても無駄だ」
「・・・行くぞ」
 彼は眼鏡の男を無視し、壁に寄りかかっていた二人を呼ぶ。一人は「は〜い」と間の抜けた返事をし、もう一人は無言でついてくる。
 彼ら三人が退出し、ドアを閉じる音と共に静寂が訪れる。
「いるか?」
 眼鏡の男が何もいない空間に話しかける。
「クックック、ここだ」
 どこからともなく声がした。
 その声の主は眼鏡の男のすぐ後ろにいた。
「どこから入った?」
「壁をすり抜けられるんでね、隣の部屋から」
 といって何もない壁を指す。
「ところでさっきのは誰だ?」
「『氷』だよ」
「ああ、なるほどねぇ。あいつがか・・・」
 また気味悪く笑う。
「その笑いをやめろ。胸糞悪い」
「はいはい、で用件は?」
 眼鏡の男は無言で二枚の写真を取り出す。
 一対の腕でそれを掴み、しげしげと見つめる。
「ターゲットか。女じゃ、やる気でねぇな」
「そっちはまだいい。それより、もう一枚のほうだ。そっちが本命だ」
 写真を入れ替える。
「ほぉ、こいつか」
 感嘆の声を漏らす。
「腕は鬼神級だが、お前なら何とかなるはずだ」
「ふっ、どうだかねぇ」
「失敗は許されない。必ず遂行しろ」
「うるせえな、鬼畜野郎」
「お前の皮肉も慣れた。とっとと行って来い」
 眼鏡が怪しく光る。
「はいはい」
「頼んだぞ。“ハウレス”」
 剥げ頭の後ろの窓が開き一瞬強い風が吹く。
 羽ばたきが聞こえたかと思うと、一瞬にして風は止み、部屋は再び静寂を取り戻した。
「失敗は許されない・・・からな」
 小さな声が静かに反響する。

 6

「いい情報だろ。素直に受け取っておきな」
 ハウレスが言う。
「そんな事を、私なんかに話していいの?重大機密じゃない」
 私は呆れたような声を出す。
 ここは私の部屋だ。幸い、夜中の三時であるため、両親はまだ寝ている。自分の姿を見られたくないのはわかるが、あまりにも非常識な時間であることは確かだ。叩き起こされるこっちの身にもなって欲しい。
 そんでもって、いきなり“太刀彦の暗殺命令を下された”なんて情報をぶつけられたらもんだから、目はパッチリと冴えてしまった。
「かまやしねぇよ。漏らした所で何かが変わるわけでもない」
 ハウレスは窓に寄りかかる。
「何よそれ」
 私はハウレスを睨みつける。
「まるで太刀彦が死ぬことが決まってるみたいじゃない」
「その通りだが」
 ハウレスはニヤニヤ笑う。
「尤も、“かも”だがな」
「どういう意味よ」
「ちょっとした気まぐれって奴だ。たまには“イレギュラー”ってもんが欲しいもんでなぁ」
「あんたの頭、理解出来ないわ」
 私はため息を付く。
「お前は昨日“太刀彦を殺させない”と言ったろう。俺はチャンスを与えにきてやった」
 鬼ってやっぱりよくわからない、と再確認した。
「いくらなんでも、普通の人間が俺たちの襲撃に気が付くわけもないしな。だからこうやって教えに来た」
「・・・で、私は素直に喜べばいいっての?」
「そんなんはどうでもいい。とにかく『今日の十六時以降に台風が来る。その時俺たちは襲撃を開始する』以上だ」
「・・・予報では今日は一日晴れなんだけど」
「仲間が降らす。そういうのが得意な奴がいるんだ」
「なるほどね、よくわかったわ」
「・・・しかしまぁ、お前も変わってるな」
「何が?」
 私は怒りも含めて言葉を返す。
「俺たち相手に肝が据わってる。面白い奴だ」
「単に信じやすくて、鈍感なだけよ」
「くっくっく、本当に面白い。じゃあ、またな」
 そう言ってハウレスは窓を飛び出し、バサバサと羽音を立てながら闇の中に消えた。
 ハウレスが去って、自分に鬼に対する恐怖が消えていることに気が付き、素直に驚いた。
「さて、どうしようか」
 私は独り言を呟きながらベッドに倒れこんだ。
 することなんて決まってる。とにかくこれを太刀彦に知らせる。それと私に出来ることを探す。
 私は太刀彦にもらった十字架を、目の前にぶらつかせる。
「お守りかぁ」
 昨日太刀彦と別れる直前にもらったものだ。金色の十字架に赤や緑といった宝石がちりばめられている。それらが本物かどうかはわからないが。
 役に立つかは半信半疑だった。神も幽霊も信じない私には、ただの金色の首飾りにしか見えなかった。
 でも、少しでも信じたい。私は十字架を胸にあて、目をつぶった。何も出来ない私でも、祈るだけでもしてみたかった。
 しかしその数秒後、私は深い眠いに落ちた。

 次の日はというと、遅刻ぎりぎりの時間に目が覚め、慌てて家を飛び出した。なんとか学校には間に合ったが、もっとハウレスをけなしておけばよかったとも思った。
 学校に着いて、太刀彦と話す前に麻奈に相談しようかと思ったが、生憎、麻奈は休みだった。
 休んだ理由は単に風邪を引いたから、と誰かの話し声から聞いた。さらに聞き耳を立てるとそれを言い出したのは尚也だという。
 なぜ、尚也がそれを最初に言い出せたのか? これは何かありそうな予感がしたものの、それ以上は気にするのをやめた。大切な友人のことであるが、正直それどころではない。
 昼休みには太刀彦を呼び出すことに成功し、なんとかあらましを伝えた。私としては戦いには行って欲しくなかったが、彼はそれに反対した。しつこく説得しようとしたが、彼の意志は固かった。
 私は説得を諦めて、彼に『絶対死なないこと』を強制的に約束付け、その日は学校ではそれ以上話さなかった。
 帰る頃には、すでに時刻は四時を指しており、空は黒い雲に覆われていた。私は自然と早足となった。
 家に着くと同時に雨が降り出し、その勢いは急激に強まった。降り出してから、十分もしないうちに雨は土砂降りとなり、強風が吹き荒れ、雷も所々見られた。
 五時を過ぎた頃、私は十字架を手にし、窓を睨みつけていた。
 結局、自分に出来ることなんて思いつくわけがなく、改めて無力であることを思い知らされた。
 それでも、私はチャンスを逃したくなかった。
 後悔なんてしたくなかった。
 私は無意識に十字架を首にかけて、ドアノブに手を伸ばしていた。

 7

「俺カ?簡単に言えば“死体処理班”ってとこカ」
 『口を持つ物』は言う。
「俺たちの死体ってのは普通はすぐ消えちまうんだガ、こっちの世界じゃ肉片が残っちまウ。だから人間に見つかる前に俺らが処理しに来たんダ」
 家を飛び出すと、急激に寒気が押し寄せた。土砂降りは確かに酷かったが、目を開けられないほどではなく、走ることも苦ではなかった。厄介だったのは、むしろこの暗さだった。五時、それも六月だというのに、これでもかというほど暗い。まだ完全には暗闇になりきれていないものの、視界が悪いことこの上ない。
 そして、しばらく行った所でこいつと会った。
 道の所々に黒い物が落ちており、こいつがそれを吸い込んでいた。その黒い物が鬼の死体だとわかったのはこいつに近づいた時だった。
 そいつは約三メートルもの体をもつ大男で、この土砂降りの暗闇の中にくっきりとした影のシルエットを映していた。図体から見ても鬼であることは一目瞭然だが、それだけが大男の特徴ではなかった。額、片、胸、掌、腹に大小異なる口と白く鋭い牙を光らせていた。一番大きい胸の口は私の顔以上の大きさがあった。そこだけが真っ白く輝き、まるで浮いてるようで不気味であった。
 男は自ら『口を持つ物』とだけ名乗った。
「じゃあ、この前の死体は何で見つかったの?」
「この前?」
「この近くで三体の鬼が見つかったじゃない」
「あァ、それカ」
 光る口が微かに歪む。
「こちらとテ、仲間の動きぐらいは把握しているつもりだったガ、あまりにも予想外だっタ。これほどの仲間が動く時は合わせられるガ、個人で勝手気ままに動くのは対応出来なイ」
「仲間が少ないわけじゃなんでしょ?」
「少なくはないガ、正式に働いているのは三十三人だけダ。多くはなイ」
「そいつら全員が『口を持つ物』なの?」
「どういう意味ダ」
「名前よ」
「こっちの世界でという意味カ? なら名前ぐらいはあル。三十三人全員にナ。俺は好き勝手に『口を持つ者』という総称で名乗っているだけダ」
 私は少し考えてから口を開く。
「質問していい?」
「もうしてるだロ」
 微かに笑みを浮かべたように見えた。
「太刀彦を知ってる?」
「知らなイ」
 『口を持つ者』は即答する。
「じゃあ、ハウレスは?」
 立て続けに質問する。
「知ってル。相当な強者ダ」
「どれくらい?」
「基準がわからン」
「地位とかないの?」
「そうだナ。EからSランクで判定するなラ、Aランクぎりぎりってとこカ」
「そう、ありがと」
 私は『口を持つ者』の横を過ぎようとした。
「行く前にこっちも質問ダ。何処に行ク?」
 振り返りながら聞く。
「太刀彦とハウレスの所」
「お前、普通の人間だロ。死ぬゾ」
「わかってる。でも行かなきゃならないの」
「・・・その“太刀彦”とやらは何ダ?」
「友達。普通じゃないけど」
「能力者カ?」
「そうよ」
「そいつ強いナ」
「なんで?」
 私は首を傾ける。
「この死体をを見ロ」
 そう言って大きな死体を指差す。
「そいつがどうかしたの?」
「ハウレスの側近の『ヴォレフォーレ』ダ。こいつも相当強イ」
 私は黙って死体を見つめた。
「しかシ、かなり傲慢なやつだったからナ。いくら強くても、他の奴らに疎まれていたナ」
「知ってる。前会ったわ」
 そいつは確かにハウレスの隣にいた球体の鬼だ。腹にまるでブラックホールのような大きな穴があき、完全に事切れている。太刀彦がやったのは一目瞭然であった。
「そうカ」
 『口を持つ者』は再び前を向く。
「それだけ?」
「あァ、死なねぇように行きナ」
 そう言って『口を持つ者』はしゃがみこんだ。掌を死体に近づけると、掌にある口が大きく開き、死体を吸い込んだ。
 私はそれを見届けてから走り出した。

「ちょっと待ちなよぉ、お嬢さん。こんなところを一人でいたら危ないぜぇ」
「俺たちがボディーガードでもしてやろうかぁ?」
 全くついてない。『口を持つ者』と分かれてから、すぐにこんな奴に会うなんて。
 このセリフを吐くのが人間だったらどんなにいいことか。しかし、目の前にいるのは、気持ち悪い笑顔をする二体の『鬼』である。親切心でこんなことを言ってるなんて、とても信じられない。
「生憎だけど、急いでるの。じゃあね」
 私はそいつらの横を素通りする。
「待てよぉ、少しは遊んで行けよぉ」
 同時に鬼が振り向いた。
「そうだろぉ、そっち行くより俺たちといいたほうが楽しいぜぇ」
 不潔。不快。嫌悪。拒絶。んでもって低レベル!
 これなら、そこらの不良の方がもっとましなセリフを吐いてくる。
 私はぬかるむ道路を蹴り、全力で走り始める。
「あ、おい!」
「待ちやがれ!」
 鬼に待てって言われて待つ人がいるかっての。
 足にはそこそこ自信はあるつもりだった。しかし、あまりにも気候条件が悪すぎる。この土砂降りで視界は悪いわ、水で体は重くなるわで走りにくいったらありゃしない。
 その上、後ろを振り返れば、空中に二体が浮いている。多分翼を持っていたのだろう。これでは追いつかれるのも時間の問題だった。
「さ〜て、もう追いつくぜぇ、お嬢ちゃん」
「いい加減諦めなぁ」
「ほ〜ら、鬼ごっこは終わりだぜぇ」
「捕まえたっとぉ」
 片方の鬼の手が私の肩に触れた。私は背中に悪寒が走った。一瞬にして死が近づくのを感じた。
 だが、それ以上何も起こらなかった。いつの間にか鬼の手は離れていた。その上、後ろからは呻き声が聞こえる。
 「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・」
 私は立ち止まって後ろを振り返った。
 そこには一体が倒れており、もう一体は呆然と立ちすくむという奇妙な光景があった。倒れている鬼には、さっきまであった筈の片腕が消えていた。
「貴様ぁぁぁぁ! 何しやがったぁぁぁぁ!」
「くっそぉぉぉぉ!」
 もう一体が突っ込んできた。何が起きたかわからない私は動くことも出来ずに、鬼に両肩を掴まれた。
 しかし、それも一瞬で離れた。両肩に触れたはずの腕が無くなったからだ。
「あああああぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・」
 悲痛な叫びが上がる。
「許さねえぞぉぉぉぉ! きっさまああぁぁぁぁ」
 片腕の鬼が突っ込んでくる。やはり、私は動けない。鬼の体当たりをもろに食らった。
 私は吹き飛ばされ、水溜りの中に派手に突っ込んだ。幸い、相手の力も弱く、思ったほど体にダメージはないようだ。
 私は鬼のほうを向き直った。しかし、そこに先ほどの鬼はいなかった。この視界のせいかと思ったが、よく見ると雨の中に倒れていた。
「ぎゃっ!」
 だが、それを見て私は叫び声を上げていた。
 倒れた鬼の上半身は無くなっていたからだ。
「あ・・・あ・・・ああああぁぁぁぁ・・・・」
 両腕のない鬼はわけのわからない叫び声を上げて飛び去った。
 後には鬼の死体と激しい雨音でだけが残る。
 あ、お守り。
 私は胸にぶら下がっている十字架を思い出した。
 服の下から取り出して握り締める。
 もしかしたらこれが効果を発揮したのではないか、と。
 他には可能性が思いつかなかった。
「・・・太刀彦」
 私は凍える体に鞭を入れ、走り始めた。

 雨に混ざり、呻き声が聞こえた。
 それはこの世の物とは思えない、断末魔のような声だった。
 雨の音がうるさすぎて、本当に微かにしか聞こえない。
 それでも立て続けに二、三人の声が響くのを確かに聞いた。
「・・・まだ生きてる。戦ってる」
 私はその声の方角へと走る。
 凍える体は半ば氷にでもなったかのように、少しずつ動かなくなっていく。
 雨は時間に比例して強さを増し、視界を遮り、聴覚を狂わせる。
 時々煌く雷は私の恐怖を駆り立てる。
 それでも私の足は止まらなかった。
 道路に残る死体の多さに、太刀彦の強さをかみ締める。
 同時に、太刀彦が死なないという確信が強まっていく。
 そうだ、彼は死なないのだ。
 私は太刀彦に約束をさせたのだ。
 絶対に死なないと。
 そして私はハウレスに言ったのだ。
 太刀彦を殺させないと。
 私は太刀彦のもとに行かなくてはならない。
 太刀彦を救えるのは私だけなのだ、と。
 突然、視界が開けた。
 大通りにでた。
 そこには夥しい数の鬼の死体が散りばめられていた。
 私はこの地獄絵図に吐き気を覚える。
 しかし、私は懸命に堪える。
 弱い自分は要らないのだ。
 辺りを見渡す。
 こんな時間であるというのに、店の一つも開いてない。
 その上、人の気配すら感じられない。
 この台風のせいだろうか。
 右手側に影が見えた。
 雨と闇ではっきりとは見えない。
 だが、こっちに近づきつつあった。
 あれは・・・。
「太刀彦!」
 そうだ!あれは太刀彦だ!
 私は駆け寄ろうとした。
 が、躊躇した。
 彼の後ろには数え切れないほどの鬼が続いていた。
 太刀彦がこっちに気が付いたようだ。
 目が大きく開かれ、口が半開きになる。
 でも、次の瞬間には怒ったような悲しいような顔に戻った。
「・・・馬鹿野郎!」
 太刀彦は叫んだ。
 彼は私に追いつき、左手で抱きかかえるように持ち上げた。
 そして、また逃走劇をはじめる。
 一体、どこにこんな力があるというのだろう。
 そういえば『黒』に『能力者は飛躍的に身体能力を上昇できる』という記述があったような・・・。
「ったく、言わなかった俺も悪いが、なんで来たんだよ」
 相変わらず冷たい口調だが、私は不快にならなかった。
「待つのって嫌いなのよ、私」
 嘘だけど。
「正気の沙汰じゃないな、身の程知らずというか・・・」
「そんなことはいいから!右!」
 太刀彦の右側に鬼がピッタリと付いてくる。
 瞬間的に彼は右手をかざし、能力を発動した。
 鬼の体に黒い塊が刺さり、大きな穴が開く。
 鬼はそのままドシャと倒れ、後ろの鬼に踏み潰されていく。
「埒があかない。路地に入るぞ」
 太刀彦は曲がり、狭い路地へと入り込んだ。
 後ろからは黒い壁のように、鬼が群がってくる。
「さて、どうしたものか」
 太刀彦は落ち着いた口調で言う。
 それは私にも言えるセリフだった。
 助けに来たといいながら、助けられてちゃどうしようもならない。
「とりあえずは、このまま逃げるぞ」
「ちょっと待ってよ、私は適当に降ろしていいから」
 あぁ、もぅ、私は何やってんだ。
「無理言うなっての」
「でもお守りあるから」
「・・・発動したのか・・・。万が一は成り立ったってことか」
 太刀彦の声が少し低くなったような気がする。
「それは低級な奴にしか効かない。後ろにいるほとんどの奴には効かないぜ」
 てことはさっきの奴らは弱かったと・・・。
 なんて、落ち着いて考えている場合じゃない!
「どっちにしたって、このままじゃこっちが不利じゃん!」
「だから、逃げて策を考えるっての。お前も考えろ」
「そんなこといきなり・・・って、左!左!」
 太刀彦は左にいた鬼を瞬殺する。
「・・・これで何十体目だか」
「あぁ〜、どうしよ・・・」
「のわ!」
 太刀彦の体が揺れた。
 躓いたというよりは、正確には倒されたに近いようだった。
「ヒヒヒヒヒヒヒ・・・・」
 私は笑い声を聞きながら、太刀彦と一緒に倒れた。
 倒れる寸前に、道路に顔を見た。
 不幸にも、太刀彦が下になったようで、体への衝撃はなかった。
 すぐさま起き上がった。
 ふと見ると太刀彦の足に手がくっついている。
 いや、地面から生えた手が足を握っている。
 さっきの顔か!
 後ろの鬼はもう百メートルにも迫っていた。
 先頭にはハウレスの姿をはっきりと捉えた。
 私は無意識に鬼の前に立ちはだかった。
「おい! 何やってる! どけ!」
 私は太刀彦を無視して手を広げた。
 ハウレスのにやついた顔がさらに深くなった。
 それを見て私は笑い返してやった。
 2人が衝突する瞬間、
 刹那のまばゆい光に包まれ、
 辺りの時が停止したかのように感じられた。

 8

 屋根に二つの影があった。だからと言って、それが鬼だと言う訳でもない。れっきとした人間の男女が屋根の上にいたという意味である。
 女の方は自分のツインテールを弄ぶように立ち、男は左目を髪で隠し、隠れしていない右目で今の状況を把握しようとしていた。こんな土砂降りというのに二人は全くと言っていいほど濡れていなかった。というのも、二人の周りだけ雨は降っていなかったからだ。
 二人は全鬼の行方と行動を観察していた。もっと言えば監視していたに近い。だが、今となっては、無意味であった。二人の任務は終わりを告げようとしていたからだ。
 その時、二人の背後にもう一つ影が現れる。音もなく屋根の上に着地する。
「あ、おにぃちゃん」
 女の方が甲高い甘ったるい声で喋る。男のほうは無言で振り返る。
「終わったの?」
「あぁ、終わった。成功だ」
 兄であるという男は濡れた髪から零れる雨粒に目を細める。男の周りにはもう、雨は降っていない。
「そっちはどうだ」
「・・・見ての通り」
 無言の男が口を開く。
「あぁ・・・なるほどな。お前ら、なんかやったか?」
「なぁんにも。着いたらこんなだったの」
 女は頭の後ろで手を組む。
「ふぅ、仕方がないな。撤収するぞ」
 兄であるという男は背を向けて、雨の中に跳び始める。
「はぁい」
「・・・」
 女も男もそれに続いて飛び始めた。
 辺りは再び雨音に支配される。

 9

 部屋は相変わらず暗かった。空気は淀んでいないものの、拒否したくなるような重苦しさがあった。
 丸い眼鏡は窓の外に向けられていた。しかし、別に景色を見ているわけではなく、単に頭を働かせるのに窓を向く癖が付いていただけのことである。
 色々な事が頭を巡る。世間のこと、政治のこと、世界のこと。あるいは幼すぎる力のこと、鬼神と呼ばれた青二才のこと、そして鬼のこと。
 どれもが複雑かつ困難な問題であり、解決に導くのに相当な時間を費やすことは目に見えていた。そしてそれを否定できなかったことが自分自身を苛立たせている。
 この地位を手に入れるのに手段は選ばなかった。利用できる物は利用し、切り捨てられる物は全て切り捨ててきた。そしてこれからもそうするつもりでいる。
 鬼と契約を結んだのも、利用できるからに過ぎなかった。そしていいように利用できている。全く問題はない。
 唯一つの心残りを除いては、だ。そして、それが近づくことを彼は微かに感じていた。
「やっときたか」
 丸眼鏡の禿げた男が椅子ごと振り返る。眼鏡だけが光のない部屋で薄暗く光る。
「やられたかと思っていたところだ」
「そんなやわじゃねぇよ。苦戦はしたがな」
 ハウレスは含み笑いをしながら、音もなく近づいてくる。
「ターゲットはどうした?」
 禿げた男が机の上で手を組む。
「・・・聞くまでもねぇだろ」
 吐き棄てるように言う。
「それもそうだ」
 禿げた男が椅子にもたれる。
「報酬をやろうか。何がいい」
「美味しい話だが、その前に聞きたい事がある」
「なんだ」
 禿げた男はハウレスから窓の外に目線を移していた。
「俺の部下を唆(そそのか)したのは本当にテメェか?」
「誰のことだ?」
「ゴート、ボルボラン、カスラキの三人だ」
「名前なんぞ覚えとらん」
「じゃあ、こういえばわかるか」
 ハウレスの笑いが初めて消える。
「このターゲット、“太刀彦を襲って無駄死にした鬼ども”のことだよ」
「・・・誰から聞いた?」
「盗み聞きしたまでだ。質問に答えてもらおう」
「あぁ、確かに私だ」
 口元が笑う。
「私があの愚かな鬼を釣り上げて送ってやった」
「そうか」
 ハウレスがそういうのと同時に扉が開け放たれた。
 そこから入って来たのは人間ではなく、数人の鬼だった。その中には側近の大木の鬼もいた。
 悪い心残りが当たった。
「・・・口うるさい方の側近がいないな。どうした?」
 禿げた男はこの状況に冷静に言う。
「死んだよ。そしてお前もそうなる」
「そうだろうな。冥土の土産に動機ぐらいは聞いといてやろう」
「相変わらずの口調だな」
 ハウレスは鼻で笑う。
「単純だ。お前の下にいるのは気に食わない。ただそれだけだ」
「お前らは普通の人間を殺す気はなかったんじゃないのか?」
「貴様は普通じゃないからな。人間でも鬼でも、ましてや能力者でもない」
 禿げた男は黙ってた。やはり、否定出来ないのは苛立つ。
「・・・それとだ」
 ハウレスが再び口を開く。
「残念だが、お前が指定したターゲット、二人とも生きているぜ」
 禿げた男は窓から目を放してハウレスを見た。
「女の方はどうなったか知らないが、一人も部下が帰ってこねぇ。大方、邪魔に入られて全滅したんだろ」
 禿げた男はやはり黙っている。
「男、太刀彦の方は“生かしてやった”。向こうには強力な堕天した女神が付いているんでね」
「・・・お前が女神なんていうのは驚きだな」
「うるせぇよ」
 禿げた男は土砂降りの雨を振り返る。
「じゃあ、終わりにしようか」
 ハウレスは禿げた男のすぐ後ろに立つ。
 突然、目の前の大きな窓ガラスが砕かれる。
 砕けた破片は丸眼鏡の男とハウレスの頭に降り注ぐ。
「ヒトリ・・・ヤラレタ・・・」
 大木がかすれた声で言う。
 ハウレスは振り向く。大木の右隣の鬼が胸に数発の銃弾を受けて倒れていた。
「道連れが欲しくてな、狙撃手を数人用意させてもらった。まぁ、どうせお前には効かないだろうがな」
 切れて血の滲んだ禿頭をなでる。
 大木を含む、数人の鬼が窓から飛び出す。
 何度も銃声が鳴り響く。
 そして悲鳴。
「お前、どこまでも厭な野郎だな」
「ふっ・・・」
 ハウレスが右腕を振りかざし、勢いよく振り下ろした。

 10 エピローグ

「なぁ、どう思う?」
 尚也が話しかける。
「何が?」
 答えたのは麻奈だった。
「あれだ」
 尚也が指差す。
「あそこ歩いてる二人」
「あぁ、あの二人かぁ。うん、いい笑顔してるじゃん、二人とも」
「この一週間で何かあったのかなぁ。並んで仲良く歩きやがって」
「そ〜ねぇ・・・、彼女、堕天使になれたんじゃないの?」
「堕天使?」
「尚也と同じよってことよ」
 麻奈は尚也の鼻の辺りを指差す。
「あぁ、そういう意味ね。そっか・・・なるほどね」
 外の景色は眩しすぎるくらいに輝いていた。昨日の土砂降りがまるで嘘のように。
 日差しは本格的な夏以上の力強さを帯びていた。
「なぁ、いつあいつのこと気が付いた?」
「ん? そうねぇ・・・。初めて会ったときかな」
「ふ〜ん、結構わかるもんなんだ」
「そうでもないわ。たまたま彼があんな感じだったかわかったのよ。無理して生きてるって、直感でね」
 麻奈が窓の縁に頬杖をつく。
「昔、あたしもあんなだったから。でも早いうちに吹っ切れたのよねぇ。不思議と」
 そういって麻奈は笑う。
「でも、そう言ってる尚也もよくわかったわね、わたしの事」
「あいつとは長い付き合いだからな、なんとなくわかる。こいつは違うなってさ」
「やっぱり、直感?」
「そ、直感」
 尚也は頭を指差して笑う。
 麻奈も一緒に笑う。
「そういや、まだ足痛むか?」
 尚也が再び口を開く。
「あぁ、これね」
 麻奈がスカートを少し捲り、包帯をした足を見せる。
「痛みは結構治まったわ。見た目ほど酷くなかったみたい」
「そっか、そりゃよかった」
「しっかし危なかったなぁ、もう少しでやられるところだったねぇ」
「そこ、笑っていいとこじゃないぞ。心配してんだから」
「ごめんごめん」
 麻奈が頭を掻く。
「でも、ホントに危なかった。彼が来てくれなきゃホントに死んでたかも」
「氷さんてったっけ? その人」
「さぁ、本名まではわかんないわ。でも、かっこよかったなぁ」
「ふ〜ん、そう」
「あ、ちょっと妬いてる?」
「そんなんじゃないけどさ」
 尚也が頭を掻く。
「嘘つかなくてもいいわよ。しっかり顔に出てるじゃない」
 そういって尚也の顔を指差す。麻奈は掌を彼の頭の上に乗せる。
「よしよし、そんなに落ち込まないで、ね」
「・・・恥ずかしいからやめてくれ」
 尚也は麻奈の手を掴む。
「誰もいないから大丈夫よぉ、それとも抱きついてあげたほうがいい?」
「・・・暑苦しいっての」
「またまたぁ、恥ずかしがっちゃってぇ」
「うっせ」
 尚也が麻奈の腕を引っ張る。
 麻奈はそれに逆らうことなく引き寄せれられる。
 彼の腕が彼女の頭にまわり、胸に埋まる。
 その胸には赤や緑の宝石が交じる、金色の十字架が煌いていた。

 終

 

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 後書き

 やっと更新かというぐらいに、前半と後半の間が長くなってしまいました。なにしろ時間がないというのはどうしようもないですね。最近では時間を作ることさえ難しくなってきている、我が管理人です。どうもすみません。
 さて、今回の話ですが、謎解きを深くいれずに純粋な文学作品をイメージして書いたわけです(非現実が純粋と呼べるか否かは別にしてです)。最終的には多少の謎は入りましたが、そこはご愛嬌って事でご了承してくださいな。
 では、恒例(?)の雑談コーナーといきますか。
 この頃(←このHPが何年も先に残っていることを前提に考えているわけで)というのは非常に忙しい時期です。なにせよ勉強と睡眠(+部活)に追われる、精神的にもきついです。大学生以上の人なら誰でも(一部を除く。信じたくないが)通る道である。今小中学生であるという方。は〜いとか返事をしなくていいから、一応読んでおけ。まずそれなりに覚悟をしておいたほうがいいと、敢えて脅しをかけておこう。自分になりたい未来があるというのなら、高校に入ってからは気を抜くべきではない。そりゃあ、友達と遊ぶことも重要であるし、高校でしか出来ないことはたくさんあるのはは当然ではあるが。受験生になろうという者が何かに熱中してしまえば、それは終わりと思え。誰かさんみたいにこんな時期だというのに、一生懸命小説の後書きなんて書いてる奴みたいになってはいけない。それを肝に銘じていて欲しい。とにかく、高校2年終わりとなったら、遊ぶことを忘れて勉強するのがベスト。逆になってはいけない。確かにそっちのほうが楽しいけど。
 以上。自由気ままな管理人のどうでもいい雑談でした。

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