8月9日(土)
出勤途中、多くの見知らぬ顔とすれ違う。この時期、青ヶ島村の人口は普段の約2倍となる。☆★役場前で会場作り。公共事業に携わる五洋建設・廣江建設・青ヶ島総合開発といったプロが、あっと言う間に本格的な舞台を組み上げる。☆★私は同僚と一緒にテント係。ただし、台風10号が来ているため骨組みだけ組んで、タル木と針金とタグで地面に固定する。その後は、土俵作りに没頭。☆★夜は、前夜祭パレードの壮行会。会食をしながら還住太鼓の演奏に酔い痴れる。☆★明日はいよいよ待ちに待った「牛祭り」である。☆彡
8月10日(日)
青ヶ島には、戦前から荷役や農作業のために多くの牛がいた。そうした牛への感謝と慰労のため、毎年8月10日に行なわれるようになったのが「牛祭り」である。☆★しばらく断絶していた「牛祭り」が、村起こしのイベントとして復活したのは昭和52年。今では黒毛和牛の品評会をメインに、還住太鼓、相撲大会、カラオケ、島踊り
、花火大会 等で盛り上がる。☆★人工受精で生まれた純粋種は、雌は島に残し、雄は島外で食用牛として育てられる。紛れもなく、畜産は村の基幹産業の一つである。☆★島民全員の祭り…長く楽しい一日が終わった。☆彡
8月11日(月)
牛祭りの後片付けを終えて、午後の「還住丸」で出島。夜は八丈で連日の花火見物。☆★どちらも見事だったが、青ヶ島の花火大会は格別。ヘリポートから打ち上げて夜の帳に消えるまで、至近距離で見ることができる。視界一杯に587発の七色の光が広がる。場所を選べば真の闇がいくらでもある島…。花火見物は青ヶ島に限る。☆★今日は、飛行機が出るまでのわずかな時間を利用して、黄八丈の染元を見学。そこから歩いてすぐの天然温泉で疲れを癒す。☆★運良くヘリの予約が取れた島人と空港で合流。少々遅れたが、無事羽田に帰還する。☆彡
8月13日(水)
内輪山と外輪山の間のカルデラ地帯を「池の沢」と呼ぶ。名前の由来となった2つの大きな池は、天明の大噴火で埋まってしまったが、代わりに「ひんぎゃ」と呼ばれる沢山の噴気孔が生まれた。☆★地熱エネルギーを利用した施設に「ふれあいサウナ」がある。入浴料200円也。ただし、夏季は床面の温度が上昇し、足を着けていられないほど。天井からは、熱い雫が背中を襲う。☆★併設された蒸し釜に卵や芋を入れておくと、風呂から出る頃には食べ頃になる。休憩室で「ひんぎゃの塩」をまぶして、ビールの肴とする。正に至福の時である。☆彡
8月19日(火)
三宝港を眼下に臨む待合室の屋上に硬質プラスチックのバスタブが2つ。バルブを捻ってお湯を溜めると、立派な露天風呂ができあがる。心行くまで浸かって納得したら、栓を抜いて終了。要水着着用だが、正真正銘の天然温泉である。☆★「ひんぎゃ」の島である。掘削すれば、いくらでも源泉に当たるに違いない。しかし、この島の温泉は観光資源にならない。灼熱の太陽も白い砂浜もない。何よりも旅程が立てられない…。☆★風呂に入るなら夕まぐれがいい。黒潮の海が紅く染まる中での極楽気分。島人も滅多に入らない秘湯中の秘湯である。☆彡
8月24日(日)
10日ぶりの青ヶ島。ブラスターウィルス対策をしていると、隣人が見慣れない魚3尾(近目金時・アカヒメジ・クジラヨか?)を持ってくる。漁船に乗って「網おこし」を手伝ったらしい。早速さばいて刺身に仕上げたところで、疲れて寝てしまう。☆★青ヶ島の夏は快適である。夜、網戸にしておくと高原の気持ち良い風が入ってくる。クーラーなしでは寝付けない人間が、熟睡できる。☆★先週は、内地の肌寒い気候に体調を崩した。平坦な土地では良く躓いた。身体が島用に変わってきている…。☆★束の間の好天。明日から、仕事復帰である。☆彡
8月30日(土)
今日は「親子浜遊び」。潮位が下がれば入水可能という島人の判断で高波の中、決行。☆★村民の結束と仕事ぶりにはいつも頭が下がる。父親はあっと言う間にテントを組み立て、魚をさばく。母親は何種もの料理の下拵えを瞬時に完成させる。☆★昨日、刺し網で揚がった伊勢海老5尾をまるごと入れた味噌汁や、鮫の皮の料理など内地ではとても食べられないものが並ぶ。☆★水深3mの港では、泳ぐというより飛び込んだり潜ったり浮かんだりだが、体を波にまかせているだけでジェットコースター並みの負荷がかかる。☆★島の子供は逞しい。☆彡
9月13日(土)
島中に散見する墓碑。中でも、都から史蹟指定を受けている佐々木次郎太夫の墓は見逃せない。☆★村役場前の急坂を上って数分、中興開山之塔と刻まれた墓石がある。右側面には「中興名主俗名十七代佐々木次郎太夫源伊信」とある。還住のリーダーとして再開発を成し遂げた功績が認められ、一代限りの苗字を許された。☆★86歳で死去するまで、島の復興に一生を捧げた次郎太夫の生きざまは、偶像となることをを拒んだ。島内唯一の銅像である「還住像」は、褌姿のりりしい若者である。☆★「還住」とは、青ヶ島の「今」の課題でもある。☆彡
9月24日(水)
台風15号が直撃。瞬間風速59.5mの威力は凄まじい。☆★携帯も含め電話は不通。被害状況を知らせる伝令が走る。☆★道々、根こそぎ飛ばされた立ち木や、家財の剥き出しになった民家が目に入る。いつもは無口な村人が話しかけてくる。「昨夜は生きた心地がしなかった。」と。☆★職場では、強化硝子が木っ端微塵に割れて散乱。壁に寄せてあったはずの本棚が中央に集まっている。村内放送が、道路に転がった冷蔵庫の持ち主を探している。☆★復旧作業が続く中、TV画面では「関東上陸の恐れなし」のテロップが繰り返し流されていた。☆彡
9月27日(土)
台風直撃の前日、運動会が開かれる。基本的には小中学校の行事だが、村をあげての催しとなる。☆★最後の種目、紅白対抗村民リレーの直前に壮絶な雨。校庭整備後、再開。☆★もともとグランドの状態は良くない。運動会前、トレーラーで整地したものの、何日も石拾いに精を出すこととなった。少し掘ると細かい火山岩のカケラが出てくる。拾っても拾ってもきりがない。☆★台風が青ヶ島に向かっている。突風が吹く可能性があるので、テントや入退場門の設営は無し。わずかに校庭に張った万国旗だけが、運動会の雰囲気を盛り上げていた。☆彡