青の部屋・ガンバ回顧録
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私がファンになってから、いろいろありましたガンバ大阪。嬉しかった事、悲しかった事・・その思い出をつれづれなるままに、暗くではなく、明るく綴ってみるコーナーです。年代はバラバラで登場すると思いますが、「ああ。そうやった」と、ご一緒に思い出したり、へーっ、そうやったんか、とうなずいたり楽しんで頂けますと幸いです。私的観点から書きますので、未熟な点、甘い点はどうぞお許し下さい。尚、げらげら笑える事も入れます。失礼を笑ってお許し下さい。
こんなことがありました・・1993〜1997
春の珍事事件(1995) 首位に立つと珍事と呼ばれてしまったわがチーム・・
ヘアスタイル事件(1994)
夢のような日本代表(1994) これは驚いた・・マジに驚いたあの頃・・
礒貝選手が髪を切った日(1994)
フアッションセンス事件(1994)
どこへ行ったのサッカー誌
日本選抜って?(1995)
ぞくぞくしたあの瞬間(1993年)
何て呼んでるの?呼び捨て議論(1997)
エムボマはいい人(1997)
のりりん牧場(1995)
のりりん牧場
あるサッカー誌の記事で忘れられない言葉がある。それは、2年前の實好選手のインタビュー。
「一番仲良しの選手は?」の質問に、「今ちゃん(今藤選手)ですね。よくうちでフアミコンやってますよ」。で、当時凝ってたのが競馬のゲーム。實好選手は、馬に全部「のり」の字をつけ、「牧場の名前も、のりりん牧場っていいます」。の、のりりん・・のりりん? しかも、今藤選手と「僕の部屋でテレビ2台を横に並べて、ファミコンも2台置いてからやるんです・・最低5時間くらいはやってますね。何をするにも集中力がカンジンですから」。集中力の問題なのであろうか。しかし、男2人で、横に並んで別々のテレビに向かってゲームを5時間・・最低5時間・・。1995年、秋・・枯れ葉舞う季節に小野が受けたショックであった・・。
それにしても、のりりん牧場・・。私だと、「のぶりん牧場」・・やだ、もっと変だ・・。
エムボマはいい人
「何て呼んでるの」と同じトークショーの、宮本選手の会話より。それは、ナビスコカップ対札幌戦(3対3のドローで、負けていたガンバがラスト一分で2点とって追いついたヒヤヒヤの試合の翌日だった。
その日は、反省会のようなミーティングが行われ、そのあとのトークショーで・・。
宮本「今日、すごいエムボマがいい人やとわかりました。ミーティングで僕らDFが監督に怒られている時、エムボマが英語で、「ちょっと待ってくれ、3―1で負けていた試合を3―3の引き分けに持っていった事も監督は評価してくれてもいいんじゃないですか」と、ひとこと言ってくれて・・。僕とタカさん(島田選手)は涙ポロポロの気持ちで。いい人なんですよ」。(ちなみに、宮本選手は英語がわかる)
司会「じゃ、島田さんも・・」島田「いや僕は、(内容をあとで)通訳の人に聞いてから涙を・・」
尚、このトークショーで、島田選手の絶妙のお笑いのタイミングを目の前にして、すっかりファンになってしまいました・・。
何て呼んでるの?
1997年3月9日に行われたトークショーの会話より。メンバーは、島田、松波、宮本の3選手。
「お互いを何と呼んでるのか」の質問に対して・・。
島田「宮本はツネ、松波は・・松波」 松波「島田さんは、タカさん」宮本「試合中は、正信」
司会「正信? 試合中は呼び捨てですか」松波「試合中は・・。そのかわり、終わったら、ちょっと・・」
島田「僕も試合中はタカと呼ばれます。で、僕は(宮本を)ツネさん、と呼びます(爆笑)。ゲームになると、一回り下に見えないです。(宮本は)私生活は、まだ可愛い子供みたいです。試合中に変る、そのギャップが面白いです」
可愛い子供とは、どんな私生活を宮本選手は送っているのだろうか。可愛い子供・・そんな、まさかオママゴトやかくれんぼしてるわけでは・・。
ぞくぞくしたあの瞬間
1993年9月3日。ニコスシリーズ第9節。ガンバ対エスパルス。
エスパルスのGKシジマールはその長い手で、連続無失点記録を更新していた。広げた腕の長さが195センチ。その壁は誰も破れない。その日は、雨のアウェーゲーム。場所は日本平。そして好調エスパルスは澤登のゴールで2点を先制・・。これはこのままエスパルスの楽勝か、とみられた後半8分。シジマールが守り続けた732分の壁を、メトコフの跳ね返ったシュートを素早くダイレクトで蹴りこんだ磯貝が・・破った。磯貝選手は、その2日前の雑誌のインタビューで、こう言っていた。
「シジマール?ふうん、そんなにすごいGKなの?それじゃ、僕が点を入れたげるよ」・・そう言って、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた、と。そして・・その通り、降りしきる雨の中、磯貝選手はその壁をぶち抜いた。
当時、23才。この「天才」と呼ばれる個性的な選手にゾクゾクした。何かを見せてくれる、という期待感で一杯だった。その言動も行動も興味深かった。天才の名ゆえ、期待感をかける世間の目は、チームの状態の悪さをよくその選手の責任にした。・・引っ張って行くべき人間だから、と。確かにその好、不調はチームの勢いに関係していた。時に裏切る時もあったにせよ、磯貝選手のサッカーは、そのスルーパスは今でも好きだ。移籍により、ユニフォームをかえた磯貝選手の試合をテレビで見た。その表情は、ガンバ時代のある種の責任感から解き放たれた、サッカー好きの少年のように一瞬見えた。私をサッカーの世界に引きずり込むきっかけとなった選手。私のガンバファンは変わらないけど、その活躍をこれからも祈りたい。
日本選抜って?
1995年、日本代表のバックアップチームとして編成された、日本選抜。17才の高校生から23才のJリーガーと幅広い年齢の、そしてなかなか楽しみなメンバーが選ばれた。
GK・土肥洋一(レイソル)、水原大樹(グランパス)
DF・宮本恒靖(ガンバ)、片野坂知弘(サンフレッチェ)、沢田謙太郎(レイソル)、渡辺毅(レイソル)
西ヶ谷隆之(筑波大)、鈴木和裕(ジェフ)
MF・田坂和昭(ベルマーレ)、望月重良(筑波大)、坂元要介(同志社大)、佐藤尽(国士館大)
西山哲平(ベルマーレ)
FW・森島寛晃(セレッソ)、栗原圭介(駒沢大)、田島宏晃(エスパルス)、船越優造(国見高)、
柳沢敦(富山第一高)
ガンバからはルーキー・宮本選手、そして当時高校生の船越選手が選ばれた。高校生は、この船越と柳沢の2名。それだけ注目度が高かった。当時「国見タワー」と言われていた船越選手。次は「日本タワーか」などと言われてた事も。ガンバに入ったのだから「通天閣」、「コスモタワー」か。「ガンバタワー」なんて太陽の塔か、万博の電光掲示板みたいだしなぁ・・。
さて、宮本選手は「楽しかった。有名な人ばっかりが相手でしたから」と物怖じしない言葉で、逞しさを感じた。ところで、このまま順次バックアップ体制をとっていくのかな・・と思っていたら、いつのまにかなくなってしまっていた。
どこへいったの、サッカー誌
確か以前はもっともっとサッカーの雑誌が多かった気がする。しかしここにきて、本当に少なくなった。今発売されている雑誌はもちろん好きで愛読してるけど、以前は毎月もっと本が出版されていたのだ。わずか4年で休刊となった雑誌たち。戻すには、やはりサッカー人気が上がらないとダメなのだろう。
カムバック、サッカー誌。
J`LEB・・カラーページが多く、チーム情報もそのチームのカラーを使って仕上げたきれいな本だった。読み物も楽しかった。
J.PRESS・・「JリーガーのPHOTO日記」など、女性ファンの喜びそうなコーナーもあった。もちろん厳しく要所をおさえているページも。大判でインパクトがあり、コートがほどこしてあってつやつやした表紙の写真は特にきれかった。
GAM・・関西サッカー誌。ガンバメインの記事でまとめられていた。毎回ガンバの選手が表紙を飾っていとても嬉しかった。伊藤マネージャーのマル秘メモのコーナーは楽しみだった。ところで連載漫画で途中で休刊のため、単行本になると言ってた「BPイソ」・・ずばり磯貝洋光物語の本は出たのですか。小野は発見できませんでした。確かラストが「そして、東海大学へ。そこで洋光を待っていたのは・・」で終わってしまっていたと思う。な、何が待っていたのだ。「運命のめぐりあわせ、無二の親友澤登」がキーワードなのか。わっ、わっ、わからん・・気になる。
CHEERES・・最初、アイドル誌と間違えて(しかも本当にそんな場所にあった)買うのを忘れていた。サッカーだけでなく、野球、バレーなど若手選手の応援本だが、やはり見た目の通りアイドル本的内容だった。でもこれでサッカーを見て、その本当の楽しさを理解してくれる女の子が増えればいいな・・と思っていたが休刊。ギャルの世界的なノリのため、ちょっと照れながらも面白く読んでいた。特にあの少女漫画の「前園物語」は印象に残った・・。
J・RANKING・・試合会場でいつも買っていた・・最近見かけないが、もしかして見落としているのか。サポーターのアンケートなどでかなり本格的に、楽しさの中にも厳しい記事があった。
J.sta・・TVステーションの別冊として発行。若手選手メインの、これもアイドル的な見方の本。「バックステージ」という各チームの選手、スタッフが「誰も知らないチームの話」をするコーナーが最高だった。「松波選手が虎を飼いたがっている」と言う記事にはビックリした。アンケート内容も「彼氏にしたい選手」「しかられてみたいおじさんJリーガー」「セクシーな選手」と、男性フアンが投票しずらい内容であった。しずらいと言うよりも、真剣に答えたら変態と言われるかもしれない。でも、この本も楽しみにしていたのに、最近見ない。
フアッションセンス事件
某週刊誌で、まるでメンズノンノのようにJリーガーのフアッションセンスについての対談記事がのった。そのコメントは・・カズ選手「スターのフアッション」、井原選手「高そうな服」、城選手「普通のものを普通に着ていて、似合うものがわかってる」、岩本選手「自分のかわいいキャラクターがわかってて、今日のトップ賞です」、清水秀彦・当時マリノス監督「レノマをちゃんと着こなしている」・・など、ここまではいい。オチ・・そう、またもやオチに使われたのがガンバ。本並選手「お水系の派手なのが好き」、そして当時監督の釜本監督がラストを飾る。いわく、「マフィアみたい。街ですれ違いたくない」。おい。ど、ど、どうしていつもオチがガンバなのだろうか。派手でも光ものでもいいではないか、カッコいいじゃないか、・・と叫ぶ私は関西人。
磯貝選手が髪を切った日
それは忘れもしない1994年7月27日の事だった。ファーストステージ優勝の広島と、ガンバはナビスコの一回戦であたった。私と妹は3時間前から万博へ行き、一番前の席をバックスタンドに陣どった。沙ぁ、選手が入って来る。ワクワクして見守っていると、妹が叫んだ。「新しい外人がキャプテンマークつけて入場してくる!」。な、なんですと?ガンバにいつのまにか外人が入って、しかもキャプテン?数日前の夕張キャンプで合流したのか、いや、そんなはずはない・・と、よく見れば、髪をスパーッと切った磯貝選手であった。当時、個性的な長髪で、実は密かにそのポニーテールのファンだった私はびっくりした。そしてその動きはとても軽く、見事ガンバは勝った。「一年分の散髪代を浮かした」とのコメントが実に磯貝選手らしかったが、あの超個性的なヘアスタイルとの別れが少し残念だった。
春の珍事 事件 1995年ガンバ首位4対0でマリノスに圧勝
失礼な言い方だ。そう当時は怒ったものの、終わってしまえば定位置に落ち着いてしまったガンバ。しかしこの時の勢いは、一時にせよ本物だったのだ。それは、4月1日土曜日の事だった。もしかしなくてもエプリルフールの日である。小野は妹とともに万博へと向かった。満員の万博に放送の声が響く。「第五節・ガンバ対マリノス、首位攻防戦です」・・ゾクゾクした、背中が。首位。下からではなく、上から。前年。「最下位脱出」の放送に拍手した頃を思い出すと、涙が出そうだった。
1995年4月1日。天気・晴時々曇り 観客1万7749人。監督・ヘルト
GK・本並 DF・橋本・ツベイバ、木場 MF・今藤、アレイニコフ、
FW・磯貝・森岡・平岡・松山・プロタソフ
FWが5人もいるではないか。何と超攻撃的な。メンバー発表の時「ええっ」となってしまった。試合は、前半22分、今藤が走り込んで18メートルのミドルを決める。続いて4分後、2点めをゲット。今藤選手はJ初得点。攻撃的MFとしての出場で大暴れ。さらに後半9分、松山が、同19分にはプロタソフが決め、4連勝中のマリノスに圧勝した。85試合目の頂点であった。ちなみに、マリノスの布陣は、
GK・松永 DF・井原、鈴木正、小泉、小村
MF・野田、三浦、山田、ビスコンティ FW・メディナベージョ、ディアス
ガンバはこの日で、リーグトップの5試合15点を得点。
本並選手のコメント・・誰がこんなん予想した?俺も予想してへんかったわ。
磯貝選手のコメント・・ぼくたちには、もう負けるのはたくさん、の気持ちがある。だから一生懸命にやるんです。
サポーターのコメント・・今まで、何度塩まいたり、おはらいしたことか・・。
正直、みんな驚いていた。そして、このまま優勝かもしれない、と期待した。それほどガンバは強かったし、あのセルジオさんも、誉めてくれていた。「やればできる才能のあるチーム」と、証明された気がした。
同時期、ヴェルディが4連していたが、後半すさまじい強さでキッチリ勝っていく。さて、この試合、とにかく見ていて興奮してしまった。妹は旗を振り回し過ぎぶっ壊していた。満員のスタジアム。3時間前に行って、バックスタンドの一番前の席を確保した。夢のようだった。・・シーズンが終わってみれば、ホンマに夢やった。これ以来、「春の珍事」と言う言葉が出てしまう。でも、この後数試合も調子良く、4月12日の対・エスパルス戦で、再び首位にたつ。が、9節の対鹿島戦で首位攻防戦に負け、パターンの「内紛ぼっ発」記事が出る。なまじ強かっただけに「監督批判」と、大きく取り上げられてしまう。こんな過去があるから、もう二度と繰り返さない、きっとガンバは強くなる、今度こそ、本当に。
1995年4月15日、松波選手、右膝を手術。五輪一次予選に出れなくなってしまった。しかし、翌年、見事にストライカーとして復活。よかった、よかった。
Jリーガー異色のヘアスタイル事件
1994年のある雑誌で、「ゲイのファッション専門家」による、Jリーガーの髪型チェック特集が組まれた。当時髪型と言えばフリューゲルスの森敦彦選手。長髪、バンダナ、ドレッド、オオカミカットと回りを楽しませてくれていた。一番のセンスとほめられていた。しかし、この記事はいいたい放題。岩本輝雄選手は「地方のヤンキー」、前園選手は「イケイケの言い男。素材はバツグン」。澤登選手は「彼女も安心して親に紹介できる坂本龍一」。・・ここまではいい、いいのだ。次にくるオチ。そう、オチに使われてしまったのが、ガンバの選手、しかも3人。磯貝選手「武田鉄也みたいな髪」、山口選手「顔を隠して見たらまるっきりオバサン」、本並選手「田舎の床屋さんに貼ってあるポスター風。若い頃ブリブリ言わせてた」・・な、なんでオチに使うんだよ、ああ・・でも、出ている写真は二枚づつ。しかもその一枚は3人とも後髪をゴムでくくっている・・本並選手はまだ青いゴムだからいい。しかし磯貝選手と山口選手は揃ってピンクのゴム。わ・・笑ってはいけなかったのだが、受けてしまった。すみませんでした、ホントはそれでもファンだった私です。次はぜひ
「いけてる選手」として載せて下さい、雑誌社のみなさん。
夢のような日本代表
1994年・春。ロベルト・ファルカン日本代表監督は、日本代表候補を発表した。テレビ局は、田辺の練習場に取材に訪れた・・なんと、ガンバの選手が一度に4人も選ばれたのだ。
磯貝、本並、今藤、山口・・ガンバ。その他のメンバーは、澤登、カズ、柱谷、前園、秋田、石川、井原、岩本テル、遠藤、大嶽、黒崎、城、名塚、三浦文丈、山口素弘、山田隆裕、米倉誠。
今藤、岩本は「ファルカンの申し子か」などと言われたし、磯貝はポスト・ラモスの新指令塔。紅白戦では10番をつけていた。ちなみに、レギュラー候補のAチームメンバーは、GK・本並、DF・柱谷、井原、名塚、
MF・岩本、今藤、磯貝、山口素、FW・カズ、山口敏。ぬぁんとガンバの4人とも入ってる。今藤、山口選手は代表に選ばれると思ってなくて、記者会見に呼び戻されたと言う。ちなみにこの時もチームは低迷していたのだが、才能を監督はシッカリ見ぬいて下さった・・はずが、ケガなどで外れてしまった。キリンカップには、本並と今藤が出場。夢のようやった・・。さぁ、これからまた入ってほしい、ガンバがんばれっ。