1998年〜1999年ユースのお部屋


ナイジェリアで行われる第12回ワールドユースで上位進出を狙うU20のお部屋です。
優れた若手を擁するこのチームを応援しよう!という趣旨で、前回の1997年ユースに続いてこの部屋をスタートさせます。皆様の情報、試合の感想等もどんどんメールにてお寄せください。みなさんと一緒にこのページを盛り上げられたら幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます

世界に羽ばたけ、日本の、ガンバの至宝・稲本潤一選手!!
さらなる戦力として羽ばたけ、播戸選手!!


ユース情報

3月22日(月) Jヴィレッジ集合
3月23日(月)〜25日(木)までJヴィレッジにてトレーニング
3月26日(金)  成田発→パリ
3月27日(土)  トレーニング(夜)フランス代表 VS ウクライナ代表観戦 
3月28日(日)  パリからクレールフォンテーヌヘバス移動
3月28日(日)〜30(火)  クレールフォンテーヌにてトレーニング
3月30日(火)15:00(現地時間) 練習試合 VS レッドスター 
3月31日(水)  パリ発→ラゴス着

4月 1日(木)  ラゴス発→カーノ(ナイジェリア)
4月月1日(木)〜4(日) トレーニング
4月5日(月)16:00(現地時間)  VS U−20カメルーン代表(カーノ/サニアバチャスタジアム)
4月 6日(火)〜7(水) トレーニング
4月月8日(木)19:00(現地時間)  VS U−20 USA代表(ボーシ/タファワバレワスタジアム) 
4月 9日(金)〜10(土) トレーニング
4月11日(日)19:00(現地時間)  VS U−20イングランド代表(ボーシ/タファワバレワスタジアム)  
4月15日(木)16:00(現地時間) VS U−20ポルトガル代表
4月18日 (日) 19:00(現地時間) VS U−20メキシコ代表
4月22日 (水) 19:00(現地時間) VS U−20ウルグアイ戦(準決勝)
4月25日 (土) 19:00(現地時間) VS U−20スペイン(決勝)

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20の試合の感想や応援の一言など、稲本選手の掲示板へどうぞ!

今までの活動

1998年U19の記録・・1998年度U19の記録、SBSカップ・アジア予選観戦記等


ユースチームの動き

1999年4月24日決勝対スペイン戦
1999年4月22日準決勝対ウルグアイ戦
1999年4月18日準々決勝対メキシコ戦
1999年4月17日トルシエ監督強気な発言
1999年4月15日決勝リーグ対ポルトガル戦
1999年4月12日予選リーグ対イングランド戦
1999年4月7日予選リーグアメリカ戦
1999年4月5日予選リーグ対カメルーン戦
フランスに出発(1999年3月26日)
稲本・播戸選手コメント
1999年3月24日・最終メンバー発表
1999年3月21日・稲本合流決定
1999年3月15日・メンバー発表
1999年2月22日・練習試合
1999年2月18日・練習試合
1999年2月16日・練習試合
1999年2月11日・ブルキナファソ到着
1999年2月10日・練習試合対ルアーブル
1999年2月7日・パリ到着
遠征参加メンバー発表
1999年2月1日・合宿6日目
1999年1月31日・合宿5日目
1999年1月30日・合宿4日目
1999年1月29日・合宿3日目
1999年1月28日・合宿2日目
1999年1月27日・合宿スタート
1999年1月14日・U20代表候補発表


対スペイン戦(1999年4月24日)・決勝

現地時間17時キックオフ

GK・南
DF・手島、辻本、中田
MF・酒井、遠藤、小笠原、本山、氏家(後半1・稲本)
FW・高原(後半11・播戸)、永井(後半23・高田)

0−4
得点・前半5分・バルケロ、14分・パブロ、33分・パブロ、後半7分・ガブリ

なんと日本が決勝まで!この日を迎えられるだけでもすごいことである。
相手のスペインは、今まで無敗できた唯一のチーム・・さあ試合は・・。

この日は警告で出れなくなった小野に代わって氏家を投入。

5分・南のオーバーステップから間接FK。バルケロのキックはゴールに飲み込まれ、いきなりの先制。その後の本山の突破が手で引っ張られPKに見えたが判定はなく、14分、最終ラインが縦パス一本で破られまたもやゴール。33分には左サイドを破られまたもや三点目。

後半。氏家を稲本に代える。「6」の番号が見えたときは本当に嬉しかった。
7分・またもやゴールをきめられ4−0。スペインは完全にスピードも個人技によるテクニックも上。何より彼らはコンデションがよかった。播戸、高田を投入し最後まで闘いぬいたが、結局は完敗。

本山「完敗だったけど精一杯やったので悔いはない。まだ上がある。そこを目指してがんばりたい」

小野「これで終わりじゃない。今に見てろ、という感じ」

南「もっと練習して高いレベルを目指したい」

高原「自分達のプレーができればなんとかなる相手」

稲本「先発出場できなかったが、ここにきてプラスになった。世界大会でベンチに入る経験はなかなかできないから。これでサッカーが終わったわけではない。これからですよ」

感動をたくさんありがとう、U20チーム!昨年から彼らを追ってきたが、ここまで凄い力を持つチームになるとは・・。トルシエ監督が精神面から、世界で戦う事の術を彼らに植え付けてくれたと思う。これはとてつもなく大きな財産となり、シドニーに、そして2002年に繋がっていくのは間違いないだろう。

本当におめでとう、U20!!

 

対ウルグアイ戦(1999年4月22日)・準決勝

現地時間19時キックオフ

GK・南
DF・手島、辻本、中田
MF・酒井、遠藤(後1分・稲本→後半13分・石川)、小笠原、本山(後1分・加地)、小野
FW・高原、永井

2−1日本勝利
得点・前半23分・本山、35分・永井

前半23分、左サイドを本山がドリブル突破し、折り返しを高原が右足でゴール。2分後にウルグアイのセットプレーから、DFの裏を突かれてチェバイトンに同点弾を許す。が、焦ることもなく、35分に本山のスルーパスから、永井が巧みにしはをかわして勝ち越しゴール。

後半は稲本、加地を投入。一時、守備の混乱を見る。13分に早くも稲本→石川に。ウルグアイの攻めに防戦一方になったが、南の好セーブ、DFのふんばりによって最後まで失点を許さず、長いロスタイムを経てついに勝利!なんと決勝進出をきめた。試合後、選手達は抱き合い、トルシエ監督は全員に祝福のキス。
トルシエ監督「決勝まで来られるとは思ってもみなかった。選手を誇りに思う」
永井「とにかくシュートを打って点をとりたかった。やっと自分の仕事ができて、肩の荷が下りた」
本山「最後まで出たかった。やっているより見ている方が苦しい。決勝は最後まで出たい」

この試合で小野が二枚目のイエローを出され、決勝には出場できない。小野の分まで、みんながんばれ!

対メキシコ戦(1999年4月18日)

現地時間19時キックオフ

GK・南
DF・手島、辻本、中田
MF・酒井、遠藤、小笠原、本山(石川)、小野
FW・高原(播戸)、永井(高田)

2−0日本勝利
得点・前半4分・本山、前半24分・小野

いつもの先発メンバーでスタート。前半4分、右サイドから酒井のクロスで本山ヘディングシュートが決まって、先制。24分には小笠原のクロスに小野がヘッドをきめて追加点を決めた。後半は攻められる場面が多くなる。しかしか守備の集中力を切らさずメキシコに得点を許さなかった。南はかなりの決定的シュートをクリア。相手を無失点におさえて、史上初のベスト4を手にする。試合後、ビブス姿の稲本も笑顔で祝福にかけつけ、喜ぶ選手達の方へ向かって、スタンドから多くの観客が降り立ってきて、あわてて逃げ惑う選手たち。準決勝の相手はブラジルを下したウルグアイ。

トルシエ監督自信の発言(1999年4月17日)

トルシエ監督は、「メキシコはやりやすい相手」と発言。「みんな疲れているが、勝つチャンスはある。(世界に)新たな驚きをもたらすことが可能なんだ」。

 

対ボルトガル戦(1999年4月15日)

現地時間16時キックオフ

GK・南
DF・手島、辻本、中田
MF・酒井、遠藤、小笠原(後44・播戸)、本山、小野
FW・高原、永井(後22・稲本)

1−2(PK5−4)日本勝利
得点・後半4分・遠藤、後半35分・クラウジオ

トルシエ監督は選手に対し、左サイドからの攻撃への対処、ショートパス攻撃を防ぐ中盤のプレス、FKに対する守備を徹底するように伝授したそう。強豪相手にまずDFラインの辻本、手島、中田がとても機能しているのが目立つ。とったオフサイドは前半だけで6本。後半、遠藤のミドルがきまる。22分には初めて稲本が登場!しかし高原と交錯したポルトガルのキーパーが負傷、フィールドプレイヤーがキーパーとなって相手が10人になったのに、日本の動きが消極的に、逆にポルトガルは積極性を増して様々な角度から攻めて来て、35分、ついに同点。日本は体力面での消耗も激しく、何度も危機に。しかしキーパー南の見事なセーブに救われる。ポルトガルの迫力に押され気味のまま、延長戦へ。しかし前後半0−0。
そしてついにPK戦に突入。

1・小野、2・中田、3・本山、4・高原、5・酒井
3人目のコストにキックを南が止め、日本勝利でベスト8に!

対イングランド戦(1999年4月12日)

現地時間19時キックオフ・晴れ・9000人

GK・南
DF・手島、辻本、中田
MF・酒井、遠藤(後25・加地)、小笠原、本山(後32・高田)、小野
FW・高原、永井(前31・石川)

2−0日本勝利
得点・前半39分石川、後半3分・酒井→小野

交代したばかりの石川の見事なゴールから調子は上がり、DFラインもオフサイドを確実にとるなどかなりの安定感を見せていた。後半はイングランドの動きがかなり落ち日本は自由に攻撃できたように見えた。後半3分、酒井のパスを受けた小野が見事なループをきめた。大仁田技術委員長「守備は戦術がかなり徹底されてきた。これは監督の手腕」。
この結果、日本はグループ一位となり、決勝リーグ進出。次は対ポルトガル戦。

対アメリカ戦(1999年4月7日)

現地時間19時キックオフ・晴れ・9000人

GK・南
DF・手島、辻本、中田
MF・酒井、遠藤、小笠原、本山(後39・石川)、小野(後29・加地)
FW・高原(後44・播戸)、永井

3−1日本勝利
得点・前半11分オウンゴール、後半7分・小野→高原、後半28分・フタガキ(アメリカ)、後半40分・酒井→小笠原

幸運なオウンゴール。しかしその後、パスが繋がらず何度もアメリカにサイド突破を許す。二点目は高原がドリブル突破してシュート。DFラインは一戦目より良くなっている。よく押し上げていた。一点を返されたあとも、酒井と本山の積極的な動きは衰えず、後半40分に小笠原がとどめのゴール。これで予選二位。次回のイングランド戦には得点してスッキリ勝つということが必要。アメリカと勝ち点が並んでいる以上、楽観はできない。

稲本は今日もベンチ。膝は思ったよりも酷かったのか。しかしこの休養はよかったと思う。決勝リーグで、ベストの状態での復帰を待つ。

しかし日本時間午前2時50分からは眠かった。しかし試合が始まったら今度は緊張してしまった。そして試合後、興奮して朝の6時まで起きてさわやかな夜明けの光を「とろーっ」とした目で迎えてしまった。とほほ。でも勝ってよかった。

対カメルーン戦(1999年4月5日)

現地時間16時キックオフ・曇時々晴れ・25000人

GK・南
DF・手島、辻本
MF・中田、酒井、遠藤、小笠原(後28・石井)、本山、小野
FW・高原、永井(後23・播戸)

1―2カメルーン
得点・後半・5分酒井→高原(日本)後半27分コモル、後半44分イブラヒマ→コモル(カメルーン)

前半押し気味に試合は進むも、得点ならず。後半5分、酒井→高原のヘディングシュートで先制。しかし猛暑のせいか、日本が動きが少しずつテンポを失い始めた27分、同点・・あとは終了間際に逆転。稲本は膝の故障で欠場。後半、播戸も何本か惜しいシュートを放った。本山・酒井の動きの良さが最後まで目立った。

フランスへ出発(1999年3月26日)

チームは直前合宿地のフランスに出発。稲本は髪をバッサリ切っていた。28日から滞在するナショナルトレーニングセンターでは、同時期、フランス代表が欧州選手権のため合宿をはっている事が判明!山本コーチ「見学だけでも若い選手にとっては勉強になるはず」。別メニュー調整中の稲本の脚も、本番までに完治するとの情報あり。

稲本・播戸コメント

稲本「世界中の同年代の選手が集まる大会に出場できることをとても嬉しく思っています。その中で自分がどれだけできるか、とても楽しみです。予選では強いチームと当たりますが、僕らは優勝目指して戦ってきます」

播戸竜二「去年のアジア大会で感じた手応えを、今度は世界の大会でより大きなものにするために、今回選ばれてとても嬉しく思っています。FWとして、与えられたチャンスを生かし、結果につなげるように頑張って、チームに貢献したいです」

20メンバー発表(1999年3月24日)

第10回FIFAワールドユース選手権に出場するメンバーが決定。感染症の予防接種が完了していないDF池田学(浦和)、MF阿部勇樹(市原ユース)、FW林丈統(市原)は選出されなかった。本来は昨日発表予定であったが、新たに招集した選手の予防接種が間に合わない等の件につき、協会ともめて持ち越しとなったらしい。

GK 榎本 達也 横浜・南 雄太 柏

DF 手島 和希 京都・辻本 茂輝 京都・氏家 英行 大宮
加地  亮 C大阪・石川 竜也 筑波大

MF 稲本 潤一 G大阪・本山 雅志 鹿島・小笠原満男 鹿島
酒井 友之 市原・中田 浩二 鹿島・小野 伸二 浦和・遠藤 保仁 京都

FW 播戸 竜二 G大阪・高原 直泰 磐田
永井雄一郎 カールスルーエー・高田 保則 平塚

   

稲本合流決定(1999年3月22日)

右膝の故障で代表行きが微妙になっていた稲本は、「個人的には絶対行きたかった」という本人の希望と医療サイドの条件付き(代表合宿で別メニューを組んでもらうこと)で、ガンバ大阪は苦渋の決断を。稲本「昨日(20日)の試合後は痛かったけど、かなり回復してきた。それより花粉症で困っている」。

20メンバー発表(1999年3月15日)

GK・南雄太・柏  榎本達也・横浜 曽ケ端準・鹿島

DF・氏家英行・大宮 手島和希・京都 辻本茂輝・京都 市川大祐・清水
加地亮・C大阪 池田学・浦和

MF・稲本潤一・G大阪 小野伸二・浦和  遠藤保仁・京都 小笠原満男・鹿島
本山雅志・鹿島 中田浩二・鹿島 酒井友之・市原  阿部勇樹・市原ユース

FW・播戸竜二・G大阪 永井雄一郎・カールスルーエ(ドイツ) 高田保則・平塚
 高原直泰・磐田  林丈統・市原

 

練習試合(1999年2月22日)

対パリSG・3−1、得点・小野、永井、高原

前半開始早々に先制されるも、27分に小野が浮き球シュートを決めて同点。42分に永井が右足で逆転ゴールを決め、その2分後にFW高原が3点目。

先発メンバー
GK・南 雄太 DF・手島、市川、辻本
MF・稲本、酒井、小野、小笠原
FW・高原、永井

練習試合(1999年2月18日)

後半6分に本山が右サイドから中央に上げた浮き球を、高原が頭で合わせて先制ゴール。11分に同点ゴールを浴びて引き分けたが、積極的な守備と組織された攻撃で日本ペースの試合となった模様。トルシエ監督は「前半に2、3点はとれた試合だった」。しかしこの試合で、前半30分、金古が左ひざをひねって、じん帯を痛め緊急帰国という事態に。

練習試合(1999年2月16日)

対ブルキナファソ・ボーボジュラソー戦・3−1(得点・永井、高原、播戸)

前半9分に永井が先制、21分に高原、後半20分に播戸が決めて快勝。

ブルキナファソ到着

2月11日・パリをたってブルキナファソ到着。翌11日より練習開始。
ホテルの敷地内から外出禁止、しかし監督は選手全員を王宮等に連れていき、またホテルのディスコを借り切って発散させたりと(先陣を切って踊り出したのは
播戸選手だったそう)リラックスムードを演出。毎日四時間の練習で、攻撃面にも範囲が広がり、選手の理解度も高まって充実したものになっている模様。

練習試合(1999年2月10日)

対ルアーブルBチーム戦・1−0(得点・高原)・ジョルジ・ボレ球技場(観客1000人)

前半(3−6−1)
GK 南
DF 辻本、手島、金子
MF
稲本(主将)、中田、古賀、酒井、小笠原、小野
FW 高原

後半(3−5−2)
GK 南
DF 辻本、手島、金子
MF
稲本(主将)、中田、酒井、小笠原、小野
FW 高原、永井

交代高原→西脇、小野→本山、中田→石川、小笠原→遠藤
得点・後半3分 小野→高原
試合は雪の為に後半27分で打ち切りに。
稲本「みんなひとりひとりが強い意志を持って闘う事ができてる」

パリ到着

2月7日到着、8日より練習開始。パリは雪。練習はクレールフォンティーヌの人工芝で。主にDFの練習。
親善試合・オランダ対ポルトガル観戦。

遠征参加メンバー発表

フランス、ブルキナファソ遠征(7〜24日)に参加するU−20代表のメンバー23人を発表されました

GK榎本達也(横浜) 曽ケ端(鹿島) 南(柏)

DF手島(京都) 辻本(京都) 石川(筑波大) 加地(C大阪)飯尾(川崎) 市川(清水) 金古(鹿島)

MF稲本(G大阪) 小笠原(鹿島) 本山(鹿島) 酒井(市原)中田(鹿島)古賀(横浜) 小野(浦和)遠藤(京都)

FW播戸(G大阪) 永井(カールスルーエ) 氏家(大宮)高原(磐田) 西脇(市原)

9:30 非公開練習開始
11:00 7対7など
12:00 終了
トルシエ監督はDFの練習が多いことについて、「点を入れるのは難しい。それが近代サッカーの特徴だ。Jリーグでは3、4点入るが、世界ではそうはいかない」と語った。このあと解散、続けてU22がJヴィレッジへ。

合宿6日目(1999年2月1日)

GK5人を残して約15分間、監督自らがシュート。合宿は明日午前で打ち上げ。同日午後に遠征に参加するメンバー22人前後が発表される予定。

9:30 非公開練習開始
13:00 個別練習終了

合宿5日目(1999年1月31日)

攻撃5人、守備3人とした練習。トルシエ監督はこの練習をプッシュアップと呼び、ボールを奪いに行くことや、守備の意識を自覚させるために行った。「アジアのレベルとやるのではなくて、世界の相手とやるのだから、激しくしなさいと言った」と激しいチェックを要求した。

9:30 非公開練習開始
11:20 公開練習開始

合宿4日目(1999年1月30日)

午前中、GK榎本、南、DF金古、手島、MF稲本、小野、古賀、FW高原のアジア大会主力のメンバー8人が練習を免除。今回から初めてトルシエ監督の指導を受ける選手たちと違い、アジア大会などで戦術を理解しているからとの事。 

9:30 非公開練習開始
16:48 パス回し、7対7、9対9
18:10 ランニング

合宿3日目(1999年1月29日)

国際審判員の岡田正義氏が、ルール講習会を開いた。約1時間、ビデオなどを使って講義。「ワールドユース選手権にはこれからトップを目指すレフェリーが集まるので、判定は厳しいと説明しました」。ペーパーテストの結果、古賀、宮原、高原の3人が90点で最高だった。

9:00 非公開練習
11:25 パス練習 シュート練習
12:08 シュート練習
17:00 ルール講習会
18:00 講習会終了

合宿2日目(1999年1月28日)

7:30 人工芝のグラウンドで非公開練習
16:53 練習開始、パス練習
17:01 8対8、フォーメーション練習
18:30 ランニング

合宿スタート(1999年1月27日)

トルシエ監督が、初日から非公開で練習。「この年代はまだ子供のようなもの。選手に集中させたいので、勘弁してほしい」。新井場選手は怪我の為、市川選手は学業優先で欠席となった。

27日の練習
17:20から 3組に分かれてボール回し、ストレッチ、3組に分かれてボール回し
17:56から GK練習開始
18:09から ランニング、8人でパス回し、インターバル走

U-20日本代表メンバー発表(1999年1月14日)

GK・南雄太、榎本達也、曽ケ端準、櫛野亮、山本浩正
DF・和田雄三、市川大祐、手島和希、辻本茂輝、加地亮、
池端陽介、飯尾和也、金古聖司、石川竜也
MF・
新井場徹、稲本潤一、小野伸二、遠藤保仁、小笠原満男、本山雅志、中田浩二、
酒井友之、村井慎二、、古賀誠史、宮原裕司
FW・
播戸竜二、高原直泰、氏家英行、西脇良平、大島秀夫、高田保則

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