(6日目(水)) 

科学博物館→ライブハウス(ロック・ガーデン)

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(1日目) 出発(大阪)→成田→ロンドン到着ホテル

(2日目) 早朝ケンジントン・ガーデン→大英博物館

(2日目) レ・ミゼラブル

(2日目) ウオータールー駅→ビッグ・ベン→ホテル

(3日目) リトルベニス→遊覧船→カムデン・ロック(日曜市)

(3日目) カムデン・ロック(日曜市)→王立空軍博物館

(3日目) キャメル・コンサート

(4日目) ロンドン・ブリッジ駅→ベルファスト号→タワーブリッジ

(4日目) ビートルズ・ウォーキングツァー(前半)

(4日目) ビートルズ・ウォーキングツァー(後半)

(4日目〜5日目) クラブ(ブルーノート)→深夜のロンドン

(5日目) ストーンヘッジ・バースへのバス旅行(前半)

(5日目) ストーンヘッジ・バースへのバス旅行(後半)

(5日目) バス旅行→JAZZクラブ(606)

(6日目) ブライトンへの鉄道旅行(前半)

(6日目) ブライトンへの鉄道旅行(後半)

(6日目) 科学博物館→ライブハウス(ロック・ガーデン)

(7日目) そして最終日

(8日目) 旅はつづく.......

それから........

 日はまだ高い。最後の博物館となる、科学博物館へ行くことにした。世界初の計算機が見たかったからだ。

サウスケンジントン駅からの長い地下通路を通って科学博物館へ行く。自然史博物館は隣だ。ここで、ロケットだの、発電器だのと見て回る。

仕事がら、木製のCT装置(コンピューター画像診断装置)があったのは驚いた。この時大学病院時代に、あるJazz好きの先生から聞いた、話を思い出した。

それは60年代、ビートルズが売れに売れたた為、EMIに多くの資金が出来た。それを元にまだ実験段階であったCTを開発、製品化したと言う話だ。それが現在の高度な画像診断のルーツとなっている。でも今儲けているのは日本のT社だったりする。T芝EMIの謎はここにあったのだ←ホントカ?(^^;)。でも結果的にビートルズの"愛"は地球"命"を救っているのだ。だから我々の業界ではビートルズがCTを作ったと言うのは定説となっている..?。

話を戻して、科学博物館には子供向けのおもしろい仕掛けが沢山あった。当然我々も楽しんだが、友人が熱中しているのを、一人置いて、私一人次のブース入り口でキョロキョロしていると、後ろから若い係員の人が来て何やら話しかけてきた。

「Can you speake English?」

と聞いてきた。前日の606クラブでは「Little」なんぞ行ったものだから、話がややこしくなったが、今回はつかさず「No!」とはっきり言った。

"No"と言える日本人は少ない←威張ってどうする(^^;)。するとその人は身ぶり手振りで、ここはこうなっている、こっちは行き止まりだと親切に教えてくれた。

イギリスへ来て沢山の博物館を見たが、つまらない物は一つも無かったし、どれも大変お金をかけて、最先端の展示をしていた。日本とは博物館に対する国の姿勢が全然違うと思った。

最後に、自然史博物館へ行こうとしたが時間が遅く、ベンチでフィルムを交換していたら、もう時間だと言って閉め出されてしまった。そんな感じで、博物館巡りも終わってしまった。


 さて、今度は最後のライブ巡りだ。やはり最後は、王道、ブリティッシュロックを聞かねばなるまい。

一度ホテルへ帰り、ガイドブックを見ながら、その名も"ロック・ガーデン"に決めた。夕暮れ近く、オックスフォード・サーカス駅で降りてリージェントストリートをピカデリー・サーカスへと歩いた。

本来なら、ロンドン観光のメインの場所だが、最後の最後になってしまった、エロスの像の前で、いかにも観光客らしく記念写真を撮った。ピカデリー・サーカスの回りには沢山の人がいて、車の往来も多かった。

結局、目の前のロックサーカスにもナショナルギャラリーにも行けなかったが、こんど来るまで取っておこう。


あたりが薄暗くなって来て、中華街へ向かい最後の晩餐となった。食後、暗い道を迷いながらロック・ガーデンへ行った。店の前では観光客相手に"ロック・ガーデン"のロゴが入ったTシャツや帽子を売っていた。

階段を下るとテーブル席が少しあり、奥に小さなステージとフロァーがあった。ビール片手に、壁際の席へ座る。まだ演奏は始まっていないが、客はパラパラと入ってきている。

どう見ても、先日のブルーノートとは年齢層が上だ。また観光客らしい人も多かった。友人がお代わりのビールを買いに行って、一人で待っていると、隣の席で手にバージン・メガストアの袋を持った同年代らしいオヤジがビールを傾け"ニコッ"と笑って挨拶をした。田舎から、ロンドンの街へ出てきたのだろうか、

 みやげ話にライブハウスに来た。そんな感じの人だった。何も話さなかった(話せなかった?)が、彼は、「お前もロック好きだろう? 俺もさ、10代の頃はバンド組んで......。」そんな話でも、したい様なステージを見つめる彼の横顔は遠く過ぎ去った過去を振り返るかの様だった。

 やがて、バンドのメンバーが集まり、チューニングを始めた。客の入りもまぁまぁだった。やっと、一曲目、典型的ハードロックが始まった。しかし演奏は今一歩で、ぜんぜん決まっていない。でも本人達は結構楽しそうだった。

後で知ったがU2もここでこうやって巣立っていったのだそうだ。学園祭バンドの一組目が終わると、さっきのおじさんはビールを飲み干し帰っていった。期待はずれで、残念そうな後ろ姿だった。

次のバンドは、少しましだった。でもまだまだ道は遠いいぞ(^^;)。


延々と続く演奏と観客を見ながら私は、"ハタ"と気が付いた。最初のキャメルを含めて、ライブハウスはコミュニケーションの場なのだと。

大衆の社交場としてのパブの存在、そのBGM、オマケ的な存在だった音楽。そもそもパブでは演奏を聞き入っている人より、酒を酌み交わし友人、知人との交流を深めることが、目的で音楽は手段でしかないのだ。

この辺は、"赤ちょうちん"と"演歌"との関係に似ている。しかし日本人は元来農耕民族、保守的なのだ。同じ旋律の順列組み合わせでは満足出来ない、騎馬民族をルーツに持つ彼ら演奏者のDNAは、聞き手を振り向かせたいとの欲望がある。

そこで、大音量で奇抜なロックミュージックが誕生し、それを支持する観客も、よりクールでプログレッシブな物を求めたのだ.....と。

この辺にヨーロッパ・プログレッシブ・ロックミュージックの起源が存在するのだ。などと、酔った勢いで大胆におやじ的仮設をしながら、最後の夜を楽しんだ。

 

 終電が出る頃には実力派バンドが出てくるだろうが、我々もそろそろ帰る事にした。ミュージカルから始まったロンドンのエンターテイメントもこれで終わりだ。

最後の夜となると少し寂しかった。友人も同じ気持ちだろう。色々とバラエティに富んで楽しかったロンドンのライブハウス。

ありがとう。

また来るよ..........さようなら.....。

 

    でも、まだ続く........


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