1999/5/20の講義:出生前診断Bディベート「選択的中絶に賛成か、反対か?」
 についての学生の感想集

  ※以下の学生の感想集は、量があるので印刷したほうが読みやすいと思います。

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5月20日の講義では、「選択的中絶に賛成か、反対か?」というテーマで、ディベートを行いました。
もっとも、本格的なディベートではなくて、どちらかといえば感想言いっぱなし大会でしたが、ディベートを初めて聞いた学生も多く、いろいろと参考になったのではないでしょうか。
教壇上で討論してくれた学生のみなさん、ご苦労様でした。
1週間しか準備期間がなかったにもかかわらず、初めてのディベートとしては上出来でしょう。

ディベートは、賛成派と反対派にわかれて議論をぶつけ合うことで、テーマの問題点を客観的に浮き彫りにすることができる1種の知的探求の手段です。
日本の教育では議論する習慣がありませんが、こうしたディスカッションの技術も今後は必要性が増すと思います。

以下は、当日のディベートの感想集です。賛成派は障害がある胎児を中絶しても良いという派、反対派は障害がある胎児は中絶してはならないとする派です。

感想を書いてもらう際に、賛否を明記していただきませんでしたが、W講時の学生の感想文を、いちおう分類してみると(あくまで強いて分類してみた)、賛成派は30人、反対派24人、中立15人、態度を明記せずにその他の感想を書いた者35人でした。
ディベートを聞いて、意見が変わったと言う人も10人くらいいました。

それでは、次週に、出生前診断のまとめをします。

                      1999. 5. 27  自然科学史 新井晋司

 

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【木V限】

★今日の授業は、本当に刺激を受けました。私は賛成派なのですが、反対派の意見も理論がしっかりしていて、舌を巻きました。
2派の意見を聞いていると、どちらが良いのか分からなくなってしまいました。産みたくないのに産むのもどうかと思うし・・・、やっぱり決めるのは母親と父親だと思う。
赤ちゃんにも権利はあると思うけど、産みたくなくて産むほど、子どもにとって残酷なことはない。
中絶するのは絶対いけないと決めつけるのは、良くないことだと思う。結局、人それぞれなのかなぁ・・・。(まだよく分からない)

★今日のディベートははっきり言って、すごかったです。
私はもともと反対派でしたが、賛成派の意見を聞いて、それももっともだと思いました。
こういう問題は、どちらが正しいとは言い切れないと思いました。
やっぱり結局は、本人がどう思うかだと思います。
他人がどう言おうと、自分がイヤだったら、イヤなんだと思いました。
むずかしいですね。でも考えることは、とてもいいことだと思います。

★今回、ディベートという授業を体験し、とても面白いと思いました。
第3者的立場で聞いていると、いろんなことを感じることができたのですが、反対派の方は、結構、調べてあるから、かなり強く意見が言えるんだなと思いました。
賛成派は、子どもよりも自分を守る意見、反対派は自分より子どもを守る意見だったと思うのですが、私は自分の方が大切なので、賛成派の方を支持したいです。
でも、やはり、良心が痛む部分があります。

★ディベートはとても大変なことだとは知っていましたので、それにあえて挑んだ人たちはすごいと思いました。
しかし、せっかくするなら、もっと説得材料を集めてやれば、もっと白熱したものになると思います。
賛成派の意見を聞いて、現実を見た気がした。
反対派は(自分もそうだけど)、どうしても理想論という感じがした。

★自分1人だけで考えるだけだと、そんなにはっきりと考えはまとまらなかった。
それに、今日のディベートはすごかった。きちんと意見が表明されていた。
でも、反対派はきれい事のような気もした。
実際、自分の立場なら、どうするか分からないけど。

★私はディベートを行った経験も、聞いた経験もなかったので、今日はとても新鮮だった。
討論を聞いて、日本では、「社会全体の子ども」という意識が希薄と感じた。
日本は、「子どもはその親の責任」との了解が支配的である。
従って、苦労を覚悟する人=産む人、苦労を避けたい人=産まない人、という図式になってしまうのだろう。
どんな子を育てても、過剰な負担が増すことのない社会を目指してゆくべきなのだ。
ダウン症の子を持つ女性が、「障害児をもちながらフルタイムで働きたいというと、皆、驚く」といっている。誰も驚かなくなってゆけばよいのだが・・・。
また、障害児がいると母親が仕事をもつことが制限されるとはよく聞くが、父親の仕事が制限されるとは耳にしない。
母親ばかりに(障害児を)押しつけている現実があるのだろう。

★(ディベートは)良かった、んですが。やはりディベートを聞いていた学生の感想にもあったように、片一方がガーッとまくし立てる感じで言います、っていうのがあまり好ましくなかった。
それがディベートなんだろうけど。それと、「産んでみて障害があったらどうする」という意見がでたけど、「中絶してみたら、健康な胎児だったらどうする」という意見も聞いてみたかった。

★本日のディベートについて、あまりに感情の押し問答すぎて、イライラしてしまいました。
最後に、ディベートを聞いていた学生の発言の中に、ディベートというのは、たいてい賛成派のほうが押され気味になるという感想がありましたが、なるほど、その通りだと思いました。
でも、それは(選択的中絶に)賛成するということが、すでに差別になるといった道徳的な問題が前提になっているからだと思います。
賛成派の人間としては、その道徳に反していると思っても、自分のことを考えた時、それをエゴだと思われても、もうそのことは考え済みのことだと思っています。

★(前に出て)ディベートに参加してみて良かったと思いました。
思ったよりもすごく楽しかったというか、お互いに意見がぶつかり合って、問題点がより浮き彫りになったと思います。
どう考えても反対派だと思って、このディベートに臨みましたが、賛成派の意見を聞いて、納得する部分も出てきました。
来週の「まとめ」が楽しみです。

★(デイベートに参加してみて)疲れました。疲れたわりには面白くなかった。
でも、勉強したことはムダにはならないと思うので、これから役立てていこうと思います。
私は個人的にも「反対」です。いろいろ問題はあるけど、これから世の中はどうなって行くんでしょう−−。私にできることを探したいです。

★私の意見は、今日のディベートを聞いても「賛成」です。
例えば、私と私の友人A子さんが同じ仕事をしていて、私の妊娠した子が障害をもっていて、A子さんは健常者の子を妊娠したとしたら、私はA子さんを羨ましく思う。
それに、A子さんが仕事を続けているのに、私は仕事を辞めて子どもの世話に専念しなくてはならないし、「どうして私の子が?!」って思ってしまうと思う。
そんなのは私にとっても、子どもにとっても、すごく不幸なのではないかしら。
でも中絶って(こういってはなんですけど)個人の自由だと思います。傷つくのは本人なんだし。

★とっても悲しいことだと思います。障害をもたれている方が聞いたら、その母親が聞いたら、どんな思いをするだろうかと思います。
私でも、出生前診断を受けて、障害をもった子だと知ったら、おろしてしまうかも知れない。
誰も、精神的には強くない、大変な事は避けたい。
だから、出生前診断自体に反対です。今まで、徐々に福祉が整ってきて、またその強化活動に力を注いできた人たちが居るんです。ボランティア活動だってある。
それをすべて否定してしまうなんて、悲しい。
生命の存在の良い悪いを決める権利は、私たちにはないと思う。
もっと思いやりのある社会にしてゆきたいのに・・・、と思った。

★私が今日のディベートで強く感じたことは、生命を尊重し、障害者差別をなくし、そして親の負担を軽くするには、社会を変えてゆくしかないということです。
多様な社会であり続けるためにも、変えるべきだと思いました。

【木W限】

★1週間という短い期間なのに、1時間ディベートをできてすごいと思った。
賛成する部分もあるし、これはちがうなと感じる部分もあったけれど、とてもためになりました。

★今日のディベートは聞いていて、感心した。
賛成派も反対派も自分たちの意見を貫いているし、絶対まげたりしなかったところがすごいと思う。
でも、わたしは賛成派に同意する。
反対派の意見も納得できるし、考え直さなければいけないと思うところもあった。
しかし、自分の問題として考えると、やはり社会の中での苦労や、育てられる自信がない。

★出生前診断については賛成派だったが、その考えは変わらなかった。
けれども、ディベートの内容は、反対派の人の方が強く印象に残った。
賛成派の方が「中絶は個人の自由」ということをいってしまったために、反対派が不利に思えた。
大学に入学して、初めてディベートを経験したが、あれだけ自分を主張できる3回生に憧れた。
同女に入ってよかったと思った。

★今日のディベートはいろんな面でとても勉強になりました。
少しディベートの対象がずれたりしていましたが、どちら側(賛成派・反対派)にも色々な意見があり、自分の視野が広がったような気がします。
「個人の自由」で話を進めてしまったら、ディベートする意味がないと何回か言われていましたが、この問題は実際、女性の自由の権利という思想的な問題まで含んでおり、とても難しいトピックだと思いました。

★(ディベートに参加してみて)相手の言うことを理解できなかったり、自分の言いたいことを順序立ててうまくしゃべれなかったり、大変だった。
何か言ったら、「それを言ったら終わりでしょ」って言われたのが一番困った。

★「選択的中絶をするということは、完璧な赤ちゃんしか欲しくないと言っているように聞こえる」と言われて、ショックだった。
私は、必ずしもそのように考えていなかったし、誰にもダメな部分はあると思っていたから、つらかった。(ディベートを行うことは)ともかく大変でした。

★(ディベートは)すごく疲れました。
反論されてちゃんと答えられなくて、勉強不足を実感させられました。
知れば知るほど、訳が分からなくなってしまいますが、それでもやっぱり私は産むと思います。

★今日のディベートは、それぞれ「個人」に意見を求めていて(「じゃぁ、○○ちゃんはどう思うの?」など)、ちっともそれぞれの主張を客観視できていなかったので、残念です。
もっと理論立てた主張・反論が聞きたかったです。(ディベートに参加していないくせに、こんなことを言うのはかってなのですが・・・。)
ところで、最近、毎日の動作を、ふと立ち止まって、「これ、手が動かなかったら、どうしてただろう」と考えるようになりました。
ところがその時、いつも最後に思うのは「ああ、私は手を動かすことができて良かった。しあわせやなぁ・・・」ということ。
私には「健常者であることは、障害者に比べて『幸せ』である」という意識が、常に存在するのです。この差別意識はどうしたらなくすことができるのか、こういう事を考えるきっかけになったこの授業に感謝します。
【新井コメント:もし腕が4本ある人がいたら、腕が4本ある人の方が、君よりたくさんのことができるわけでしょ。食事を食べながら、レポートを書いたりとかさ。ということは、腕が4本ある人のほうが君より幸せで、君は不幸ということになるのかな?】

★私は出生前診断でもし自分の子供が障害児だったら生みません。
私の住んでいる所は、とても障害者の方が多いです。
小学校、中学校でも、学年に2、3人いました。小学校のときはずっと障害者の子といっしょのクラスでした。
すごく大変でした。お母さんも大変そうでした。
やっぱり先生がどんなにうまく差別しないように教育しても、生徒は「助けてあげる」と思ってしまうと、私は感じた。
その子の母親を見て、私はそんなに精神的に強くないから産めないと思います。

★私は賛成派で意見は変わっていません。
反対派の人たちに対して思ったことは、障害児とわかって中絶したっていうのは、差別ではないんじゃないかということです。
反対派の人達は、こういうことをしたら差別っていうのを、自分のハカリで決めているんではなかと思いました。
私賛成派なのは、精神的苦痛が多くなるんじゃないかと感じたからです。
地元の近くのアパートで、障害をもつ親が、子供を育てるのが苦痛になって、ベランダから落としたという事件があったし、私の妹のクラスにも障害を持つ生徒がいて妹のクラスはその子が授業中にあばれたりしたことで、まったく授業が進まなかったことで、その子の親が他の生徒の親から責められたりしたことがあった。そういうのを目のあたりにすると、やっぱり中絶を選んでしまいます。

★反対です。中絶に賛成の人は「ナニ」を産む気のなのでしょうか?
『健常な人間』しか自分の子供に必要ではないのかと思い、ちょと怖くなりました。
健常者しか愛せない世界観は怖いです。
「ナニ」かって、イコール「自分」の一部? それは子供に人権はないって考えにつながるのでは?
胎児を殺すかも知れないリスクがあっても、羊水検査を受ける=1度殺す決意をするという赤いスカート(林さん?)の人の意見に納得。
パーフェクト・ベビーだらけの社会には、歴史は生まれないと思う。
不完全だからこそ、人間はおもしろく、美しい!! と思う。

★今日のディベートを聞くまでは、絶対に中絶する意見でした。
でも、障害をもつ老人を殺すことができなように、障害をもつ胎児でも1つの命なので、中絶してはダメだと考えを改めました。

★出生前診断さえなければ、このような問題は起こらなかった。
脳死と同じで、良いか悪いか分からないのに、世の中にこのような技術を出す人が悪い。
倫理的問題を解決してから、診断の許可・不許可を決めるべきだ。 

 


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