美術教育における「基礎・基本」
美術教育における基礎・基本とはなにか?もう一度これまでの指導法を振り返りながら考察を試みた。
これまでの指導法は用具の使い方に始まり、形の捉え方、陰影による立体感の出し方など、デッサンやスケッチの仕方を基本として教えていた。しかし正直なところ、苦手意識を持っている生徒に対しては満足な指導ができず悩んでいた。
美術とは、主に目と手を使う教科である。そして手を使う前に目でものを見ることが実は大変重要なことなのである。「見ること」とは見て「感じ取ること」であり、作品の制作においても鑑賞においても、「感じ取る」ことは不可欠な作業である。これまでの自分の指導を振り返ってみると「感じること」の指導は不十分だった。「感じ取ること」をしっかり教えることが本当の美術の基礎・基本なのではないだろうか。
こうした結論に至るまでには
ある描画法との出会いがあった。
「右脳モードによる描画法との出会い」
本校では、各個人が自分で研修のテーマを自由に設定して行う個人研修の取り組みもしている。筆者は、平成10年度のテーマに以前から興味をいだいていた「脳の右側で描け」を設定し、5日間のワークショップに参加する機会を得た。
これは脳の認識の仕方を右脳による認識モードへ切り替える方法を学ぶことによって、誰でも絵を描く能力が飛躍的に向上するというカリフォルニア州立大学のベティ・エドワーズ女史が提唱している教育理論である。エドワーズ女史によると、「描く」という技能は読書や車の運転、スキー、歩行などと同様に、全体として1つの技能に統合されるいくつかの技能によって構成されており、その構成要素をいったん習得し、統合するこtができれば後は描けるようになるというものである。
習得した後は何か付加的な基本技術を加える必要はなく、その後の進歩をもたらすのは練習である。技法を洗練させ、技能を何に対して用いるのかを学ぶことが大切になると著書の中で述べている。
女史の説明によると、見えているものを描く包括的な技能はたった5つの基本技能だけで構成され、その構成要素となる技能は描く技能ではなく、次のように右脳による知覚する技能であるという。
この右脳を使った知覚を妨げているのが、左脳の知覚なのだと指摘している。左脳は言語的、分析的、象徴的、論理的であるが、右脳は非言語的、総合的、具体的、直感的と考えられている。
例えば椅子の絵を描くことを想定してみる。
まず、眼からある物体の情報が入ってくる。この情報を左脳がこれまでに蓄積したデータベースに照らし合わせて椅子だと判断する。「これは人間が座るために作った椅子と名づけられた物体であり、すでにどんなものであるかは十分知っている。」
だから左脳はそれ以上細かなところを観察したり、情報を得ようとはしないのである。これが左脳の知覚の限界である。
そこで絵を描く場合にこれ以上の情報を得ようとすれば、左脳の知覚を抑え、右脳による知覚へと切り替える必要があるのである。この左脳の知覚を抑えるための描画法が確立されており、そこには普段に授業に使えそうなヒントがたくさん隠されていた。以下いくつかの実践事例で検証してみる。
実践事例1
コントゥール (contour = 輪郭)・ドローイングの導入
毎回の授業のはじめに、5-10分ほど行っている。
手や丸めた紙を持った手など、複雑なものを描かせるようにしている。初めは生徒も慣れないので短い時間で行い、慣れてきたところで徐々に時間を伸ばす方がよいようである。まず、生徒は手のポーズを決定する。次に右手を机上に残し、上半身を左にねじって(左利きの場合は逆)手の絵を描き始める。この時、決して描いているほうを見てはならない。そして1秒間に1ミリぐらいの速さで、対象である手の輪郭、細かなしわの1本までを眼で追い、同じく1秒間に1ミリぐらいの速さで、目の動きに合わせて鉛筆を動かすのである。見るスピードも描くスピードも遅ければ遅いに越したことはない。これが右脳モードに切り替えるのに特に有効な方法だそうである。
実際の場面では、普段制作に集中できない生徒の多いクラスでもこの課題に取り組んでいる時は、一言も話すことなく描くことに夢中になっている姿が見られた。
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この課題のねらいは、時間をかけて対象を観察することにより、普段では考えられないような量の情報を眼から脳に伝えることにより、左脳モードを抑え、右脳モードに転換することにある。課題に取り組んだ生徒の左脳は私語をしている余裕がなかったはずである。 しかし何回かこの課題を続けている間に、やりたがらない生徒がでてきたという問題もあり、今後の課題としては描かせる対象の種類を増やし、飽きさせずにこの課題に取り組ませる指導者側の工夫があげられる。
← (紙は見ないで、手だけを見て描く) |
実践事例2 上下逆さまで描く
右脳モードを生徒に体験させるために1−2時間で取り組ませた課題である。
ピカソの描いたストラビンスキーの肖像画を逆さまに模写させた。逆さまに見て、そのまま逆さまに描くという未知の体験に生徒は戸惑っていたが、逆さまにした肖像画を見慣れてくると、意味の無い曲線や形を写す作業が案外描きやすいことに気が付き始めていた。むしろ上下を元に戻してみると、先ほどまで意味を持っていなかった形はその意味を主張し始め、恐ろしく複雑な絵に見えてくるから不思議である。実際取り組んだ生徒の作品も、本にのっていた学生の作例とほとんど同じような結果がでた。
実践事例3
様々な課題への応用
1 レタリングへの応用
年度当初、ポスターや学級の掲示物制作の基本としてレタリングの指導を行っている。これまでは見本となるレタリングを参考にしながら全体のバランスを考え、骨がきをし、、肉付けをしていくという指導であったが、これにネガのスペースと絵を逆さまに描くという手法を応用して取り組ませている。見本のレタリングを逆さまにし、そのまま上下逆さまの状態でレタリングをしていくのである。その時、見本の形を見るのではなく、字を除いた余白の形(ネガのスペース)を見て写すのである。
最初はかえって難しそうだと言っていた生徒もいざ取り組んでみると集中して取り組んでいた。レタリングが完成し上下を元の状態に戻した時には驚きの表情さえ見られた。それまでの方法に比べ、満足のいく結果になった生徒が多かったように思う。
2 風景画への応用
これまで風景画の授業では、描こうとする対象の捉え方を重視してきた。これに対し、対象の余白の形から捉える方法がネガのスペースの手法である。
そしてワークショップに参加して再認識したことは、ビューファインダー(見取り枠)の重要性である。ネガのスペースを捉えるためには、ビューファインダーを使って対象をどこからどこまで描くかをはっきりさせる必要がある。この作業がないと、ネガのスペースがどこまでなのかはっきりしないからである。風景画の指導の中で、練習課題として、印刷された風景をスケッチする課題に取り組ませているが、この時、ネガのスペースを意識させるようにした。建物のある風景ならば、まず地面や建物の形を除いた空の形を捉えさせるようにすると、苦手意識をもっている生徒も比較的スムーズに取り組む様子が見られたのである。
このような取り組みをしている中で、これまで生徒の発想力を伸ばすといわれている課題の中にも、実は右脳を使っていると思われる課題があった。
例をひとつあげる。図形から連想するという課題である。基本になる図形はある都市の形(例えば筆者の住んでいるH市の形)である。この形の中に具体的なイメージを当てはめていくのである。この意味のない形の中に別の形を探していく過程で、右脳モードによる感じ方が必要である。このように、豊かな発想をする上でも右脳モードによるものの感じ方は基礎・基本になっていると考える。
鑑賞の学習についても述べてみたい。言うまでもなく、鑑賞の授業は見ることが基本である。右脳を使ったものの見方を身に付けると、自分を取り巻く世界が今までとは違った新鮮なものに見えてくる。鑑賞の学習では、見方の幅を広げることになる。そして芸術作品を鑑賞することは、右脳にとっては質の高い刺激が与えられることになるのである。
終わりに
ワークショップ終了後、受講生の中で、中学校時代にこのような方法で絵の描き方を学んでみたかったという感想がでたが、生徒たちにも同じことが言えると思う。
子供は小学校高学年の頃から、美術教育で危機的時期と言われる時期に入る。本物らしく描きたいという欲求が出てくるのであるが、自分の描いたものに満足できなくなる。そしてしだいに描くことから遠ざかるようになる。こうして、苦手意識を持ってしまった生徒に対する有効な指導法は、写実的に描く課題を回避する以外に方法がなかった。実際に描くことを気にせずに取り組める有効な課題もあるが、そこを避けて通ればいずれ欲求の限界がくる。
自分の思い(イメージ)を忠実に作品に表すことのできる技能(基礎・基本)を身に付けさせてこそ、思いを表現する創造活動が可能になるのだ。「描く力」とは、実は「感じ取る力」であり、「感じ取る力」は目の前のものを単純に見るだけではなく、目に見えないものまで感じ取る力である。感じ取ることは、新たな発見をすることであり、発見はすでに創造である。ゆえに描くこと(=感じ取ること)はあらゆる造形活動の基本となるのである。
右脳モードによる描画法は決して本物そっくりに描くことが最終目的ではない。より右脳を活性化させ、より創造的に人生を生きていくための基礎になるものである。右脳モードによる認識や思考は美術だけにとどまらず、企業の教育セミナーや様々な分野への活用がなされている。右脳モードによる描画法によって右脳を活性化することは我々教師にも必要な気がする。
右脳による柔軟な思考とアイデアで、生徒が生き生きと学ぶことができる授業を作り出す必要に迫られている。