Objets d'art du Louvre戻る「Musee du Louvre の装飾美術」はじめに1.本編はルーヴル美術館に収蔵されている Objet d'art部門の主要作品を収録した。 2.調査・撮影は1991年から94年、編集・解説記述は95年に行った。 3.収蔵品データは仏文表記しているが、原稿入力の都合でアクサンを付していない。 4.収蔵品番号は美術館管理番号(MR---あるいは OA----)をデータ末尾に表示した。 5.展示室名は室番号と室名をスライド標題末尾に表示した。 6.スライド #1〜#9はルーヴル美術館の紹介 #10〜#12は装飾美術史の概観解説とした。 7.固有名詞のカナ表記は現地音にならったが、慣例のあるものはそれに従った。 53![]() <第42室 Salle Clessent> このコモードのマルケトリーは、パープルウッドの枠取りの中に、ダイヤモンド形のサテンウッドを嵌め込んでいます。この技法は、クレッサンの工夫によるもので、ロココスタイルの家具にも使われるようになります。シャルル・クレッサンは、熟達した彫刻師でしたが、1719年にエべニストのジョゼフ・ポアトウの工房を引き取ってから、指導的地位を築いた家具師です。ポアトウはシャルル・ブールと縁戚でもあったので、クレッサンもブールの技法を学んでいます。このコモードの脚につけられたシュロの葉のブロンズ飾りもブールスタイルですが、波形のうねりや貝のモチーフは、レジャンスからロココへの流れを示しています。 Commode, bati de sapin, noyer, Breccia marbre, Paris, vers 1730-35, Charles Clessent (1685-1768), H=0.905m L=1.49m W=0.67m (OA10900) 54![]() <第42室 Salle Clessent> 良く似た形のコモードですが、サテンウッドのマルケトリーは、柔らかな感じに仕上げられ、脚部の飾りブロンズも控え目で軽快なものとなっています。正面ブロンズレリーフには、2 人のプッティとブランコに乗った猿の像があり、ロココ的情景を演出しています。この形式のコモードは他に4 つ作られダンスする犬と子供のレリーフがあるコモードは、ニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されています。画像拡大 Commode "Au Singe", bati de sapin et chene, satine et amarante dore, Sarrancolin marbre, Paris, vers 1745,Charles Clessent, H=0.9m L=1.435m W=0.645m (OA6868) 55![]() <第53室 Grande Salle Louis XVe > ジャック・デュボアも、クレッサンとほぼ同時代レジャンスからルイ15世期にかけての家具師です。単純なサテンのマルケトリーには小さな草花を散らし、ブロンズ飾りも控え目にして、曲面形態の優雅さを強調しています。緩やかなカーブを描く脚部の先端には魚のモチーフを選んでいます。 Commode, Paris, vers 1750, Jacques Dubois (vers 1693-1763) 56![]() <第53室 Grande Salle Louis XVe > このコモードの正面は2 枚の扉で大きく開き、中にオーク材の引出しが4 つ付いている、当時としては珍しい大変実用的なものです。正面扉と両サイドには、中国文人画が緻密に描かれています。仕上げに使われている「コロマンデルラッカー」は河南省で始まった漆技法で、ルイ15世時代に導入され、シノワズリー家具に使われるようになりました。ジャック・フィリップ・カレルは、当時の有力な家具師ゴードローのもとで修行していますが、あまり知られていません。 Commode, bati de chene, Paris, vers 1750, Jacque-Philippe Carel,H=0.933m L=1.465m W=0.69m (OA9488) 57![]() <第53室 Grande Salle Louis XVe > ブナ材に金塗装のフォトゥイユです。作者のジャン・ブーコールはそれぞれの部材に躍動感のある形を与え、木彫のディテール一つ一つにも軽快な動きを表現しています。この時代、椅子類やコンソールの製作者は、エベニストとは違う職域のギルドに属し、独自の技法を発展させていました。このフォトゥイユなども、その中から生まれ、時代の装飾要求を実現させた忠実な傑作の一つといえるでしょう。 Fauteuils a la reine, hetre dore, Paris, vers 1758, Jean Boucault(1705-86) H=1.03m L=0.7m W=0.61m (OAP232) *エベニスト ebeniste…黒檀(ebene熱帯産の黒くて堅い樹種)の薄板をニカワなどで張り付けて家具を化粧することがルイ14世時代に隆盛した。そのため家具師をエベニストと呼び、王室公認家具師をメートル・エベニスト (maitre ebeniste)と称した。椅子やコンソールを造る職人はムニュジエ (menuisier)といい、やはり王室によりメートル・ムニュジエ(maitre menuisier)の称号が与えられた。寄木細工師はマルケトゥール(marqueteur)、金属細工師はオルフェヴルリー(orfevrerie)という。 58![]() <第54室 Deuxieme Salon Louis XVe > ルイ15世時代の代表的エベニスト、ジャン・フランソア・エバーンの仕掛けテーブルです。エバーンのマルケトリーは大変精巧なもので、このテーブルでもパープルウッド、チューリップウッドなどを使って、幾何的な立体パターンに仕上げています。ブロンズ飾り、引き手などにもロココ時代らしい優美さが強調されています。エバーンの家具にはいろいろな仕掛けで複雑に作動するものが幾つもありますが、このテーブルはその中でも独特のもので、ルイ15世の孫、病弱で障害があったブルゴーニュ公(ベリー公、後のルイ16世の3 歳上の兄にあたる)のために作ったベッドルーム用の特殊機能家具です。画像拡大 Table a la Bourgogne, bati de chene, Paris, vers 1760, Jean-Francois Oeben(1721-63), H=0.919-1.43m L=0.705m W=0.515m (OA10001) 59![]() 突出している部分は本棚で、左右の半円部は回転して、モアレの生地を張った円形ボックスが2 つずつ出てきます。この本棚部は、ハンドルを回転させて格納することができます。引出しの一番上(2 段の前板がある)は、前倒しして書き物テーブルになります。その次は2 つの小引出しです。その下は引き出してベッドテーブル(折り畳み式の4 本脚がある)として使えます。一番下は前板を倒し、底板をスライドさせるとベルベット張りの座が出てきます。ブルゴーニュ公は1761年この家具が納入される前に9 歳で死亡したため、納入されずにエバーンの手元に残っていました。 (FURNITURE COLLECTION IN THE LOUVRE, Editions Faton, Dijon, 1993, p.185) 60![]() <第56室> ルーヴルの収蔵品は、王室のコレクション、革命による接収、戦争による取得、購入などのほか、寄贈または税のための物納によって拡大されてきました。著名なロートシルト(英表記ロスチャイルド)家も大きな貢献をしていますが、この部屋にはルイ15世末期から、ルイ16世時代のルルー、カルランなどの銘品が展示してあります。 Salle Baron Edmond de Rothschild *コレクション…ルーヴル美術館装飾美術部門のコレクションは、王室コレクションを基礎として、1825年デュラン、1828年ルヴォアル、1830年聖霊騎士団、1856年ソーヴァージュ、1863年カンパーナ、1916年ヴィスコンティなどのコレクション取得により充実してきた。 61![]() <第56室 Salle Baron Edmond de Rothschild> ジャン・フランソア・ルルーはエバーン工房の出身で、ルイ15世時代に秀作を残した家具師です。このスクレテールは1 枚仕上げの円筒形上蓋がスライドして内蔵される機構になっています。シリンダ−形トップのマルケトリーには、中央で箙(矢筒)と松明を交差させ、花と葉の模様で囲む構図になっています。セーブル窯の陶器飾りが前面に10枚、左右に8 枚ずつ、都合26枚、ブロンズの縁飾りで付けられています。正面には3 つの引出し、トップの中に6つの小引出しがあります。画像拡大 Secretaire a cylindre, bati de chene, porcelaine de Sevres, Paris, vers 1768-70, Jean-Francois Leleu (1729-1807), H=1.05m L=0.985m W=0.535m(OA11295) 62![]() <第56室 Salle Baron Edmond de Rothschild> 幅30cmにも満たない小さな書き物机です。トップは青と金のトレリスの中にいろいろな花を描いたセーブル窯の一枚陶板です。マルケトリーも同じトレリス構成で、バルボー(矢車菊)を囲んでいます。ドラクロアはバルボートレリスによるマルケトリーをたびたび使っています。直線構成と真っ直ぐな脚の形は、ルイ16世初期の古典嗜好を感じさせます。ギロッシュ(輪繋ぎ飾り)風のブロンズがある上の引出しには、革張りの書き物台,インク壺,砂壺などが備えてあります。 Table a ecrire, bati de chene et sapin, porcelaine de Sevres, Paris, vers 1775-1780, Roger Vandercruse Delacloix (1728-99) H=0.78m L=0.444m W=0.292m (OA11298) 63![]() <第56室 Salle Baron Edmond de Rothschild> クロード・シャルル・ソーニエは、1765年にメートル・エベニストの称号を得て、ルイ15世末期から16世時代に活躍した家具師です。タブル・シフォニエールというのは、ルイ15世時代に考案された裁縫のための材料道具などを収納する実用テーブルですが、このシフォニエールは婦人のサロンのための小物入れのようです。セーブル陶板のトップは、ブロンズをバスケット編みにしたエッジで囲われ、サテンウッドで仕上げられた小さな引出ししを一つ備えています。4 本の脚は直線でシンプルに伸び、底板から下にかけて緩やかな曲線を見せています。 Table-chiffonniere, bati de chene et sapin, porcelaine de Sevres, Paris,vers 1766-70, Claud-Charles Saunier(1735-1807), H=0.77m D=0.422m (OA11296) 64![]() ソーニエはセーブル陶器を使った家具はあまり残していませんが、このタブルの陶板は花、貝、リボン、モザイクなどのモチーフを巧みに構成しています。この装飾手法は、その後のセーブル製品に多用され、類似した模様のテーブルウェアも作られています。フランスの磁器開発は、マイセンなどに先行されたまま、ヴァンセンヌ窯などで陶器を改良した軟磁器(porceraine tendre)を生産していましたが、1756年にポンパドール夫人がルイ15世の支援を得て、パリ近郊のセーブルに国立磁器工場を設置します。リムーザンでカオリンが発見され、1769年には硬磁器(porceraine dure)の開発に成功し、華麗な製品を生み出していきます。 (FURNITURE COLLECTION IN THE LOUVRE, Editions Faton, Dijon, 1993, p.216) 65![]() <第56室 Salle Baron Edmond de Rothschild> マルタン・カルランは、1766年にメートル・エベニストの称号を得た、この時代の代表的家具師です。漆塗りの家具にも名品を残していますが、セーブル陶板の家具で傑出しています。カルランはセーブル窯の設立より早く、1755年にヴァンセンヌ窯の陶板で家具を飾っています。このコモードには、5 枚の大きな陶板に、花のバスケットとリボンをモチーフにした正統派の装飾を描いていますが、色付きのボーダーを使わず、陶器の白さを強調しています。1774年4 月、ルイ15世死去の1 ケ月前にデュ・バリー夫人がこれとほとんど同じものを 3,360リーブルで購入したという記録が残っています。(この時代の1 リーブルは純銀 450gr 程度と推定すると、今日の円貨で は6,300円ほど。換算するとなんと 2,116万円!) Commode, bati de chene, porcelaine de Sevres, Paris, vers 1775, Martin Carlin (1730-1785), H=0.865m L=1.125m W=0.43m (OA11294) *リーブル livre…本来は重さの単位。英国ではポンド。旧体制のフランスでは銀本位制をとっていたので、貨幣単位としては1 リーブル重量の銀の価値を指す。ただ、1 リーブルの重量は地方により異なり、時代によっても変動した。革命政府によるメートル法制定で1 リーブル= 500 gr と定められたが、英国はこれに同調せず、現在でも英米などのポンド(lb)は、約 454 gr である。革命後の通貨単位は1 リーブル=1 フランと呼称することとなったが、現在のフランは、純銀相場に換算すると 1.5 gr 程度になる。ちなみに英国スターリングポンドは11.8 gr、米国ドルは 7.1 gr、日本円は 0.07 gr 程度。 66![]() <第56室 Salle Baron Edmond de Rothschild> このフォトゥイユの形はルイ16世様式と見られますが、シートレールやアームサポートの曲線、装飾ディテール、脚部のスパイラル溝彫刻はロココの特徴を示しています。シュルピス・ブリザールは1762年に若くして親方の資格を得て工房を構えますが、転換期の新様式からルイ16世時代にかけて活躍し、たくさんの作品を残しています。 Fauteuils en cabriolet, hetre dore, Paris, vers 1775, Sulpice Brizard(vers 1735-99), H=0.89m L=0.61m W=0.56m (OA6549-6552) 67![]() 1775年頃 <第57室 Salon Conde> このビュローの家具師クラマーは、エバーンの一門で、この家具も有名な「ルイ15世のビュロー」(エバーンとリースネルの作・ヴェルサイユ)と良く比較されます。パープルウッドなどによるマルケトリーは幾何的なモチーフで繊細に仕上げられ、特にトップスラットのストレートな仕上げに古典的な上品さを感じます。このビュローはイタリアに渡り、1860年にはヴィットリオ・エマニュエル2 世の宮廷に入っていたというインベントリーマークも残っています。 Bureau a cylindre dit du "roi de Sardaigne", bati de chene, Paris, vers 1775, Mathieu-Guillaume Cramer(?-1804), H=1.11m L=1.29m W=0.745m (OA10421) 68![]() 1770〜75年頃 <第62室 Salle Claude Otto> ピエール・ガルニエはパリ出身家具師の草分けで、ポンパドール夫人の兄、マリニー侯爵(王室建築総監)のための家具を多数残しています。このアルモアール形のスクレテールは漆塗りの盛り上げ塗装に金泥仕上げの技法(ヴェルニ・マルタンといいます)を使っています。一番上のフリーズは風景を描いた大引出し、その下のパネルは引き倒してデスクトップになり、下は2 枚の両開き扉です。画像拡大 Scretaire en armoire en laque du Japon, bati de chene, vernis Martin, bronze dore, marble bleu, Paris, vers 1770-75,Pierre Garnier (vers 1720-1800), H=1.468m L=1.055m W=0.42m(OA6084) 69![]() 上下の扉を開いたところです。仕上げはチューリップウッドで、ローズウッドのフレームを回しています。上部には3 つの仕切り棚(ピジョンホールといいます)と6 つの小引出し下部には大きな棚と4 つの引出しが備えられています。このスクレテールは1789年4 月のフォーブルサントノーレの暴動の際に強奪されましたが、革命政府成立後、法務大臣室に戻され、1907年にルーヴルに納められました。 (FURNITURE COLLECTION IN THE LOUVRE, Editions Faton, Dijon, 1993, p.204)(OA11200) *ヴィットリオ・エマニュエル2 世 Vittorio Emanuele II…サルディニア王から、イタリア統一を成功させ最初のイタリア国王 (1861-78)となる。近代国家としての基礎を築いたイタリアの「国父」とも呼ばれている。 70![]() <第61室 Cabinet Marie-Antoinette> 18世紀末頃になると、宮廷出入り商人(marchands merciers)が家具制作を取り仕切るようになり、このカルランのスクレテールもルイ14世時代の古い家具に使われていた部材を再利用させています。正面フリーズの4 面のピエトル・デュールと側面の2 枚、天板のスペイン産マーブルなどがそうです。正面のピエトル・デュールは海の風景、側面は壺と花の絵で、スタイルは違いますが共に17世紀フィレンツェの細工です。化粧仕上げの黒の漆塗り、金鍍金のブロンズなどにカルランらしさを感じます。画像拡大 Secretaire a abattant en acajou, bati de chene, Paris, vers 1780, Martin Carlin, H=1.185m L=0.885m W=0.425m (OA11176) 71![]() <第62室 Salle Claude Otto> リースネルはルイ15世の死後 (1774年)まもなく、王室指名の家具製作者となり、ルイ16世, マリー・アントワネットをはじめ王族の家具納入の第一人者になります。このコモードはエバーン風の幾何パターンのチューリップウッドのベニア化粧、マホガニーの出隅押えと脚、金鍍金ブロンズのフリーズが明快な古典志向を感じさせますが、リースネルの刻印の他にブーリーのもあるところから、多量の受注をこなしきれず、一門のブーリーに外注したものと推測されます。 Commode en plaque de bois de rose et d'amarante, bronze dore, marble bleu, Paris, vers 1780, estampille par Jean-Henri Riesener (1734-1806) et Ferdinand Bury (1740-95), H=0.923m L=1.27m W=0.609m (OA6495) 72![]() <第60室 Cabinet Chinois> この風変わりな椅子は、ルイ16世の弟アルトア伯(王政復古後のシャルル10世)の注文になるものです。当時は政治から遠ざかって、道楽三昧を決め込んでいた彼が、マレ地区のタンプル宮殿に造ったトルコ風(想像上の)の小部屋のためにあつらえたものです。全体デザインはエティエンヌ・ルイ・ブーレー(1728-99 新古典主義建築の大家)、家具の製作はジョルジュ・ジャコブで、フォトゥイユ2 脚と小椅子4 脚のセットになっていました。三日月形の脚と肘掛け支え、アラビア風の肘掛けと背などに「トルコ趣味」を意識しています。アルトア伯の「トルコ趣味」は、この時代かなり流行し、その後の様式にも影響を与えます。 Chaise, noyer dore, Paris, vers 1776-77, George Jacob (1739-1814) H=0.93m L=0.57m W=0.68m (OA9986) 73![]() <第58室 Cabinet de Louis XVIe > オーク材に金塗装したこのコンソールの記録には、1794年芽月(Germinal)3 日に亡命を計った王室建築総監ダンジヴィレ伯から没収したものとあるだけで、作者は解明されていません。2 体のセイレン(ギリシャ神話の海の精)のマスクやポーズ、下肢の鱗の形態などの特徴が、ジョルジュ・ジャコブが1781年にアルトア伯に納めたコンソールテーブルのものと酷似していることから、彼に帰属させる考証もあります。オリジナルの天板は、緑色の大理石でしたが、ナポレオン1 世時代にコンピエーニュ宮で使用するために、フィレンツェアラバスターのピエトル・デュールに変えられています。 Console, chene dore, Paris, vers 1780, H=0.87m L=0.78m W=0.59m (OA5165) 74![]() <第59室 Salle Lebaudy> このスクレテールは1784年12月21日に、リースネルが、チュイルリー宮殿のマリー・アントアネットの寝室と私室に納めた4 点の内の一つです。記録によるとコモード 4,842リーヴル、ベッドサイドテーブル 850リーヴル、このスクレテールが 6,260リーヴルです。(ドレッシングテーブルは現在ヴェルサイユ・プチトリアノンに保存されています。)4 点とも同じスタイルの化粧張りでシカモア、パープルウッド、チューリップウッドで繊細なダイヤパターンに仕上げています。ストレートな脚部、単純な曲面など、ルイ16世様式の代表的なスクレテールとして、19世紀にはさまざまな類似品が製作され人気を得ました。画像拡大 Secretaire a cilindre de marquetrie, bati de chene et sapin, Paris, 1784, Jean-Henri Riesner, H=1.036m L=1.134m W=0.642m (OA5226) 75![]() 曲面トップの中央に施された卵形メダイヨンのマルケトリーとオルモル(金鍍金のブロンズ細工、ブロンズドレともいう)です。オルモルとマルケトリーは、化粧張り技法と共に家具装飾の主要な技法で、それぞれのエベニストたちが技を競いあっています。このマルケトリーはシカモアをベースにポリクロームウッドなどの堅木の象眼で、楽器や本(芸術と科学の象徴)を花や葉のリボンで取り囲むように描いています。リースネルの納入価格 6,260リーブルは当時としても極めて高額なものでした。この時代で1 リーブルは純銀 400gr 程度と推定すると、現在の邦貨で 3,500万円になります。 (FURNITURE COLLECTION IN THE LOUVRE, Editions Faton, Dijon, 1993, P284) 76![]() マリー・アントアネットは、1785年にオルレアン公からサンクルー宮殿を買い取り、すぐにファーニシングに取り掛かり ます。これはその時にセネが納めたいろいろな椅子の内、3脚組のフォトゥイユの一つです。ウォルナットに金塗装ですが、三日月形の肘掛け支えや背のフレームなどに、当時はやっていた「トルコ風」の意匠も採用していますし、エジプト風の蓮の花のモチーフも見られ、背冠部の鷲はハプスブルグ家のイメージを示すなど、かなり工夫された当世風のデザインです。ナポレオン1 世のエジプト好みを先取りしたともいえます。セネは祖父の代からのムニュジエ(椅子細工師)で、一族から大勢のムニュジエを輩出しています。画像拡大 Fauteuil a la reine, noyer dore, Paris, 1787, Jean-Baptiste-Claude Sene (1747-1803), H=1.05m L=0.63m W=0.6m (OA6638) 77![]() <第59室 Salle Lebaudy> これも、セネがサンクルーに納めた3 脚組のフォトゥイユの内の一つで、極めて個性的なデザインです。直立した背、背から独立したイオニア風の両脇柱、突出した松笠形のフィニアル、スパイラル溝の脚、蓮の葉のモチーフなど、当時のルイ16世スタイルの規範から抜け出したセネの独創的意匠が生まれています。セネのこのような仕事は、革命動乱期の中でも注目され、次世代の様式を準備したといえるでしょう。画像拡大 Fauteuil en cabriolet, noyer dore, Paris, 1787, Jean-Baptiste-Claude Sene, H=0.91m L=0.61m W=0.56m (OA9452) 78![]() <第60室 Cabinet Chinois> カルランもシノワズリーの家具をたくさん手掛けました。このコモードは、長さが1.82mもある大きなものですが、製作中に両脇2 枚の扉部分が追加拡大されたことが、底部や背面部の様子で推定されます。漆塗りで仕上げられた扉には、中央に扇面画、両脇には山水画が描かれています。4 本の8 角形断面の先細脚は、カルランの得意のスタイルです。フォーブル・サントノーレのブルノア侯爵のサロンに納めるために、同じスタイルの2 つのコンソールとセットで造られていますが、大革命期の接収で分離され、このコモードはサンクルー宮の第一執政ナポレオンの部屋に入れられました。コンソールは現在プティトリアノンで見ることができます。 Commode a encoignures, bati de chene, Paris, vers 1775-80, Martin Carlin, H=0.963m L=1.82m W=0.465m (OA5472) 79![]() <第60室 Cabinet Chinois> ルイ16世時代の王室家具はリースネルが取り仕切っていましたが、あまりに高価すぎることから、1784年には出入り商人のひとり人ダゲールが家具監督官になって管理権を持つことになりました。この書き物机は、その年にダゲールを通して、ドイツ出身のアダン・ヴェスヴェレール(ワイスワイラー)が、サンクルー宮のマリー・アントアネットの私室に納めたものです。4 体のカリアティッドによる細身の脚部と、それを繋ぐリボン状のストレッチャーとスパイラルの短い脚が安定感と軽快感を生み出しています。画像拡大 Table a ecrire, bati de chene,Paris,1784, Adam Weisweiler (1744-1820), H=0.737m L=0.812m W=0.452m (OA5509) 80![]() 正面3 枚の前板は左2 枚が一つの大引出しで、右がライティングセットの入った小引出しです。前板は漆仕上げに金細工師フランソア・ルモンの金ブロンズ飾りを付けています。家具監督官ダゲールの納入価格は 3,260リーブル(現邦貨約1,800万円)です。ヴェスヴェレールは、ダゲール監督官の主要家具師としての地位を得て、王室一族のために秀作を提供しています。 (FURNITURE COLLECTION IN THE LOUVRE, Editions Faton, Dijon, 1993, p.291) 81![]() <第67室 Salle Valadier> ヴェスヴェレールは、ダゲールによる宮廷用の家具ばかりではなく、このような実用的なコモードも残しています。単純な長方形、独立した隅柱、溝彫りのない短い脚、シンプルな金ブロンズ飾りなど、まさに古典的簡素さを示し、王政末期の過渡的なデザインと考えられます。 Commode, Paris, vers 1785-90, Adam Weisweiler 82![]() <第64室 Salle Louis Philippe> 前出のセネのアルトア伯の椅子に比較すると、これはとてもシンプルな形態をしていますし、ブナ材に白塗装という標準的なものです。1788年にエリザベート夫人のモントルイユ城のサロンのために納められています。張り地に使われているニードルポイントのタピスリーは、エリザベート夫人自身が織ったもので、そのためベルジェールが1脚18リーブル、小椅子が12リーブルという低価格の記録が残っています。コモードやタブルなどを造るエベニストと椅子やコンソールを造るムニュジエの製品価格の差が分かります。(18リーブルは10万円相当) Bergere et paire de chaises, hetre peinte blanc, Paris, 1788, Jean-Baptiste-Claude Sene, bergere: H=0.96m L=0.64m W=0.61m (OA9972) chaises: H=0.91m L=0.49m W=0.46m (OA9974) 83![]() <第68室 Salle Jacob Freres> ジャコブ兄弟の父ジョルジュ(George Jacob 1739-1814)は1765年にメートル・ムニュジエになった指物師親方で、1791年までは椅子やコンソールだけの仕事でしたが、革命によるギルドの崩壊で、エベニストの領域にも進出します。大革命期の1796年に突然その仕事を二人の息子に譲渡してしまい、この年以降の仕事はジャコブ兄弟の名で行われますが、1803年に長子ジョルジュ2 世が早逝したため、それ以後の仕事は、次子フランソア・オノレ・ジョルジュとともに「ジャコブ・デマルテール」と称して行い、最盛期には350 人もの職人をかかえる大工房に発展しています。このコモードは、ジャコブ兄弟工房初期作品で、マホガニーの化粧張りに金ブロンズとウェッジウッド風陶器(セーブル窯)の飾り金物を付け、前板をそのまま見せています。 Commode, Paris, vers 1796-1800, Jacob Freres (George Jacob II 1763-1803, Francois-Honore-George Jacob 1770-1841) 10世紀-16世紀 Louvre #13-35 17世紀-18世紀前半 Louvre #36-52 18世紀後半 Louvre #53-83 19世紀 Louvre #84-100 補足・その他 Louvre misc #101-135 戻る「Musee du Louvre の装飾美術」 戻る装飾美術 Decorative Art 戻るSite Map 株式会社生活美学社 松本 茂 / 250-0045 神奈川県小田原市城山4-1-11 Shigeru Matsumoto, Architect / Societe Art de Vivre, Odawara Japan smat2@nifty.com |