Objets d'art du Louvre戻る「Musee du Louvre の装飾美術」はじめに1.本編はルーヴル美術館に収蔵されている Objet d'art部門の主要作品を収録した。 2.調査・撮影は1991年から94年、編集・解説記述は95年に行った。 3.収蔵品データは仏文表記しているが、原稿入力の都合でアクサンを付していない。 4.収蔵品番号は美術館管理番号(MR---あるいは OA----)をデータ末尾に表示した。 5.展示室名は室番号と室名をスライド標題末尾に表示した。 6.スライド #1〜#9はルーヴル美術館の紹介 #10〜#12は装飾美術史の概観解説とした。 7.固有名詞のカナ表記は現地音にならったが、慣例のあるものはそれに従った。 84![]() <第68室 Salon de Madame Recamier> 銀行家レカミエは、ルイ16世末期に失脚した大蔵大臣ネッケルの旧邸を買い取り、建築家ペルシェの弟子、ベルトールの設計で改装します。ここにある椅子類はレカミエ夫人のサロンのために、ベルトールのデザインでジャコブ兄弟が納めたものです。後のカナペは、有名なダヴィッドの「レカミエ夫人の肖像」(1800年)で、ローマ風の衣装に身を包んだ夫人がこのカナペにくつろいでいる情景の中に描かれています。 Salon de Madame Recamier, Louis Berthault(1767-1823) Paris, 1798 *ダヴィッド Jacques Louis David (1748-1825)…17世紀末からナポレオン帝政時代に華々しい活躍を見せた新古典主義の画家。大革命時代の感情と思想を代表するような作品を残しているが、1815年の帝政崩壊、王政復古とともにベルギーに亡命し失意の中で筆を弱めた。 85![]() <第68室 Salon de Madame Recamier> ベルトルートのデザインは、ギリシャやエジプトの古代様式を志向するもので、このフォトゥイユも背や脚の形態、装飾のモチーフには当時の発掘遺物からの援用を感じます。このような古代志向は、その後のナポレオン帝政の政治要求にも合致し、建築、室内、家具調度類、服飾など生活文化全般に亙って、アンピールスタイルという新しい形のクラシックを生み出しました。ジャコブ一族は、皇室の求める新様式の主要な製作者として大きな成功をおさめます。 Fauteuils et Canape, Paris, 1798, Louis Berthault, Jacob Freres 86![]() <第69室 Chambre de Madame Recamier> ベルトールは、サロンの古代志向を夫人寝室にも実現させました。このベッドはヘッドとフートが同じ高さで、エジプトの葦舟からイメージした曲線を採用し、金ブロンズによる女人像、リボン状の花飾り、丸彫りの白鳥像などがシンメトリカルに配置されています。ベッド側面の大きな鏡、白いモスリンによる王冠スタイルのキャノピーなどは、ベルトールのオリジナルを復元したものです。話題を集めて完成したレカミエ邸はパリ来訪者の必見の名所となり、アンピール様式を時代のファッションとしていきました。 Lit, acajou, Paris, vers 1798, Louis Berthault, Jacob Freres, H=1.005mL=2.015m W=1.335m (OA11344) 87![]() <第73室 Salle Thomire> マホガニー化粧張りで単純な形態のスクレテールですが、彫金師ピエール・フィリップ・トミールによる金ブロンズの飾りは、ナポレオン1 世の軍人皇帝振りを優雅に表現しています。アポロンの戦車をメダルと花飾りで枠取りし、隅柱のトロフィーやヘルメットで主題を強調していますが、このような手法は、アンピール家具の特徴となり、家具製作における金属細工の比重が次第に高まりました。このスクレテールの製作者ジャコブ・デマルテもトミールの主題にそって造りあげたものと思われます。 Secretaire, acajou, Paris, 1809, Francois-Honore-George Jacob-Desmarter et Pierre-Philippe Thomire (1751-1843) 88![]() <第73室 Salle Thomire> この宝石箪笥はその大きさとともに極めて建築的な構成をを特徴とし、ジャコブ・デマルテに取っても畢生の大作最高価格の家具です。ナポレオンの建築家ペルシェの基本デザイン、彫刻家ショーデのブロンズデザインなど、大勢の協同者がいたようです。化粧張りは英国産のイチイ材でバーズアイの美しいものです。高さは 2.7mもあり、トップでは8羽の鷲がにらみを利かせていますが、オルモルのテーマは美の創造です。開閉や施錠のメカニズムは大変精巧なもので、1810年にマリー・ルイーズ皇后に引き継がれた時には完全に改変されたそうです。画像拡大 Serre-Bijoux de Emperatrice Josephine, dit Grand ecrin, Paris, 1809, Francois-Honore-George Jacob-Desmalter, H=2.72m L=2.0m W=0.6m (OA10246) *ペルシェ Charles Percier (1764-1838)…ナポレオンに重用された建築家で、フォンテーヌPierre-Francois Fontaine (1762-1853)と共に皇室の建築、家具装飾のデザインを手掛けた。カルーゼルの凱旋門も彼らの作。 89![]() 古代をモチーフとしたオルモルは、アンピールの特色です。月桂樹の葉で縁取りされた中央のヴィナス像は、ショーデがルーヴルの中央美術館1793年開館)で公開されたジャン・グージョン(16世紀フランスの代表的なマニエリズムの彫刻家。ルーヴル「カリアティッドの間」に秀作が見られる)のレリーフに触発されて制作したとジャコブが記録しています。海から上がったヴィナスの脚元には2 匹のドルフィン、裸体にまとわせようと布を翻している2 人のエンジェルという構成は見事な新マニエリズムレリーフの復活です。 (FURNITURE COLLECTION IN THE LOUVRE, Editions Faton, Dijon, 1993, p.312) 90![]() <第73室 Salle Thomire> ナポレオン1 世はハプスブルグ家から迎えたマリー・ルイーズのために、2 本一組の宝石箪笥を再びジャコブ・デマルテに作らせました。ジャコブはジョセフィーヌのグランエクランに倣った制作を目指しますが、大陸封鎖という政治状況の変化で化粧張りにはヨーロッパ大陸のイチイ材を使わざるを得なくなっています。形態は単純な長方形ですが、オルモルは彫刻家カルテリエールを起用して、金ブロンズとパール貝の象眼、中央メダイヨンのモチーフは「向き合う二人のエンジェル」から取られました。 Serre-Bijoux de Emperatrice Marie-Louise, Paris, 1812, Jacob-Desmalter,H=0.98m L=0.88m W=0.64m (OA10247-8) 91![]() <第73室 Salle Thomire> ベルナール・モリトールはルイ16世の王室建築庁に雇用されて家具制作に従事していましたが、王政復古後の1818年に引退しています。この一組のスクレテールは、その引退時にルイ18世(プロヴァンス伯)の家具監督官に買い取りを申し出て引き取られたものです。その申し出では1790年にマリー・アントアネットの注文で制作し、1793年には完成していたが引き取られることなく所持していたとしていますが、1796年の彼のインベントリーにも記載はなく、王政復古に阿ったものと考えられ、その他の家具の時代傾向から、19世紀最初の10年間に制作したものと推定されています。体制の崩壊と混乱の中での老家具師の苦闘の姿を感じます。 Paire de Secretaires a abattant, bati de chene, Paris, vers 1800-1810, Bernard Molitor (1755-1833), H=1.375m L=0.86m W=0.483m (OA5475) 92![]() <第73室 Salle Thomire> パネルは2 枚の扉のように見えますが、引き倒してデスクトップになる方式(a abattant)です。本体はオーク材、引出しなどはマホガニー、仕上げは漆塗りで東洋風の装画、両端にはカネフォラ・カリアティッド(壺を頭に乗せた女人像)、フリーズにはフェストゥーン(花リボン)の金ブロンズ飾りが付けられています。トップと台座には緑色の2種類の大理石が使われています。 Paire de Secretaires a abattant, bati de chene, Paris, vers 1800-1810, Bernard Molitor (1755-1833), H=1.375m L=0.86m W=0.483m (OA5476) 93![]() <第62室 SalleOtto> 1819年ルーヴル宮で開かれた「工業製品博覧会」でゴールドメダルを獲得したデサーロー・シャルパンティエール夫人の製品です。夫人はクリスタルでさまざまな家具調度品、これまで考えられなかった大型の家具を作り、パレ・ロワイヤルに「クリスタルの階段」と名付けた店舗を構え大人気を博しました。この化粧テーブルの装飾テーマはヴィナスの誕生で、ミラーの両側にフローラ(花の精)とゼピュロス(西風の精)の像、ミラーの上下には貝殻を置き、女性の化粧をヴィナスの誕生に見立てようというわけです。画像拡大 Table de toilette, cristal verre, eglomise bronze dore, Paris, 1819, "A l'Escalier de cristal", Madame Marie-Jeanne-Rosalie Desarraud-Charpaentier (1775-1842), Table: H=1.225m L=1.225m W=0.643m (OA11229) 94![]() <第62室 SalleOtto> どの製品もスチールの骨組にクリスタルをかぶせ、金ブロンズで飾るという手法です。テーブルの脚は2 本の角形の中央に挽物形のバラスターをいれ、脚先はドルフィンの金ブロンズで飾り、引出しを開けるとオルゴールが鳴るという仕掛けまで付いています。フォトゥイユは竪琴形の背、バラスターの脚、肘掛けサポートなどすべてクリスタルで、やはりドルフィンの金ブロンズが飾られています。この製品は夫人の最大の顧客ベリー公夫人(ルイ18世の姪)に買い取られました。 Table et fauteuille de toilette,cristal verre, eglomise bronze dore, Paris, 1819, Fauteuille: H=0.908m L=0.64m W=0.56m (OA11230) 95![]() <第63室 Salle Restauration> 王のベッドは王権の象徴スローン(玉座)として重要なものですが、王政復古でチュイルリー宮を得たルイ18世は、政治的配慮もあり、ナポレオンの紋章を取り替え、布類を新装した程度で使用していました。このベッドは、1824年に王権を握ったシャルル10世が、当時の有力家具師ジャコブ・デマルテ、ベランジェ、レモン、ブリオンに競作させた結果、ブリオンを指名し、サンタンジュの原案をもとに制作させたものです。ベッドヘッドにはブルボンの紋章のあるシャンスリーを下げ、ヘッドボードには大きな楯形紋章と金ブロンズヘルメットのレリーフを置いています。布地はルイ18世のものを流用していますが、これは1817年から19年にかけてリヨンで作られたブルーレイモンという新しい染色法によっています。手前にあるバラストレードはナポレオン1 世時代にジャコブ・デマルテが作ったものです。画像拡大 Lit de Charles Xe , noyer et dore, Paris, 1824, Pierre-Gaston Brion (1767-?), H=2.2m L=2.4m W=2.1m (OA10278) Balustrade de Napoleon Ier, Paris, 1804, Jacob-Desmarter 96![]() <第75室 Grand Salle a manger> 1848年、2 月革命によって生まれたばかりの第2 共和政府は、いち早くルーヴルの「人民宮殿」化計画を決定、ナポレオン3 世の第2 帝政時代には、ヴィスコンティとルフュエルの手によって大規模な拡大整備が進められ、1857年には現在の規模のルーヴル宮の完成を見ました。拡大部北翼(リシュリュー翼)は行政事務所に当てられましたが、その一部を「ナポレオン3 世の公室群」とし、1861年に完成させました。この大食堂はエミール・クートによるものですが、新皇帝の政治的権威を高めるためルイ14世様式の採用が求められました。 Grand Salle a manger (Les appartements Napoleon III), Emile Kuecht, 1861 97![]() <第79室 Grand Salon> この大サロンは、トローシャンによるルイ14世後期様式のリバイバルです。室内構成には大理石などの使用をひかえ、フォーボアやトロンプルイユなどのペインティング技法を活用し、ブールマルケトリーまで再現しています。家具類はエクレクティクなスタイルに実用性と新奇性を取り入れています。政治動乱で低迷していたパリの装飾産業も、オースマン知事のパリ大改造計画による需要増大に応え、これまでの様式と蓄積した技巧の限りを尽くして、「ナポレオン3 世様式」を提示しますが、10年後には第2 帝政は崩壊し第3 共和制の下で新たな発展を見せます。その後の状況をルーヴル以外の施設で簡単に紹介します。 Grand Salon(Les appartements Napoleon III), Louis-Alphonse Trauchant, 1861 98![]() アルカード・サロン 1882年 1357年以来の歴史を誇るパリ市役所も帝政崩壊に際してチュイルリー宮殿とともに焼失しました。第3 共和制の成立後、1874年から82年に掛け、建築家バリュとドゥペルトによりネオ・ルネッサンス様式で修復再建されますが、室内部の美術装飾は当時政治状況、美術状況によりさまざまな曲折を経て、完成までに10年以上の月日を要しています。このアルカード・サロンでも分かるように、建築装飾の主題はフォンテーヌブロー城を思わせるルネッサンス調ですが、大変洗練された技巧を駆使しています。このような装飾志向の背後では、市役所の美術装飾が完成した1890年代は、すでにアールヌーヴォーが流行し、印象派の画家たちも大きな地歩を得ていたのです。(市役所サロンは毎月第1月曜日の午前10時30分からガイド付きで一般来訪者に公開するとしています。確認してください。) Salon des arcades, l'Hotel de Ville de Paris, 1882, Ballu et Deperthes 99![]() これは、アルフォンス・ミュッシャのデザインで、1898年に完成した高級宝飾店フーケを移築展示したものです。アールヌーヴォーと総称されるこのようなデザインは、それまでの様式からはかなり飛躍したもので、ヌイユ(ヌードル)様式などと呼ばれて衝撃をあたえました。1910年頃まで流行しますが、第1 次世界大戦の勃発とともに急速に衰退していきます。これが移築展示してあるカルナヴァレ館は、16世紀に建てられた古い邸館ですが、現在は、パリ市の革命と市民の歴史博物館となっています。家具室内装飾の分野では17世紀から19世紀までのコレクションと移築再現した室内を見ることができる極めて貴重な美術館です。 Bijoutier Fouquet,1898,Alphonse Mucha (Musee Carnavalet, 23 rue de Sevigne) 100![]() 1920〜22年頃 このベッドルームは、ジャンヌ・ランバン邸の室内を移築展示してあるもので、1920〜22年頃にラトゥーによってデザインされています。アールヌーヴォーの新奇性を経験し、工業デザインの拡大、第一次大戦による混乱を経て、復興期の中から新しい装飾スタイルを探っている姿が強く感じられます。ルーヴル宮北翼(美術館リシュシュー翼)の西側一部は、現在も別組織の装飾美術館が使用しています。この専門美術館では、中世から現代までの貴重なコレクションを多数展示し、アールヌーヴォーやアールデコの秀作まで見ることができます。 Chambre de Jeanne Lanvin, 1920-1922, Rateau, (Musee des Arts Decoratifs) 10世紀-16世紀 Louvre #13-35 17世紀-18世紀前半 Louvre #36-52 18世紀後半 Louvre #53-83 19世紀 Louvre #84-100 補足・その他 Louvre misc #101-135 戻る「Musee du Louvre の装飾美術」 戻る装飾美術 Decorative Art 戻るSite Map 株式会社生活美学社 松本 茂 / 250-0045 神奈川県小田原市城山4-1-11 Shigeru Matsumoto, Architect / Societe Art de Vivre, Odawara Japan smat2@nifty.com |