徒然なるままに日暮らしな近況などをたまに書くかも。

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 1/6/2003

ずっと仕事漬けで家を出ていない。出たというと沖縄ぐらいで、あとは大学の講義の為に出る以外、出ていない。講義ったって新幹線で行くような遠隔地なので、まじにすごい遠い処に行くか家に居るかどっちかの生活である。世の中でなにが流行って居るのかとか都内は今どうなっているのかとかは知らないけど、なんとかなるものです。

仕事が重なると逃避したくなる悪い癖があり、集中が切れるととパソコンの前に座って、別な創作活動にいそしんでいるわけです。

そんなわけで、今度は未来派のページを作ってるのですが、大学時代にちょっとマイブームだった頃と今感じる印象とではまた違いますね。なんつーかあの頃は馬鹿だなーと他人事に思っていたのが、この馬鹿には既視感がある。と思えるのですね。芸術活動ってこういうものなんですよねぇ。


 31/5/2003

ぐりちゃんがあいかわらず「未来派〜萌え」と、煩いので、未来派の本を引っ張り出してきて、寝る前に少し読んだ。

そもそもモダニズム芸術自体それぞれに万物の共有する有様ではなく、個やその思想運動全体のなかでのローカルルール的なものを設け、視点すらそれに従わせるという感じなんで、形状としては突飛であったり、万民にはわけ判らんな世界にまでいってしまうものまで出現するわけなのですね。では万物の普遍的な有様とは、本当に皆共有していたのかというと、そうでもないわけです。ですから神の真善美など実は誰も語ることなど出来ないのです。この辺りの構図を暴いたといえなくもないわけですが、モダニズムと共に価値の解体が始まり、いまやなんでもありがゆるされるとも言えるなかで、普遍を探求するという神学という学問が、再構築という観点でもう一度見直されてもよいのではないかな。などと、うだうだと考えたりしているわけです。

しっかし、普遍の美とはなんだらうか。


 30/5/2003

サイトを更新してみた。
最近はというと、家を建てる為に与論に行ってきた以外は仕事をしている。家を建てるというのはお金がかかるので仕事をしなくてはならない。自業自得である。

教会のない土地で暮らすというのはミサにもいけないという悲しい状況に陥るわけですが、よく考えたら、切支丹の人々はそういう状況で信仰を守ってきたわけですし。ミサとの関り以外では霊的な読書や黙想するには静かで海しかないといううってつけの土地なので案外といいかもしれないとも思っています。教会という集いには参加出来ないけれど、しかしあらたな土地での多くの人との交流のなかで、色々と得るものもあると思うのですね。

本を山のように持って行こうかと思っていますです。



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もう帰る