宇宙卵とフォーカシング

〜浜崎あゆみ"forgiveness"のプロモーション・ビデオに寄せて〜

forgiveness

2005/1/23 修正更新


 

その日を覚まして、さて起き上がろうかという時になって、身体が「呼ぶ」のでした。


「熟睡してこのままでも起きてかなりいい線いくだろうというのはわかってる。でもまだ布団から出るな!!」


という、身体からの声。


下手に弱めの暖房つけたまま寝ると、布団引っぺがしてむしろ眠りが浅くなると気づいたので、暖房まったくかけなかったのですね、そしたら、寝た時と完全に同じ姿勢のまま、ふとんの乱れひとつなく仰向けに寝てました。

そのせいか背中が少し痛い。

しかし、私のおなかの辺りに、何か、もっと深いところまで「沈潜」したがっている、何か暖かい、潤いに満ちたものがある。

ところが、背中の硬さと痛みが、そのおなかの暖かいエネルギーの自然な「沈降」を妨害する「障壁」のようになっているのだと気がつきました。

「私の中の、おなかの辺りの『ある部分』は、もっと深く沈潜したがっているんだね。
わかったわかった。

でも、背中の方は、その沈潜を妨げたくなるくらいに、何か硬いままでいるんだね。
『そっち』も、わかったわかった」

と、自分の身体のそれらの部分に呼びかけます(このような呼びかけを、フォーカシングでは、「認めてあげる[acknowledging]」といいます)。

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すると、感じの布置が、10秒ぐらいかけてゆっくり変化しました。


おなかの、おへその辺りの下に、楕円形の「空洞」がある。

そして、その空洞を「支える」(というのも何とも逆説的な言い方ですが)ように、細い、三角錐がおり重なるような形で鉄骨のように支える網の目のようなものが背中の下の方に広がって組みあがっている。

というか、それはまるで光のパルスが流れ星のように飛び交う形で、ちょうど核分裂の原子の連鎖反応についての図みたいにして背中の下の方に広がっている。


その光のパルスがひとつ飛ぶたびに、背中にかすかなちくちくする痛みの網の目の広がりはある。

でも、さっきまでの胃の辺りの「更に沈潜したがっている」暖かなエネルギーと、それを「妨げる」障壁としての、背中の、まるで板のような硬さと痛み、という葛藤状態。

その時からすれば、へその下の「支えられる」丸っこい空洞を、その下の背中寄りのパルス上の連鎖の網の目が「支える」形になったという意味では、おなかと背中の二つの感じの関係性は、協調的なものに変化したといえる。

こういう、予想もつかない身体の感じの変化そのものが、私にとっては面白い、興味深いものとしてしばらくそのままで感じていられた


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そのうちに、そのへその下あたりの「空洞」が、突然、


「『私』は『心』だ!!」


と叫ぶ。


「へ?  『心』.....なの?」


内的リスナーとしての私はその唐突な「空洞」の応答に、戸惑いながらも応答する。


『これ』が『心』なわけね....


と、内側でしばらく響き合わせてみる。

すると、すごくしっくりくる感じで。


「なるほど、『これ』が『心』だよな」


と、こちらまで頷いて、じっくり味わってしまう。

 

 

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そのうちに、私に中に、


「じゃ、『心』って、何なんだろう......」


という思いが生じる。



すると、2,3秒もたたないうちに、出し抜けに、



「『居場所』でしょ?」



という声がどこからか響いてくる。


> 居場所がなかった 見つからなかった


と歌った、

あの「彼女」の声です。

 

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こうして、



『心』とは『居場所』である、



という、唐突なまでに理屈を超えたご宣託を、そのまま受け止めて味わっていると、思いもよらない光景が浮かんでくる。


その、その下の楕円の空洞は2階建ての構造になっている。

その「1階」のリビィングで、

小さな「私」が必死にラップトップパソコンを打っているのである!!


まさに、私のおへその下の楕円の空洞は、私の「棲んでいる」家と同じ内部構造をしていて、

その中で小人の私が必死にパソコンを打っているのだ!!


その光景を、私は思わす苦笑しながらしばらく眺めている。


「うん、確かに、『居場所』だね」


.....と。


「そうか『心』があるって、『居場所』があるってことなんだ」



「彼女」は


「『居場所』がなかった」


と歌いながら、


「『心』がなかった」

「『心』の『置き場所』がなかった」


と歌っていたのかな....

 

 

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と、突然。


その空洞が、ダチョウくらいのサイズの「卵」に見え、


次の瞬間、

卵の内側から、

卵の殻の一角を破って、くちばしの先がのぞく。


気がついてみると、

それは、

小さな小鳥になって、

私の身体の外に出て、

遠くに飛び去っていってしまった。

 

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私は、思わず、自分のへその穴をさわる。


「そうか、『ここ』から出て行って、飛び立ったんだ....」


という、すごい論理の飛躍した連想があっさり浮かぶ。


「へその穴は、子供が生まれる穴である」

という……

 

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子供の頃から、私は祖母の


「この子は狭いところを通って生まれていないから、どこか弱いところがある」


という一言を気にかけ続けて生きてきた。


当時の「帝王切開」は、今と違って、へそを縦断する形で大きな切れ込みを入れた。

現在は下腹部の目立たないところを切るらしいが。

おかげで、小さい頃の私は、「子供とは、みんな、おなかを切られて生まれてくるものだ」とすら思い込んでいた。

そして、さきほどの祖母の言葉を聴く少し前に、私はやっと、女性には赤ちゃんが生まれてくるための穴がおしりにあると知ったばかりだった。


祖母には何の悪気もなかったろう。

むしろ、私はこの言葉に老いた人間の叡智に対する尊敬すら感じてきた。祖母についての記憶は、皆、懐かしくていいものばかりである。



祖母の言葉は、私の中に、


「私は生まれてきたくて生まれたのではなくて、本当はずっと子宮の中にいたかったのに、無理やり外の世界に引きずり出された人間ではないのか。だから、いつまでたっても『この世』になじめないのではないか」


という連想をいつの頃からか生み出していた。


だから、少し前のひとりフォーカシングでも、自分が寝ているハンモックが、地面から数センチの高さに釣り下がられていて、コンドームくらいの薄い膜になり、どうもがいても「あと2,3センチ」の「土間」に降り立てない自分に、「心の羊膜を破れないままの自分」をいう思いを重ねてしまった。


実はそのあとの未公表のひとりフォーカシングでも、自分の頭の、帽子をかぶったように感じる「緊張性頭痛」を、自分が巨大なウンチとなって、さかさまになり、肛門から外に出ようとしているのにつっかえて出られないための痛みとしてとらえたことがあった。

 

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私は、やっと、「帝王切開」で生まれた自分を、今回のフォーカシングで素直に受け止めていいと思った。


考えてみれば、陣痛も始まらないうちに「そろそろよかろう」という医者の判断で腹を切るわけではあるまい。

子宮の中の私は

「このままここにいるのではもう僕は危ないよ、嫌だよ」

というメッセージを、

「何らかの形で」母の身体に伝えたに違いないのである。

私も、子宮の中にもういられないと思ったから生まれた、


それも、


母親のおなかを突き破る!!


 という「過激な」形で。


医者は、ちょっと「切れ込み」をいれて、外に出たい私を助けてくれただけなのさ……..


……そう、思ってもいいのではないか。

 

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なせ「帝王」切開と呼ぶのか。

それは、皆さんご存知のように、カエサル(シーザー)が、この形で生まれたという伝説にさかのぼる。

だとすると、そこにはむしろ、あるpositiveなイメージすら、込められていないか?

 

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しかし、もう飛び去ってしまった小鳥を見送る私の中に、一抹の寂しい思いが残った。


『巣立ち』


という言葉が浮かぶ。


「私は『私』に『巣立たれて』しまった......」


ひょっとして、「あの人」も、そうやって私の「腹」を食い破り、「巣立った」だけのこと?

……この件については即断はするまい。

 

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ふと、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)の神話を思い出す。


父である帝(みかど)に忌み嫌われ、父の命令で、次から次へと辺境に赴き、朝廷のもとに服させる英雄的行為をしながらも、ついには力尽きて、異郷の地で最期の時を迎える。

この最期の時のミコトの、痛切な「古歌」は、すぐには内容は思い出せなかったが、子供の頃読んだ絵本の中で、そのミコトの孤独がひしひしと伝わったのを覚えている。


そして、死んだミコトは「鳥になって」はじめて故郷にかえれたんではなかったかな。

 

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さて。


こうして、私は、できすぎとも言えるタイミングで「宇宙卵」をフォーカシングをしたともいえます。


「浜崎あゆみとスピリチュアリティ」における、forgivenessのプロモーションヴィデオ (AVBD-91181-3あるいは avex AVCD-17410/B)について論じた、私の発表のPowerpointの最後の数ベージより引用します。

pdfファイル

 

 

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さて、どうやってclosingしよう?


「はら減った!!」


おやおや、もう私のおなかの「巣」の中では、また新たな命が芽生え、

黄色いくちばしを開けてねだっているようであった。

 

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その後調べたところ、「古事記」によれば、ヤマトタケルノミコトの父は景行天皇、現在の三重県とされる終焉の地での辞世の歌は、あまりに有名な、あの歌でした。

大和は国のまほろばたたなづく

      青垣やまこもれる大和しうるわし

 

 

日本フォーカシング協会メーリングリスト"focusing-net"
5166,5157の書き込み[2004/12/8}を、加筆のうえ転載)



「浜崎あゆみとスピリチュアリティ」

こういちろうのおすすめayu 2005/1/10 更新

私のフォーカシング 〜こういちろうのひとりフォーカシング日記〜 INDEX 2005/1/10 更新

フォーカシングとスピリチュアリティ(日本フォーカシング協会ホームページ内)

「フォーカシング入門」

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このHPから直接リンクを張っているプロモーションビデオのダウンロード購入は、楽天さんとアフィリエイト契約の上で曲のバナー等も使わせていただいています。ただ、楽天のダウンロードシステムの関係上、MicrosoftのInternet Explorerの使用が前提となっていて、どうも私の好きなFireFoxとか、他のブラウザだと必ずしもうまくダウンロードまでのプロセスが進まないようです。この点、どうかお許しください。 2004/12/24