2005/9/9 更新
まだ療養休暇中の、数ヶ月前のことです。
その頃の私は、昼夜逆転にさいなまれていました。
「寝るの、やだ!!」
とだだをこねる何かが「胃の辺り」にいるんですね(^^)。
いくら「そいつ」をacknowledgeして(その「感じ」の存在を「認めてあげて」)、更に、
「眠らんと明日昼間どうしても外出してやらねばならないことがあるからきつい思いをするやろが!!」
といよいよ焦りだす「内なる批評家」もacknowledgeしてあげたつもりでも、
「距離が取れないまま」容易におさまらない葛藤。
そのまま1時間も2時間もたつ。
その
「寝るのはやだ!!」という奴とうまく対話が成立した、ある晩(というよ りほとんど明け方)のことを書きましょう。
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そいつは、まさに
「まだ寝たくないよう!!」
とだだをこねる小さな子供のように最初は思われていたのですが、
そのうちに、 あの、
へその下の「宇宙卵」
から生まれたばかりの、
アヒルか何かの雛、というの がぴったりになりました。
それこそ、みゆきの、『銀の龍の背に乗って』の
> 綿ぼこりみたいな翼でも
がぴったりなくらいの雛です。
もっとも、キャラクターは、「トムとジェリー」で時々出てくるあひるの子供
みたいな感じの黄色い奴です。
そいつが私のへそから(!)顔を出し、あたりをきょろきょろ見ている。
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私は、そのアヒルの子に"say,hellow"する。
しかし彼は、失敬にも、生みの親(?)の私のことなどまるで無視してあたりを きょろきょろしている(^^;)
しかたないねえ。
こういう時は最近開発、著作権宣言の、
あの「新製品」にいきなり飛ぶか。
「ねえ、誰になら話を聞いて欲しいの?」
それでもこっちを振り向きもしない、このガキは。
でも、例によって、そいつの頭の中に浮かんでいることは、漫画の吹き出しのようにして、私にも見えてくる。
まるでアニメーターがキャラクターデザインを鉛筆で書きかけては消し、書きかけては消しのような「デッサン」の試行錯誤があひるの仔の中で繰り返された結 果、きれいに像を結んだのは、
よりによって、
『ステゴザウルス』 であった!!
(その姿を知らない人はいない、超メジャーな恐竜ですが、名前と姿が一致しない人は、ここをどうぞ!!
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アヒルの仔は、素っ頓狂な甲高い声を上げる。
すると、なぜかいるのである。ステゴザウルスが!! 近くに!!
ステゴザウルスはちらりと振り向くが、すぐに無視して悠然と歩き始める。
しかし、
「最初に目にした動くものを果てしなく追尾行動する」
という、
ひな鳥の
「刻印づけ(inprinting)」
は遺憾なく発揮され、
ステゴザウルスの後ろをトコトコと必死に追いかけ はじめるのであった!!
(こうして、実の親である私はただの「出口」として見捨てられたのであった)
ステ君の方は、何かひどく迷惑そうだったが、ひたすら歩き去ろうとするのみ。
決して、立ち止まって振り返り、
と尻尾を振り回したりしないのであった。
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こうして、どうも「約1ヶ月近く」、「昼夜問わず」、この追いかけっこは続いた ようであった(^^;)。
アヒルの仔は、少し大きくなり、羽も生えつつあったが、
ステ君のほうは、少し餌を食べて引き離し、うつらうつらしたと思ったら、
「うさぎと亀の原理」で、アヒルの仔は追いついては
という素っ頓狂な甲高い声に襲われるものだから、はっきりいって不眠症のノイ ローゼ状態になりかかっていた。
彼はもうろうとした意識の中で、ついにあひるに声をかける。
「いったい、おまえはなんなんだ!! 俺に何の用があるのだ!!」
あひるの仔の成長は早いのか、突然なんとも『ませた』口をきく。
「あなたは私のご先祖さまの親戚と伺っております。
そこでお聞きしたいのですが、
『私たちは、なぜ、生きているのでしょう?』」
ただでさえ疲れている上に、 もともと巨大な図体に比べればひどく小ぶりの頭と脳みそしかない、 ステ君の頭はいよいよ真っ白になり、 疲れた身体を引きずりながらまた歩きはじめるしかないのであった
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それから、月日は流れた。
アヒルの仔は、もう立派な若鳥になった。
しかし、ステ君のほうは、老いて、もう、動けなくなっていた。
この時、アヒルははじめて別の質問をした。
「恐竜さん、誰に話を聴いて欲しいですか?」
ステ『翁』は答えない。
ただ、態度が、
「もうわしは死ぬだけだ、今更誰とも交わす言葉はない」
と告げているかのようだった。
アヒルの仔は、少し考え、質問を変えた。
「もし、今、『そばにいて』欲しいとすれば?
何かに『見守って』欲しいとすれば?
ただ月夜に照らされていたい、というのなら、僕はもう何もいいません。
一人になりたいのなら、立ち去ります」
ステ翁の脳裏に、ひとつのイメージが浮かぶのが、 アヒルにも、 そして私にも、 見えた。
何十匹というステゴザウルスが、円陣を組んで、ステ翁に向かって、頭を垂れていた。
その光景を、アヒルと私は、神妙に眺めていた。
ステ翁は、ここではじめて弱弱しく口を開く。
「わしの最後の望みは、
わしが死んだら、
周りのみんなに、
わしを『食って』もらうことじゃ。
残った骨や肉片は、
川のあたりに引きずっていって、
泥の中に埋めて欲しい。
やっとわかったよ。
君がずっと問いかけていたことの答えが」
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それから、数千万年後。
「す、すげえ!!」
との嘆声と共に、
一人の少年が、
巨大なステゴザウルスの、
立派な全身骨格標本を眺めていた。
私の、今より少し大きくなった、息子です。
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ふと、
「臨床」
ということばが、 おそらく
「死の床に臨む」
という意味から生じたのではないかということを思いました。
「死んだら食べて欲しい」 という、ステ翁の言葉、極端なようですが、
「あの方」も、「最後の晩餐」の日に、
「このパンは私の肉である このぶどう酒は私の血である」
といわれ、その儀式(聖餐式)は今もミサの中で続けられているではありませんか。
(日本フォーカシング協会、メーリングリスト"focusing-net"
6134の書き込み[2005/5/16]を、短縮のうえ転載)
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