2005/9/3
その3日くらい、夢ばかりみて眠りの浅い夜が続きました。
しかもあまりいい夢ではない。
そのひとつは、私に夢のひとつのパターンである、「試験に落第して留級する夢」。
ええくそ、まだやはりこの夢を「卒業」して「進級」できていなかったか。
(「卒業」→「進級」、この順序の方が表現としてはぴったりなので)
しかも私は、今回はその大学では一番競争率が低いとされる夜間部の仏文科の試験ですでに一度それを落としたために4年に上がり損ねた科目。
直前まで、大学祭の「社交ダンス」にかまけていて、あわてて試験場に駆けつける。
(大学祭のある日と試験が同じ日にあるというのはもう無茶苦茶だが、「飛躍があってこそ」含蓄がある夢ともいえる)
私は全く予習をせず、しかもフランス語の辞書すら忘れている。私は教室のとこかにフランス語の辞書がないかを見回す始末。
あのぉ、チャペルで、聖書がないかあたりを見回すのとは違うっつーに。
出された問題は、ほとんどクイズめいた時間との戦いを強いられるもので、
目の前の試験監督=語学の講師が意地悪そうな目でこちらを見ているのがわかる。
こ、こいつ、何が何でも私を今年も落第させないと気がすまないんだな、
と、自意識過剰な被害妄想にかられつつも、私の脳みその回転は限界を越えオーバーヒートをはじめる。
******
これが2日前ぐらいの悪夢だった。
その夜も寝付けない。
そうだ、ほんとに永らくひとりフォーカシングをしていない。
やろう、と、内側に注意を向け、フェルトセンスらしきものを探り当てたことまでは覚えている。
しかし、私はそれから10秒もしないうちに寝てしまっていた。
この翌朝の目覚めもかなり悪かったが、過去の経験から、
「フォーカシングしようとして眠り込むのが、単に無理して寝ようとするよりはずっといいこと」
と知っている私からすれば、この、
「フェルトセンスらしきものに注意を向けて数秒で寝入っていた」
というのは、ちょっとできすぎなぐらいと思う。
******
その日、まさに夏の真っ盛りそのものの日差しの中、必要なものと若干の食料を抱えて、汗だらだらで大船のオフィスに辿り着いた私は、へとへとだった。
しかし、またもやエアコンを全開にして、ほんの1、2ふんたって座り込むと、不思議と、ここ数日見放されていたくらいの、ほっとする感じがしてくるのがわかる。
もう、今の私にとっては、このカウンセリングルームこそが「居場所」なんだな。
それから軽い昼食をとり、いくつかのすでに締め切り破りの課題に取り掛かろうかと思ったが、そのどれをやりたいのか身体にきいてみるつもりで、ソファに座って、ここ1年ほどまともに読まないままに自宅では部屋の肥やしになっていた新聞を何となく手に取る。
(当然カウンセリングルームでは肥やしにならずにに済んでいる。肥やしにするスペースそのものがないのが幸いである。自宅の方の新聞は止めたので、もうこれ以上肥やしが超える心配はない)
なぜか月曜(8・1)の朝日新聞。
へー、あの楽天がついに7月は月間勝ち越しにこぎつけたか。
うまく行けば最下位脱出でシーズン終わるかな。
そうなれば、、合併したオリックスと近鉄が選ばなかった一軍半クラスの「残り物」で結成されたとまで言われたこのチームの1年目としては上々じゃないの。
西武だって、本拠地を福岡から所沢に移した最初の年は最下位だったはず。
******
そして、アメリカの新たに公開された機密文書から、日本の核政策に関わる部分を興味深く読む。
アメリカに日本の核武装を提案し、アメリカをむしろあわててさせた二人の首相がいたこと。 その同じ首相が「非核三原則」をつくるという使い分けをして、日本に核武装させないために「核の傘」という論理をアメリカ政府が作り上げるまでのいきさつ。
日本の外務省が、ゴルバチョフ時代の米ソの中距離核ミサイルの軍縮交渉で、珍しく自分から動き、独自の案を出し、それが当時のレーガンを動かし、中距離核ミサイルの撤廃への伏線を作るなど、珍しく外交の主導権を影でとったこともあること。
軍備政策問題で、日本政府にしろアメリカ政府にしろ、国民を「教育する」必要性、という発想を平気で口にしてきたこと、そしてアメリカ政府もまた、日本の首相をいかに「教育」するか、という視点でのとらえ方をしていたこと。
もう国民や一国の首相すら、一人前の対等の「人間扱い」じゃないではないか。
******
なせか、これらの記事を読んで、私は「癒される」思いがした。
所詮、「政治」とはそういう次元で動いているのが「普通」の水準なのだ、と思うと、気が楽になった。
******
それから一眠りしたら、本当に久しぶりの熟睡感。
池田さん、佐藤さん、レーガンさん、国民を洗脳の対象としか見ていない両国の高級官僚の皆様、ありがとね。
さて仕事を.....と思ったら、パソコンが自動的にウイルススキャンをはじめていた。
ま、これが終わってからでいいか。
では、ひとりフォーカシングでもしてみるかね。
******
全体としては楽だが、注意を向けていくと、頭の芯のあたりがひどく疲れきっているのがわかる。
そのへんに、
「わかった、わかった、ご苦労様」
と。
どんな質感?
「乾いて」いる。本来「潤って」いるはずのものが。
そして、ふと女性の声。
> .....は、もう 枯れ果てて
えーっと、誰だっけ。
沈黙数秒。
なーんだ、みゆきの「時代」のはじめの方じゃん。(注:このアフィリエイトは中古LPへのものです。CDはこちらへ)
そして、逆の順に歌詞が浮かぶ
> 今はこんなに悲しくて、
こっちのほうが「ハンドル」(曖昧な感覚=フェルトセンスに「とりあえず」ぴったりな言葉やイメージ)にぴったりだな、
と確認。
******
しかし、さらにぴったりの、より具体的な身体感覚イメージ的な「ハンドル」が欲しくなる。
えーっと、「これ」はなんだっけ?
水を含ませると柔軟になるけど、干からびるとむしろ肌触りがざらざらするの。
そう、「海綿」ね!!
目の前にいる、なぜかいつの間にか「生きている」海綿に
「こりゃ、どうも」
とごあいさつ。
.....まあ、いっしょにいられなくもないが、
「私」にしても「海綿」にしても、
もっとここちよい「居方」を求めてるのは確かみたいだね。
******
<もう、こういう時は、著作権申請中、今度の人間性学会発表の新製品、
「フェルトセンスに、『誰にリスナーになってほしい』か聞いてみる方略」
の「追試実験」に走るしかないね>
ほら、そうやって、また欲を出すぅ〜。
でもそれくらいしか思いつかないから、ま、いいんでないかな。
******
「ねえ、誰に話を聞いてほしいの?」
・・・・・・
あ、この質問気に食わないらしい。
<そいじゃ、もうひとつのバリエーションあったじゃん>
そうかそうか。
「それじゃさ、誰となら一緒にいたいの?」
・・・・・・・・
<うーん、さっきより興味示してるけどあとひと押しじゃないかな?>
そうみたいだね。
<何かアドリブで思いつけよ>
わーった、わーった。(「わかった」の意)
えーっと。
「『どこにいる』奴となら一緒にいたい?」
海綿:『アンタノ、頭ノ上二イル奴』
へ?
<ま、まさか俺のことか? 『内なるスーパーバイザー』の>
そうだよ、「あんた」らしいよ、俺じゃなくて。
さっきから「海綿」への接し方の相談相手にしていた「そいつ」は、タオルケットを頭から瞼の上辺りまでかけたあたりの、
(頭痛もちの私は、こうすると頭痛を意識しなくてよくなるので寝ている時このようにしている)
そのタオルケットの上に、まるで椅子にかけるように腰掛けていた!!
どこかで見た顔だな。
白髪交じりの頭、あご髭.....
げ!!
フ、フロイト?
今回の『内なるスーパーバイザー』は
フロイト様だったわけ?
******
私の視点は、まるでフロイトの書斎という「舞台」で、
『登場人物』たる「海綿」と「フロイト」
が対峙しているのを、観客席で通し稽古で見守る「監督」(我が内なるスタニスラフスキー?)
になっている。
フロイトは使い慣れた書斎のいすにどっしりと腰をおろして、
目の前のじゅうたんの上に鎮座まします海綿をじっと見つめている。
二人の目と目があった瞬間、
(あのお、海綿のどこに目があるんですか?)
と斜めうしろの席にいる「演出助手」
うっさい、だまっとれ!! いいシーンなんだから、
静かにして、二人のやりたいようにやらせてやらんか!!
......もとい、
二人の目と目があった瞬間、
背景はピンク色でうっすらとした輪っかがいくつか並んでいる。
くそー、あんたとの方がよほど海綿と気があうじゃんか!!
でも、
おい、「フロイト」、
お前、そういうきき方で、ほんとに海綿の気持ちを汲んで、
海綿の期待する居方をしているか?
私は実は嫉妬混じりに「フロイト」に注文をつける。
「フロイト」は次第に椅子からみを乗り出し、腰をかがめ始める。
もはやその時、フロイトの顔は、太ももの高さのあたりまで下がっていた。
おい、「フロイト」、このままそうし続けていったら、
当然「ああなっちゃう」はずと気がついてる?
役者「フロイト」は一瞬、
「あ、そうか!!」
という顔をして、
どんがらがっしゃ〜ん!!
(高橋留美子風、ものが崩れる擬音)
いすから転げ落ち、唐突に喜劇役者モードになるフロイト。
******
でも、これでも「真剣さ」を失わないからこそ「喜劇」なのだ。
床にころげ落ちたフロイトは、腰をさすりつつも、四つ足になったまま、顔を床に近づけていき、
ついには床に右耳をおしつける態勢で90度顔を横に向けながら、
まじめそうに「海綿」をみつめる。
海綿:『アナタ、ふぁーぶるミタイデスネ。
アナタガ高ブッタ人デハナクテ、
私ノ視線ニマデ降リテ来テクダサルコトガ
ワカッタダケデ、私ハ幸セデス』
******
気がついてみると、海綿は、
上機嫌そうに喉を鳴らす、
トノサマガエル
に進化していた。
******
*****
カーット!!
お疲れさんでしたー!!
******
その後最初に述べた『試験の悪夢』についてフォーカシングしてみました。
目の前の「意地悪そうな試験監督の語学教師」に、
気軽な思いつきでなってみたんですよね。
そしたら、ほんの数秒で、夢の全ストーリーにひとつの理解が浮かびました。
「意地悪な、今年も留年させようとほくそ笑んでいるかのような」語学教師は、
まさに、
「私」の「ある一部分」ではないか?
みんながお互いに「人との出会いと触れ合い」=「社交ダンス」を求めている場にずかずか踏み込んで、、
何の「辞書」(=マニュアル)もなしでも、
「一人フォーカシングできないやつなどトレーナーにさせてたまるか!」
とふんぞり返っている、「私自身」ではないのか?
....と、反省。
最後に、このエピソードきっかけに、我が家に鎮座ましますことになった海綿様のご肖像
なお、海綿とはどんな「生き物」かを知りたい方は、Wikipediaのここを参照。
更に、途中で表紙を紹介した、
ジーン・ベネディティ著
「スタニスラフスキー伝 1863-1938」
(高山図南男 高橋英子 訳 晶文社
ISBN4-7949-6320-3)
は、心理臨床家が読んでも無茶面白いはすの本で、
★★★★★クラスの大推薦図書なんですが、
今現在私の検索した範囲でのネット書店には在庫確認できませんでした。
スタニスラフスキー、およびスタニスラフスキー・システムについては、
ここに、鳴海康平氏による「大作」論考があります。
心理臨床家が読んでも触発される内容を含むと感じましたので、ご参考までに。
(日本フォーカシング協会、メーリングリスト"focusing-net"
6361の書き込み[2005/8/5]を、短縮のうえ転載)
私のフォーカシング 〜こういちろうのひとりフォーカシング日記〜 INDEX