「トップをねらえ!」劇場公開初日レポート
「テアトル池袋」。地方の方には申し訳ないですけど、ついにアニメしかやらない、OVA作品を次々と公開する映画館なるものが東京には出来てしまったわけです(注:実はこの種の試みは正確には2館め)。劇場版『きまぐれオレンジロード』『ファイブスター』『妖魔』『迷宮物語』『妖刀伝』など、ここしばらくの間、続けざまに足を運ばせてもらいました。
しかし何と言っても『トップをねら え!』全6話を上映するという企画は、これまでで一番のヒットだろうと思います。
土曜日の12時というのに立見の出る客席。舞台に庵野監督とガイナックスの岡田社長が登場するやいなや、笛や太鼓やクラッカーは鳴り、テープは飛び、紙ぶぶきは舞 う! 「なぜ第6話を白黒にしたのですか」との質問に「酔狂です。雑誌でのインタビューで言ってることは思いつきにすぎませんので」とひょうひょうと語る監督。「男のクセしてさア、あんな乙女チックなの作りやがって、こいつは!」と監督を小突く岡田社長。数日前に発売されたあのCDを聞いて、「この人たちの作品は、マジにうけとめるだけになったら、足をすくわれるな」とは覚悟してはいましたが、何ともはや....
さて、新作の5・6話から上映ははじまりました。ともかく場内爆笑の渦。3・4話の、「ファザコンで依存的な少女が、淡い恋ごころを抱いた男性を見殺しにしてしまったショックを乗り越えて、ギリギリの所で生れ変わり、艦隊を救うまでのシリアスでハードな成長物語」に魅せられた人は、この、ひたすら受けだけをねらったような、おちょくるようなシーンの連発に戸惑うかもしれない。ともかく、いかにもウソっぽい設定やパターンの展開を、これでもかこれでもかと積み重ねてつき進んでいくその独特のパワーには、まさにあいた口が塞がらないものがあります。
でも、すべてがウケねらいのジョークであり、マジに見るのは全く野暮な思い込みとまでは言えない雰囲気が、時々漂うんですよね。
宇宙から帰ってきたノリコが道端で出くわした、かっての親友キミコは、ウラシマ効果の為に、もう10歳年上の一児の母になっています。大人の落ち着きの中にも、一抹の寂しさを漂わせたキミコの表情に、スッと感情移入してしまう瞬間。それは、第6話の、再び宇宙に出て、今も若いままの姿で戦うノリコたちに合流していく、34歳のカズミおねえさまにも感じられる、かすかな憂いの影なのです。
自分はいつまでも変わらないつもりでいるのに、時はどんどん過ぎ去り、そういう中で多くの身近な人たちと別れ、すべてが思い出の中のものに少しずつなっていくことの寂しさ。
でも、ノリコとカズミは、だからと言って、何かに目をつぶったまま現状に甘んじたり、あるいは昔の思い出に浸るだけになったり、ただ終末の時を運命として受け入れようとはしませんでした。
むしろ、そうやって出会い、そして別れていくすべての人たちを愛しむがゆえに、この貴重な「今」の一瞬一瞬を、ひたすら前を向いて未来を切り開いていく戦いに費やす孤独に耐えていくのです。
でも、ノリコとカズミは、戦いの中で、文字通り「同じ時」を、二人で共に生きていけたからこそ、それに耐えられたんでしょう。「私たち、二人きりになったわね」といってまなざしを交わしあうのを見た時、その壮絶な孤独が痛いほど伝わってくる一方 で、そういうふたりの関係に、何かひどく羨ましさもおぼえました。
....などとマジな見方ばかりしていたら、庵野監督に苦笑されそうですが。でも、ひょっとしたら、もう20代後半になったアニメファンのための、人生の寓話としての意味も込められているのかな....とは、勝手に「思いこんで」おきます。
P.S. ビデオでは、第4話のオマケの「科学講座」で、ノリコは「『宇宙船』や『アニメ ージュ』を創刊から揃えています」と言っていたのだが、劇場で公開されたフィルムでは、しっかり「創刊から廃刊まで…」と言っていたことを告げ口して(?)おきます。どうもガイナックスでは「アニメージュ」に21世紀における未来はないと踏んでいるようである。
「私、新しい恋をさがすわ。ひとは自分の人生しか生きられないのよ。だから、出会いがあり、別れがある。自分の人生だもの、一分でも無駄にせずに精一杯生きていかないとね」
....2回目に見た時、ユング・フロイトの、海辺での、このさりげないセリフがはじめて耳にとまりました。
『トップをねらえ!』5・6話、これはともかくトンデモナイ作品です。どのようにトンデモナイかは、百聞より一見にしかずですから、ご自分の目で確かめて下さい。 ただ、この作品、決して、受けねらいや冗談だけで作られている作品ではないという確信が生じてきました。何回も見ていると、ちょっと見よりも遥かにマジな、渋い魅力がある作品であることがわかってきます。
この作品の「テーマ」は何なのか? それを、「人類は自然や宇宙の摂理に反した存在で、いずれ遠からず滅びるべき運命にある」という考え方への疑問、アンチナーゼとしてとらえることもできます。
しかし、実はもっと身近な問題提起にも結び付いている気がするのです。
「いつまでも今のままでみんなと一緒にいたい」....こういう願望は、少し前まで、多くのアニメ作品の中で表現されていました。例えば、『うる星』では、幸福な時間連鎖の中、いつまでも友引高校での2年3組で、決して「好き」とは言ってしまわないラムとあたるの関係が描かれました。
でも、現実に「いつまでも今のままでいたい」って人が考える時って、実はいずれ今のままではいられなくなることを心のどこかで意識しはじめている時だと思います。むしろ、そういう運命から目を背けるために、少しずつ近づく終末への予感から目をそらしたまま、みかけだけの親しいつきあいのくりかえしにただ消極的にしがみつくことになりがちな気がします。
でもそれは、実は、時の流れと一緒に心中するような、「自殺行為」なのかもしれない。
.... この作品を見ているうちに、地球に残ったコーチやキミコに、地方にいる両親の姿が思わずダブッた瞬間があります。そうか、両親は、僕のために、時間を与えてくれているのだな....と。幸い、両親が生きる一年と、私が生きる一年の間には、ウラシマ効果は働いてはいないのですが。でも、僕の齢になれば、帰省する度に両親の髪に白いものが増えるのが気になります。そして、昔の同級生の女の子が3歳の子持ちのキミコさんになっていることの寂しさなんて、いくらでも現実の体験としておこることなんです。
このへん、僕と一つ違いの、庵野監督も実感している思いが作品に反映しているのかもしれません。
でも、この作品は、過ぎ去った思い出をはかなんで生きていくのとは、まるで反対の道を示してくれているように思います。そうやって、出会い、別れていく人々との間 で、今、何ができるのか?…場合によっては、別れを受け入れること、それが前に進むことであり、あとあとにまで残る何かを生みだすことにつながるのだ…と。
人間は、自分たちが愛した人たち、そしてその後に続く世代の人間が生きていけるように、自分たちの「今」の時間を捧げるものなのかもしれません。タカヤ提督(ノリコの父)からオオタコーチへ、そしてコーチからノリコへ、ノリコから、キミコやユングの遠い子孫たちへと伝えられていったものは何なのかを考えてみるのも面白いと思います。
第5話のハチャメチャ戦闘シーンでノリコが「コーチが作ったガンバスター、こんなことで負けはしないわ」などというセリフを連発するのは、ただのカッコつけではないような気がします。「ガンバスターが実はノリコの父の化身だ」という某誌での監督の発言も、あながち思いつきばかりではないでしょう(一見パターンそのもののセリフが実はおおマジだったりするのが、この作品の特徴です)。
そして、そういう数々の出会いと別れの中で同じ「時」を一緒に生き続けてくれる相手がひとりでもいるということは、実は最高の幸福の一つなのだ....と。ノリコとカズミは、まさにそういうかけがえのないパートナーとしてお互いを認め合えたのです。
P . S .
「好きです、浩一郎さん」....うーん、何度聞いてもいいセリフだ!
それにしてもカズミ未亡人は麗しい! 6話のノリコも少し落ち着きが出ていて、ナカナカだけど。
劇場版『オレンジロード』を「いつまでも一緒に居られないのが現実だからこそ、せめて物語の中でぐらい....」などと批判する人は、この作品をどう見るのだろうか? 火曜日の時点でも、テアトル池袋は平均してほとんど席が埋まり続ける盛況のようでした。アニメシアターになって最高の動員ペースじゃないかな。
ご意見・ご感想をお待ちしています。
Email:kasega@nifty.com
インデックスへもどる