96/04/15 番場 武志 様
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エヴァ私の回りでも話題になっています。最終回の前はそれぞれどのような決着をつけるのかを 予測しあっていましたが、まさかあのようなやり方とは。
死海文書に関する情報がファンの間にて議論されないのが不思議なのですが。 放送が終わって1ヶ月以上たつのに未だにエヴァの話しが出ています。 ところでロンギネスの槍ってなんだったんですか?
〔阿世賀より〕
「アニメージュ」4月号の「エヴァ」特集によれば、「最近各地の大学の生協では『死海文書』に関する文献の売り切れが続出している」とありましたから、きっと興味を持って論じ会っている人たちもどこかにいるんではないでしょうか。
「エヴァ」について分析を深めようとした場合、神話的・宗教的なアプローチと心理学的なアプローチというおよそ2つの方法論があるんじゃないかとは思っています。ユング的にやれば両方兼ねられますが。
私はどっちかというと心理学的解釈の方に関心が強いのですが、それについては追々「論考」のページや「完全小説化計画」の「メモ」欄で触れていきます。
「ロンギヌスの槍」も当然典拠があると思います。ご存じの方は御一報下さい。ただ一つだけ思っているのは、「ロンギヌスの槍」をレイにあそこで使わせてしまい、宇宙空間の回収不能な場所に追いやってしまうことは「ゼーレ」の当初の思惑には反したゲンドウの決断だったとろうということです。「人類補完計画」といっても、ゼーレとゲンドウは一枚岩ではなくて別の何かを目指していたのではないかということは「論考」第一回の方で書きましたが、ゲンドウの思惑からすれば、少なくともあの時点で、ネルフ本部地下深くの第1使徒アダムにつき立てられていたロンギヌスの槍を外してしまい、取り返しようがない場所に「追いやって」しまう必要があの時点で出てきたのではないか。宇宙にいる使徒を攻撃するための最終兵器にしたというのは、いわば「ちょうどいい口実」でもあったわけです。
それはひょっとしたら第1使徒 の「封印を解く」と言うことに他ならず、そうやって封印を解いたときはじめて、「最後の使徒 」、カオル君を呼び寄せて最後の仕上げをすることができた、あるいはカオルが最後の最後でシンジに殺されることの方を選ぶ選択をさせる「何か」を準備することになったのではないか……いまのところ私が漠然と想像しているのはそのあたりまでです。
恐らく「ロンギヌスの槍」が15年前に第1使徒を「封印」する際にどうしても必要なものだったことまでは確かなのではないでしょうか。
それにしても、
> 放送が終わって1ヶ月以上たつのに未だにエヴァの話しが出ています
というお話を伺うと連想してしまうのが、アサヒネットの「心の探検隊」という会議室で、ある方が言われた「作品についていろいろ語り合うことでそこに新たな人と人との出会いを生み出すことそのものが、スタッフたちのもくろんだ『人類補完計画』ではなかろうか」という言葉です。
ビデオで謎が解かれることを期待する人も多いみたいですが、実はあの最終回こそ庵野さんがやりたかったことなのではないかとすら思います。ああいう言葉のやりとりではなくてストーリーとしてそれを見たかったのだと言われる方もあるかもしれません。しかし、「物語」を「感動的に」終わらせて、見ている人にとって現実とは別の閉じた虚構の世界でのカタルシスに過ぎなくしてしまうことを敢えて回避したのではないかとも想像しています。庵野さんが、「現実と物語は別」というアニメファンにありがちな割り切りにとことん抵抗し、見たくないものを敢えて見せつけてしかも表現力で圧倒するという賭けに出ていたのは確かだと思います。
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ご返事ありがとうございます。
ところで エヴァ初号機はシンジの母がなくなった事故によって エヴァに精神が宿ったと愚考していたのですが。単にアダムからクローンしただけで精神が宿るとは 思えないのですが。
レイのクローンが培養液の中に一杯いたのも 一斉に見つめるのも精神の存在性を考えると 疑問だったシーンですが(映像的には感動ものですが)
エヴァを理解するにはラカンやベイトソンを読む必要があるの かな〜と考えております。
余談ですがバイオシックス論議もバックボーンとして関連がありそうな
MEGUEで登場人物の名前が大戦の艦船関連が多いとの話しが載っていましたが(2、3月号頃)「綾波」は艦船ではなく南洋諸島との航空便96式大艇の名前ですね。 見つけたのは航空機銘々伝からでした。
論文にならず単なる雑感ですが、これからもメールします。
〔阿世賀より〕
こちらこそこれからもよろしく。
登場人物の名前の多くが艦船の名前だというのは僕の知人もおしえてくれました。(ちなみに私はMEGUEと聞くとOUTを連想する世代です。僕はOUTのReader's Voiceで投稿者デビューしましたから)
ところで僕は「バイオシックス理論」って知らないんだけどどんなものなんですか?
エヴァに母親ユイのいのちが宿っているというのは、この作品を理解する上で根幹に関わるポイントだと思います。アニメでもコミックス版でもこの点は非常に意識的に描いていると思います。この件についての私見はすでに「論考」第1回で書かせていただきました。このことをあっさり指摘しすぎてもつまらなくて、画面の演出から「感じ取る」事柄かと思いますが。
エヴァがシンジの意志と関係なく獣のように暴走するときと言うのは、実はエヴァの中の母親ユイが覚醒したまさにその時なわけですよね。ユングの言うグレートマザー的な太古的母性というのには、ああいう風なすべてを「食い尽くす」恐ろしいエネルギーも含まれているわけです。
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初めまして。
エヴァについての考察、読ませていただきました。
新鮮だと思ったのは、エヴァでの登場人物の「その後」について、本編で触れられているかどうか、と言う点について書かれていることでした。わたし自身も、あのラスト2話の変化の「差」の大きさに、エヴァ自体を物語として捉え直そうとする努力を放棄してしまったクチですが、確かにその道筋も追いかけるに値するものだと思います。ただ、その作業はとてつもなくつらく、根気を必要とするものでしょうから、わたしは行うことはできないと思います。ちーちゃんさんの今後の分析に期待しております。
わたし個人としては、放映地区が東海地方であったため、タイムラグの関係から放映前に大体の内容がパソコン通信でわかってしまうと言う環境で観たので、ラスト2話については衝撃は受けませんでした。むしろ終盤にさしかかってからと言うもの、散りばめられた情報や伏線が何かのジャミングのように思えてきて、わたしはそれらをある程度無視するという鑑賞方法に切り替えました。結果、とても感覚的には心地よい映像だったと思います。
どうもわたしが愚考するに、エヴァは「映像による体験」をかなり志向していたような気がします。また、謎は謎として、あくまでも視聴者の主観の中で解釈するのみに留めて、あえて作り手側からその解釈と説明はしない、これは作り手もあるていど意識してわざとやっていたような、そんな印象を受けました。
リテイク版にしても、それは一つの「解釈」なのであり、絶対的なものではないような予感がしています。
物語が死に絶えつつある今日、エヴァは今後のアニメのあり方を示す、一つの道標であると思っています。
〔阿世賀より〕
エルカセットさん初めまして。こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。
> どうもわたしが愚考するに、エヴァは「映像によ
> る体験」をかなり志向していたような気がします。
> また、謎は謎として、あくまでも視聴者の主観の
> 中で解釈するのみに留めて、あえて作り手側から
> その解釈と説明はしない、これは作り手もあるて
> いど意識してわざとやっていたような、そんな印
> 象を受けました。
この点に関しては私も基本的に同意見です。もちろんやりたい人は画面の細々とした暗示の中から色んなものを読みとろうとしてかまわない。いろんな本を読んでみるのもいいかと思います。
ただ、その際に重要なのは、何かひとつの正しい「解答」があって、それを「情報」の中から探し当てようとすることではなくて、「映像体験」の中で自分の中に生じてくるモヤモヤした「感じ」そのものの中から、いったいこんな「感じ」にさせられるのはなぜなのだろうと、自分なりに探求していく姿勢なのではないでしょうか。
庵野さんはこの作品放映中には確か全くにちかくこの作品に関する雑誌インタビューに答えていないようです。それは、作品と自分を丸ごと「対決」させることなく、まるで問題集の解答集を検索するかのようにしてアニメ雑誌の「情報」をあさるという倒錯した今日の風潮に抵抗して「作品がすべてです」と沈黙したのだと思います。すでに述べたように私個人はリメイクは不要という立場です。
別なページで、アサヒネットの会議室、「心の探検隊」の読書会との連動企画で「エヴァ」を各話ごとに文章化するという企画を進めていますが、私はその企画の中でも、内容の解釈に関わる事柄はおまけの最小限のメモにとどめて、とことん「映像の文章化」に賭けています。脚本だけではここまで映像の描写はしませんからね。これは、ビデオ発売がまだ初期の回の現段階で、パソコンネットで普段アニメに接していない人たちにも、この作品の魅力を彷彿とした形で体験していただくために選択した手法です。
これは、作品を見た人間同士が観た直後に議論しあうという、多くのバソコンネットのアニメフォーラムのスタイルとは全く異なるものです。普段アニメを観ることもなく、この作品を全く知らず、映像すら見ていない人が、この文章化だけを読んでどれだけ敏感に反応しているかは、実際に朝日ネットにつなげる人は覗いてみて下さい。
もとよりその際にどのシーンを克明に描写して文章化するというあたりに、要約者の作品を見る時の視点とものの感じ方が反映するわけですが。