第6回 『ヒステリー研究』の
エリーザべト・フォン・Rの症例について(1)
フロイトが、ブロイエルとの共著として世に出した『ヒステリー研究』は、フロイトが後に「精神分析」と名付けることになる技法を確立するに至るまでの道のりの中で、初期の代表作というべき著作である。この著作については第1回でも取り敢えずの感想を書いたが、ここでは、その中の、エリーザペト・フォン・Rの症例に基づいて、具体的に、今の一臨床家としての私の目から見て、当時のフロイトがやっていた心理療法の持つ意味について詳しく考察してみたいと思う。
***
パリ留学でシャルコーの講義を聴いて、催眠状態においてヒステリー(人格の解離を主症状とする「解離ヒステリー」と、身体化された様々な症状を主訴とする「転換ヒステリー」に大別されることは第1話で述べた)とうり二つの状態を生じさせることができることを目の当たりにしたフロイトは、帰国した後、以前からフロイトと親交があり、フロイトを物心両面で援助してくれていた年長の精神科医、ブロイエルと共に、催眠術を利用したヒステリーの治療の試みに没頭していく。
フロイトとブロイエルによれば、ヒステリーの身体症状とは、意識から抑圧された過去の外傷的な体験の記憶とその際の感情が、「置き換え(displacement)」の防衛機制によって「代理」としての症状形成に至ったものであり、症状そのものにも何らかの象徴的な意味が隠されていると考えられたが、フロイトはそのようにして抑圧された過去の体験のほとんどが、何らかの意味で性的欲求の抑圧と結びついていることを強調した。この性的問題の強調が、ブロイエルと後にたもとを分かつ原因になったと一般には言われている(プロイエルは、有名なアンナ・Oの症例において、アンナにもろに「陽性転移(親に愛されたい欲求を治療者に向けられること)」を受け、アンナに抱きつかれるなどする中で夫婦間系の危機を感じ、夫婦そろって別の土地へと遁走した。だがこのエピソードは『ヒステリー研究』からは意図的に削除されている)。
恐らく最も初期の催眠療法は「目を覚ますとあなたはもう症状の苦しみを感じなくなっています」式の比較的シンプルな暗示療法だったのではないかと思われる。だが、患者を催眠状態に陥らせることは、患者が日常は意識から抑圧している、そのような過去の体験を再びありありと想起させることに貢献する。
ブロイエルは、そのような過去の体験が生々しく想起された瞬間に身体症状が消失することに気がつき、アンナ自身の言葉を借りて、「談話療法」だとか「煙突掃除」などと呼んだのである。***
フロイトも当初は患者に催眠をかけていたが、患者によっては催眠にかかりにくいということもあり、しかもフロイト自身催眠術が実はそんなに得意というわけでもなかったため、独自に創案した「前額法」などとも呼ばれる技法に切り替えた。
これは、「これからあなたの額を手で押さえますが、手を離す時に、何か、言葉や映像や記憶が浮かんでくるはずです。そうした言葉やイメージについて、それがあなた自身にとっていかに無意味な、無関係なものに思われたとしても、必ずすべて報告して下さい」と前もって暗示をかけた上で試みる方法である。
フロイトは後にこの「前額法」も捨て去り、「自由連想法」に切り替えるのであるが「思い浮かんだことは何でも言葉にせねばならない」とするという点では、この「前額法」は、まさに自由連想法の先駆と言うことになる。このようにして想起された言葉やイメージや過去の体験のもつ治療的意味について、フロイトはおよそ次のような法則を見出している。
- 最初に報告されるイメージや記憶は、症状を形成する真の原因となった過去の体験そのものではないことが多い(どこかで真の原因となった過去体験と関連してはいることがいずれ証明できるけれども)。
- 真の原因になった過去の体験が想起された時はじめて、身体症状は消失する。
- 単に記憶が思い出されるだけではなく、その時ありありと体験していた情動が詳細に再体験され、その情動に言葉を与えることができないと症状は消失しない。
このうちの3番目は、その人に真の変化をもたらす「洞察」は、単に自分の内面を「頭で」理解しようとし、もっともらしい説明ができるようになるだけでは生じない」という、「知性化(intellectualization)」の問題と結びついている。
また、フロイトが、「その情動に『言葉を与える』ことができた」瞬間に身体症状が消失することを述べているあたりは、それまで漠然と曖昧に体験されつつもうまく言葉にならなかった「感じ」に実感の上でぴったりの言葉が見出された時に変化が生じるという、私の専門であるフォーカシングで「シフト」と呼ばれる現象にあい通じるものがある。***
エリーザペトは、2年前から両足に痛みが出て、歩けなくなることを主訴としてフロイトの元に紹介されてきた。
痛みの箇所は右太股の前面をを中心としており、その部分を針で刺激するとむしろ通常よりも鈍感といっていいくらいだったが、皮膚をつねったり押したりすると、彼女はうめき声を上げるのだった。これは神経機構そのものの病理に基づく器質的疾患の際には見られない反応だった。「彼女の顔は苦痛というよりむしろ喜びに近い独特な表情をを示すのである。彼女は叫び声をあげ……これは官能の満足のさいにあげる声のようだな、と思わざるを得なかった……顔を赤らめ、頭をのけぞり、両眼は閉じている。胴体は後ろにそりかえる(フロイト著作集第7巻 人文書院 懸田克躬訳 p.109)」
彼女が過去数年間、不幸な状況にあった経過が語られはじめる。
父親は心臓病と肺水腫にかかり、寝たきりとなり、彼女は看病に忙殺された。その父の死の後、今度は母親が重い眼病にかかり、手術することとなる。
幸いその手術は成功し、経過は良好、母親の療養のための避暑地での生活は、エリーザペトにもやっと久々に苦悩からの解放となる楽しい日々の始まりを意味するはずであった。
だが、その療養先で、ある日、ハイキングで家族と長時間歩いた後、彼女の脚は痛み出すのである。当初は、寒い中、長時間歩いたための単なる疲労のなせる技と思われた。だが、脚の痛みは、何日経ても一行に快方に向かわない。
彼女は母親と共に、避暑地でそのまま療養生活を続けることとなる。ここで更なる悲劇が起こる。先に避暑地からヴィーンに帰還していた姉の危篤の知らせが入ったのだ。姉はこの時妊娠していたが、避暑地にいた頃からすでに体調が思わしくなかった。エリーザベトは、痛い脚の苦痛に耐えながら、母親と共に、汽車の長旅をして、急遽家に戻ることとなる。
だが、彼女は姉の死に目に会えなかった。そしてその時以来更に脚の痛みの症状は増し、2年間が経過したのである。***
このようなつらい体験をじっくりと話しはした時点でも、彼女の脚の症状は変化しなかった。 フロイトは、肝心な原因はこうした彼女の苦労にあるのではないと判断する。
最初は催眠をかけようとするが、彼女は催眠には乗れない。そこで、別の症例ですでに成果を上げていた、前述の「前額法」の適用をフロイトははじめる。彼女が最初に思いだしたのは、数年前、ある男性に馬車で送ってもらって、夜会から帰ってきた時の会話だった。それに続いて、その時の状況や気分が次第に思い出されてくる。
彼女は、その男性との交際を他人には隠していたが、彼と結婚したいと思っていた。その頃父親はすでに自宅で病床に伏していた。彼女は夜会への誘いを受けた時、父親のことを思うあまり当初参加をためらう。だが、「遅くならないうちに家まで送るから」という更なる誘いに抗し切れず、結局参加することにしたのだ。「彼女が最初に思いだしたその晩は、ちょうど彼らの感情が頂点に達した時のことだった(p.118)」
結局彼女は当初の予定よりもかなり遅くなって家に帰り着く。彼と会話している最中にも、彼女の中には「家に帰ったらこれから父親の看病をしなければならない」という思いがあった。
家に帰り着いた彼女が見たものは、容態急変した父親の姿だった。彼女は父を残して自分だけの楽しみに浸った自分をひどく責めることとなる。この晩以降、父親の看病に明け暮れ、結局夜遅くまで外出したのはこの夜会の晩が最後だったことを彼女は思い出す。男友達とも滅多に会わなくなった。
男性は、彼女の父親が死んだ後は、彼女の悲しみを思いやってあまり近づこうとしなくなった。
そのうち、運命が二人を分かつ。人生が彼を別のコースに引き入れてしまったのだ。***
だが、この恋の挫折を思い出したことは、彼女の脚の痛みの回復には結びつかなかった。そもそも、夜会から帰宅した瞬間に脚の痛みがあったわけでもなかった。
ここから治療は第2期に入る。
(つづく)
第7回 『ヒステリー研究』の
エリーザべト・フォン・Rの症例について(2)
その後幾ばくも立たないうちに、エリーザぺトは、「なぜ痛みが右の太股のある部分にだけ生じるのかがわかった」と言ってフロイトを驚かせることになる。
つまりその大腿部とは、毎朝父のひどく腫れ上がった脚の包帯を取り替える際に、その脚を載せた箇所だったのである。更に前額法を用いた面接を続けるうちに、次のことが判明する。
たいていの場合、面接をはじめる時点では彼女の足は痛んでいない。
だが、質問や前額法によって回想が呼び覚まされると、彼女の足は痛み始める。
回想の報告の中で本質的で決定的な事柄を口にしようとするその時、痛みはその頂点に達する。
彼女が話し終わっても痛みが消えない場合には、それは彼女が全部を話し尽くしていない証拠とみなしていい。
よって、痛みが終わるまで彼女の告白を強制し続ける必要がある。
こうして、彼女の痛みの強度が、その時の彼女に可能なだけの内面への直面をしているかどうかのバロメーターとなることが明らかとなったのである。
これはある意味でたいへん「手荒な」方法だとも言える。若いフロイトだからできたのではないかとも思えるが、一つ興味深いのは、核心的な発言をすると痛みが鎮まるという点である。これは、フォーカシングにおいて、ぴったりの言葉が見つかり、シフトが生じると、身体に安堵感が生じ、緊張低減が生じるというのと似ている。
ただし、このようにして、身体の痛みが鎮まるという形で、特定の回の面接で可能な限りのことが語り尽くされたからといって、それで身体の痛みから恒久的に解放されるわけではなく、いわばタマネギの皮でも剥くかのように、次の回には再び話しているうちに生じる身体の痛みがなくなるまで新たな気づきに浮かび上がって来てもらうという、小刻みな前進が繰り返し積み上げられる必要があるともフロイトは考えていた。「私は半ば冗談にまぎらわせながら、こうやって毎回一定量だけ疼痛の動機を取りのぞいていますから、全部片づけてしまったら、あなたはなおるのですよ、といつも言いかせた(p.121)」
これは、フォーカシングにおいて「体験過程の推進の小さなステップ」と呼ばれるものに対応する。一つの気掛かりを解消するためには、繰り返しフォーカシングする中で少しずつシフトを重ねるしかなく、仮に一度大きな身体的解放が生じても、次の回には再び似たような不全感を相手とする形でフォーカシングをはじめるという形で、いわば「三歩進んで二歩下がる」式にしか前進できないことと類似している。
***
こうして、実際、彼女はやがてたいていの時にはもう痛みを感じなくなってしまった。「今までみたいな引っ込み思案はやめて、たくさん歩きなさい」というフロイトの薦めにも、彼女はその気になるようになった。
そうやって面接を繰り返すうち、足の痛みを生じさせる回想が、
- 父親の看病や死にまつわる思い出
- 青春時代の男友達のこと
- 死んだ姉についての回想
- 義兄(死んだ姉の夫)に関するもの
この4つに集約されていることが明らかになって来る。
彼女は義兄のことを恨んでもいた。立て続けに妊娠させたことが姉を病気にしたのだと非難していたのである。更に、1.と2.という彼女の苦悩の日々の前半に属する思い出を想起する際と、3.4.という、後半期に属する思い出を想起する際とでは、足の痛みの部位が異なることも明らかとなった。
フロイトの関心は、この中の後半期へと向かっていく。なぜならば、痛みがはじまった時期と微妙にシンクロしているからである。***
こうして前面に浮かんできたのは、そもそも足の痛みがはじまるきっかけとなった、姉が死ぬしばらく前の避暑地での一連の出来事だった。
彼女は、この頃、同じように避暑地に来ていた姉夫婦の幸せそうな姿と自分を引き比べて孤独を感じていた。
姉夫婦がヴィーンに帰った2,3日後、彼女は皆と行った見晴らし台までひとりで出向き、一層の孤独感を感じつつしばらく腰を下ろしていた。そしてそこから立ち上がる時から、痛みは更に激しくなっていたのである。
そして、姉の危篤が知らされる日が来る。この時までは彼女の痛みは横になるとおさまっていたが、危篤の知らせに家に戻る寝台車の中で、彼女は気も狂わんばかりの足の痛みのために一睡もできなかったのである。もはや歩いている時よりもひどいくらいだった。***
そして、治療の第3期。
ある日、往診に来たフロイトがエリーザベトと面接している最中に、偶然にとなりの部屋で足音と話声がした。
「義兄がまいりましたの」
だが、その時から、それまで全然痛みを感じていなかった彼女の足は痛み出すのである。
フロイトは、痛みを感じ始めた避暑地での出来事について、更に詳しく彼女に質問をはじめる。
まだ姉夫婦がいたある日のこと。
義兄は妻である病身の姉のことを気遣い、姉のそばを離れようとしなかった。だが、姉は妹たるエリーザベトの寂しげな姿に気を利かせて、義兄にエリーザベトと一緒に散歩してくることを勧めた。
散歩しながら、二人はいろんなことを打ち明けあった。話が合う。みんなのお気に入りの見晴らし台にも一緒に腰を下ろした。それから2、3日して、姉夫婦は避暑地を離れ、ヴィーンへ帰る。エリーザベトは再び、今度はひとりで、先日義兄とふたりで回った散歩のコースを回っていたのだ。そしてその見晴らし台のペンチから立ち上がる時から、本格的な足の痛みがはじまるのである。
そして、死んだ姉のベッドの前に立った時の場の雰囲気や思いがありありとよみがえりはじめる。
姉の看護ができないまま、こうして姉が死んでしまったという現実の恐ろしさ。
だが、この瞬間、エリーザベトの脳裏には、もうひとつの考えが、稲妻のようにひらめいていたのだ。「これで義兄さんはもと通り身軽になれた。
私は義兄さんの奥さんになることができる」彼女は、自分が語りつつあることが、いつの間にかどんな結論に向かって突き進んでいるかに気づいていなかったようだ。
「私が事実関係を味も素っ気もない言葉で要約して、だからあなたは前から義兄のほうに恋していたわけです、と言った時、彼女は大きい叫び声をあげた。この瞬間に彼女は激しい痛みを覚え、この説明を拒否しようと、なおも絶望的な努力を続けた(p.129)」
フロイトはこれ以外の解釈が不可能であることを示しつつも、次のような慰めの言葉をかけた。
「誰も自分の感情に対しては責任を負えませんよ」
フロイトは、聖書の言う「情欲を抱いて女を見る者は心の中で姦淫したのである」とは逆の思想の持ち主だった。『ヒステリー研究』に登場する別の患者、家庭教師先の妻を亡くした父親にいつの間にか恋していたルーシーは、治癒の後に自ら次のように語る。
「ええ、今でも愛しております。でもただそれだけのことなのです。自分ひとりで好きなことを感じたり考えたりするのは自由ですから(p.93)」
***
このフロイトの慰めの言葉をエリーザベトが受け入れられるようになるまでには更に長期間の面接を要した。フロイトがこの期間にしてあげていたこと、それは、彼女が義弟と出会って以来、何を感じていたのかを少しずつ丁寧に振り返って行くプロセスにつきあうことだった。
後に姉の夫となる男性とのはじめての出会い。
家を訪問してきた彼は、自分の花嫁候補はエリーザベトであると勘違いして、まずは彼女に挨拶してしまった。ある晩などは、二人があまりにおしゃべりしていて馬があうので、
「はじめからあなたがたお二人だったら、とてもお似合いだったでしょうね」
などと姉が話の腰を折ってきたこともあった。
病気のせいで背骨に若干の障害がある義兄のことをある女性がクサした時、その場に居合わせた姉以上にむきになって、物凄い剣幕で彼の姿勢のことを弁護したのもエリーザベトだった。
このようにして記憶の糸を一つ一つ紡ぎ出すにつれて、彼女は、自分の中に、非常に早い時期から、義兄への愛情の芽生えのようなものがまどろんでいたことを受け容れていった。
そして、それに伴い、彼女の足の症状はますます消えていった。***
エリーザベトが姉の死に顔を見たとたん、「これで義兄さんの奥さんになれる」という考えがひらめいていた自分をありありと思い出して以降、フロイトが、実はこれだけ時間をかけて、その気づきを彼女の自我に統合できるまでこつこつとフォローしていたという点については、フロイトについての簡単な教科書的著述ではあまり触れられていない気もするが、実は極めて重要なポイントであるように思われる。
フォーカシングの創始者、ジェンドリンは、『夢とフォーカシング』(村山正治訳 福村出版)の中で次のようなことを述べている。
シフトの結果生じた気づきは、当初は自分の中の小さな局面についてのものに過ぎない。それ以外の局面は以前のままの自分の力がまだ強い。だから、その小さな気づきをうまく守ってあげないと、以前の自分に引きずり戻そうとする力に負けてしまう……と。
もちろん、その気づき(シフト)が非常に大きなものであった場合には、ジェンドリンが「全面的な適用(grand application)」と呼ぶところの、特定の状況についての気づきが、連鎖反応的に、自分の中の他の状況にも適用されていくプロセスが生じる。「ほら、この時もそうだったじゃないか、そしてあの時も……」
と、走馬燈のように連鎖反応が自然と進む。体験過程尺度でいう最高値の「段階7」である。
だが、こうした人格全体への気づきの広がりが、少しずつ、一進一退しながら進むという場合の方が、ずっと多いはずである。そのような再統合のプロセスにじっくりとつきあうまで、性急に舞い上がるべきではないと、心理療法家としての私は改めて自戒する次第である。***
ここで忘れずに付け加えておきたいのは、エリーザベトが、実は同じ構造の人間関係を反復していることである。
1回目:病気の「父」を置き去りにして「男友達」とデートなんかしたから「父」は死んでしまった
2回目:病気の「姉」を置き去りにして「義兄」と散歩なんかしたから「姉」は死んでしまった1回目:病気の「父」がいたおかげで私は「男友達」と結婚できなかった。「父」さえ死んでしまえばいいのに。
2回目:病気の「姉」がいたおかげて私は「義兄」と結婚できなかった。「姉」さえ死んでしまえばいいのに。実はこのうちの2回目の方こそがより根深く抑圧されていたものであり、だからこそ、前額法によって最初に彼女の意識にのぼったのは1回目の系列の記憶に関わる内容だったということになる。
ただ、この時点でのフロイトにはエディプス・コンプレックスという発想がまだ確立されていない。後のフロイトであれば、この点で更に踏み込んだ解釈をこの事例について下した可能性があるような気がする。ある意味では、父を「殺してしまった」後、彼女の恋愛はむしろエディプス的なものへと「退行して」しまい、義兄と姉との関係への横恋慕とは、父と母との関係へのエディプス的横恋慕の転移としての可能性がある、などという発想は、多くの人が思いつくであろう。
エリーザベトは、その後一度症状がぶり返し、フロイトは母親から抗議の手紙を受け取ったこともあったが、フロイトは事態を静観した。
その後、フロイトは、ある舞踏会で、あの歩けなかった彼女が、目の前を素早いテンポで旋回して通り過ぎていく様を見た。
その後彼女は、外国人と、自由な恋愛の末に結婚生活に入ったということである。フロイトはここで敢えて「自由な恋愛の末に」「外国人と」結婚したことを強調している気もする。そこに、結局は家族の磁力圏を振り切って自立できた彼女の姿をみていたのかもしれない。
(エリーザベトの症例 了)