今はふたりきりの孤独
……「美少女戦士セーラームーンS」106話
『セラムンS』 106話「運命のきずな! ウラヌスの遠い日」。
ついにはるかとみちるがセーラー戦士として覚醒するに至ったいきさつが描かれる。はるかとみちるの出会いがどれだけ二人にとって切実なものであったかが痛いほど伝わって来る。
はるかは、夜な夜な襲って来る世界破滅の幻影が自分につきつける、「迫り来る『沈黙』から世界を救うメシアを捜し出す戦士はお前しかいない」という内なる声からひたす逃げ回っていた。
この回の物語で気づかされるのは、はるかがセーラー戦士としての使命を受けとめたのは、あくまでも、みちるという人間の中に、同じ運命の星の元に生まれたとしか言いようがない、深い「共感」を感じたからこそだということだ。しかもその共感は、単に同じセーラ戦士としての使命を帯びている者どうしゆえというだけではない。もっと根源的な所での共感、つまり、それぞれが、それまでの日常の中で、どんな思いを抱きながらどんな生き方をして来たかという次元での共感なのである。
…恐らく、はるかとみちるにとって、お互いは、生まれてはじめてめぐり合えた「同類」の人間同士なのではなかろうか。
はるかとみちる。この二人は、どちらも、生まれながらにしてあふれるような才能を持ち、いくつものジャンルで、他の人がかないようがないくらいの成果を上げてしまう。周囲の人はそういう彼女たちを羨望のまなざしでみつめ、人一倍充実した人生を送っているに違いないと感じているだろう。しかし、そうした周囲からの視線に出会うたびに、二人は、「この人たちには自分の気持ちは通じそうにない」とため息をつき、深い孤独を感じていたことだろう。
二人は、何も周囲から賞賛されたいからそうした活動に打ち込んでいたのではない。ただ自分の満足の行く生き方をしようとしていたら、気がついてみると競争相手が誰もいなくなっていたということだろう。
みちるがはるかに「あなたは人に甘えない」と共感を込めてつぶやくシーンがあるが、恐らく、この二人は、周囲の人に「甘えたくとも甘えるに足る相手がいなかった」というのが正確だろう。彼女らの先を歩いてくれている者はどこにもいないのである。彼女らが自分の中に感じる「満たされぬ思い」を、周囲の人はありのままに共感してくれなかったろうから。
二人は恐らく周囲の人のようにはぬるま湯のようなごまかしに流されるのに耐えられない人たちだ。だから仕方なく、自分の中に蠢く満ちたりない思いを独りぼっちで前のめりに克服して行くしかなかったのだ。
ここからは私の想像だが、不幸にして、二人は、現世の中で自分が手をつけることができるものについては極める所まで極め尽くしてしまったのではないか。その時、彼女らの限界までとぎ澄まされた感性は、そういう自分の存在を支えている「世界」そのものが様々な原因で行きづまり、破滅の危機を抱え込んでいるという兆候を肌で感じずにはいられなくなったのではなかろうか。
自分という存在を心から満足させてくれることのなかった「世界」を、むしろ自分の方が救ってやらねばならないと言うのか? はっきり言って二人は最初「うんざりした」と思う。
だが、二人はついにそういう救われるべき世界より以上に心から大事にしたい、愛おしみたい対象に出会ったのである。心の底から気持ちの通じあう、共に歩んでくれる人とのスパークするような出会い。「君に会えてよかった」…そのように心から言える相手と共に歩む道ならば、それがどんな修羅の道でも構わない。
ある意味では、今のみちるとはるかは、以前スポーツや芸術に打ち込んでいる時にも感じられなかったような、ビリビリするような生の充実の中にいるのではなかろうか。
ただし…そこには何か、張りつめた弦が今にもプツンと切れてしまいそうな、実に危うい脆さと隣り合わせのものがある気がする。恐らく二人もそのことに気がついている。でも二人の力だけではもはやどうしようもないのだ。
実はまだ、このふたりには、真の意味での救いとなるような、何か肝腎のものが欠けている予感もするのだが…
こんなことを想像したりもする…。こういう二人の生きざまを、二人の心の内側に入って感じることができた時、果たしてうさぎはこれまでのように単純に「かっこいい」とか「すごい」とか「えらい」とか言うだろうか。何か別のことを言い出しそうな気もするのだが…
…直感で言います。うさぎは「何かかわいそう…」とすら言い出すのではないかと。
「あの頃は風になりたかった」とつぶやく中に、「世界」との身体で感じられる一体感を求め続けたはるかの自我の孤独を感じます。
今はふたりきりの孤独。
(94/9/5)
P.S.
『S』シリーズの今後について、いろんな思いが動き出す、実に新鮮な緊張感に満ちた回でした。どうして2年半も続くシリーズが、こんなにも前のめりのギラキラした迫力のある「更に上を行く」エピソードを作り続けられるのか? それこそみちるとはるかの修羅のような前のめりの生き方がスタッフに乗り移っているようで、何か息をのまされるものがありました。
それにしても脚本の榎戸さんはやはり凄い切れ味を持った人だ。最良の少女マンガがギリギリのテンションで描き出す時にはじめて可能なピンと張りつめたセリフ回しをアニメの脚本に持ち込めるとは。もちろんそれをTVシリーズとしては極限の洗練された画面に仕上げた五十嵐さんの演出と作画スタッフも凄い。
個人的には今年の私が見たすべてのTVシリーズアニメのサブタイトル部門の最優秀作品に現時点で推挙することをためらいません。
メジャーであり、大衆的でありなおかつ先鋭であり続ける『セーラームーン』の「奇跡」。こういう作品と「共に歩めて」いるのは幸せなことだと思います。
今読み返すと気恥ずかしいくらいのノリの文だが、佐藤演出のなるちゃんの悲恋の話、幾原演出のブタ猫レッドバトラーの話と並び、個人的に、「セーラームーン」TVシリーズの最高傑作と考えているエピソードである。正直に言ってこの回あたりがTVシリーズのピークだったのではないかとすら、思う。この回のただならぬ緊張感は「エヴァ」に通じるものもある……とこじつける。
ちなみにこの投稿は「アニメージュ」に掲載されていないものなわけで。このへんから私が「載せたい」ものと「載る」ものとの間のギャップが大きくなり出したような気がする。そりゃのめり込みすぎるくらいのノリになってるけどよお。この回の内容そのものにドラマがあったのだから仕方ないであろう。
リクエストもありましたのでここに掲載します。
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