![]() part one : 1945-1970 part two : 建て替え前の校内散策スライド extra part : 遥かなる時間の旅 part three : 1995 INORI |
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![]() | ![]() | SINCE 1872 明治五年 新 校 舎 落 成 | ![]() | ![]() |
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芦屋市立精道小学校公式ホームページ http://www.edu-ashiya.jp/seidoe/
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![]() | 正門は 東門だったと 今知って |
![]() 精道小 1992 |


精小は昭和20年8月5日夜半から6日未明の空襲 (「日本本土空襲」 「ルポライター児玉隆也氏・14歳の手記」 を参照) で、北東すみにあった「旧鉄筋校舎」(当時までは新館)の躯体と、近年の消防本部の位置にあった木造2階建ての「西校舎(市役所前校舎)」 (のちに市内の小中高・各学校の仮校舎や市分庁舎などとなる。被災当時は青年学校) を残して、全て焼失し、明治大正以来の姿を失いました。 | |||
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| ★昭和16〜22年度の6年間、 精小は「芦屋市立精道国民学校」でした。 | (見取り図の茶色は木造部分です) | ||
![]() | 1952年(昭和27)、創立80周年当時の母校の姿です。 |
![]() ピカピカの講堂の勇姿は、まだまだ住宅復興の進んでいない当時の市内風景の中では、とても目立っていたことだろうと思いますね。校舎の配列は、今日のものとだいたい同じになりました。 |
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![]() 芦屋川の“天井川”という地形によって生まれたこの小さな坂。芦屋の街のなかでこれほど、親しまれ、歩きやすい坂道は他にはありません。両側に植えられたヒマラヤ杉や松の木立や草花たちは、かわいい植物園の趣き。学校を訪れた者にしばしのあいだ、清浄な空気のシャワーを浴びせてくれるような気がします。歴史ある精小キャンパスへの誘いの小道として、ひっそりと奥ゆかしい姿は、いつまでも変らないことでしょう。 やはり大人が歩くと、ずいぶん小さく見えてしまいます…(近年の撮影) |
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1955年(昭和30)、給食調理室を別棟(★)に改築。 「からす校舎」を取り壊し、待望の鉄筋造3階建て校舎「新館」を建築。 この校舎に、職員室、校長室などの管理部門や、のちに「テレビ放送室」、近年には「コンピューター室」などが設置されます。 |
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校庭の南西隅にあった体育倉庫(もと給食室)![]() |
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1960年(昭和35)、ついに講堂南にプールを設置。 これで創立以来、芦屋浜に出かけていた水泳が、校内で出来るようになったのです! 「市役所前校舎」は消防本部などへと役割を変えていきます。 |
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![]() | ![]() | ![]() 校内で水泳の出来る歓びで一杯の河童小僧たち。 ですが、海であろうとプールであろうと、泳げない僕には、苦しくて辛い時間でした… |
![]() 1960年(昭和35)5月 |
![]() 『100周年記念誌』によりますと、ソニー社のヘリコが校庭に 歓迎着陸したようです。日付:unkown 目的:unknown…… 当時のイベントの情報をお持ちの方はお報せ下さいませ。 |
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昭和36年の芦屋近辺の写真歴史まめ知識 現在の校旗校章旗が制定されたのは、 創立90周年の昭和37年でした。 |
![]() 昭和37年に架かった市内初の横断陸橋。 (二国こと43号線) 新館後方に建て替え中の消防本部が見えます。 |
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下の2つは、1968年(昭和43)の春、僕たちが5年生の1学期に、グラウンドで人文字をつくって、撮ってもらった時の写真です。これをお持ちの方も多いことでしょうね。前年度から「みどり校舎」の大移動が挙行されて、新館の東への延長として、6つの教室が増設。つづいて、この年に、さらに6教室と音楽室や理科室などの特別教室部分の増設・新築へと進んでいき、新「南校舎」が完成します。 |
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![]() 1971 アルバム
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part one : 1945-1970 part two : 建て替え前の校内散策スライド extra part : 遥かなる時間の旅 part three : 1995 INORI |