コレクション雑記帳




  コレクション雑記帳 1


【はじまりは、もはや戦後ではない頃】

小学校の頃、映画は小人30円で二本立て、日の出劇場では月光仮面を上映していました。
ピンク映画館の前を顔は正面を向いたまま、視線だけを看板に向けたまま通り過ぎ、運動会の入場行進で「頭〜右」の号令に、
一人だけ正面を向いたまま視線だけ朝礼台に向けていたのは私です。
まだ、銭湯華やかなりし頃で、大人たちは体の傷を見せ合って、「お宅はどこに行かれたんですか、えらいこってしたなぁ」と
銭湯で戦闘の話をしていました。
時々、湯船にタイル絵の富士山よろしくウンコが浮いていたのも当時ならではで、「おばちゃ〜ん、ウンコ浮いとるで〜」
「またかいな〜、すぐ取るさかいな〜」で終わり、それを知らなかった人だけが、ウンコが無かったかのように湯船につかるのでした。
おしっこなんて、きれいなもんもん。



   コレクション雑記帳 2

遊びといえば、「釘さしん」と「ビーダン」に「べったん」、「くちくほんかん」等室外ゲームばかりで、室内ゲームの「バンカース」は
お坊ちゃま限定、寒空の下鼻タレ小僧は小銭欲しさに銅線を拾って屑鉄屋さんに売っていた時代でした。
そんな頃、漫画のグラビアといえば、旧日本海軍の零戦と戦艦大和でした。
敗戦でも、漫画の世界では零戦神話は生きていて、零戦は少年のアイドルでした。
そんな訳で、自然と零戦等飛行機のプラモデルを作っては天井につるし、箱絵と模型のカタログも集めていました。



    コレクション雑記帳 3 

そんな子供が、そのまま大人になって、模型作りも凝りに凝りだし資料本がどんどん増え、読めば読む程模型よりも飛行機
そのものや当時の人達そのものに興味が移っていきました。
そして、自分の作った模型を飾る時、その横に「実機の部品があったらいいなぁ。」これがスタートでした。
でも、どうしたらそんなものが入手できるのか、まったく知らない時でした。

画像の模型は、長谷川の1/48「陸軍四式戦闘機 疾風」です。
デテールの正確さ等細かな事は判りませんが、胴体と主翼の部品の合わせに隙間が出来ない等、余計な手間が掛からず
非常に造りやすいキットです。
製作において、パテは一切使わずに済みました。
改造や修正などの手を加えない、ストレート組みです。
その下の部品は、疾風に使われていた誉発動機の本物のピストンです。
後には、陸軍の飛行手袋と飛行帽が映っています。
こんな風に、飾りたかったのです。
それが、・・・・。



    コレクション雑記帳 4

1989年、仕事でアメリカのロサンジェルスに行きました。 初めての海外、初めてのアメリカ、一緒に行く人は10年間何度もアメリカに
行っているのに外人嫌いで英語がしゃべれない上に、私ときたら関西語しか喋れない。
 さらに、一緒に来た人は、一週間で帰っていきました。 たった一人残された私の仕事相手はアメリカのアンちゃん7人で、こっちは
英語がわからんのにべらべら喋ってくるし、仕事場は荒れ果てた荒野の真っ只中じゃ襲われても月光仮面も来やしません。
 そんな訳で、荒れ果てた荒野で沈む夕日を見てはたそがれて、サンタモニカの水平線に遥かかなたの日本を思ってたそがれて、
夢の中では勝手に日本に帰ってしまい上司に謝っている自分がいたり、人生のわびしさを感じた初の海外出張でした。

画像は、アメリカの田舎のモトクロスコースです。
画像の左側から、バイクが走ってきます。
速いいライダーはモトクロッサーの125ccで、左コーナーの手前のストレートから4速全開のまま左コーナー、右コーナーと駆け抜けていきます。
その間、アクセルは一回も戻さず全開のままです。
その凄まじさは、モトクロッサーに乗ったことがある人なら判ると思います。
「アクセル全開のままコーナーを曲がっていく?」、そんなバカなと話半分で聞いていた私は、実際目の当たりにして笑ってしまいました。



    コレクション雑記帳 5

そんな出張時の唯一の楽しみが、週末の航空博物館巡りでした。 
そして、そこで感激したことは、あの太平洋の空を飛んだ零戦が、グラマンが、手で触って見れることでした。 
そして、それらが実際に飛行できるフライアブルな動態保存されていることでした。
しかも、総てが個人所有。 でかい、総てがでかい、アメリカというスケールのでかさに感激しました。
ロス郊外の片田舎にある「プレーンズofフェム」、大戦機のメッカでもあります。 
ここは、オリジナルエンジン(栄発動機)で飛ぶ零戦があるところで有名ですが、当時の飛行機の部品(計器など)も売っています。 
そこで、はじめて実機の計器を手に入れたのでした。 しかも、ひとつ2千円。
初めての感激がないぐらいのお手頃価格です。

画像の左の計器が、お手頃価格のF6Fヘルキャットの計器です。
中上の胴体は、復元中の零戦22型の後部胴体です。
この当時は、ハワイから島伝いに日本に飛来する計画があったのですが、資金面で頓挫したようです。(サンタモニカの博物館にて)
中下は、プレーンズofフェイムの入口です。
1日いても飽きません。(^^)
右上は、航空ショーで、デモフライト直前の52型。
右下は、整備中のムスタング。



    コレクション雑記帳 6

そう言えば、英語が・・・・。
英語で一番驚いたのが、「テクニシャン」。
私は、バイクの整備をしていたんですが、ライダーがいきなり「あんたは、テクニシャンか?」と聞いてきたんです。
なんじゃこいつは、昼間っからいやらしい事を聞くやつだなと思いましたが、返す言葉がわからないまま考えていたら、
いやらしいのは「テクニシャン」の使い方を過っていた日本人である自分であって、むこうは「技術者か?」と聞いていた訳です。
みなさん「テクニシャン」と言われても、決して赤面しないようにしましょうね。 
そんな、いなかっぺ荒野を行く旅でしたが、最大の収穫は、日本では発売されていないガラス付きの額縁に入っている
坂井三郎さんの書と飛行服姿の生写真でした。

しかし、坂井さんの書をアメリカで買うとは思いもよりませんでした。
それ程、アメリカの航空関係では、メジャーな人でした。



  コレクション雑記帳 7

【捨てる民ありゃ、拾うマニアあり】
さて、これからが本題ですが、その後何度か渡米しましたが、コレクションはそれ程増えたわけではありません。
終戦時、殆どが破壊された日本機の部品が、そうたやすくある訳がありません。
ところが、ひょんな事から陸軍機の部品が手に入りました。その頃、車で片道45分かけて、栃木の田舎道を通勤していました。
ある時、廃屋の横に車輪みたいなものが捨ててあり、毎日通る度に気になる存在でした。
車のタイヤにしてはタイヤが細いし、リヤカーにしてはスポークが無いアルミでホイルカバーまで付いていては、こりゃ昔の飛行機のタイヤかもと
瞼の母よろしく瞼に焼きつくほど毎日眺めていました。
そして、もしやもしやにせき立てられて思い切って車をとめてじっくり見てみると、タイヤにブリジストンのマークと高圧用の文字が見え、裏側には
ブレーキドラムがありました。



  コレクション雑記帳 8

これは間違いなく飛行機のものと判断、早速周りを見わたしこの家かと持主を探し飛び込んでお願いをしました。
結果、頼み込むまでもなく変な奴を追い払うかのように、タイヤと一緒に玄関から送り出されていました。
さて、貰っただけでは面白くありません。
タイヤを洗剤できれいに洗い、素材をいためないように錆を落とし、虫眼鏡を使ってでも、60年より遥かに短い時間で当時を
探し出します。
いや〜、これが面白いこと面白いこと。
製造年月、サイズ、軍の検印、メーカーの刻印、材料のマーク、だからこんな加工をしたのかそこからわかる技術レベルや工作過程、
さらに色眼鏡まで使えば手抜きまでわかります。
で、ただで手に入れたタイヤは、陸軍97式戦闘機の主輪で、昭和17年宮田製作所製でした。
歯車にMの字のトレードマークを見つけたときは、思わず笑ってしまいました。



  コレクション雑記帳 9

飛行機の製造工場や飛行場のあった地方には、飛行機のタイヤが畑の中に朽果てるようにたたずんでいる事がよくあります。
宇都宮は、戦中に中島飛行機の工場があり、さらに陸軍の飛行場・飛行学校があった関係で、ほとんどの陸軍機が配備されていたところです。
いまも、1式戦隼、2式複戦屠竜、4式戦疾風の主輪を、畑や材木屋、田舎の駐車場に役目を果たした姿でたたずんでいます。
みんな、戦後に荷車のタイヤに利用され60年近く経った今、タイヤより木材で出来た荷台が先に朽果てる為、タイヤだけが放置されている訳です。



  コレクション雑記帳 10

【紙物コレクション 1 本土初空襲 】
本格的に収集する前、地元の軍関係の遺跡を調べる傍ら地元の骨董屋にちょこちょこ通っていましたら1998年のある日昭和17年宇都宮師団(14師団)発行の東京初空襲時のドキュメント本「極秘 今次空襲ノ教訓ニ基ク防空監視隊指導ノ参考 」が売っていまた。
東京初空襲の本は現在でもいろんな本に書かれていますが、当時の人が当時に書いたものは見たことが無く、また当時の新聞でもない軍の内部資料でしたからこれは買うしかないと色気を見せたのが失敗でした。 この手の定価の無い商品は、色気を見せたらいけません。藁半紙で出来た本が1万円とふっかけられたもんですが、戦中の出来事として衝撃的な出来事のドキュメントだけに思い切って購入しました。
で、その内容はまさにドキュメントで、ちょっと高い買い物でしたが、まっしょうがないかと納得出来ました。



  コレクション雑記帳 11

【紙物コレクション 2 飛行場 】
紙物にも軍隊物があることが分かり、「そうだ、神田に行こう」とばかり、JR東日本で神田の古本屋通いが始まりました。
これが、すっごく面白い!! 数ある古本のお店、多くの古本の中からこれはというもの見つける楽しさは、海水浴に行ってどうしても気になる派手なお姉ちゃんを目で追っていしまう楽しさと同じで、副作用で眼底疲労を起こします。 
そんな目で見つけたものに、地形図があります。 
そこで、古い地図に記載されている飛行場の地図をご紹介します。
地図右の飛行場が、予科錬で御馴染みの霞ヶ浦海軍航空隊です。 
左の飛行場は、矢田部海軍航空隊で、この地図は昭和20年参謀本部発行の軍事秘密と書かれた地形図です。



  コレクション雑記帳 12

【紙物コレクション 3 従軍手帳 】
紙物は、紹介したものの他に、写真、ポスター等、数えれば数多くのジャンルがあって、とても数えきれるものではありませんが、
時代を感じるものとして貴重な情報を提供してくれています。
そんな中から骨董屋さんで入手した従軍手帳から都々逸を紹介しましょう。では、ツッテンシャン。

一、暁の鐘ゴンと鳴る頃三日月型の櫛が落ちてる四畳半。 
一、意見聞くときゃ頭を下げな下げりゃ意見が上を越す。 
一、二階貸しましょお望みならば下も貸しましょ方所帯。 
粋でしょう。

軍隊手帳は軍人勅諭や所属、経歴など決まった事が書かれた軍人用ですが、従軍手帳は軍人以外の従軍する人にも配布された
メモ書き手帳で全ページ白紙です。
紹介した都々逸が書かれた手帳は、船舶修理に動員された方の手帳で、船室の見取り図や木材の調達などの記載と共に、軍歌や
都々逸が書かれていました。



  コレクション雑記帳 13

【地獄への道】
さて、いよいよ軍装品のお話になる訳ですが、週一回神田の古本屋に通っていても、まだまだ軍装屋さんの敷居は高く行きづらい存在でした。
それが、本格的に通うきっかけになったのは、地元の骨董市でした。
となり町で骨董市があるというので出かけて行くと、なんと海軍の冬用飛行服がありました。
「あれば欲しいなぁ」と漠然と思っていたまだコレクターではなかった頃で、いままで見た事も無かったものが手に届くところで見つけた感激と、
本物かなぁとの戸惑いと、欲しいとの感情と、大金がいるとのせこい感情とがぐちゃぐちゃになりながらうじうじ考えていたんですが、え〜いと
清水の舞台から飛び降りたらそこは寂光土ならぬ地獄の一丁目でした。
こうして古本から軍装品に興味が移り、とうとう都内にある軍装専門店の敷居をまたいでしまったのです。
写真は、初めて買った海軍の冬用飛行服です。(下の画像は、飛行服の裏にある記名布です)



  コレクション雑記帳 14

こうして、コレクション道を歩き始めた訳ですが、どんなに貴重なものを入手しても聞かれるのはその値段だけ、挙句の果てに「そんなゴミみたいな物に・・」の決り文句。
でも、確かにその通りで、決して人には進められないコレクション道です。
何といっても、お金が必要。サラリーマンの小遣いの限界を超えます。いつかは、本物をと思っている方は、集めるものを限定しておきましょう。
それ以上は、範囲を広げない事です。私の場合、日本海軍の飛行兵・飛行機物に限定しました。 
その範囲で、これからも楽しくコレクションしていこうと思います。
究極は、本物の零戦をと思いますが、本物の零戦は2億円ぐらいするはずです。
零戦を買うには、いままでのコレクション以上に宝くじをコレクションしなければいけません。 
道を外さない様、皆さんも楽しくコレクションしてくださいね。 
これにて、コレクション雑記帳終わります。
画像の数字は、単位万円です。












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