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教会長 鈴木義雄

「ご恩」 

 本年も神様のお役に立つ生き方ができますように、また世界の人々に「和賀心(和らぎ喜ぶ心)」が芽生えて、平和へと向かいますように祈ります。

 年が明けますとすぐに、成人式があります。教会の青年部では、毎年新成人を招待して、お祝いをすることにしています。今回そのお祝いの会に、三人の成人が集まってくれました。恒例のこととして、お祝いにかけつけた十数名の人たちからはなむけの言葉が、そして新成人からは、成人になっての抱負などが語られました。
 私はその三人の言葉を聞いて、嬉しくなりました。なぜなら三人が三人そろって、親や周りの人たちへの「ご恩」を語ってくれたからです。一人は、「未熟児で生まれた自分が、いまこんな健康な体を頂いている」と、二人目は、「年末に家族みんなが風邪をひいたが、私だけはひかない。今回だけでなく、いつもそうだ」と語り、三人目の人は、「ぼくは小さいとき乳製品アレルギーだった。五歳までは食べないようにすれば治るということで、自分だけでなく、家族みんなが一緒に食べずに辛抱してくれた」と、言葉に詰まりながら話してくれたのです。
 家族の間で、信じられないような事件が続く今日、周りの人に対する「ご恩」というものを、まったく知らずに育ってしまった人が多いように思われます。「ご恩」を感じられることさえ、どうも当たり前ではないようです。それが、この三人は、「ご恩、ありがたい」と感動して話してくれました。信心のある家庭で育ったということは、本当にありがたいことだと確認することができました。

 教祖様は、「ご恩」ということについて、一つは「知れ」と教えておられます。「天の恩、地の恩、神様のご恩を知れ」と。そしてもう一つは、「忘れるな」ということです。「おかげを受けたら、ご恩を忘れてはならない」というようにです。「ご恩」ということについてのご理解は約五十節あるのですが、そのほとんどが「知れ」、「忘れるな」ばかりです。そして、ご恩返しについては、「ご恩返しは死んでからせよ」と教えておられるだけです。これは私も意外でした。
 思うにこれは、受けたご恩を受けた相手にお返しするだけ、という小さなことでは、本当の意味でのご恩返しにならないということでしょう。ご恩を知り、忘れずにいて、そのご恩を別の相手に対してお返しする。それが本当のご恩返しになる、ということではないでしょうか。ご恩は、広がりを持っていかなくてはならないのです。

教会月報「あつた」2007.1