はじめまして


「……面を上げよ」
 帝の玉音が御殿に響いた。
 一目で異民族と分かる、貫頭衣姿の一行が、ゆっくりと顔を上げる。
(ようやく大任を果たせる)
 帝に呼ばれた、異民族の代表───難升米(なしめ)は安堵した。
 荒海を越え、帯方郡に辿り着き、そこで起きていた内乱を避けながら都に上ったものの、帝の病で禁中への参内が延び延びになっていたのだ。
「帝の御龍顔を拝し、恐悦至極に存じます。それがし、大使の難升米と申します」
『……』
「遠路より大儀であった……」
『……』
 通詞役の男が、難升米の言葉を帝に説明し、帝の労いの言葉を倭の言葉に訳す。
(あれが……魏の帝なのか?)
 難升米はもちろん、使節団の一行───“貢ぎ物”の奴婢(ぬひ)たちも含め───も帝に拝謁するのはこれが初めてだが、御簾の向こう側から聞こえる玉音には、およそ張りが感じられなかった。
 確か、我らの王と歳はそう違わないはずだが……難升米の脳裏に不安が過ぎる。
「臣下の礼を……取りに来たそうだが」
「倭の安寧のため、是非とも後ろ盾になって頂きたく」
「……そちらの王が女王というのは、真か?」
「はっ」
「……聞かせてくれぬか。そちらの国のことを」
「陛下?!」
 侍従らがどよめく。唯一無二の存在である皇帝が、儒も字も知らぬ夷(えびす)のこと知りたいなど、彼らの常識から逸脱していた。
 これらに帝は片手を上げ、抑えた。
「始めてくれ」
「えー…まず、我らの国がある地は……」
 難升米は時には手振りを交え、髻(みずら)を揺らしながら、自分たちが知っていることを説明した。
 難升米の説明を聞き終えた帝は、微かに口を動かした。
「……」
 魏の言葉だったので意味は分からなかったが、帝の顔は、どこか悲しげだった。

 帝の崩御が発せられたのは、それから一月後であった。

 帰路に着く前夜、難升米は通詞の男に聞いてみた。
 あの参内から、どうしても気になることがあった。
「あの時、先帝はなんと?」
 男は迷っているようだったが、帯方郡からずっと行動を共にして親しみが生まれたのだろう。話すことにした。
「それは……」

『そちらの国だったら……母上も死なずに済んだやもしれぬな……』

「オモ(母)様が? しかし先帝のオモ様は病で亡くなられたのでは?」
「文徳皇后のことか? 一応、崩じられたことになっているがな……あの方は継母だ」
「継母?」
「己が皇后にならんために、文帝様にあることないこと吹き込んで、帝のご生母……文昭皇后様が死を賜るよう仕向けたという、もっぱらの噂だ。文帝様の方も、文徳皇后を立てたいがために文昭皇后様を廃す機会を伺っていたとも言われている……。真相はともかく、先帝が文帝と文徳皇后を恨んでいたのは間違いないだろう。密かに文徳皇后を手討ちされたという話も聞く」
 あくまで『噂』の範疇だが、と付け加えたが、男の話しぶりからいうと、彼は帝の仇討ちを信じているようだった。
「そんなことが……」
 漢が滅び、並び立った三国の趨勢に注意していたつもりだったが、皇家の内情までは考えが巡らなかった。
「国を治めるのが女であれば、父の心変わりで母が殺されることもないと思ったのかもしれん」
「女の王だから、色香に惑わさぬとは言い切れませんが……」
 倭とて、王位を巡っての権謀術数がなかったわけではない。今の女王が立つまで、多くの血が流されてきた。それらの犠牲を払った今でも、一枚岩ではないのだ。

『そちらの国だったら……』

 しかし、父帝が母を殺し、それに共謀した(かもしれない)女を母と呼ばねばならなかった帝と比べたら、我らはまだ……。あの時、帝は玉座で我らの国をどう思ったのだろう。
 初の朝貢が成功したことより、そのことの方が気になって、難升米はしばらく寝付けなかった。

 魏志東夷伝・倭人条によると、景初二年(238年)に邪馬台国の女王・卑弥呼の使者が明帝・叡に朝貢し、明帝は卑弥呼に『親魏倭王』の称号を与えたといわれている。


 ついに手を出してしまった、50のお題(^_^;)。そのトップバッターは、いきなり変化球の邪馬台国ネタです。
 陳寿がまとめた“正史”三国志は、日本のことが記録されている“最古の”書物でもあります(注:後漢の光武帝が奴国王に金印を贈ったことが書かれている、後漢書の成立は、正史の約1世紀半後)。その一部に、所在地が古代日本史最大の謎な邪馬台国のことも書かれています。ある意味、魏志東夷伝・倭人条(通称『魏志倭人伝』)は日本人が“初めて触れる”三国志かもしれません(^^)。
 実を言えば、倭の使者が魏帝に会ったのは、翌年の景初三年(239年)説が有力です。そうなると、日本人に会った魏帝は景初三年正月没の曹叡(明帝)ではなく、曹芳なんですが……ここは敢えて今までの説で書きました(^_^;)。
 それと、難升米(と、通詞の男)は、曹叡が言った『母上』を文昭皇后=甄氏だと思ったようですが……実はそうでなかったり(え!?)種明かしは、いずれ別の話で(^_^;)

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