「どうだった? お前の見立ては」
「残念ながら、あのお部屋様で子は望めぬかと……」
「そうか……ご苦労だった」
医者を下がらせると、曹操は家令に言った。
「郭姫を呼べ」
野心
「郭姨!」
お気に入りの侍婢を見つけた幼子が、木片を持って駆け寄る。
「どうだ? 綺麗に書けておろう」
年の割にはきれいな字が書かれた木片を自慢げに見せる幼子の姿に、侍婢───燎は目を細めた。
「お上手に書けましたね」
幼子の名は、叡。燎の主・曹操の孫である。
「そうか。今度池遊び行く時、お前もつれていくよう、お祖父様に頼んでやるからな」
「それは嬉しゅうございます」
そんな中、二人に声をかける男が。
「阿叡、ここにいたか」
「あ、父上……」
男の正体は曹丕───曹操の息子で、叡の父親であった。
燎は、裾が汚れるのも厭わず地面に跪いた。
侍婢の身で、主人の息子───しかも嫡子───を直目で見ることは許されない。
叡はというと、曹丕を避けるように、燎の後ろへと回っている。
いくら父親とはいえ、いつでも会えるわけではないせいか、愛慕より畏怖の感情が先に立つのかもしれない。
「父上がお呼びだ」
それだけを息子に伝え、曹丕は踵を返……そうとした。
「……阿叡付きの侍婢か」
平伏したままだった燎に声を掛ける。
「郭と申します。旦那様から若様のお世話をするよう、仰せ付かりました」
「そうか」
短くそう言うと、曹丕は今度こそその場から離れた。
(郭……郭姫か)
確か、銅鞮候から『献上された』父の妾が、そんな姓だった気がする。
それが何故、侍婢の仕事を?
特別美人というわけではない。だが、遠目で盗み見た彼女の目の光が、気になって仕方がなかった。
数日後、
「わざわざ名指しでのお呼び出しとは……」
庭の東屋に、燎と曹丕の姿があった。
「もし、誰かに見られでもしたら、郎将の将来に瑕が」
燎は、ここでも曹丕を見ようとはしない。
「呼び出しに応じたと言うことは、満更でもあるまい」
「……」
「どうして阿叡の子守をしている?」
「私が子を為せぬ体だからでしょう」
袖で顔を隠したまま、燎は言った。
覇者たる男の世継ぎを産む───それは、中華の女なら一度は夢見ること。天涯孤独に近い身の上の燎は、幸運にも曹操の目に止まり、その夢を叶える権利を得たはずだった。
ところが、彼女を待っていたのは、誰の子も産めないとの宣告。中華の女として『役立たず』の烙印を押されたのも同義だった。
だが、彼女は『女の覇道』を諦めたわけではなかった。
「お前、このまま叡の侍婢で一生を終えるつもりか?」
「……」
『漢はもうおしまいだ。阿璞……お前は、新たな国の……女の王となれ』
燎は答えない。否、無言で答えた。
『まさか』
袖を下ろし、曹丕を見つめる両眼は、そう言っていた。
「だろうな。叡付きになったのは、私に近付く為か」
「曹家に伝手のない私にとって、それが一番の近道でした」
忌憚なく答える燎。
権力者の子である曹丕にとって、綺麗な女、媚を売ってくる女、野心高い女は珍しくない。
だが、目の前の彼女は、今までの女とは何かが違う。
(この女……もしかしたら、私と同じ物を見ているのか?)
そう感じ取った曹丕は、彼女に誘いを掛けた。
「這い上がる気があるなら、私の元へ来い。婢妾の一人くらい、どうにでもなる」
「年増の、しかも石女(うまずめ)を入れて、貴方様の利になるとは、俄に信じられません」
「ちょっと待て。今、年増と言ったな……幾つなんだ?」
「確か、貴方様より三つ上かと」
「……」
見た目で四、五歳下から(どんなに高く見積もっても)同い歳くらいと思っていた曹丕は、軽い衝撃を受けた。だが、それを顔に出すことはない。
「子を産む女なら足りている。だが、国に立つ女はそういるものではない」
「国……」
瞬間、燎は理解した。
許都に帝がいるにも関わらず、実際に国を動かしているのは魏公・曹操とその家臣たちであり、政の大半が行われているのは、この鄴───曹家の本拠地だ。『禅譲』の名を借りた帝位簒奪の声もぽつぽつ上がっているが、それは無視している。どうやら、曹操本人は玉座に座る気はないらしい。
だが、この嫡子は違う。劉家に取って代わり、曹家の王朝を作るつもりだ。
(この男なら、もしや───)
袖で隠した唇が、笑みを形作る。だが、手放しで喜ぶわけにはいかない。
「ですが、貴方様には……」
燎の言葉は、曹丕の正妻・甄洛のことを含んでいた。
甄家の出身で、曹操に敗れた袁紹の次男・袁煕の妻だった女。彼女もまた、曹丕より年上だが、その容姿は未だ並の娘では太刀打ちできぬという。しかも彼女が生んだ叡は、曹丕の長男だ。
「確かに、あれは内をよく纏めてくれている。だが───」
『あれの心は、私に向いていない』
彼にとって認めたくないことだった。
そのことを口中で打ち消すと、曹丕は燎に冷たい笑みを見せた。
「郭姫よ、お前に違う景色を見せてやろう」
郭姫の『下賜』はすんなり済んだ。
わざわざ年上の石女を選ぶとは、なんて酔狂なと、思われているかもしれないが、二人にはどうでもいいことだ。
「愛妾に溺れて身を滅ぼしたと、史書に書かれるかもしれませんよ」
新しい『夫』の傍らに侍る燎の瞳は、あの時と同じように強く、微かに毒を秘めた光を放っていた。
「自分が死んだ後で、何を書かれようが構わん」
愛情より野心で結び付いた仲なのは、互いに承知している。どうせ史書に残るのなら、誰にも真似できない夫婦になってやる。
「ところで、字はあるのか?」
こくっと、頷く。
「女の王と書いて『女王』……。私が生まれた時、『この子は女の王だ』と、父が付けたそうです」
「女の王……大きく出たな」
燎の腰を抱き寄せながら、曹丕は一言付け加えた。
「だが、お前にはふさわしい」
以上、割れ鍋に綴じ蓋極悪カップル誕生の話でした!(;^_^A
作者的には『×』より『&』の組み合わせなんですが。この時点では。
(一応)正史の文徳郭皇后伝は参考に読みましたが、「太祖(曹操)が魏公の時にスカウトして、東宮に入れた」から「曹操が自分の妾を息子に“下げ渡した”」なんて飛躍、フィクションとはいえ暴走しすぎかも……幼名まで作っちゃったし(でも、かの『蒼天航路』で曹丕らの母・卞玲瓏が董卓の元愛人(!)だったりするし、性転換(爆)しちゃっている作品もあるから……ねえ?(^_^;)。
ついでに郭燎の幼名(阿璞)は「あはく」と読みます。「璞」は「まだ磨かれていない玉」とか「自然(生来)のままで飾り気のないさま」という意味がありますが、どちらかといえば前者のイメージ。幼名ネタは、別の話(明帝紀の注に、使えそうなネタがあったので)にも使おうかと思案中です。
素材元:篝火幻燈