「…………」
 盤を挟んで、男女が対峙していた。
 仲睦まじくは微塵もない。そもそも二人は、夫婦でも恋人でも友人でもない。
 男は司馬懿、字は仲達。魏帝・曹丕の『四友』にも選ばれた、重臣中の重臣。
 女は郭燎、字は女王。司馬懿の主君である曹丕の皇后だった。
 二人は弾棊(だんぎ)───今でいう、おはじき遊びの一種───の真っ最中であった。
(よりによって、こいつと弾棊とは)

戦禍

 久しぶりの休日に、内々で相談したいことがあると呼び出され、司馬懿が内裏に入ると、燎に出会った。
「皇后様にはご機嫌麗しく……」
「これはこれは司馬将軍。何か急の用ですか?」
「陛下に呼ばれまして」
「それは奇遇ですね。私も帝に呼ばれたのですよ」
「わざわざ後宮から出てくるとは、ご苦労なことです」
 表面では畏まっているが、司馬懿は燎が好きではなかった。
 元は曹丕の側室だった彼女が、その寵を利用して正妻の甄氏を死に追いやったとの噂があった。その噂を証明するかのように、曹丕は子のない燎を皇后に立てた。
 曹丕が数多の反対を押し切って立后しただけあって、頭が切れ、政治的勘も鋭い。だが───司馬懿が最も気に入らない点は、他にあった。
(女の王と書いて『女王』とは、大それた字を使いよって!)
 『それを言うなら、孫権の娘たちは?』などと凡愚な著者は思ったりするのだが、それでも一応主君の妻なので、彼女を立てるしかない。
 燎は燎で、夫の一の腹心である司馬懿に嫉妬していたし、彼の身体的特徴に関する噂に恐怖していた。
(なんでも首だけで真後ろを向くというじゃないの。そんな妖怪人間を近付けてたまるもんですか!)
 とはいえ、相手は夫が全幅の信頼を寄せている男。そもそも夫は閨での讒言を聞き入れるような小人ではない。
「帝が来るまで、暫し掛かりそうですね……どうです? ひとつ弾棊でも」
「よろしいですな」

 皇后付きの宦官が道具を持ってきた。
 皇后の所持品だけあって、道具も特別誂えだった。貴石で作られた盤に瑠璃(ガラス)製の碁石を並べていく。
「将軍は黒でよろしいか?」
「是」
 持ち石は六つ。自分の持ち石が尽きる前に、相手の石を全部盤から出せば勝ちだ。
 盤の中心は少し盛り上がっており、その分弾き方が難しくなっている。
「では、先にどうぞ」
「いきますぞ」
 先攻の司馬懿が黒石を弾き、『合戦』が始まった。
 弾いた石は見事白石に当たるが、盤外にはわずかに届かない。
「こうするのですよ」
 燎の弾いた石は、黒石を二つまとめて外に弾き飛ばした。
「むぅ……皇后様もなかなかやりますな」
「それほどでも」
 司馬懿の方も白石を弾き出すのだが、士丈夫の彼より、曹丕に手解きを受ける機会の多い燎に、一日の長がある。
「残り少なくなりましたね」
(全く……頭の切れる女は、うちの春華だけで充分だ)
 『自慢』の恐妻を思い浮かべながら、司馬懿は毒気ついた。
 こういう時に限って、加減を誤る。目一杯弾いた黒石は、どこにも当たらず盤の外へ。
 盤上に残る黒石は、一つだけ。万事休す!
「これで決まりですね」
「……まだ分かりませぬぞ」
 勝利を確信し、盤頂を挟んだ形である二つの白石の一つを弾く燎。
 ところが、頂に当たった分、動きが逸れ、白石は黒石の横をすり抜け、盤外へと出てしまった。
 これで残り一つずつ。
「くっ……」
(もらった!)
 司馬懿が放った黒石は、白石を弾き飛ばし───自分も盤の外に出た。
「「…………」」

「お前たち、何を……!?」
 おどろ恐ろしい気を放ちながら勝負を続ける二人を見て、曹丕は続く言葉を飲み込んだ。
「陛下、対戦中ですので今暫くお待ちを」
「あなた、すぐに終わらせますゆえ」
「…………(いかん。ここにいては巻き込まれる!)」
 弟の植から来た手紙の返事をどうするか相談しようと思っていたが、それどころではない雰囲気だ。
「……長文に相談するか」
 摺り足で戦禍から逃れる曹丕であった。


 長文…『四友』の1人で、九品官人法を制定した陳羣(ちんぐん)の字。
 春華…司馬懿の正妻・宣穆張皇后の名。
 孫権の娘たち…ここでは歩夫人との間に生まれた、魯班・魯育姉妹のこと。それぞれ字は「大虎」「小虎」(!)。

 えー、『戦禍』にも色々あるといいますか、曹丕絡みの三角関係(笑)を書きたかったといいますか(^_^;)。大嘘もいいとこです。
 この当時、僅かな例外を除いて女性は徹底的な「物」扱い。富家だと身内以外の男性には見せないのが常識。だから、曹丕や夏侯惇が宴席で奥さんを出した(夏侯惇の方は未遂ですが)『非常識』が記録に残るわけで。名士、しかもちゃんとした儒教教育を受けたであろう司馬懿が上司の奥さんとおはじきなんでやるわけない(^_^;)。
 まあ、曹丕がやはり『四友』の1人だった呉質に「お前は郭后の顔を見てもいいぞ」と言ったという話もありますので、『直に』対面した可能性は(ちょっとは)あるんじゃ……と、21世紀の作者は言ってみたり。

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