『俺と僕で何?』
第六話 レイ、心の向こうに(後編)
綾波が住んでいたマンモス団地のあの部屋に向っている。
綾波は少し俯き加減だが黙って俺に着いて来る。
学校からの帰り道に綾波と話していてわかったことがある。もちろんわからなかったこともある。
綾波は自分自身についてよくわかっていない。
自分自身の気持ち、意思、心といったものをわかっていないし、また、わかろうとしていない。否、わかろうとか疑問に思うとかいう精神構造そのものが出来上がっていないんだと思う。
知識として知ってはいても、それを自分自身や他人に対して具体的に認識していない。
綾波に接するときには、綾波のこの状況を念頭に置くことが大切だと思った。
だがその一方で、綾波にも自分の状況を認識してもらう必要があると思ったことも確かだ。二人の共通認識として共有しなおかなければいけない・・・。
そして今、綾波が住んでいたマンモス団地のあの部屋に向っている。
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学校からの帰り道、綾波と話したこと。
「綾波。クラスのみんなからの質問に俺の一存で勝手に答えちゃったけど気にしてない?」
「わたしが何を気にするの?」
「いや、綾波に何も相談しないで答えちゃったからさぁ」
「別に気にしてないわ。質問されたのは碇君だもの。碇君が答えるのは当然のこと。何もわたしに相談する必要はない」
「それは理屈ではそうなんだけど・・・。俺は綾波を無視したことで綾波が嫌な気持ちになったんじゃないかと思ったんだよ」
「嫌な気持ち?どんな気持ち?」
「うーーーん。たとえば・・・むかつくとか、生意気とか、身勝手なとか、かな?」
「よくわからないわ 」
「俺もわかんないよ、綾波の気持ちなんだからさ」
「わたしは碇君が良いと思ってしたことには嫌な気持ちにはならないと思う」
「じゃあ、誰だったら嫌なんだい?」
「わからない。嫌になったことないもの・・・」
「綾波ってさ、クラスのみんなと話すことあるの?」
「あるわ」
「えっと、俺の言ってるのは世間話とか他愛もない話のことだよ」
「ない、と思う。必要ないもの」
「今日の昼、俺が弁当を屋上で食べたいって言ったよね。で、綾波も付き合ってくれたじゃないか。どうして着いて来てくれたの?」
「碇君がそうしたいって言ったから」
「じゃあ、俺が何か綾波に頼んだら何でもしてくれるの?」
「・・・」
「綾波。じゃあ今から綾波が案内してくれた、綾波がリツコさんのところに来るまで住んでいた、あのマンモス団地の部屋に行こう。着いて来てくれるね」
綾波は少し考える素振りを見せたが、直にコクンと頷いた。
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「綾波。着いたよ」
「・・・」
「取り敢えず中に入ろう」
「・・・」
中に入ったが特に変化はない。
一昨日来た時は女の子の部屋ということもあってじっくりとは観察していなかった。が、今日は違う。部屋に上がる。
「綾波はここに一年ちょっと住んでいたんだよね。その間誰か訪ねて来たかい?」
「いいえ。最初の日にリツコさんに案内されてから誰も来ていないわ。だから碇君が二人目」
「引越し前と今と部屋の感じや家具類は変わっているのかな?」
「いいえ。変わっていない。この部屋から持ち出したものは着る物や学校の物だけ。他にはほとんどない」
綾波、ちょっと伏し目がちだ。それに、最初の頃と比べると随分と喋る様になったな。
これなら大丈夫かも知れない・・・。
よくよく見ると寂しいなんてものじゃない。
部屋の作りは1LK。リビングは寝室兼用で、置いてある物はベッド、チェスト、椅子、背の低い収納用ボックスとキッチンとは別に小振りの冷蔵庫だけだ。机もない・・・。
ベランダには洗濯機、窓に架かっているカーテンは黒いビニールだ。多分工事中に取り敢えず使われていたものをそのまま使っていたのだろう。
ここは綾波や住んでいた時とほとんど同じ状態なのだ。
「綾波。綾波はここに住んでいたんだよ」
「・・・」
綾波は無言で部屋の中を見つめている。
「今またここに住め、と言われたら、綾波はどうするんだろう?」
「・・・命令があればそうするわ」
綾波の表情は変わらない。
「命令じゃなくて、例えば、リツコさんも俺もいなくなってあの家も無くなって、ここに綾波一人で戻らなくちゃいけなくなったとしたら・・・、綾波はどうする」
「・・・よくわからない。碇君はわたしに何を望むの?」
「綾波にここに戻ってもらいたい。それが俺の希望だ」
「!」
息を呑む様子が手に取るようにわかった。
そして綾波は無表情になった・・・。
「それじゃ、さよなら。綾波・・・」
俺は後ろを振り返らずにドアに向う。綾波は何もしゃべらないし、動く気配もない。
ドアを閉める・・・駄目か・・・。
・・・。
「パーーーーーン!」
と俺の目の前が破裂する。
「?」
「シンジ君!やり過ぎよっ!」
「リツコさん・・・。なんでここに?」
俺の質問を無視してリツコさんは部屋に駆け込む。
俺も後に続く・・・。
・・・。
綾波は俺が出て行った時と寸分違わぬ状態のまま立ち尽くしている。
リツコさんにも俺にも気が付いた素振りを見せない。
「レイ・・・」
「・・・」
「レイ。誰も本当にここに住んで欲しいなんて思ってない。住めなんていいやしない。誰がなんと言おうとレイは私と一緒に住むのよ。それは私の希望なの。たとえあなたが嫌だと言ってもね 」
綾波が顔を上げる。
!
綾波は・・・、無表情だ。それとも?
「綾波・・・ごめん」
綾波の目から一滴の涙が落ちる。
「ごめん。本気じゃあ無かったんだ。綾波の気持ちを試したんだ、俺は。最低だ!綾波の気持ちがわからなかったのは綾波じゃない!この俺だ・・・」
綾波の表情が崩れ始めると同時に、リツコさんが堪らずに綾波に駆け寄り抱きしめた。
綾波はただ呆然として涙を流し続けている。
そして俺自身は自責の念と自分自身に対する軽蔑とに押し潰されそうな思いだ。
「もういいの、碇君。碇君の想いはわかった。わたしにこの気持ちを気付かせてくれた」
「・・・」
「リツコさん。綾波に質問していいですか?」
「ええ。いいわ」
「綾波。一つ聞かせてくれ。俺が出て行った時の綾波の気持ちを聞かせてくれないか」
「・・・胸が痛い、ような感じがした。出て行って欲しくない、一人にしないでって思っていた。この気持ち・・・これは何?」
「・・・寂しい、悲しい、切ない。そういう気持ちかも知れないね」
「寂しい・・・寂しかったのね、わたし」
「そう、そういう気持ちなんだよ、多分。そして、それが綾波の気持ちなんだ。その気持ちは大事にしなきゃいけないものだと思う。我慢することは出来るかもしれない。でもその気持ちを他人にぶつけることも必要な場合だってあるんだ。特に家族に対してはぶつけていい。むしろぶつけて欲しいと思っているんだ。」
「・・・」
綾波がまた俯いている。
「レイ。レイの家族はシンジ君とわたしよ。それは間違いのないこと。信じていいわ」
「うん・・・」
「シンジ君はちょっとやり過ぎたところはあるけど、レイの事を思ってしたことなのよ。そのことはわかってあげてね」
「大丈夫です、リツコさん。碇君、ありがとう」
不覚にも俺の目からは涙が流れていた。それはリツコさんも同様だった・・・。
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