第55回記念別府大分毎日マラソン完走記

別府大分毎日マラソン日本陸上競技連盟公認コース
2006/2/5(日)

23km地点で前の集団を追いかけているところ。


・標準記録突破

 2005年3月、東京荒川市民マラソンにおいて念願だった別府大分毎日マラソン(以下「別大」)の出場標準記録となる2時間40分切りを果たした後、もう次は別大しかない!!と思い、フルマラソンレースは一切走らず別大1本と決めて練習を再開した。
 そもそも5年前の第50回記念大会の別大の際、まだ2時間40分をクリアしていなかったが参加標準記録が3時間まで広がり出場を果たしたものの、直前にインフルエンザを患ったため当日体調不良で、25km関門を閉鎖8秒前に通過した後、35km関門で制限時間オーバーによる失格で完走できなかった。
 その時以来、悔しくて悔しくて思い出すたびに涙が出てくるほどだった。
 5年前の無念を晴らすためのスタートラインにようやく立てるという嬉しさの反面、悪夢の35km関門の閉鎖時間がスタート後2時間11分という厳しさに、同じ失敗を2度繰り返さないために身の引き締まる思いだった。
 35km関門の前に25kmの関門が1時間33分で、これは5km平均18分36秒以内で走り続けなくてはならない。
 その後、35kmまでは5km19分ペース以内ということになり、自己記録の際の通過記録で25kmで1分、35kmで20秒足りないので、現状の実力ではかなり前半から突っ込んだレースをしなくてはならない。
 できることであれば関門は余力を持って通過したいので、実力を底上げできるよう別大までの10ヶ月でワンランクアップして、荒川で出した自己記録を更新して完走できるようしっかり練習に打ち込もうと決意した。
 そして、別大の完走をもって実に25年間に渡る陸上競技生活の一つの大きな区切りとし、その後に競技を続けるかどうかを終わった時点で考えよう、もしかしたらこれで競技マラソンとしてはラストランになるかも、という気持ちで望むことにした。


・練習開始!!

 まずは荒川マラソンの疲労を抜いた後、夏まではスピードの強化に取り組み、5km〜10kmの絶対スピードを引き上げることで、マラソンレースのペースに余裕を持たせ結果的に記録を引き上げるのが狙い。
 荒川の直前に調整の一環で出場した鴻巣パンジーマラソンの5kmで4年ぶりの17分カットを果たしていたので、5kmで16分30〜40秒程度を記録したいと思って練習した。
 しかし、5月にトラック5000mで16分50秒6を記録したのが最高で、その後、日体大では17分00秒03、そして6月下旬には体調不良でレースを途中で棄権という事態に陥り、思ったようにはスピード強化は図れなかった。
 7月からは走り込み開始!まずは体調を回復させる必要があったのでスピード練習は一切行わない。その代わりにLSD中心の練習で脚造りをコツコツと始める。
 この時期から始めると秋〜冬にもフルマラソンが走れそうなくらいの期間なので、別大の大会当日の2月まで余裕を持ってじっくり練習することを心がけて走り込み開始。
 以前から夏場の走り込みでお世話になっている霧ヶ峰に夏の間に何度も通って、標高が高く涼しい場所での走り込みをふんだんに行い、徐々に身体を造り上げていく。
 そんな中、8月26日には全日本マスターズ陸上競技選手権が大阪で開催され、35歳代の3000mSCで2連覇中ということで出場したが、走り込み期でスピード不足で三連覇はならなかったが、5年前に記録した自己記録を100分の1秒更新して2位に入り、その2日後の富士吉田火祭りロードレース20kmでも、自己のコースレコードを更新することができ、確実に身体が出来てきている実感を掴むことができた。


・練習経過

 夏場の走り込みで脚造りを終えて、秋からは徐々に練習のスピードを上げて身体造りの第二段階へと突入する。
 昨年10月の練習の失敗を教訓に、まず、疲労を抜くことから始まり、練習ペースもあまり無理せずできる範囲で最大限余裕を持った速いペースで行うように心がけたが、やはり疲労が残ったのか、スピードチェックで出場した高島平ロードレースではイマイチ記録が出せなかった。
 11月は職場の部署対抗の駅伝大会のための練習期間となり、一時的ではあるが超スピード練習をチームとして行わなくてはならなくて、昨年のように体調を崩して選手にも漏れるということがないよう、また、マラソンの持久力が無くなってしまわないよう、上手く練習をこなしながら今回はみごと駅伝の選手としても選ばれてチームとして襷をかけて走ることができた。
 そして12月、駅伝大会も終わり再度プチ走り込みで修復期間を経て、最後の仕上げのミドル〜レースペース走へと移行。
 ところがこの練習のペースが駅伝大会向けのスピード練習の影響からか、いずれもやや速いペースで行ってしまうことに。
 結果として疲労が抜け切らない状態になってしまい、1月に入ってからすぐに風邪をひき、治って慌てて練習を開始したところ、直前1週間でまた風邪をひいてしまった。
 ここでの風邪は致命傷!正直なところ、一時は完走ができるかどうか全く自信が無かったが、今回も記念大会になり参加標準と関門が広がったおかげで、体調さえ戻せば完走はできるだろう、と思い必死で風邪を治すことに専念し、最後の調整練習ができなかったがなんとかレースに間に合わすことができた。


・別府にて...

 前日の昼の飛行機で大分入り。すでに羽田で別大に出場するであろうジャージ姿の方々を多数見かけて、更に練習仲間にも数人会う。嫌がおうにもだんだん緊張感が高まる。
 飛行機は風が強くてちょっと揺れたが問題なく到着。貨物室預けの荷物にトラブルがあった時のために、レース用シューズと必要な小物は預けず手荷物で機内持ち込んでいたが、荷物も無事到着。
 空港のレストランでちょっと遅めの昼食を食べてバスで市内へ移動。観光港で下車してホテルまで歩いて到着後、同じ飛行機で移動して同宿の柴田さん(eA東京)と一緒にタクシーで受付会場のビーコンプラザへ移動。
 受付は前日のみと厳しいものだが、逆に当日は気楽に過ごせる。受付終了後、同じ所属のe-Athletesのメンバー多数と共にヘッドコーチの鈴木コーチを待ちながら明日のレースに関しての思い思いを話し合い、仲間というものはこういう時ほど心強いもので、全員で完走を誓ってお互いの健闘を祈った。
 その後、別府駅までの道すがら散歩しながらテクテク歩き、喫茶店でケーキを食べてお茶を飲みながら明日のレースのイメージをしっかり描いて、しかし、気持ちは静めながらゆったりと過ごした。
 また、余計なことを気にしないで済むように、駅前でお土産を大量に買って仕事場に送ってしまい、ホテルの送迎バスでホテルに戻り、温泉に浸かって身体をほぐし、ホテルのレストランで食事をして、レースの準備を手早くして早めに就寝した。

 睡眠はぐっすり眠ることができて完璧!朝食はバイキングなので、パン、スクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、ヨーグルト、コーヒーを摂る。クロワッサンが美味しかったのでおかわりをする。
 タクシーで別府駅へ移動して、そこから大会本部の送迎バスで直接スタート地点の大分市営陸上競技場へ。
 途中、ほとんどコースを通るのでしっかりポイントを確認し、悪夢の35km地点を見たときには、今回はここからが勝負!と静かに闘志を沸かせる。
 競技場にはスタート3時間前に到着。選手控え室内に仲間の分の場所取りをして待つことに。
 雰囲気は市民レースと違い、全く華やかさが無く今から大レースが始まるとは思えないくらい静かに、反面、選手控え室はごった返した中に異常な緊張感がピーンと張り詰めた感じ。
 心配した風も前日よりは弱まり天気も良く絶好のコンディション(に見えた)。
 とにかく無茶したり姑息な戦術を練ったりせず、今出来ることだけを精一杯やって走って、笑顔でゴールできるよう頑張ろう!!と思い、上下黄色のユニフォームにサングラス、アームウォーマーをつけて所定のスタート位置にスタンバイ。

12時00分、号砲と共に自分との戦いの火蓋がきられた。


・レース経過

 スタート直後、前方の選手(あとで仲間の武市さんだったことを知る)が転倒し、選手が将棋倒しのように次々と転倒。あわや自分も巻き込まれる寸前だったが、一先ず落ち着いてスタートをすることができた。
 周囲のペースが速くなることは承知していたので、抜かせるだけ抜かせて自分は超余裕のマイペースを心がけるものの、1kmの入りがロスを込みで3分50秒と予定より速い。
 とにかく無理せず周囲が落ち着くまで自分のペースでどんどん抜かさせて行こうと思って走っていると、荒川での戦友のかっつんが自分のすぐ後ろに着くが、すぐに自分と同じユニフォームの仲間と思わしき選手に着いて前に行ってしまう。
 折り返して5kmを通過すると19分01秒。ペースは予想より速いがこれ以上は落とす必要はないペース。ここからエンジン始動とばかりに集団に入り込み、ペースを維持していく。

 10kmは競技場のすぐ近くの舞鶴橋の上、必ず帰ってきて笑顔でこの橋を渡ろう、と思いながら38分04秒、ほぼ5km19分のイーブンペースで通過。
 橋を渡りきった後の少しの下り坂で自然と集団から前に出てしまうと、すぐ後ろにe-Athletesの仲間の平野さん(岐阜陸協)がついて来るが、調子が良さそうですぐに自分より前に出てきたので、逆にしばらくついて走らせてもらうことにした。
 別大の別大らしいコースの特徴の海沿いの平坦な道路に出ると、更に平野さんのスピードが上がり、ややキツくなってきたが、前後に集団がいなくなってしまったので、ここで離れると風の影響を受けて更にキツくなると思い、やや踏ん張り気味でついて行ったが、まだまだ前半ににも関わらず、少々脚に疲労が出始める感じがしてヤバいなぁと思うようになってきた。

 15kmは57分03秒で、ここも5km19分のペースで進む。と、この時、沿道のノボリ旗をチラッと見たら、自分の進む方向に旗がなびいているのが分かった。
「しまった追い風だ!」
 通常、このコースは前半は向い風、後半追い風が吹くコースなのだが、今日は逆向きで前半が追い風になっていることに始めて気付いた。
 もうどうすることもできないので、開き直って平野さんについて、なるべく力を温存するように心がけて、後半の向い風に備えて走り続けるように気持ちを切り替えようと思った。

 中間点を1時間20分12秒で通過。2倍にしても2時間40分は切れないペースだが、なるべくこのイーブンで行きたいと思う。
 ここから別府の市街地に入り応援も増えてくる。今回は応援してくれる仲間もいて、更に家族も別府で応援してくれる。応援がいるというのはなんとも心強く、しっかり走ろうと思って元気が沸いてくる。

 25kmを1時間34分53秒で通過、ややペースが上がり前方の集団を捕らえた。しかし、ここで折り返すと、予想以上の向い風が厳しく身体に吹き付けてきた。
「やっぱり来たか!」
と思ったが、これに怯んではいけない!すでに身体に疲労が出ていたものの、リズムを守りフォームを整え必死でペースを落とさないように向い風に挑んだ。
 向い風に押し戻されて失速する選手が出てきて、ここまで一緒に走ってきた平野さんも折り返してからは後方に離れてしまったが、自分の方は順位が上がり始めた。
 しかし前半に温存して備えていた選手が後方から上がって抜き去っていくので、なるべくついて行くようにするが、すでに身体がキツくなっていてついていけない。
 だいぶ前半で消耗したなぁ、と思いつつ30kmを1時間53分55秒で通過、なんとか5km19分ペースを死守する。
 そしてここからが最大の難関の海沿いの道で、風もキツくなってくる。自分のスタートは35kmからだ、と思いながら落ち込みを最小限に留めようと必死で向い風と格闘しながら進む。

 すると33km、右のハムストが痙攣!
 ヤバイ!と思った次の瞬間には左のハムストも痙攣!
 その場に立ち止まってしまって、うずくまりそうになったが、今までの苦しい練習や、前回の関門で止められた悔しさや、何よりも応援してくれた仲間・家族・職場の方々の声が瞬く間に頭の中を駆け巡り、
 こんなところで止まってたまるか!
と思って、見ている人が何事かとビックリするほど拳でハムスト、腰、臀部を左右とも激しく殴りつけて刺激を与えて、激痛を堪えながら必死で走り出した。
 この一瞬の出来事が自分の中では、ものすごく長い時間に思えた。
 すると痙攣による激痛が徐々に和らいでいったので、関門を突破できるかどうかを考えながら走れるだけ走ろう、と思い痙攣と格闘しながら走り続ける。

 そうこうしながら35kmを通過2時間14分12秒で通過。40km関門までは27分少々あるので1km5分30秒以内なら突破できる、なんとか持ちこたえよう、と痙攣したままの脚で必死に走り続ける。
 海岸沿いの道路から今度は大分の市内に戻ってきた。するとこの辺りからペースを持ち直してきて、一時順位を落としていたのが逆に順位が上がり始めた。
 こうなってくると強いもので、相変わらず痙攣は続いているものの快進撃が始まり、一度抜かれた人も抜き返すことができた。

 40kmを2時間34分40秒で通過。いつも練習している駒沢公園の周回コースが1周2.15kmなので、残りはほぼ同じ距離。もうよほどのことが無い限り完走はできるだろう。
 あと駒沢1周!
とばかりにラストスパート体制に入る。すると駒沢仲間の新堀さん(eA神奈川)の姿が前方から捕らえられる。

 そして舞鶴橋!左前方には大分市営陸上競技場の照明搭が見える。
 帰ってきた〜!
 思わず涙が出てくる。何度この瞬間を思い描いて練習をしてきたことか!?
 新堀さんをかわして橋を渡りきり、左折をしたところで今度は皇居仲間で地底牧場(?)の斉藤さん(気象庁)をかわし、その他にも何人も抜いて更に順位を上げる。
 目からは涙が止まらない。
 競技場に入りあと400m。直前に見える何人かの選手を更なるラストスパートで片っ端から抜き去って、あと100mの地点。今までの全てのマイナス要因が、まるでオセロで大逆転したかのように綺麗にひっくり返った。

 そして感涙のゴール!2時間43分14秒!

 ガッツポーズをしないで時計を止めてゴールをして、振り向いてゴールラインの方を向いて一礼した。
 先にゴールしたe-Athletesの仲間が出迎えてくれて、共に完走を讃えあった。
 スタート時に転倒した武市さんだけがタオルを肩にかけていて、どうやら50位までにゴールした選手にだけタオルが渡されたらしい。
 ちょっと悔しい気もしたが、まぁ、完走できたことが何より嬉しかったので、そんなことはすぐに忘れてしまった。笑


・ゴール後

 ダウンもそこそこに、大分駅で待つ家族に会うために一番早い送迎バスで移動。まずはお礼を言って完走できたことを報告した。
 その他、いろいろな方にメールや電話で完走を報告。何度、お礼を言ったことか。やっぱり自分は1人で走っていたのではなかった、と思った。
 中1で陸上競技を始めて以来、両親はずうっと自分の走りを見ていてくれた。大きな区切りとなるこの別大のレースを目の前で見てくれて、今までの恩返しとなればと思う。
 あの痙攣を起こした33kmで止めていたら、悔しさが残るだけではなく、お礼の言葉も言えず、5年前と何も変わらず全く成長していなかっただろう。あそこで諦めなくて良かった、と振り返ってつくづく思う。

 レースの結果は自己3番目の記録で、直前の風邪とレース中のアクシデントを考えれば上出来だと思う。
 しかし、どうも終わった気がしない!
 来年、出場資格と関門が元通りの厳しいものに戻った時、どうしたら完走できるかを考えていた。
 結局のところ、まだまだ自分は走り続けなくてはいけないのかなぁ〜!?(笑)などと思いながら、ホテルに戻る電車に乗った。

===記録===
2時間43分14秒 150位(完走291人/出走398人)
05km   0゜19'01" 19'01"
10km   0゜38'04" 19'03"
15km   0゜57'03" 18'59"
20km   1゜16'04" 19'01"
中間点  1゜20'12"    (前半 1゜20'12")
25km   1゜34'53" 18'52"
30km   1゜53'55" 19'02"
35km   2゜14'12" 20'17"
40km   2゜34'40" 20'38"
42.195km 2゜43'14" 08'34"(後半 1゜23'02")


別府大分毎日マラソン

 テレビで全国中継する国内男子4大フルマラソン大会。(他には福岡、東京、びわ湖)
 新人の登竜門として、毎年、若手実業団選手が多数参加するが、過去には宗茂が当時の世界歴代2位で日本人初のサブテン(2時間10分切り)を記録したり、国内外問わず別大を走ったランナーがオリンピックで活躍する。
 参加標準記録は2時間40分以内(今回は記念大会により2時間50分以内)で、市民ランナーにとっては非常に高いレベルの憧れの大会。
 このレースの出場のために走っているという市民ランナーも数多いが、途中の関門制限が非常に厳しく、せっかく出場できてもタイムオーバーによる失格となる者も多数いて、完走できてこそ始めてその価値がある大会。

第55回記念別府大分毎日マラソン大会ホームページ